東京タワーの上から、あちこちを展望していて、ふと真下をみたところ、増上寺の境内が、桜で覆われているのが目に入った。桜の帯が回廊のようになって、お寺全体を取り巻いている。いやまあ、「すごい」の一言しかいいようがない。何というか、桃山風の、誠に豪華絢爛たる眺めである。弔われている徳川家の面々も、さぞかし心休らかに永眠されているに違いない。 (2004. 4. 3)28 |
独立行政法人国立公文書館アジア歴史資料センターのホームページを閲覧したところ、ちょうど「公文書に見る日露戦争」という特別展を開催していて、当時の写真や資料を展示してあった。今年は、1904年2月に開戦し、1年半続いた日露戦争から数えて100周年を迎えたとのこと。植民地主義の歴史の中で、この戦争が転機となり、近代の日本の基礎になったといえる。多くの人命が失われたものの、その意味では大いに評価されるべき歴史の1ページであろう。ところでこれは、その日露戦争時の電文である。 (左)日本海々戦の初め、敵を発見したる後、午後一時五十五分視界海内にある我々全艦隊に対し皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよの信号を掲揚せり。 (右)敵艦隊見ゆとの警報に接し、聯合艦隊は直ちに出動、之を撃沈せんとす。本日天気晴朗なれども波高し。 (2004. 2.22)26 |
また二年ぶりに、神田祭が行われた。5月11日の午後は、100基もの氏子お御輿のお宮入りがあった。中でも太田市場の数百人のお御輿は、実に圧巻であった。 (2003. 5 15)24 |
4月19日の桜を観る会で、新宿御苑に行ったところ、八重桜が満開だった。たまたま気温も高い日で風も強く、それがヒューッと吹いてきたら、あたり一面に桜吹雪で真っ白になった。 (2003.4.19)23 |
東大構内の銀杏並木
紅葉の映える後楽園の池
東京ディズニー・ランド
シンデレラ城 ・ 暑い日だった
むかし、ロサンゼルスで、このカヌーを漕がされて、
手に豆ができたことを覚えている。まだ、やってる。
マーク・トゥェイン号。最上階は、意外と眺めがよろしい。
夜のパレード。まあ、昔の花電車ですね。といっても、
これを思い浮かべる人は、かなりの歳の方ですが・・・。
これは、シンデレラのかぼちゃの馬車です。家内の撮影。
久しぶりにディズニーに行ったと思ったら、そちらはディズニー・シーだったから、今度は本物のディズニー・ランドに行こうといわれて、まさか一週間後に同じところに行くとは思いもしなかった。まあ、それはともかく、大人のムードの「シー」に比べて、やっぱりこちらの「ランド」は、遊園地でした。しかし、それなりに楽しんで、閉園まで、長居をしてしまった。 (2002. 8.18)18 |
東京ディズニー・シー
ホテル・ミラコスタより、プロメテウス山を眺める
対岸のアーチの左上が、朝食をとったベッラビスタ
Porto Paradiso Water Carnival
ホテル・ミラコスタ内の帆船
記事参照
私は、東京のこの下町近辺に引っ越してくるまで、紫陽花というのは、これほど美しいものとは思っていなかった。子供のころに自宅近くに咲いていた紫陽花は、薄ぼんやりとして日陰を好む、いかにも冴えない花だったからである。ところが、この下町の紫陽花の多彩でくっきりとした花の色を見ていただきたい。まるで引き込まれるような、青やピンクである。 → 紫陽花の写真 (2001. 6. 9)14 |
東京の写真散歩を始めるに当たって |
東京は、1200万人の人口を抱える世界でも有数の大都市であるだけでなく、日本の政治経済の中核たる存在であることはいうまでもない。しかしその実像はさまざまである。たとえば一方では世界でも珍しいほどのコスモポリタンの姿を見せているかと思うと、その他方では江戸開府以来の古い伝統をいくらでも垣間見ることができる。加えて、東京という都市の大きな特徴は、無秩序ともいえる変化の激しさとそのダイナミックさである。昨日まであった建物が、もう翌日には忽然と消えてなくなっているという例には事欠かないし、休日ともなれば、あちらこちらで思いも寄らない催しが行われている。ともかく、エネルギーに満ちあふれている都市なのである。 私は、青年時代にたまたま上京して以来、わずか数年ほど外国暮らしをしたほかは、好んでこの大都会に住み続けている。良きにつけ悪しきにつけこのメガポリスは、私が家族と一緒に住み、ともに成長し、しばしば明け方まで働き詰めに働いた、甘く、ほろ苦く、又なつかしの故郷となったのである。私がその故郷の四季折々の姿をカメラに収めて、記録しておきたいと思ったのは、ごく自然の成り行きである。 (注) 第一部で書いたものを再掲した。 (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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