悠々人生のエッセイ








 とある国立大学に行き、頼まれた講義を済ませて、夕刻になったので先生方と食事に行った。いろいろな先生がいて、それぞれ教授だの助教授だのと錚々たる肩書きはついているものの、いっぱい飲めば皆同じで、話があれこれとはずみ、蟹や魚料理もおいしく、とっても楽しいひとときを過ごしたのである。しかし、その中でも秀逸だったお話を紹介したい。深刻な話のはずなのだが、いまでも思い出すと、おかしいやら何やらで、頬の筋肉が緩んできてしまって困るのである。こんな話は、上野の寄席でも、めったに聞けないだろう。

 それは、宴たけなわで、とっても真面目で実直そうな先生がふと、私に重大な一件を聞いてきたことにはじまる。

「先生」ちょっと、お聞きしたいことがあるんですけれど。

「 私 」はあ、どうぞ。

「先生」いま、学長と揉めているんです。

「 私 」ん・・・???

「先生」私は、学内のセクハラ対策委員会の委員長を務めているのですが、我々のアンケート結果を集計して公表しようとしたら、学長側から圧力がかかってきたんです。

「 私 」?? ほお、それは、それは。ちと、深刻ですな。まあまあ、お猪口を一杯。

「先生」それでね、私は、これは厳正なる調査結果を単に集計しただけだから、発表すると強く主張しました。ところが、学長か副学長かが、そんなことをすれば、外部の誤解を招くだけだから、公開はやめろ、場合によっては取り消すか直せって、言ってくるので、私はもう困ってしまって。

「 私 」それは非常に深刻ですね。さあ、もう一つどうぞ。

「先生」いや、私は、ほとほと疲れてしまってます。

「お客」そんな、いったん作った文書を公開しないって、できるんですかぁ。偽造になっちゃうんじゃあ・・・。

「 私 」そうだ、情報公開法ってものがある世の中で、そんな、隠したり、適当に内容をいじくったり、そもそもそういうことは、できないはずですよね。だいたい、すぐバレますよ。新聞記者が聞いたら一発だ。

「お客」(目をまん丸にして)、こりゃあ、まるで地方の典型的な大学ですね。上の連中にとって都合の悪いことは、権威を振り回して寄ってたかって隠そうなどと、本当に、けしからんことをしようとする。

「 私 」そうそう、もうこれは、夏目漱石の坊ちゃんの、野太鼓、赤シャツの世界ですなぁ。ははっ。おっとっと、笑ってはいけない。あぁ、いいです、いいです。私はめったに飲みませんから。

「先生」そうでしょう。私は、だから戦っているんです。

「 私 」それは、ご立派なことです。ところで、その、いったい何がおかしいといってきているんですか。まあまあ、もう一献。

「先生」学内の女性にアンケートをとって、セクハラ体験があるかどうかを、聞いたんです。それで、結構、あるっていうことがわかりました。その中で、一番多かったのが、『お茶くみをさせられていた』という項目です。年輩の女性のほとんどが、数年前まで、そのとおりだったということです。

「 私 」はあ、『お茶くみ』って、セクハラですか? なぜ?

「先生」だって、規則では、そうなっています。

「 私 」その規則は、いつできたのですか。数年前?

「先生」いや、つい最近でしょう。

「 私 」それだと、そんな規則がなかった頃は、別にセクハラではなかったじゃないですか。

「お客」そうですね。そんなの変ですよね。昔お茶くみしていたことが、今なぜセクハラ?

「先生」だから、今はそういう規則なんですって。

「 私 」そうはいってもねぇ、今の時点でセクハラとなっていても、昔の時点ではセクハラではなかったのだから、それを今のセクハラって、カウントするっていうのは、そりゃあ、どうかと思いますね。アンケートがおかしいですよ。それとも、集計の問題かな。どうです。

「お客」そのとおり、アンケートをやり直すべきです。

「先生」いや、間違っていません。

「 私 」はあ、別に私がいう立場では全くないけど、昔のお茶くみを現時点で評価してそれをセクハラというのは、どうかと思いますよ。別に学長の肩を持つ気はないけどねぇ。

「先生」私は、絶対、アンケートをやり直しません。そんなことをすれば、これまでアンケートに記入してくださった、学内の女性に申し訳がたちません。

「 私 」いや、そういう問題ではないですよ。実態を正確に現していないものを発表するのはねえ。もっとも、集計した文書を改竄せよとおっしゃる、その学長さん方もいささかどうかと思いますけど。両方とも、変ですよ、それ。

「先生」そうですかぁ、私は、絶対に変でも悪くもない。今年中に決着をつけます。

「 私 」先生っ。失礼ですが、ちと、会社でも官庁でも、どこでも出向して、世間の風に当たってみては?

「先生」世間知らずとおっしゃるのなら、だいたい、私みたいに、会社でも官庁でも使えないような人間こそが、大学の先生になるんです。

「 私 」あははっ、そうはっきりおっしゃるとはねぇ。では、がんばってください。でも先生ねぇ、そういうご実直なご性格だと、いかに大学とはいっても、それはお疲れになるでしょう。本件は、世間並みに、多少は妥協とか何とか、おやりになっては、いかが?

「先生」本当に疲れるのは事実ですが、私は、私の方針でやります。

「 私 」ははっ。御意っ。

「お客」どっちも、どっち、天下太平、これが大学。やっぱり改革しなければ。



 (注)ちなみに、この中でしばしば合いの手をはさんで立派なご意見を開陳されている「お客」氏とは、学外の第三者である。たいへんな常識人であった。でも、この先生、こんな重大なことをわれわれ学外の人に言ったりして、いいんだろうか。学長さんがたがびっくり仰天して本件を押さえにかかるのもわからないわけではないし、他方では、この実直かつ生真面目で規則に固執される先生も、筋が通っているようでいてそうでもないようなところもあるし、何しろともかくおもしろくておかしくて、今でもお腹の筋肉が緩みっぱなしである。先生と別れる段になって、しっかりと握手し、そのご健闘を祈って家路についた。先生はうれしそうにしていた。純粋で一途の人なのである。いまどき、このような「擦れていない人」は珍しい。しかし、それだけに、身の処し方がねぇ・・・。あたかも歌舞伎の世界のようで、いやぁ、この国立大学に行ってみてよかった。


(平成13年12月15日著)
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