This is my essay.








 私はかつて東南アジアに住んで仕事をしたことがある。出発する前に諸先輩のところを回っていろいろとアドバイスをいただいた。その中のひとつは、外国では何があるかわからないから、必ず保険に入っていくようにというものであった。私は内心では本当にそうかなと疑いつつも、そうすることにした。そしてまず、旅行者保険に入ったのである。「3年近くも住み着くのに『旅行者』とはこれいかに」という気がしたが、保険屋さんに言わせれば、一ヶ月単位で自由にその期間を指定して入ることができるとのこと。結局、3年3ヶ月間を指定して加入した。一人前が4万円で、家族全員で16万円の出費である。やや痛いと思ったものの、安全には替えられないというわけである。

 もうひとつは、現地に着いてただちに入った家屋保険である。これは、泥棒が侵入して金品を持って行かれたら困ると考えて入ったもので、わずか年一万円足らずの費用であった。地元の保険会社と日系の保険会社の商品があったが、もちろん日系の方に入った。現地の保険会社は、査定が渋いうえに、「保険金の支払いを月賦にしてくれ」などと信じがたいことをいう場合もあって、日本人が驚きあきれたという評判を聞いたからである。

 結論からいえば、この二つの保険に入っていて、本当に助かった。まず旅行者保険の方は、私どもの子供たちが小学校に上がるかどうかという年頃であったので、風邪で熱を出したりすることが多かった。それで、しょっちゅうお医者さんのところに通ったのである。このお医者さんは、日本の九州大学医学部を出た中国人で、日本語ができるので在住の日本人が相当お世話になった。しかも、その旅行者保険の指定医だったのである。おかげで医療費はタダとなり、ほとんど元を取って帰国した。これでは保険屋さんもたまらないだろうと思っていたら、そのうち案の定、かなりの値上げがされていた。

 次は、家屋保険である。私の住んでいた家は、なかなか雰囲気がよくて、家族全員そこでの滞在を楽しんだが、思わぬ落とし穴があった。裏にちょっとした川が流れていたのであるが、ある日突然、それが氾濫を起こしたのである。午後遅く急に土砂降りの雨が降り出した。これは彼の地ではよくあることで、いつものスコールかと思っていると、それがなかなか降り止まないのである。午後6時頃になると水位が上がってきて、とうとう庭の芝生が水の下に隠れるようになった。今までこの地区が水に浸かったという話は聞いていなかったが、これは危ないという直感が働き、持っている二台の乗用車のうち、まず私の車をただちに車庫から出して高台に避難させた。そして家に戻って二台目の家内の車を避難させようとしたが、時すでに遅く、水位がさらに上がってきて、とっても出せるような状態ではなかった。

 「はて困った、どうしたものだろう」と思って回りを見渡すと、ベランダの位置がやや高かったので、車を運転し、思い切ってベランダにそのまま乗り上げさせた。この頃には、庭で飼っていた数匹の犬が、心配そうにキャンキャンと叫んでじたばたしていた。それを家の中に入れて落ち着かせた。水位は次第に上がってきて、とうとう水がベランダを乗り越えて室内に入ってきた。そこで、何が一番高価で守るべきものかと考えたら、やはり何といってもそれは車である。もう一度エンジンをかけて動かして室内に直接乗り入れた。しかしそれでも水位がどんどん上がってくる。もう一工夫が必要だ。咄嗟に手近にあった子供の漫画本を積み上げて、その上に車を乗り上げた。FF車だったから、これで少なくともエンジンは助かるというわけである。次に、家族全員で床にころがっている物を机やテーブルの上にあげた。中には時すでに遅くて水につかってしまったスピーカーやミシンのようなものがあった。しかし、水の勢いが早かったので、どうにも間に合わなかったのである。

 それからは、家族四人がひとかたまりになって、恨めしげな顔で、その次第に上昇する泥水の水位をじっと見つめていた。午後8時頃である。そんなことを半時間も続けていただろうか、私は突然馬鹿らしくなって、「家の中でボートを走らせることができるのは今日だけだ。さあ遊ぼう、遊ぼう」と言い出した。それを聞いて、子供もすっかりその気になり、嬉々としておもちゃのボートを持ってきた。それで、家の中にそのボートを浮かべて遊んだのである。軽くモーターの音を響かせて、ボートはベッドの横などをすいすいと通り抜けて、家中を走り回った。電気はついていたし、それも間接照明であったので、各部屋をそのボートが縦横に走り回る様は、本当に幻想的でとても面白かった。これで、家族全員、しばし楽しんだのである。そうこうしているうちに、午前0時が過ぎた。それを境にじわじわと水位が下がっていき、そのボートも床に着いてしまった。こちらも遊び疲れて、そのままベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 翌朝は、早くからホースで水をまき、室内を清掃した。畳やふすま、障子などがある日本の家屋とは構造が全く違って、こちらの家は、床は大理石だし、ドアと壁は水をかけてもへいちゃらであるから、ホースでそのまま水をまけばよいのである。しかも、川の水といってもこちらは有機物が少ないせいか、それほどきたないものではないので、水が引いた後には小石が少し残っていた程度である。あちこちの部屋にホースを持って入って水をまき散らした。こうして、昼前にはさっさと流し終わり、すっかりきれいになったのである。それはよかったが、救出が間に合わなくて水に浸かってしまった物もある。こういう品物は、もちろん全然使いものにならない。たとえば、ミシン、本や雑誌、車の下敷きの漫画本、ステレオのスピーカー、食料の茶箱などである。たいしたものはないが、中でも、ミシンの被害だけは痛かった。20万円近くをはたいて、日本で最新のものを買って持ってきたからである。
 
 私は本当にがっかりし、落胆した。ごく最近では、2000年に名古屋の枇杷島地区などを中心として、川の氾濫によって広範な地域が水に浸かったという災害があったが、その時の被害者の気持ちは、とてもよくわかったのである。被害を受けた直後は、アドレナリンが大量に出るせいかむしろ元気いっぱいで後かたづけなどをするのであるが、それが一段落すると、がっくりするというか、気持ちがいささか落ち込むのである。しかも、家の中はきれいにしたとはいえ、庭を見るとまだ小石や泥が残っていて、これらの後かたづけを続ける必要があった。

 お昼をどうにか食べたあとで、浸水の被害を受けた品物を居間に集め、それらをひとつひとつチェックしていたときのことである。頭の中に、「保険」という文字が閃いた。「あれは盗難用に入ったのだけれど、確か家屋保険といっていたなぁ」と思いながら、私の部屋の机の中を探しに行った。そうすると、保険証書が出てきた。対象となる項目は、「(1)theft」つまり盗難から始まっていろいろと書き連ねてあり、その最後のところに、「(10)flood」(洪水)とあったのである。このときほど、先輩の忠告が有り難いと思ったことはない。意気消沈していたが、これで再びまた元気を取り戻した。その勢いで保険会社に対してすぐに事故の報告をし、保険金の請求を行ったのである。一ヶ月ほどして、まあまあの額の保険金が下り、それだけで何だか大いに得をした気分になった。しかも、保険会社は水に浸かったミシンやステレオを自由に廃棄してよいというので、現地の専門業者にその処分を任せたところ、かなりの額で買い取ってくれた。金額からすると、この洪水でかえって儲かってしまったのである。全く、何が幸いするかわからない。

 話は変わるが、東南アジアで政情の安定している国は、指導者の質がよく、したがって経済も着実に発展してきている。以前のような一握りの裕福なリーダー層と貧しい一般大衆という図式からは完全に脱却し、今では次第に中流階層が形成されてきて、それらがまた政治的安定と経済発展の原動力になるという好循環を生んでいる。ところが一旦そうなると、周辺諸国から貧しい経済難民が大量に押し寄せるという問題に直面するようになる。日本における不法入国の中国人のようなものである。

 これらの人は、その大半が不法入国者であることから、まともな職にありつくことができない。あっても、ごく賃金が低い。最初はそれでも喜んで働くが、次第に事情がわかるにつれて不満を覚えてくる。その結果、職を変わることのできる者はまだいい方で、その他大勢の者は、麻薬に手を出したり、かっぱらいや空き巣、強盗などの刑法犯罪を行い始めることが多いのである。

 とりわけ麻薬の被害は深刻で、真偽はわからないが一説には人口の数%もの者が汚染されているという。そこで東南アジア諸国においては麻薬を重罪としている国が多い。中には一定数量以上の麻薬を所持しているだけで、死刑となる国もある。実際に外国人が死刑になった国もある。そういう国では、われわれ一般の旅行客も大いに注意しなければならない。そんなもの関係ないではないかと思う人もいるかもしれないが、そうではない。最も気を付けるべきことは、知らない間に「運び屋」にされないことである。たとえば、うっかり頼まれて預かった他人の荷物中に麻薬が入っていたというケースもないわけではない。自分のではないと立証しようとしても、その持ち主が名乗り出ることはあるはずもないので、税関ではまず抗弁できないのである。東南アジア諸国の刑務所には日本人も何人か入っているが、その中にはこういう風に犯罪をでっち上げられた者がいないかどうか、私はふと心配になる。

 いずれにせよ、このような知識もなく、ふらふらと外国を気軽に旅する若者には、本当にはらはらさせられるのである。インドに行ったときのことである。そこに長く駐在している日本人が言うには、一ヶ月に一人ぐらいの割合で、日本人の若者が行方不明になっているという。中にはインドの悠久の大地に魅せられてそこに沈没してしまった者もいるようであるが、犯罪の被害者になった者も少なくないとのことである。こういうことは、日本ではあまり報じられていないが、特にインドでは多いらしい。バッグひとつの貧乏旅行で気軽にやって来る者が大半であるから、決まった日程など用意していない。こういう若者が行方不明になったりすると、それを探しに来る親御さんたちが途方に暮れることがしばしばあるらしい。

 話の筋を再び元に戻すと、そうして裕福になった東南アジア諸国における麻薬の次の社会問題は、かっぱらいや空き巣、強盗などの犯罪である。バイクで走ってきてご婦人のハンドバックをかっさらっていったり、他人の家に押し入ったり、ともかく危険なのである。私もそれは重々承知していたので、一軒家を借りるときには無理して高級住宅地を選び、その中で警察官のアパートのそばにした。入居してからは、家の周囲に暗くなったら自動的に点灯するライトを付けたり、犬を三匹飼ったりした。私の借りたその家は、玄関のドアは鉄板入りで非常に重く、錠前は三つもついている。しかも蝶番の部分は絶対にこじ開けられないようになっている。窓という窓にはすべて太い鉄柵が取り付けてある。庭に出られるようになっている広い開口部のところには、アコーディオン式の鉄柵が設置されていて、夜や留守にするときはそれを厳重に閉じるという仕組みである。

 だから私は、我が家は絶対に大丈夫だと思っていた。しかし、それでも泥棒に侵入されたのであるから、本当に世の中はわからないものである。いや、私の考えが、ちと甘いのかもしれない。泥棒が侵入したその日の夜は、たまたま住み込みのお手伝いさんがいなかった日である。私たちは、友人の家に招かれていたから家族全員で私の車に乗って、そのお宅にお邪魔した。そこで子供は子供同士、大人は大人でおおいに楽しみ、とても満足した。狭い日本の住宅と違って、こちらでは家族全員でつきあえる「スペース」があるから幸せである。そうして楽しく愉快な時間はたちまち飛ぶように過ぎてしまい、もう午後11時を回ってしまった。そこで、ついにおいとまをして、家に帰ってきた。

 家に着くと、いつもは口々に吠えながら尻尾を振って迎えてくれる犬たちが、庭をうろうろとして落ち着かない。これは何かあったと直感して、おそるおそる玄関のドアを開けた。すると、居間には、無惨にも私のアタッシュ・ケースがずたずたに切られて放り投げてあった。これは泥棒だとわかったものの、まだ居残っていると危ない。そこで家族には車の中で待機してもらい、いつでも逃げられるようにと、エンジンをかけたままにした。それから落ちていたビール瓶を片手に持ち、声をあげて各部屋を回って様子を見たのである。すべての部屋とトイレをチェックし、ようやく誰もいないことを確認してから、家族を呼び入れた。すぐに警察を呼び、家族には何も手を振れないようにと指示したのである。

 警察官がやってきた。ところが、これが全く頼りないのである。「ほら、ここに泥棒が飲んだジュースの缶があるから、指紋をとったらどうか」といっても、それを素手で持ってのぞき込むという有様である。現在は少しは改善されているかもしれないが、その当時は指紋という知識すらもなかったと考えざるをえない体たらくであった。日本の警察の方が、はるかによほど優秀である。私は内心いらいらしたが、こういう警官に何を言っても無駄なので、お礼を言って早々にお引き取り願った。

 そして、初めて気が付いたのである。「泥棒は一体どこからこの家に入ったのだろう」と。何しろ、玄関のドアは完璧であり、破られてはいない。周囲の窓には全部鉄格子がはまっていて、見方によれば、家の住人は檻の中に住んでいるようなものである。これを破ってくるなど、よほどの器具や機械でも使わないと無理だ。そう思いながら、台所と各部屋を回ってみた。私の部屋に入ったところ、電気も点けていない夜なのに、何か明るい。よく見ると、私の机の上に椅子が乗っている。その椅子の上は・・・・・ああっ、お月さまが丸見えではないか。

 つまり、天井を破って侵入してきたのである。そして出ていくときには、私の机の上に椅子を重ねて、それを踏み台にしたらしい。お月さまは、天井の破れ目から部屋の中をしっかりと照らしていた。これには、さすがの私も、びっくり仰天してしまった。

 盗られた物をチェックした。もちろん、家屋保険の盗難に該当するので、その申告した品物と残っている物を照合するだけである。まあ、私はもともとのポリシーとして、自宅にはほとんど現金を置いておかない。ただ、少しは置いておかないと、せっかく侵入してきた泥棒さんががっかりして何をしでかすかわからないから、1万円相当額くらいは見えるところに飾っておいた。お手伝いさんにもその旨を申し伝え、くれぐれも勝手に「間違って」持っていかないようにと命じていた。そしてそのお金は、目論見通りになくなっていた。これは計算の内である。

 それから、各種のパーティで家内が身につける金のネックレスが何本かなくなっていた。決して高い物ではないし、それらを買ったときの領収書を全部とってあるので、これも保険でOK。ただ、私のアタッシュ・ケースが壊されたのは残念だった。これは旅行先で私が大変に気に入って買ったものだから、たとえ保険金をもらっても同じ物はもう買えないのである。もちろん、その中には金目のものなど入れておかない習慣だったので、まったく壊され損である。こんなことなら、鍵などかけない方がよかった。ええっ、それからと・・・ほかには・・・もうなかった。だいたい、天井からお出でになった泥棒さんなので、品物まで持っていくことが出来なかったのだろう。

 そのとき、家の中で「ああっー、ボクのお金が盗られた」という声がした。小学校1年生の息子の声である。皆でどうしたと駆けつけたところ、机の引き出しの中に入れて置いたお小遣いの貯金箱がなくなったと騒いでいた。お年玉などを貯め込んでいたから、現地通貨で3万円相当分ぐらいは貯まっていたようである。それがなくなっているというのである。息子は、普段からとても穏和な性格であるが、このときばかりは、全く珍しく本当に怒っていたようである。まあ、これもひとつの社会勉強となったと思えば良い。いずれにせよ、現金は保険でカバーされないので、この息子のお小遣いは、泥棒の最大の収穫となった。

 それから、さすがの私もその家に住むのに嫌気がさして、近くのコンドミニアム(日本風にいうと、マンション)の一室に引っ越した。ここは、二人の門番がいる高い塀に囲まれている。しかも入り口近くには常駐の管理人がおり、何くれと世話を焼いてくれるところである。真ん中の庭にはプールがあり、テニス・コートもあるので、運動もできる。部屋はやや狭いが、日本のことを思えばかなり広い方である。住み心地は快適でセキュリティも十分であったから、家族の皆はいつしかその盗難事件のことを忘れることができた。

 私が見るところ、その頃から日本人の家がしばしば泥棒に狙われるようになった。ある日本人は、夜中にやはり泥棒に押し入られてこわい目に会った。たまさかその人は、その国の首相と懇意であったから、首相にその話をした。そうしたところ、首相はしばらくその人の一軒家に24時間警備の警官を派遣してくれたという。こういう点が自由自在なのは、東南アジアの国の特徴である。

 それでしばらく警官がその家を警備していたところ、ある日の真夜中に、塀を乗り越えて泥棒が侵入しかけた。それを警官が見つけて、塀の下から現地語で何か叫んだ。すると、その盗賊は、塀の上に突っ立って何か叫び返した。その調子で両者はしばらく怒鳴り合っていた。そのうちに盗賊は憤然として塀から下り、すたすたと歩いて去っていったとのこと。その日本人は、住み込みのお手伝いに、何を言い合っていたのかと尋ねたところ、こういうことだったらしい。つまり、警官は「下りてこい」と叫んだ。それに対して盗賊は、「俺の家族の生活がかかっているのだから、邪魔をするな」と答えたという。そうこうしているうちに、警官は同情したのか、めんどくさくなったのかわからないが、立ち去るのを黙認したらしい。

 まったくこういう話は笑ってよいものかどうなのかもわからないが、いかにも東南アジアらしい話ではないか。もちろん、万事がこの調子ではないが、おおむねこのような側面をしばしば見受けることがある。比較していえば、どうも日本人だけが勤勉かつ職務に忠実でクソ真面目、その反面において常時いらいらしているところがある。これは四季のある気候のせいか、文化的なものか、教育のおかげか、それとも民族的特性か、何のせいだかよくわからないが、おそらくは、これらの複合要因なのであろう。まあそのおかげて日本は世界でも有数の経済力を付けたわけである。しかしいずれにせよ、四六時中暑くてかなわないこの東南アジアでこのような行動様式をとったりすれば、とても長生きできないことは、まず確かである。

 また、彼の地の泥棒の話に戻るが、次の中国人の話も興味深い。その人は、以前に自宅で夜にベッドで寝ていたところ、泥棒に襲われて縛り上げられたことがあるらしい。それ以来、「自分は檻の中で寝ている」というのである。何のことやらわからなくて、「はあ?」と聞き返したところ、「寝室の回りと天井に太い鉄の格子をはめ込んでいるから、まるで『Jail』の中にいるようなものだ」と笑っているのである。それでも安心できなくて、しっかりと銃を用意しているという。よっぽど怖かったらしい。私が、「それじゃ、私のところみたいに天井から侵入されないね」というと、うれしそうに頷いた。

 日本も、このような世界にならないことを心から祈るばかりである。






(平成12年12月25日著)
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