This is my essay.








 私がいまここでどんな果物を口にしたいかと問われれば、もちろん「ドリアン!」と答えたい。それほど、この熱帯の奇妙といえば奇妙な森の幸に魅せられている。中には、ドリアンと聞いただけで、その場から逃げ出してしまう人もいるというのに、である。この果物の外観はラグビーボールを小型にしたようなサイズで、普通は淡い草色をしていて、その表面にはとげとげが生えている。もちろんそのとげが刺さると怪我をする。相当に重いので、たとえばこれが頭上に落下でもしたら、まず間違いなくあの世行きである。

 それだけでも奇妙な果物なのに、これに出くわした人が決して忘れられない理由は、その異様な「におい」である。何と表現したらいいのか、腐ったチーズというか、まあ、そんなところである。これが本当に強烈なのである。私は東南アジアの路上でドリアンを数個買い求め、それを車のトランクに入れて運転し、自宅に着いたのでそれを車から取り出したことがある。わずか10分ほどのことに過ぎない。ところが、そのトランクにドリアンのにおいがこってりと染み付いてしまって、一週間ほど消えなかった。そういうわけであるから、東南アジアのホテルや公共施設では、ドリアンを持ち込むことは禁じられている。私は、一度、タクシーに持ち込もうとしたことがあるが、断られてしまった。

 我ながら物好きとは思うが、そういうドリアンが好きでたまらない。ドリアンを食べるときは、枝の付いている方の先端を鉈のようなもので切るのである。そうすると、そこから割れ目が広がっていくので、あとはエイヤッとばかりに手で開いていけばよい。中は三つか四つほどの白い部屋で仕切られていて、それぞれに二つくらいの実が入っており、ひとつひとつが黄色いチーズのような柔らかい部分で覆われていて、それを手でつかんで食べるのである。これが何というか、実にうっとりするようなとろける天国の味で、ドリアンが「果物の王様」といわれる所以である。ただ、人によっては例の地獄にもたとえられる強烈なにおいが邪魔をして、とても食べて味わうどころではないらしい。私も、最初の一口は確かににおいが気になるが、それ以上になると、嗅覚が麻痺をしてしまうのか、不思議なことに、におうという感覚自体がなくなるのである。

 自分が好きになると、人にも食べさせたいという気になるものである。まず家族を誘ったところ、家内と息子は、そのにおいを嗅いだだけで逃げ去ってしまった。ところが、私の娘は、実においしいと言ってくれたのである。全く、ういやつである。それ以来、この娘からは「ドリアンを食べたい、食べたい」と何年たってもいわれ続けていたが、ついに最近、一緒に彼の地を再訪して、長年の願いをかなえてあげることができた。お互い、感無量というと大げさであるが、ドリアンの実を再び手にしたときは、ともかくそれほど大きく感動したのである。

 また、現地にいたときには、日本から来たお客さんと夕食を食べたあとで、「おもしろい果物を記念に味わないか」といって、よくドリアンを食べに連れ出した。10人中7〜8人はドリアンに近づいたとたん、「うへぇっ」と奇声を発して顔をしかめるが、二割ほどの人は、「これは、うまい」と言ってくれる。その両方を見るのが楽しみで、季節になると中心街の某ホテル前のドリアン・スタンドに、しばしば通ったものである。季節というのは毎年7月頃と12月頃の二回で、その前後一ヶ月ほどしか採れないのである。

 ドリアンは、おいしいものと、そうでないものとの落差が大きい。蜜柑のように、当たり外れがあるのである。値段は日本円で一個200円から1000円くらいまでの幅があるが、高いものが必ずしもおいしいとは限らない。むしろ、安いものの中からおいしいものを見つけるのが楽しみである。そのおいしいものの見分け方は、なかなかむずかしい。たとえば西瓜を見分けるのに、昔なら表面を手の平でたたいて、その反響する音で調べるということをやったが、ドリアンの場合はとげがあるので、そんなことはできない。現地の人たちのやり方を見ていると、両手で持ってまずにおいを嗅ぎ、それからカクテルを作るときのようにそれを振ってから決めているが、「こんなことでわかるのかしらん」という気がする。何やら、気休めの類にすぎないのではないかと思う。「においがよいと、おいしいドリアンだ」などと説明してくれた現地の中国人がいたが、こちらはそのにおいで頭がくらくらするので、まだ修行が足りないのかもしれない。

 一般に、タイ産のドリアンはにおいが薄くて大柄でジューシーであるから、日本人好みである。ただし、甘さという点ではマレー半島産のドリアンに負ける。こちらは、においがきつくて小柄であって、甘みは強い。タイ人は自国のドリアンが一番だと思っているし、シンガポールやマレーシアの人はマレー半島のこそおいしいドリアンと信じて疑わない。それぞれの国内でのドリアンの値付けをみると、相手国のドリアンの方の値段が自国産のものより低いのは、ご愛嬌である。私自身の好みは、やっぱりタイ産である。ただし、マレー半島産のものも、これはすごいと感激したことがある。普通のドリアンの食べるところは、あたかもチーズのような黄色である。ところがそのマレー半島産のものは、虹のような美しいピンク色なのである。水分はさほどないが、とても甘い。こういうドリアンには、いままで三回しかお目にかかったことがない。

 ドリアンを日本に何とかして輸出しようと研究した日本人S氏がいる。この人は、果物の女王といわれるマンゴスティンを冷凍して日本に輸出したことで、現地では有名な方である。マンゴスティンは、これまたおいしい熱帯の果物で、その可憐な白い中身はジューシーでほのかに甘く、もちろん変なにおいもないので、これが嫌いな人はまずいない。だから、大魔王のドリアンと違って、万人向きの「女王」というわけである。 表面は濃い紫色をしているテニスボール状の果物で、表皮を割ってみれば四つに分かれているその中の白い半月状の部分を食べる。ミバエの検疫の問題があったので、S氏は最初それを冷凍して日本に出荷した。ところが日本の料理人はその解凍に手こずってお湯に付けたため、とても食べられる代物ではなくなり、最初の輸出はものの見事に失敗に終わった。しかし、それでも懲りなかったのはS氏の偉いところで、彼は研究の結果その外皮をぐるりと輪切りにして冷凍し、再びそれを日本に輸出した。日本では、その外皮の上をぱっくりと外し、シャーベット状の中身をスプーンを添えてそのままお客に提供したところ、大好評をはくしたというのが伝説的な小話となっている。

 そのS氏が次の課題としてドリアンに取り組んだ。例のとおり、パックした上で、それを冷凍室に置いておいたのである。しかし、10日かそこら過ぎたところで、そのドリアンは大爆発したというのである。においの元となるガスか何かしらないが、それが発酵した結果だという。さしものS氏もあきらめざるを得なかった。ドリアンは、それほどすごい果物なのである。私はそれを聞いて、ドリアン愛好家のひとりとして、何だかほっとした気がしたものである。

 現地の自宅の庭でドリアンを食べ終わり、ふと、「こんなおいしいドリアンなら、種を庭に植えたら育ってすぐに食べられるかもしれない」という考えが頭の中をよぎった。早速その中で一番大きな種を選んで、庭の片隅に植えた。ちょうどその数ヶ月前には、同じようにしてバナナの根っこを植えて半年ほど経ったら、立派なバナナが収穫できたので、二匹目のどじょうを狙ったわけである。この国の植物の生長の速度は信じられないほど速くて、木の苗を植えてからわずか3年ほどすると、ちょっとした大木になる。

 ところが現地の人に聞くと、ドリアンの場合は、収穫できるまでに最低、8年はかかるというので、がっかりしてしまった。しかし、その植えた種からはすぐに苗が育ち、一月ほどすると、もう30センチほどの高さになった。この調子でいくと実をつけるのも早いなどと思って、毎日それを見るのを楽しみにしていた。ところがある朝、庭を眺めたら、その苗が見当たらない。どうしたのかと思って調べたところ、何とインド人の庭師が切ってしまったという。未だに、残念でたまらない。

 あるとき、日本からやんごとなきお二人がやって来られて、お父上から「彼の地にはドリアンなるものがある。試しに食せよ」といわれたとかで、ドリアンを所望された。ところが、確かそれが10月頃だったので、間の悪いことに季節外れであった。私のよく通うドリアン・スタンドも休業である。担当の者は、あちこち手づるを伝って、ようやくのことで国境地帯で採れたものを入手することができた。ところがそれを、どうやって差し上げてよいのかわからない。まさか現地の皆さんがいつもやっているように、目の前で割ってそれを手で食べてもらうわけにはいかない。ああだ、こうだと悩んだ末に、結局、その実を取り出して、プレートに並べ、フォークとナイフとともに、お二人に持っていったらしい。お二人は、そのかなりのにおいのするものをお顔をしかめるわけでもなく平らげて、一言も発されなかったという。高貴な方も、なかなかつらいものがあるようである。

 このドリアンは、もちろん現地の人たちの大好物である。それも「精が付く」という。これだけのにおいと、そのねっとりとした食感、それに各種のビタミンのみならず、植物には珍しい高品質のタンパク質すら多いというその豊富な栄養からすれば、むべなるかなという気がする。また現地の特に中国系の人たちは、ドリアンはお酒を飲んだあとには食べるべきではないという。日本でいえば、食べ合わせがよくなくて、悪くすれば死んでしまうと信じ込んでいる。ただ、これについては迷信の類だろうと私も信じなくて、実は自分の体でこっそりと試してみたが、別に何ともなかった。もっとも気のせいか、それとも熱帯の現地の暑さのせいか、酒のせいかはよくわからないが、少し顔が上気したような感じはした。ただし私も、それほど飲んでいたわけではないので、郷に入っては郷に従えというように、現地の言い伝えに従って置いた方が無難であろう。

 植物検疫で、東南アジアから未加工の生の果物を輸入することは、まずできないことになっている。ところがこれには唯一といってよい例外がある。ドリアンだけは、生の果実の形態で輸入できるのである。そんなことはないと思われる向きがあるかもしれないが、成田空港経由であれば、ドリアンと断った上で、持ち込みが認められている。ところが、実際に航空機に持ち込もうとすると、大問題がある。においが客室内に充満してしまうので、ホテルの場合と同じ理由で航空会社と回りの客が困るのである。ポリ袋を何枚も使って包んでも、その強烈なにおいを防ぐことができず、外へ漏れてきてしまう。現地の日本航空の支店などは、いろいろと試した末にやっとのことでにおいが漏れないドリアン専用の袋を開発し、それを喜んで発表したほどである。

 実はこの点については、この日本航空の特別の袋を使わないで済ます秘策がある。まず、ドリアンのとげから袋を守るために、全体を新聞紙で二重に包む。その上を、食品用のラップでぐるぐる巻きにするのである。一回や二回巻いただけではだめで、ラップの箱をひとつカラにするようなくらいに、徹底的に包むのである。そうすると、においは相当減る。ただし、これでもトランクの中に入れることはできない。においが衣服に染み付いて、ちょっとやそっとのことではとれないからである。かくして、何か変だなと思われつつ、手荷物にして客室の天井の荷物入れにしまっておくしかないのである。

 私は、友達にこうした秘策を伝授し、実際に持ち込んでもらって、東京で一緒に生のドリアンをいただいたことがある。現地では、一個数百円なのに、日本では一個が一万円近くもするので、なかなか味わえないこともあって、まさに天国の味がした。私はいつもの悪癖が出て、これを同じオフィスに人たちにも味わってもらおうと、皆さんを中庭に呼び出して、食べさせた。いわゆる「おじさん組」は、ほとんど例外なく、そのにおいを嗅いだだけで近寄らずに遠巻きにするだけであった。若い男の子も近寄よりはしたが、味わうまでには至らなかった。ところが、若い女の子たちはとても積極的で、どんどんと食べてしまって、私の分まで平らげてしまった。西暦2000年のシドニー・オリンピックでは、マラソンで高橋尚子が、柔道でやわらちゃんこと田村亮子が優勝した。しかしこんなところでも、最近の日本は、ともかく女性が元気なのである。





(平成13年 1月20日著)
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