This is my essay.



表参道の山陽堂書店の壁に描かれた石津謙介さん




 いまから10年ほども前になろうか、バブル景気がこけはじめたが、まだ少しはその余香があった頃のことである。残暑が厳しい中、私は、仲間内のゴルフ・コンペで優勝してしまった。20人ほどの参加者であったが、ハンディが10台の半ばと、オフィシャルが21にすぎない私にしては厳しかったものの、どうしたはずみか他の人たちのスコアが伸びなくて、午前中にトップに立った勢いのまま、私に勝利がころがりこんだ。

 うれしかった。仲間内とはいえ、これくらいの大会で優勝するのは久しぶりだったからである。トロフィーをうやうやしくいただいたあと、あわせて副賞として平たい箱を受け取った。開けてみると、それはMの半袖シャツで、タータン・チェックのなかなかよい柄のものであった。ただ、Mは私の体にはちょっと窮屈で、Lでなければ合わないのである。幹事の人は、私の体格を見てご親切にも「買ったデパートに行くと、自分のサイズに交換してもらえますよ」といってくれた。

 そこで、2週間ほど後になったが、それを持って東京駅にある某デパートに交換しに行った。あまり行きつけないデパートであったが、ようやくその売場にたどり着き、店員の人に交換してほしいといった。するとその店員は、「ああ、これはもうご用意できません。ご覧の通り、今日から秋物ですから」と答えた。私は、「では、どれと替えられるの?」と尋ねたところ、「これは15,000円の品ですから、それと同じ値段のものですけれど、いまここにあるのは・・・うーんと、皆この値段を上回っていますねぇ」などと平気でいうではないか。私は「それで、どうなるの」と聞いたら、「差額を支払っていただきます」という。

 そこで、店内のその一角をぶらぶらしながら品物を選んだところ、そこはブランド専門店だったせいか、たいした品物ではなくても、どれも目の玉が飛び出るほど高い。単なる色柄のシャツでも、平均価格は3万円は優に超えている。ジャケットに至っては15万円以上である。「いまごろ、こんな値段で買う人がいるのか」などとつぶやいて、ふと回りを見渡すと、土曜日の午後だというのに、店内は人がまばらである。「こういう商売をやっていると、そのうち消費者からそっぽを向かれるのではないか」と思いながら、やっと気に入った色のシャツを見つけた。値札を見たところ、29,000円とある。まあ、仕方がないと思いつつ、差額を払い、憮然として店を後にした。

 家に帰り着き、ことの顛末を家内に報告した。家内は、「そうね、うちはバブルとは全く縁がなかったから」などと、不思議な慰め方をしてくれた。その買ってきた長袖シャツは、要するにジーパンと同じ生地で同じ色である。ただ、胸の所に、ちょっとしたマークがあるだけである。それを除けば、その辺の古着と全く同じである。「つまらないものを買ったなぁ」と思いながら、たまにそれを着る程度で、そのうち、そんなものがあったことも忘れるようになっていた。

 ある日、仕事でたまたま石津謙介氏(注)とシンポジウムのパネラーとして同席する機会があった。行くまでに時間がなかったので、あわててタンスからひっぱり出したのが、そのジーパン生地風のシャツである。あまり考えずにそれを着て、それからシンポジウムの場に飛んでいった。討論が終わった後、石津氏が私に向かっていった。「あなた、そのシャツとジャケットの組み合わせは、なかなかいいですよ」 ああー、VANの創始者、男性ファッションの天才教祖から、誉められてしまったのである。あのデパートでも嫌な思い出も、たちまち吹っ飛んでしまった。高いものは、やっぱりいいですな!



(平成12年11月7日著)





【後日談 1】

 石津謙介さんは、2005年5月25日午前2時2分に肺炎で死去された。享年93歳ということである。1911年10月20日に岡山県の老舗の紙問屋の家に生まれ、明治大学商科専門部卒業後、中国天津で衣料会社に入り、帰国後、大阪レナウン研究室に勤めたが、1951年に同地でヴァンヂャケットを創業した。商標のVANを付けて最新のファッション商品を創出し、55年には東京の青山に進出して本社を置いた。ブレザーとボタンダウンシャツに白い靴下というアメリカ東部のアイビー・リーグの大学生のファッションから、アイビー・ルックを生み出し、若者の間に大流行させた。また、石津さんは、東京オリンピックの日本選手団のブレザーをデザインしたり、TPOという言葉を作り出したことでも知られている。残念ながら、1978年に同社は倒産したが、その後も食べ物などに活躍の場を広げて、常にファッションの最先端に位置しようと努めていた。



(平成17年5月25日著)



石津謙介さん生誕百年展を開催中の山陽堂書店

【後日談 2】

 2010年10月から11月3日にかけて、表参道の交差点角にある山陽堂書店で、石津謙介さんの生誕百年展が開かれた。これは、石津さんの会社VANが青山に来てからここが「VAN」タウンとよばれるようになり、それ以来、青山がファッションの街として大きく発展したという。そういう石津さんに対して地元の人からの感謝の思いの現れであるという。



(平成23年11月3日著)
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