This is my essay.








 これは、実際に最近あった話である。ある地方都市で真夜中に交通事故があり、5人が病院に担ぎ込まれた。そのうち2人が、残念なことに既に死亡しており、当直の医師はたった一人でその手当てに忙殺されていた。その最中に警察官が二人やってきて、死亡した人の死亡原因などをその忙しい医師に尋ねた。医師が「生きている人の手当が先でしょう」といっても、何だかんだと言って、聞き出そうとする。どうやら、早く終わらせて帰りたかったらしい。警察官も、人の子である。その医師は、手当てをしつつ警察官の質問の両方になんとか答え終わり、明け方にようやく一息ついた。しかし、この件はそれで終わらなかった。ここからがまあ、とんだ誤解による長い話が始まるのである。

 病院の看護婦さんは、そのお二人の身元を警察官から聞いて、そのお宅に電話をし、「ご愁傷さまですが、ご遺体を病院まで取りに来てほしい」と伝えた。これを受け、お一人の身内の方は、早速病院にかけつけて、ご遺体と涙の対面と相成った。これが通常の風景である。しかし、問題はもう一人の方で起こった。

 どういうわけか、その連絡を受けた家族は、これを振込め詐欺と間違えたのである。そして、けんもほろろにして取り合わない。看護婦さんが丁寧に何回説明しても駄目なのである。ますます怪しいと言い、電話を投げつけるように切ってしまう。いったんこうなったら、もう容易には誤解が解けないらしい。そばにいた警察官も見かねて電話に出て説明するのだが、その家族は信用しない。とうとう、手当てと警察官との応対でフラフラのその医師まで説明役に動員されたが、それでもだめだったという。

 しかし考えてみると、お金を振り込めというのが振込み詐欺の本質なのだけれど、この場合は単に病院へご遺体を取りに来てくれというだけの連絡である。少し考えれば、わかりそうなものである。それなのに、この家族は、どこをどう勘違いをしたのか、まったく取り合わなかったというのである。そうこうしているうちに、夜が明けてしまった。地方の病院のこととて、死体安置所など院内にはない。そこでやむなく、診察室の脇のベッドに安置させていただき、通常の診療を始めたとのこと。

 夜が明けて、家族はやっと、本人が帰ってこないということで心配になり、インターネットで調べた病院の電話番号が、かかってきた電話番号と一致することに気がついた。それで本当だとわかり、あわてて病院に駆けつけたというわけである。家族が第一報の電話を受けてから、すでに8時間が経過し、お昼近くになっていた。病院関係者が疲れで辟易していた中で、その家族は小さな声であやまって、ご遺体とともにそそくさと帰っていったという。

 何ともまあ、寒々しい最近の世相を背景にした、悲しくてほろ苦い事件であろうか。そこまで、他人を信用しなくなってきたというのは由々しき事態である。そういえば、自宅マンションでエレベーターに乗り合わせた小学生も、挨拶を交わさなくなった。小学生を標的とする陰惨な事件が続発しているので、無理もないことかもしれないが、それにしても、こういう社会はますます住みにくくなっていくのではなかろうか。こんな調子では、近い将来、日本でもアメリカなどのように、セキュリティ付きの高い塀で囲まれた住宅地が出現するかもしれない。






(平成17年5月23日著)
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悠々人生・邯鄲の夢





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