悠々人生エッセイ



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         目  次
 1.    八重山諸島の三つの島へ
 2.    石垣島の川平湾とカラス
 3.    由布島へ牛車でのんびり渡る
 4.    星野リゾート・西表島ホテル
 5.    再び石垣島へ戻って山海亭
 6.    旅の余談あれこれ


 八重山諸島への旅( 写 真 )は、こちらから。


1.八重山諸島の三つの島へ

 私は、昨年後半から今年の初めにかけて、病気をしたり、怪我をしたりで、まあ碌なことがなかった。しかし、体調が回復してきたこともあり、国内ならどこかに行ってもよいなという気になってきた。そこで、仕事のついでもあって、まずは京都への旅に行ってきたら、結構歩き回ることが出来て、自信がついた。

 そういう中、テレビを見ていると、八重山諸島が放映されていた。ここは、沖縄本島より更に南に位置する亜熱帯の島々で、石垣島(いしがきじま)、竹富島(たけとみじま)、西表島(いりおもてじま)、由布島(ゆぶじま)、小浜島(こはまじま)、与那国島(よなぐにじま)、黒島(くろじま)、新城島(あらぐすくじま)、波照間島(はてるまじま)から成る。中でも、石垣島の川平湾(かびらわん)、由布島の水牛が画面に出てきて、こういう綺麗な所なら直ぐにでも行ってみたいと思うようになった。

 というわけで、早速、八重山諸島への飛行機とホテルのセットを予約して出かけた。僅か三つの島を駆け足で回ってくるだけの旅だが、これで気に入れば、日本国内なのだからいつでも行ける。今回の行きの飛行機が、羽田空港6時45分発、石垣空港9時55分着なので、余裕を持って池之端の自宅からタクシーで朝4時58分に出発したら、なんと羽田空港に5時15分に着いてしまった。つまり、わずか17分間しか掛からなかった。ほとんどの区間を首都高で走り通したとはいえ、これは行きの新記録だ。


2.石垣島の川平湾とカラス

 飛行機(JAL)は、定刻に石垣島に着いた。天気予報は曇りでも、いつ雨が降るかもしれない。先ずは、川平湾に行ってみることにした。本当は、晴れの日の方が海の色が千変万化して美しいというが、この際そんなことを言っておられない。

 その前に、もう直ぐお昼になるから腹ごしらえをしないと持たない。予め人に聞いていた「ゆうくぬみ」という八重山そばのお店がユーグレナモールの端近くにあるので、そこに向かう。すると、僅か10席にも満たない小さな店で、これで果たして大丈夫かという感じがした。引き戸を開けて入ると、おばさんが一人でやっているようだ。


 取り敢えず、八重山そばを注文してから壁を見ると、北海道から沖縄までの国内各地からやってきたお客さんが名刺を残していて、「美味しかった。また来ます」というメモが目白押しだ。全国的に知られているのか、、、



 この八重山そばは、確かに美味しい。蕎麦つゆも、書かれていた説明書きに従ってしっかり全部いただき、それでもまだお腹に余裕があるから、黒糖ぜんざいというかき氷を頼んだ。持ってきてもらったものは、たいそうボリュームがあったが、ついに完食し、いたく満足した。ちなみに、石垣弁で「ゆうくぬみ」とは、「遊びに行く」とか「遊ぶこと」という意味だそうだ。

 それから三ツ輪タクシーという会社に電話して、一台配車してもらった。バスターミナルから川平湾に向かい、そこにしばらく待っていてもらい、写真を撮り終わったら、ANAインターコンチネンタルホテルまで行くということにした。天候は曇りだが、幸い崩れてはいない。

 タクシーは、熱帯の林の中の曲がりくねった道を走り、ひたすら北上して川平湾に着いた。自動車道から歩いて林を抜け、展望台を目指す。迷わずに直ぐに到着した。





 展望台から、眼下の川平湾を見下ろす。おおーっ、これぞ、絶景だ。正面にはこんもりとした森があって、その手間には青い海が左右に広がり、青や緑の様々な色の縞に彩られている。話によると、青空の下では時々刻々このマリンブルーの色が変わるという。それが、手前の真っ白な砂に映えて、実に美しい。しばしその景色を堪能して写真に収め、タクシーに戻った。

 タクシーは南下し、再びバスターミナル近くに戻り、そこから東方向に転じて徳洲会病院近くまで行って南下し、ANAインターコンチネンタル石垣に向かう。






 外観はいかにも高級リゾートホテルで、一泊の公式レートは56,000円というから、これは次に行く西表島ホテルの9倍なので、もはや笑ってしまう。

 さて、そこでプールサイドのバーベキューを楽しんだのだが、そこで事件が起こった。石垣牛や野菜を焼いていると、もう焼けたかなというタイミングで、なんと一羽のカラスが飛んで来て、バーベキューグリルの端に止まった。すると、熱かったらしく、慌ててまた飛び上がり、そのまま行ってしまったのである。





 まさにあっという間の出来事で、声を上げて追い払う暇もなかった。でも、あのカラスは、脚に大火傷をしたのは間違いない。それはともかく、野生のカラスに近づかれて嫌になったので、ウェイターに頼んでコンロごと取り替えてもらったが、ともかくびっくりした。しかし一番驚いたのは、当のカラスだろう。目の前の肉を啄もうとした瞬間、自分が焼き鳥になりそうだったのだから、、、もう、大笑いだ。


 食事後、20時ちょうどからホテルのロビーで島唄の夕べがあった。三人の女性が出演して、賑やかに島唄を歌い、場を盛り上げていた。ただ、私の島唄についてのイメージとは違った。こんな近代的なアレンジの効いたものではなくて、お年寄りが方言丸出しで三線に合わせて歌い上げる民謡のような、もっと泥くさいステージを期待していたのだが、このホテルには似つかわしくなかったのかもしれない。

 さて、翌日からの行動予定をどうするかを計画する必要がある。その相談をするために、コンシェルジュのところに立ち寄った。バスや船の時間を聞いて時刻表のパンフレットをもらった時、こんなことを聞いた。「船は後ろの方が揺れませんよ。15分ほど早目に行って待ち、それから後ろの方の席に座ることをお勧めします」というわけだ。何故かと考えたら、船の前部は常に浮いている状態にあり、その分、波の影響を受けやすいからではないかと思い立った。ともかく、さすが高級ホテルに相応しい有益なアドバイスだった。

 それで、時刻表のパンフレットを組み合わせて取り敢えずのプランを作ると、こんなところだ。

 翌朝、やや早いが06時00分にホテルの朝食をとり、ホテル発バスターミナル行き路線バス10番系統で07時46分に離島ターミナルまで行く。

 離島ターミナルで由布島上原港行きの八重島観光船に08時30分に乗ると到着が09時30分頃になる。そこで路線バス10時19分に乗車すると、牛車チケット売場11時03分着。それから牛車で由布島に渡り、食事し、島内一周する。




 由布島から15時00分発の牛車で、牛車チケット売場に戻り、その売場から路線バス16時07分発に乗って西表島ホテルに到着する。

 西表島には、タクシーがない。だから、西表島ホテルに近いバス停(浦内)に一日4本通る路線バスを利用しないと、私のようにペーパードライバーに徹してレンタカーを運転しない人間はどこにも行けない。もっとも、島内の事故といえば野生動物とぶつかるくらいだというが、万が一にも天然記念物に指定されている西表島山猫に当たったら取り返しがつかないので、これでよいと思っている。ただ、路線バス代がとんでもなく高い。西表島ホテルがある浦内から牛車チケット売場まで、930円だ。帰りと合わせて2,000円もするのに対して、1日フリー乗車券は1,500円だというので、そちらを購入した。

 当初は、野生生物保護センターと、由布島に渡る牛車乗場に行こうと思ったが、前者に行っていると日程が詰まってくるので、由布島に行くことを優先することにした。


3.由布島へ牛車でのんびり渡る

 そういうことで、牛車チケット売場で由布島に渡って見学するチケットを買い、牛車に乗り込んだ。引いてくれる水牛の名前は小太郎くん、10人ほどを乗せたカートを引いて、遠浅の海を静々と進んでいく。





 当日の潮の具合によるのだろうが、この日は引き潮で、海水の高さは牛の脚のくるぶしくらいであった。のんびりゆっくりと歩いて、わずか15分ほどで由布島に到達した。それにしても小太郎くんは賢い。着いて仕事が終わったとたん、「ああーっ、やっと終わった」とばかりに自分で首を捻って「Ω」型の軛(くびき)、つまり車の轅(ながえ)の先に付けて牛馬の首に当てる横木を自ら外してしまったのである。

 由布島の歴史は、島の説明板によると、こういうことらしい。戦後に入植が本格化して主に竹富島などから移り住んだ島民が住民となり、最盛期の昭和40年頃には人口111人、25家族が暮らしていた。その頃に活躍したのが水牛で、これは昭和7年に台湾からの開拓民とともに石垣島に渡ってきたものが始まりだという。当時、水牛は2頭で家が建つといわれたほど高価なものだったが、昭和30年頃になると由布島で一家に1頭飼えるほどになった。


 ところが、昭和44年のエルシー台風で島の全域が水没するほどの大きな被害を受け、井戸に塩水が入り込んで飲み水にも事欠くようになった。やむを得ず、ほとんどの島民は、由布島を離れて対岸の西表島美原地区に移った。しかし、高齢の3世帯だけは、島を離れずに残った。そのうちの故西表正治夫妻は、島をパラダイスガーデンにしようと椰子の木や花を植え続けて、文字通り手作りのパラダイスを作り上げたそうだ。




 そういうわけで、今では住民はおらず、あちこちに椰子の木が茂り、島の真ん中には昔の小中学校の廃墟が残存している。そこからほど近いところに蝶々の園というものがあり、興味をおぼえてそのケージの中に入ってみた。ところが、奥にまだ工事中の場所もあったりして展示にはさほど力を入れていないのか、蝶々も花の数もどちらも少ない。それどころか入口にあるカーテンが開いていて閉じようとしても閉まらない。あるいはそこから逃げ出したのか、蝶々の数はむしろ外の方が多いくらいである。




 ブーゲンビリアの園もあり、各種類のブーゲンビリアが展示されている。私は、ブーゲンビリアといえばてっきりピンク一色の花だという先入観念があったが、いやいやそうではない。色はベージュを始めとして、オレンジや白などこんなに色彩豊富な花だとは思わなかった。


 やはり、熱帯に近いせいか、気候は暑い。歩くと汗だくになる。そうしたところ、「水牛商店」というところに、食堂と土産物屋が併設されていて、そこで食事をしつつ涼んでひと息ついた。



 この島は、離島にしては珍しく淡水を汲み上げられることが出来、それで島民を潤していたが、今では水牛がその恩恵を受けている。というのは、水牛の池というのがあり、仕事を終えた水牛たちは、そこで淡水に浸かって憩いのひと時を過ごしているからだ。この水は、毎日取り替えているそうだ。


4.星野リゾート・西表島ホテル

 由布島から帰り、星野リゾート・西表島ホテルという宿に泊まったが、星野リゾートの割には首を傾げることもあった。もっとも、公式レートで一泊6,000円という値段相応なのかもしれない。

 例えば、環境保護とかやらでオールインワンのシャンプー兼ボディソープを使うというが、それで洗ってみると、さっぱりせずに髪の毛にベタベタ感がいつまでも残る。意図は良いが、研究不足だ。また、バスタブに貯めた水に、薄いグリーン色が付いていて、少し気味が悪い、、、などである。

 でも、(1) 各種のアクティビティを揃えて客を飽きさせないところとか、(2) 港に着く客船の時間に合わせた無料バスの運行で客に無駄なフラストレーションを感じさせないところとか、あるいは(3) 運営しているスタッフが、皆、若くて笑顔を絶やさず楽しそうに仕事しているところとかは、さすが星野リゾートだと感じさせる。



 ホテルのロビーで、パイナップル祭りをやっていて、地元産のピーチパイナップルを食べさせ、併せて生産農家さんの話を聞かせてくれた。「ピーチパイン」というのが商品名である。それが生まれた経緯が面白い。

 かつては重量に応じて売上げがあったので、ともかく重いパイナップルを作るのが一番の目標だった。しかし、その時代が終わったので、美味しいパイナップル作りが大きな課題となる。それで、小柄だが味わいのあるパイナップルを生み出したのだけれど、はて、どういう名が相応しいかということになった。それで、生産者が輪になって話をしていたところ、「このパイナップルには、桃の香りがするから、『ピーチパイン』はどうか」ということで衆議が一致、その商品名となったのだそうだ。




 夕食前、ホテル前のビーチに出てみた。すると、夕陽がとても綺麗に見えた。帰りにホテルのフロントに立ち寄って、明日朝の石垣島へのバスと船の時間を確認した。もちろん、来た時の逆で、ホテルのバスで10分の上原港に行き、そこからまた八重山観光フェリーで約1時間かけて石垣島に戻るというルートである。

 ところが、フロントのスタッフが「明日の天気予報によれば、北風が強い。そうすると、北の方を向いている上原港にはフェリーが着岸できないので、その場合は大原港になります。そこまで当ホテルからバスで1時間かかるので、バスの出発時間は上原港行きの8時30分ではなく、大原港行きの8時10分になります」と言う。なるほど、これは聞いておいて良かった。


5.再び石垣島へ戻って山海亭

 翌朝になると、天候は雨ではなく、曇り空で、風は吹いていない。従って、船は上原港に来るという。これは良かった。そういうことで、ホテル発は8時30分となった。乗船すると、幸い海面は凪で、ほとんど揺れないで石垣島に帰ることができた。

 天気予報は昼過ぎから雨だそうだ。だから午前中はユーグレナモールに行き、午後は八重山市立博物館に行くつもりだった。それで、お昼はタクシーの運転手さんに聞いた山海亭に行くことにした。刺身が美味しいらしい、、、ということで、その山海亭で刺身定食を注文したところ、噂通りだったので、大いに満足した。

 島バナナを買って帰りたかったので、山海亭のお店の人に何処で売っているかと聞いたところ、「ゆらてぃく市場」だという。行ってみると地元の市場で、それこそありとあらゆる食品が売られている。そこで島バナナとパパイヤを買った。島バナナは、緑色で、あと1週間もすれば熟れてくるから、色が黒くなるまで放っておいてから食べると良いそうだ。市場を出てみたら、雨が降ってきたので散歩はできない。そこで八重山市立博物館に行こうとしたが、残念ながら休館日だった。

 帰りは、石垣空港で夕食を食べてから飛行機に乗り込んだ。でも、航空路が混んでいるから出発を送らされたり、ようやく羽田空港に着陸したものの、何とまあ、予定の駐機スポットにはまだ前の飛行機がいたりという散々な混雑具合で、到着時間が大幅に遅れてしまった。しかも東京に着いた途端、大雨だ。電車で帰る気がなくなり、またタクシーに乗り込んだ。それが午後11時10分で、池之端の自宅到着が11時35分。行きも早かったが、帰りも雨の中を25分で帰って来られるとは驚いた。




6.旅の余談あれこれ

(1)第一日に石垣島のバスターミナルから、川平湾経由で、ANAインターコンチネンタルホテルまで乗せてもらったタクシーの運転手さんには、感心した。話し上手で標準語、本土の事情に詳しいし、常識やマナーも良いと思ったら、本土からの移住組らしい。

 中部地方でサラリーマンをやっていたのだが、無類の釣り好きで、それも海釣り専門だという。休日になると太平洋や日本海で釣っていたが、次第に飽きたらなくなり、ここ石垣島までやってきたら、釣りのパラダイスのようなところで直ちに魅了されてしまったそうだ。それで地元のタクシー会社の社長さんに相談したら、「では、ウチにおいでよ」ということになって、移住してきたという。

  「なるほど、そういう人生もあるのか、一度切りだから、こんな選択肢もあってよいな」と思った次第である。

(2)今回、全く何も知らなかったから、ANAインターコンチネンタルホテル石垣という高級リゾートホテルに泊まった。ここには美しいプールはもちろん、マエサト・ビーチもあって、海中に子供の滑り台のような遊具もある。だから、子連れの家族には楽しんで休暇を過ごせる。その代わり宿泊代はやたらに高いし、レストランも街中のと比べて桁違いに高い。カラス事件は余計だったが、面白かった。これがなければ、ただ高い高級リゾートという印象のまま終わってしまうところだった。

(3)由布島に渡る牛車の船頭さんが、渡る途中で三線を出してきて、島唄の演奏を始めた。ゆらゆら揺れながら、あのメロディを聞くのは、誠によいものだ。沖縄に来たという感がした。

(4)ホテルに泊まって土産コーナーを眺めていると、「なんくるないさー」というテーマでのんびりした図柄のおもちゃが目に付いた。そこで、AI Catで調べてみたら、こんなことだった。

 「なんくるないさー」という言葉は、沖縄方言の一つで、特に石垣島などの南西諸島で使われる表現です。この言葉の意味は「なんとかなるさ」や「大丈夫」というニュアンスを含んでいます。厳しい状況や困難に対しても前向きな姿勢を持ち、心配しなくても大丈夫だという気持ちを表しています。

 この表現は、沖縄の人々の独特のユーモアや楽観主義を反映しており、リラックスした生活観や、人間関係の中で助け合う文化を示しています。そのため、観光客や非沖縄県民に対しても、親しみやすい言葉として使われることが多いです」


(5)「ゆらてぃく市場」では、島バナナ、パパイヤ、パイナップル、メロンなど沖縄産のフルーツが所狭しとばかりに並べられていた。どれも美味しそうで全部買いたかったが、東京では手に入らないものとして、島バナナとパパイヤを購入した。


 島バナナは、まだ青々としていたが、これは黄色を通り越して黒くなるまで吊るしておくと、熟したことになり、美味しく食べられるそうだ。冷蔵庫に入れたり、黄色くなったばかりで十分に塾してない内に食べると、食べられないという。

 また、パパイヤは、私も東南アジアにいたことから、食べ方は知っている。表面が緑色から黄色に変わってから、皮を剥けばよい。余ったらタッパーに入れて冷蔵庫にしまっておくと、数日間は大丈夫だ。ちなみにパパイヤは大根と同じくジアスターゼがあってビタミン類も豊富だから、現地では整腸剤としての役割もあったと記憶している。





(令和7年5月2日著)
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