悠々人生エッセイ



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目 次                
       
 01    キャメロン高原
 02    ザ・レイクハウス
 03    洗面所の浸水騒動
 04    スチーム・ボート
 05    バタフライ・パーク
 06    フローラル・パーク
 07    ボー・ティーの茶畑
 08    フルーツなど


 キャメロン高原( 写 真 )は、こちらから。


1.キャメロン高原

 キャメロン高原(Cameron Highland)は、マレー半島の中ほどにあるイポー市の東方107km、首都クアラルンプールの北方150kmのところに位置する。車で行くと、順調に走っておよそ4時間の行程だ。ここは海抜2,000m級の山々に囲まれた1,500mの高原で、マレー半島では最も高いところにある。だから、熱帯直下にしては気候は最高26度、最低10度程度と、誠に冷涼である。最近の東京の夏の気温は、地球的規模の気候変動のせいか、最高38度、最低26度くらいだから、ここに来ると一気に秋になった気分である。

 このキャメロン高原は、英国植民地時代の1855年、当時の植民地政府の調査官だったウィリアム・キャメロンによって発見され、地図に書き加えられた。その冷涼な気候は、本国イギリスにそっくりだということで、イギリス人に愛され、開発が行われた。地味が肥沃であることから、お茶、野菜のプランテーション栽培が始まり、ゴルフ、ジャングルウォーク、トレッキング、ローズ・ガーデンやいちごの栽培が加わり、今や有名な避暑地となった。近年は、退職後の日本人の定住地としても、知られている。


2.ザ・レイクハウス

 私が泊まったザ・レイクハウスの歴史は、現地の掲示板に詳しい。それによると、こういうことらしい。

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 「イギリス陸軍の退役将校だった故・スタンレイ・ジャック・フォスター大佐が創設者である。彼は1966年に建築を始めて1970年に完成し、小規模の小洒落たホテルとして開業した。

  1970年から1977年までの間に、フォスター大佐は、『The Lakehouse』と『The Smokehouse』の二つのホテルを経営していたが、1977年に後者The Smokehouseをピーター・リーという地元のビジネスマンに売却した。前者The Lakehouseの方は、大佐が1984年に亡くなるまで本人による経営が続けられた。

 ところが、大佐の前婚の子供二人はホテル経営に全く興味がなくその持分を売却することを望み、他方で大佐が亡くなった時の後婚の妻は経営する能力がなかったので、結局このホテルは1984年にHTLに売却され、以来、今日に至っている」


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 レイクハウスには、私は30年近く前に家族で泊まったことがある。その時は、コロニアル・スタイルの瀟洒なホテルだった。館内外の写真を撮ると、ため息が出るほどに美しい。それは、今も変わっていないが、マネージャーを始め従業員が皆、インド人となっていて、食事にしても、サービスにしても、何と言うか、日本人的な表現だが、「かゆいところに手が届いていない」感がする。まあ、私が求めすぎなのかもしれない。これは、次に述べる洗面所の浸水騒動で分かる。

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 ちなみに、The Lakehouseという所以の「湖」は、目の前のダム湖を指すが、残念なことに昔も今も、泥川ならぬ「泥湖」である。これが、コバルトブルーの湖水だったらと思うと、実に惜しい気がする。ただ、ホテルへ続く坂の入口の向かい側の道路の端に、赤紫色のブーゲンビリアの花をいっぱい付けた大きな木があった。これが、何ともいえないアクセントになっていて、今も残っているかどうか気になっていたが、嬉しいことに、まだあった。しかも、それは中国人の土産物屋の中にあるというのに、木の根元がちゃんと仮設の建物の中に取り込まれている。この木を大切にしてくれていると思うと、とっても嬉しくなる。


3.洗面所の浸水騒動

 部屋に案内されてひと息つき、荷物を置いて辺りの散歩に出かけた。夕食を食べて帰ってきたところで、今日一日の汗を流そうと風呂に入った。たまたま浴槽の方ではなくシャワーを浴びたのだが、気がついてみると、体を洗い流した後の水が流れていかない。それどころか、溜まりに溜まって部屋の方まで流れて行きそうな勢いだ。これはいけないと、身体を拭いて着替え、リセプションに電話した。

 そうすると、10分ほどしてインド人の係員がやって来た。ズボンの裾をたくし上げて浴室に入り、排水口を点検していたが、どうもダメらしいと頭を左右に振る。私が「この部屋はラッキー7なのに、いつもこうなのか」と聞くと、「先日も流れが悪い時があったが、こんなことは初めてだ」とボヤく。そうこうしているうちに、発生から20分以上も経つというのに、水は少しも流れていかない。私が、「これはもう、部屋を変えて貰うしかない」というと、納得して支配人を呼びに行った。

 同じ棟は全て埋まっていたので、高い所にある別棟に案内された。部屋に入った途端、懐かしい気がした。そして、「そうだ。これは30年前に泊まったところだ」と思い出したのである。思わぬところで、センチメンタルジャーニとなった。


4.スチーム・ボート

 スチーム・ボートというのは、日本でいえば鶏ガラのスープのごった煮の鍋である。正式には日本のしゃぶしゃぶ鍋のように、銅鍋の中央に煙突が付いているものを使う。

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 鶏ガラのスープが基本で、それにキノコ、チリ、ミソなどを加えるスープがある。その中に、具として何でも追加していく。野菜、魚貝、キノコ、肉、餃子など、何でもござれだ。よく煮立ったところで、いただくのだが、チリやゴマだれを付けて食べる。簡単だが、美味しい。ここキャメロン高原では、野菜が豊富で新鮮だから、この料理を提供するレストランをよく見かける。


5.バタフライ・パーク

 ここキャメロン高原は、マレーシアの国蝶であるラジャブルック(アカエリトリバネアゲハ)の生息地である。だから、昔は、事情通がいて、「この川のここの浅瀬の河原にラジャブルックがたくさん集まる」などと言って案内してくれたものだが、もはやそんな人はいないから、蝶を集めたパークに行って満足するしかない。

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 そこで、バタフライ・パークに入った。かつては、ここに大きくて美しいラジャブルックがいたなという記憶があったからだ。ところが、今やアヒル、孔雀などの鳥や、羊、小型カンガルー、ミーアキャットなどの小動物、それに魚まで集めた小動物園(ズーマニア)になってしまっている。

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 でも、私の一番の関心は、やはりラジャブラックを撮ることで、蝶の区画に入ってみた。すると、いるいる。たくさん飛び回っていて、いったん花にとまると、左右に羽を広げて意外と長居をするから撮りやすい。頭に赤いマークが付いていて、おしゃれだ。これが、「アカエリ」と言われる所以なのか、、、羽は黒いが、真ん中に左右に広がる鮮やかな緑のグラデーションの模様があり、これが目立つ。さすが、マレーシアの国蝶だけのことはある。


6.フローラル・パーク

 てっきり、珍しい植物を集めたパークかと思って、ここに入ったのだが、谷間一面に、ポットに入れた花が置かれている。数えたわけではないが、百万鉢近くあるのではなかろうか。

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 最初に案内されるのは、インドアで、日本のビニール栽培を大きくしたようなドームがいくつも並んでいて、その中の坂を登っていく。花というのは、大体がペチュニアで、白、紫、ピンク、赤などの色の花がもう壁一面、床一面にカーペットのごとく咲いている。それだけでなく、天井からこんもりとした形で吊り下がっている。たまには、サルビアの赤い花やマリーゴールドの黄色の花が少しあるが、ほぼペチュニアの花で占められている。

 それらに圧倒されて緩やかな坂を上がっていき、「ああ、やっと頂上か」と思ったら、とんでもない。これはまだ半分に過ぎない。

 それから、アウトドアに出て、今度は階段を上がっていく。後から調べると頂上の展望台までわずか251段だそうだが、いやこれが辛い。ここまで来て、何でこんなに大変な目に遭うのかと思ったところで、やっと到着した。

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 その展望台から眺めると、山々の谷間を上手く使って、農業用ビニールハウスの大型のようなドーム構造を次々に作っている。日本には耕して天に至るという言葉があるが、これはドームを作り繋げて天に至っている。そうかと思えば、その向こうには茶畑のような長閑な景色が見える。摩訶不思議な世界である。


7.ボー・ティーの茶畑

 ここキャメロン高原の名物は、紅茶、苺、トウモロコシその他の農作物である。中でも紅茶は、ボー・ティー(BOH Tea)というブランドで19世紀輸出されているという。そこで、その最古のプランテーションに行ってみた。今は、紅茶工場となっている。

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 幹線道路から外れた谷あいの曲がりくねった道をひたすら走る。時おり谷間に広がる茶畑が目に入る。茶の木は、高さは日本のものと同じだが、形は日本のように等間隔で丸い木になってはおらず、やや雑然としており、木と木の間に溝がある。それらが谷の斜面一面に植えられている。そしてようやく山の頂きに着いた。あと30分後に工場見学ツアーがあるというが、疲れたのでパスし、あたり一面の写真を撮った。たまたま植えられていた朝鮮朝顔(エンジェルズ・トランペット)が綺麗だった。これは、南米のペルーでも見かけたが、まさかこんな所にもあるとは思わなかった。

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 肝心のボー・ティーの味だが、特に癖のない味で、まあ、セイロン・ティーのようなものだ。かつては同じ英国の植民地だった頃に設けられたプランテーションなのだから、当たり前と言えば当たり前だ。しかし、この味を今に至るまで一貫して維持しているというところが、誠に貴重なものだろう。


8.フルーツなど

 ちなみに、紅茶のほか、有名なフルーツとしては、苺があり、あちこちに「ストロベリー・ファーム」がある。かつて来た時は、小さくて酸っぱくて、日本ならとても売り物にならないレベルの苺だった。今回はどうかというと、大きさと見た目は大いに改善されて、まあ一流のレベルとなっている。ところが、食べてみると相変らず酸っぱくて、やや硬い。つまり、歯ごたえがある。だから、品種改良を重ねた日本の苺には、及ぶべくもない。

 しかし、トウモロコシの美味しさには、驚いた。黄色いものと白いものとがあるが、特に白いトウモロコシは、茹でるまでもなくそのまま食べられて、しかもほのかに甘いのである。こんなトウモロコシは、初めてだ。

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 ドリアンも売られていた。いわゆる「カンポン・ドリアン」で、ムサンキング(猫山王)のような全国的なブランド物ではなく、その辺の山の中で採れたローカルのドリアンだから、当たり外れが大きい。その代わり、値段は半分以下なので、美味しい物を選んだときの醍醐味には格別のものがある、、、と思って選んだのだが、結果はと言うと、まあまあの味だった。





(令和6年8月16日著)
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