1.選択に際し、志は高く持て
私が今でも覚えているのは、中学校のときに、ある先生が語った言葉である。それは、「高校選びのときには、自分の実力より、少し下のところにしておいた方が無難だ。その方がいつも上位でいられて、自信がつく」と。これを聞いて私は直ぐに「そんなことはない」と思った。「それは、負け犬の発想だ。いつも上を狙わないと、いつまで経っても上に行けないではないか。お山の大将で終わってしまう」と考えたからである。 早い話、大学受験をするにしても、偏差値の低い高校から東京大学に行くには極めて難しい。特に、開校以来、入試合格者が一人もいないという状況だと、誰をロールモデルにしてよいかもわからないから、無難にそこそこのレベルの大学にするという結果になるのは明らかだ。これだと、上にチャレンジするような人は出ない。 それに対して、東京の私立中高一貫校では、クラスの半分が東京大学に行くというところもある。そういう学校にいると、同級生が力量のある人ばかりなので、自ずと切磋琢磨されるから、ごく自然に上を狙える。だから冒頭に引用した中学の先生の話は、目の前の高校の選択のみに目を奪われて、その後にどういう人生が待ち受けているかが、わかっていなかったのである。 2.チャレンジするならその本場を目指せ 私は地方の高校にいたが、その時の友人の弟さんは、とても成績が良くて、東京大学理科I類を十分に入れたのに、地元の国立大学の理学部に入ったそうだ。そして、そのとき東大にも入れたほどの成績だったというのを、今でも密かな誇りにしているという。しかしそんなものは、何の役にも立たない。現に入らなければ、名刺代わりにすら、ならないのである。自己満足に終わってはいけない。 私は別に、地方の国立大学を卑下しているのでは、決してない。地方の国立大学は、山形大学など、地元ならではのユニークで優れた研究とすることによって、地元志向の学生さんを育てるのに必要な教育機関である。そういう意味では、とても大事な存在である。ただ、私が言いたいのは、日本、いや世界を相手に活躍したいという高い志を持つ人ならば、中途半端に地方で学生時代を過ごすよりも、チャレンジするなら学生の時からその本場である東京やアメリカの一流大学を目指すべきだということだ。 実はこの志の高さや「より良いもの」を常に追い求める姿勢は、学生時代だけのことではない。勤めたり、商売を始めたりしても、非常に大事なことなのである。というのは、人生は、いつも選択肢の連続である。そのたびごとに重要な判断を迫られる。そういうときに、弱気や安全志向ばかりでは、いつまでたっても水面下にとどまってしまい、水面上には永久に浮上できない。浮き上がれるのは、よほど幸運に恵まれたときだけだが、その確率は、極めて低い。つまり、弱気で低迷するより、強気で失敗する方がまだマシだ。というのは、再度チャレンジする時の糧となるからだ。 3.知識を得る源泉 一般に人間というのは、知識に大きく左右されがちである。それはどこから得られるかといえば、(1)教科書や専門書などの専門的知識、そして(2)新聞、テレビ、雑誌という既成のマスコミ、最近では(3)インターネットの情報、更には(4)周りの人たち特に身内や職場、先輩の話などからだ。 このうち、(1)専門的知識は、日進月歩だから、毎日フォローしておかないと、すぐに陳腐化することを常に意識しておく必要がある。(2)マスコミで注意しなければいけないのは、本人が何の問題意識を持たないで漫然と読んだり見たりしても、全く記憶に残らないということだ。また、(3)インターネットも、知りたい情報が載っているかもしれないが、不正確なものが多いことに注意すべきであろう。最後に(4)は、我々を取り巻く情報が変わっていく中で、大いに役立つ話もあれば、箸にも棒にも掛からないつまらない話もあるので、取捨選択しなければならないことである。しかし、いずれにしても、大事な情報源であることには、変わりない。 そうやって集めた知識や経験を自家薬籠中のものとするには、コツがある。一つはその整理整頓で、二つは頭の中でのシミュレーションである。どういうことかと言うと、(1)から(3)までについては、いざという時に検索して元の情報が出てこないといけないから、私はかつては切抜きをしてノートに貼ったりカードを作って整理していた時期もあった。しかし、インターネットの時代になって情報の量が爆発的に増加すると、そんな化石時代のようなことをしていては間に合わなくなった。 そこで私は、2010年9月から、パソコン中の「Evernote」に何でもかんでも放り込むようにした。カードと違って情報量に制約はないし、新聞のデジタル版から画面キャプチャ機能を使ってそのまま貼り付けることが出来る上に、検索もあっという間だ。とりわけ、画像の中から文字を検索することが出来る機能は、素晴らしい。Evernote は、iPadやiPhoneからでも使える。これを始めだして13年間で27,000個のノートができているが、テーマ別のノートの中には1件で100もの記事を入れているものもある。だから、記事数に直すとおよそ120万件という膨大な量となっていて、私の知的生活に欠かせない道具となっている。この他、私は所蔵の専門書や雑誌の主なものをデジタル化しているから、これとあわせれば膨大なデジタル資産を形成していることになる。 それから、単に情報収集をするだけでなく、それを自分の頭の中で動かしてみると良い。この話はこのままだと一体どうなるか、その将来を予測つまりシミュレートするのである。自分の予測通りなら、それでよし。予測とは大いに外れていたら、なぜ外れたのかを考え、次回の予測の精度を上げるのである。こうすることによって、自分の世の中を見る目を養うことが出来る。 4.少年少女よ、大志を抱け! 明治時代に、札幌農学校の先生だったクラーク博士は、「Boys, Be ambitiuos!」(少年よ、大志を抱け!)という有名な言葉を残して、アメリカに帰国していった。その当時の札幌農学校は、北海道開拓期にあったので、おそらく女生徒はいなかったと思われる。しかし、今や男女共同参画時代だから、これを「Boys & Girls, Be ambitiuos!」(少年少女よ、大志を抱け!)と言うべきだろう。 青春時代は、何か自分で興味のあることを、これは面白いと思って突き詰めてやっていくことをお勧めしたい。そして集中力と能力を高めて広い知識を得た上で、大志を抱き、世界に飛躍していってもらいたい。 5.上手く行かなかった場合 とまあ、以前の私なら、ここで止めておくところだが、如何に努力しても、運が悪かったり実力が伴わなかったりで、思い通りに行かないこともある。要は、上手く行かなかった場合についても、頭の中でシミュレーションしておく方が賢明なときもあるのだ。 それにつけても、思い出すのが、宝塚の天真みちるさんの言葉である。宝塚といえば、美人で歌も踊りも上手くて華やかなタカラジェンヌの世界である。皆が二枚目や娘役というトップを目指すのは必然だ。その中で、外見も芸事も抜きん出ている所が全くないと自覚する自分が、どうやって生き残るかを必死になって考えた結果、「おじさん役」というものを見出し、その役に徹した。 「最初は、どうしたら組織のなかで自分をアピールできるかに必死でした。競争が激しい宝塚歌劇団のなかでも、俯瞰してみると「おじさん役」は意外と注目されていない、未開の地だったんです。私独自のポジションを見つけられたのは幸運だったし、楽しかったです」というわけだ(「CHANTO Web」より)。 誰もが、組織のトップや専門家になれるものではないことは、改めて言うまでもない。例えば、都市銀行で、年間の採用数は3,000人だとし、頭取の在任期間が5年だとすると、その中で、頭取になれるのは、15,000人に一人ということになる。極めて低い確率である。私の大学時代の友人で、三大銀行の一つの頭取になった人がいる。あの競争の激しい世界で、良くもまあ、頂点にまで達したものだと感心することしきりだ。 だから、天真みちるさんのように、トップを目指すのではなく、その代わりに自分なりの独自の生存圏を開拓して確保し、生き残るというのは、確かに目の付け所が良い。頭の下がる思いだ。これは、上記4.で述べた「大志」ではない「小志」かもしれないが、その人にとっては、立派に「大志」を実現したものだと思う。 (令和6年8月10日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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