1.虚飾と虚栄の世界に驚く
私は、地方から上京して、東京でそれなりの競争の中で揉まれ、何とか中央省庁の長官と呼ばれる地位に就いた。私が身を置いた社会は、科挙制度のある古代中国の王朝のようなもので、それなりに選び抜かれた「進士」どうしが切磋琢磨する文字通りの実力主義の世界だ。だから、出自がどんなに良くとも実力がなければ偉くなれないし、出自を問わずに実力さえあればどんどん昇進していけるという有り難い仕組みである。だから、構成員は誰でも頑張ろうという気が生まれ、それが組織の活性化と前進する力になるわけだ。 ところが、そういう私でも、年齢を重ね、上に行くにつれて、少し違う世界を垣間見ることがある。男どうしなら、ほとんどそういうことは経験しないのだけれど、奥様を交えたお付き合いの機会が始まると、それを感じる。早い話、「物持ち自慢」、「係累自慢」、「学歴自慢」、「子供自慢」などが垣間見える。しかし私はこんなもの、要するに、虚飾と虚栄の世界に過ぎないのではないかと思っている。 2.別荘がステータスシンボル 一例を挙げれば、他の奥様が私たちに対して、別荘を持っているかどうかを聞いてくる。中には別荘を持っていて、別荘ライフの楽しみ方を共有したいとか、管理でいかに苦労しているかという悩みを打ち明けて共有したいというその前提として、別荘のオーナーかと聞いてくるのかもしれない。しかし、そのような趣旨で聞いてくる人よりも、むしろかなりの数の人は、どうも、単に自慢しているように聞こえる。 ちなみに、私は、別荘など持たない主義だ。別荘を持つ金銭的余裕が全くないわけでもない。しかしそれより、そもそも別荘なるものに価値を見いだせないのである。というのは、日本で別荘を持つと、まるで自分が古家の管理人をやっているように思うからだ。別荘で楽しく暮らしているという友達の話を聞くと、土曜日に行って丸一日中、部屋の中や周辺の掃除をし、やっと住めるようにして、日曜日をゆっくり過ごして帰って来るという。私に言わせれば、家の内外の掃除のような、そんな雑事ばかりを一日中やって、なぜそれが、「ゆっくり過ごした」ことになるのか、とても理解しがたい。東南アジア諸国のように、近隣の諸国から出稼ぎに来ているメイドを雇えるというのなら話は別だ。しかし、今時の日本でお手伝いさんを雇って別荘ライフを楽しむことができる人は、ごくごく稀だろう。 それより、海でも山でもどこか避暑地の高級リゾートホテルに投宿して、清潔な部屋と寝具、美味しい食事、周りの美しい景色を堪能する方が、絶対に楽しいし、自由だし、結局は安上がりだと思うからだ。ホテル代は高いかもしれないが、そんな出費より何千万円もの大金をはたいて軽井沢や八ヶ岳山麓の別荘を買う方が、もっと高く付くのではないかと思う。だから、果たして別荘が本当に我々の生活を豊かにしてくれるのか、もとより疑問なのである。 別荘があるかどうか聞いてくる人に、「ウチは持たない主義です」と本音を説明したりすると、まるで異邦人を見るような目をされるのがオチだろう。いやむしろ、別荘を持つのがステータス・シンボルだと思っている人たちからすると、別荘族全体が馬鹿にされていると思うかもしれない。だから最近は、別荘のことを聞かれると、年の功で少し賢くなったので、単に「いいえ。別荘がおありで、よろしいですね。」と答えることにしている。 3.家系自慢に返す言葉なし そうかと思うと、我々に話し掛けて来る奥様方の中には、まずはご自分のファミリーについて大層立派な家柄だと滔々と語る。やれ、お父上は東大出でどこの役所でどういう地位についているだの、お兄様、叔父様、どうかすると妹の旦那様はどうとか、子供はどこの学校を出ているとか、自宅には茶室があったとか、それはまあ凄いそうだ。散々語った上で、「それで、あなた方はどう?」と聞いてくる。 つまり、自分の手の内をまず明かすのは、自慢が半分と、我々から話を引き出すための餌なのである。このタイプの人とはよく出会うので、何人か経験するうちに、我々も賢くなっていて、適当にいなしている。 だいたい、私の家は、戦後の農地改革で完全に没落した元田舎地主にすぎないし、我がファミリー内を見渡しても社会的地位や財産を自慢できるような人物は一人もいないから、自慢するにも何も、もとより材料が全くない。だから、虚飾と虚栄の振りすらできないのである。それにしても、そういうことを聞いてくる奥様本人に、返す言葉で「あなたご自身はどうなの?」と聞いてみたい気もするが、そういうことを敢えて実行したりすると、一生恨まれそうなので、聞かないことにしている。 4.東京でのお受験の常識なし 子供がどこの学校に入学したとか、どこを出たかというのも、この人たちの最大の関心の的である。実は我が家の場合、家内も私も地方から上京してきたものだから、東京の教育事情に疎かった。そこで、娘の場合は、中高一貫校など思いもつかなくて、私がたどったように、公立中学、公立高校の道を歩んでもらった。大学受験の時に奇跡が起こって国立大学医学部に入り、それなりに何とか形になった。 それに続く息子の場合には、娘の通う公立中学の様子を見ていて、これはこの子に合わないと思って、中高一貫男子校を目指して家庭で受験勉強を教え、これまた、奇跡的に入学させることができた。入学後、塾に行かずにその学校に入った子は、ウチの息子しかいないと知って、驚いたくらいだ。まあ、それくらい、東京でのお受験の常識というものを持ち合わせていなかったということだ。 そういうわけで、息子がいわゆる御三家の中高一貫校に通っているなどというのは、我々にとっては別に特別なことでもなく、淡々とした日常の延長のようなもので、だからこそ、我々がお付き合いする範囲でも、取り立てて話題にもしなかった。すると、ある日、そういう奥様の一人から、なじられてこう言われた。「御三家に通っているのなら、どうしてもっと早く言ってくれなかったの。それならそれで、お付き合いの仕方も変わっていたのに」と。いやはや、怖い世界だと思った。いつの間にか、気がつかないままに、虚飾と虚栄の世界に足を突っ込んでいたようなものだ。 我々自身は、子供が世間で知られている学校に行けば、教育内容もよいだろうし、将来のその子の名刺代わりになると思って、家庭で9ヶ月間コツコツ教えた結果として、たまたま合格しただけのことだ。だから、塾に行かせなかったし、それほど大層なことをしたつもりは全くない。ところが、この手の奥様方には、うちの子供が御三家に通っているというのは大きなニュースだったようで、むしろその大袈裟な反応を知って、我々の方が唖然としたくらいだ。 5.開業医か勤務医か その他、医師、弁護士、公認会計士、税理士などの「士(サムライ)業」の奥様方も、その旦那様の職業や収入について、相当なプライドをお持ちの方が多い。とりわけ、医師の奥様方には、その傾向が強いので辟易する。しかも、医者の中でもヒエラルキーがあるようで、まずは「開業医か、勤務医か」ということを気にして、勤務医は相手にしないという開業医の奥様方が多い。要するに、その家を含めて、息子や娘の結婚相手とは見ないということらしい。 確かに、現在の診療報酬の体系が圧倒的に開業医に有利にできている。勤務医の年収が1200万円だとすると、開業医の年収は、全国平均では勤務医の1ないし2割増しだという統計があるが、東京で開業医をすると、私の実感からすれば少なくとも3000万円以上の年収に相当するのではないかと思う。だとすれば、そう思う開業医の奥様方が多いのは、宜なるかなという気も、しないではない。 6.祇園精舎の鐘の音 しかし、祇園精舎の鐘の音ではないが、人の栄華というのは、そう永く続くものではない。令和6年度の112兆円の国の当初予算のうち、社会保障関係費の占める割合は、34%にのぼっている。その反面、112兆円のうち、税収が三分の二、公債収入つまり国の借金が三分の一もある。この借金予算を長年継続してきたために、今や国民一人あたりの借金が1,037万円にも達している。だから早晩、予算に大鉈を振るわなければならない事態に見舞われる。社会保障関係費をゼロにすれば収支は相償う計算だが、まさかそういうことはできない。いかに医師会の政治力が強いとはいえ、近い将来、歳出削減の嵐が吹き荒れると、真っ先に社会保障関係費が削減対象になるのは、まず間違いなかろう。 その社会保障関係費の36%分が年金関係費で、32%分の12兆円余りが医療給付費である。診療報酬と薬剤費から成るが、財政の非常事態になると、国民皆保険はもはや維持できないから、混合診療から自由診療の世界にならざるを得ない。そうすると、これからの医師は、腕で勝負するか、経営力で勝負するか、あるいは立地で勝負するしかない。要するに競争が激しくなるので、これまでのように、ただ開業医だというだけで、高収入が保証されるわけではなくなる。 要因は異なるが、士(サムライ)業で同じようなことが起こっている。弁護士、公認会計士、歯科医師は、政策的に数を増やしたために、いまや相当にダブつき気味である。特に弁護士は年収数億円から数千万円の人もいれば国選弁護の案件を中心にやっていくしかなくて年収わずかに200万円程度の人もいるくらいだ。かくして、その収入の格差がピンからキリまで果てしなく拡大し、昔のような弁護士イコール高収入とは決していえなくなっている。 この波が、医者の世界にも、ひたひたと迫っているというのは、あながち間違いではない。そうなったときには、その奥様方は、まるで昔の没落士族の奥方のような気分になるのだろうか。それとも、また別の自慢の種を見出すのだろうか。懲りない人たちだから、たぶん、後者のような気がする。 (令和6年7月7日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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