悠々人生エッセイ



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   全般について
  第1章 波瀾万丈の幼少青年時代
  第2章 通商産業省で激務の日々
  第3章 家内と二人三脚で子育て
  第4章 内閣法制局で知恵を絞る
  第5章 内閣法制局長官を辞する
  第6章 最高裁判所判事を務める
  第7章 正に七転び八起きの人生





全般について

(01) 昨日と本日の二日をかけて、一気に読み通しました。とても読みやすい文章で、さすが長年、内閣法制局で永年にわたり苦労してきた人だけのことはあると感心した次第です。

(02) これまで歩んでこられた人生を率直に語っておられる肉声が聞こえてくるようで、愉しく有意義な読書時間を過ごすことができました。三権に深く関わられた数少ない方の手になる貴重な回想録として、広く読まれることを確信しております。

(03) 最高裁判事の回顧録はいろいろ拝読しておりますが、本書のように通産省(行政)と内閣法制局(立法)にまたがって、「疾風怒濤」の激務を濃密・詳細に書かれた回顧録は類書がなく、驚嘆いたしました。

(04) 内容的に外部に知られていないことをも沢山書かれていて大変参考になると同時に貴兄の考えも明快に語られていて大変感服致しました。常々パソコン等に早くから親しまれて、整理の良さには感心しておりましたが、このように一冊の本にすると、今後の資料的価値も大きいものと思います。

(05) あの激務の中で折々に書きためておられたとのこと、超人的な執筆能力で、頭の下がる思いです。また帰京の折にお目にかかりいろいろと御指導を賜る機会を楽しみに致しております。

(06) 御著を読み終え、山本さんの記憶力に驚嘆しています。執筆に当たって調べ直したところも多かろうと存じますが、人生の記録を丁寧に残して来られたことに頭が下がる思いです。末筆ですが、益々充実した生活を送られんことを祈り、引き続きご厚誼いただくことを願います。

(07) お生まれになった頃から現在まで、様々なご経験をされてきたことがよく分かるとともに、たいへんおもしろく読ませていただきました。もうここまでお書きになると、もはや、各界の名士が書かれている日本経済新聞の「私の履歴書」の連載依頼が来る余地はないように思います(笑)

(08) 山本さんが時々メールで送ってくれるエッセイ・紀行録は、文章が非常に読みやすく、いつも感心しています。回想録も自分の言葉で書かれているのでしょう。因みに日経新聞の「私の履歴書」は、覆面ライターがつくのが通例です。同期の星の波乱万丈の人生、じっくり読ませていただきます。

(09) 名著、拝受。有難うございました。流石の名著、日経の「私の履歴書」では書き切れない内容の豊かなものでした。各項ごとに、各分野に亘って、感嘆する所多く、楽しみに読ませて頂きました。

 平素より、「悠々人生」を拝読させて頂いておりますが、その要点の集大成という感じもあって、有難く拝読させて頂きました。これからも、悠々人生等々楽しみにしております。ますますの御発展をお祈り申し上げます。

(10) 桜の満開も近づいてきました。遅まきながら「回想録」を拝読しました。必ずしも「悠々人生」のよき読者ではありませんでしたので、始めから新鮮な目で読ませて頂きました。一気に読むのが勿体なく、自分の来し方も思い返しながら頁をめくっていきました。

 勿論、仕事の内容、実績、公務員としての到達点など私の方は全く及ばないのですが、それらのこと以上に、常にどの部署にあっても前向きに知恵を振り絞り、対峙を恐れず、信念を貫く姿勢を最後まで全うされたことに心打たれ感銘を受けました。我が身を振り返ると忸怩たる思いです。

 確か最高裁判事を退任された後の同窓会の集まりで、「自分の信念を貫くことができた公務員生活」と堂々と言い切られたことに感嘆した覚えがありますが、それが具体的にどういう状況でどのような仕事をされてきたことに裏打ちされたものであったのか、如実に伝わってきました。

(11) 昨日の日経一面の広告で回顧録を出版された事を知りました。歴史のターニングポイントに当事者としてあわれた訳ですから経過を回顧録に残すことは大切で、この本は後生の、特に憲法の研究者が必ず読む必要のある本になることと、出版をお祝い申し上げます。


→【私の返信】 お便り、ありがとうございます。よく、私の回想録の出版に気づいていただきましたね。日経の第一面に広告が出るとは、実は私も知りませんでした。

 この本は、仕事のことばかりでなくて、私の生い立ちや子育てについても、掘り下げて書き込みました。読みやすいように、日経の私の履歴書風に工夫してみました。良かったら、お読みください。

(12) 玉著「回想録」を読了し、爽快な読後感が残りました。思うに私が知る貴兄の人格がそのまま表されていたからでしょう。本の中の表現がそのままの意味で受け取れました。加えて貴兄の目的意識の高さに圧倒されました。それに比べると私などは環境条件に流されて生きて来ました。幸いに小学校の転校時にいじめに遭うこともなく、中学高校でも勉学にさほど苦労することもありませんでした。貴兄の七転びの一である東大入試中止も同様に体験したものの、京大生という状態に適合してしまいました。役所でも局長にまで昇進でき、幸せな人生とは思いますが、貴兄の強烈な生き方を示され、これで良かったかと反省をいたしました。

(13) 回想録、大変興味深く、面白く、我が人生ともところどころ比べながら完読させていただきました。我が人生の山本さんとの共通点も多々ありますが、大きな違いは先ず第一に、小生は幼少時に何かに夢中になったということが無く、それがその後の人生に少なからざる影響を与えたのではなかったか、と言うことです。何事につけ、小生は取り組む姿勢が今一つ甘い、と言う感じですね。

 第二の違いは、几帳面さです。この回想録を書くにあたっては、これまでに書き記した膨大な記録を引っ張り出してきたことと思いますが、小生は、日記、手帳の類を含めて、保存してあるものは写真を除けば何もありません。几帳面さに加えて根気も山本さんほど無いので、法律、政省令の作成には結構携わってきましたが、法制局の参事官等は私にはとても務まりそうも無い、と言うことが回想録を読んで良くわかりました。

 第三は、子育てが違いますね。今思えば、子育てに特段の方針、信念も無く、その都度目の前に現れた山を適当に選びながら登ったり、途中であきらめたり、という対処の仕方でしたかな?

まぁ、私もそれなりに過ごして来たので、我が人生に悔いは無いのですが? ? 。


→【私の返信】 人それぞれですから、色々な人生の過ごし方がありますので、一概にはあれが良いとか、これが良いとか言えないと思います。でも、皆それぞれに一生懸命に生きてきたから、今に至っているのでしょう。最後に、「我が人生に悔いなし。ああ面白かった」と言い残して、この世をおさらばするというのが理想ですよね。

 回想録の中の子育て部分や高校時代のエピソードは、昔から書き溜めてホームページに載せていたのですが、仕事関係の部分は、裁判所時代の終わり頃から新型コロナの時代にかけてあれこれ思い出しつつ書き連ねたものです。幸い、普通の行政官と違い、法律案の作成という仕事の性質からしてそれほど保秘の必要はないので、案の作成に呻吟した過程や懸案の解決策を思いついた時のことなどは書き残しておいた方が後世の役に立つと思っています。

 それに、私たちが入省した時の通産省のあの熱気も、是非とも書き残しておきたかった点です。中央官庁は、今や早期退職や志望者減少に見舞われている斜陽産業なのですが、こうなる前の時代には、これほど素晴らしい黄金時代があったということも、最後の語り部として是非とも記録すべきだと思いました。

 この回想録について寄せられたコメントを拝見すると、面白いことに、人によって興味を持つ部分が違うのです。これも、本当に色々とある皆さんの多種多様な人生を反映しているものと思います。

(14) ご無沙汰しておりますが、お変わりございませんか。この度、出版された御本を興味深く拝読しております。カバー写真もご自身の撮影でしょうか?三権の分野にわたって本当に色々なエピソードが書かれていて、一つ一つ味わって読ませて頂きました。奥様の介護をされつつ大変だったでしょう。お身体にはくれぐれもお気をつけください。またお会いできる機会があればと思っております。

→【私の返信】  お元気そうで、何よりです。回想録冒頭の写真は、私が13年前の4月初めに奈良ホテルに泊まった時、たまたま朝早く起きて裏手の池から興福寺五重塔を遠くに眺めたものでして、自分で撮った数々の写真の中でも、一番気に入っている作品です。

 最近は、家内を老人ホームに入居させて、その介護に一段落ついたものですから、この際、いろんなことを記録しておこうと思って記憶をたどり、回想録を書きました。普通の行政官ではなかなか書けないことも多いのですが、私の場合は必ずしもそうでもないので、後世、官と政の関係とか、集団的自衛権の経緯とかを研究する際の参考になればという気持ちで書いております。

 もちろん、読者を飽きさせないように余計なエピソードも、随所にてんこ盛りで挿入してあります。筆者の期待とは裏腹に、こちらの方が面白いという読者も多いのですが(大笑い)、それはそれで良しとして、人生を歩まれる上で何らかの参考にしてもらえばよいと思っています。

 こうして振り返ってみると、人生の岐路に当たって「人が思いつかないことを思いついて実行する」というのが、成功の要因だったのかなと考えています。私の場合は、特許庁時代に当時の難問であった秘密特許の解決策を思いついたことです。私の子供たちも、数学が出来ないのに国立大学医学部に合格した娘、逆に数学しか出来ないのにどういうわけか東大法学部に入って弁護士になった息子など、親の私でも、どうしたらそうなるのだろうと呆れているエピソードがあります。そうした観点でお読みいただくと、「人生というものは早々と諦めてはいけない。信じて努力して最後に『ひらめき』があれば意外と報われる」などと、一風変わった味わいが出てくると思います。

(15) 平明で親しみやすい文体で纏められた率直なご体験談は、山本さんが法制局等で貫かれた仕事上のモットーや姿勢を髣髴とさせます。たまに頂戴する諸先輩方の回顧録では、読み進むうちに誤植に気付くこともまま有るものなのですが、「回想録」にはそうしたことが全く無く、柔らかな中に凛と引き締まった空気が通っていて、流石と感じ入りました。経験された各部署での出来事を詳細に記憶されているのは、日記でも付けていらっしゃったのでしょうか。過去のことは忘れがちな私には、驚異的でした。役所に勤める人達を始め、これからの社会を担う若者の良い指針になることと思います。私も自分の子供達にも拝読させたいと思います。





第1章 波瀾万丈の幼少青年時代

(16) 幼いころに病気に罹られたことや転校が多かったことには、我が身と重ね合わせながら読ませていただきました。私は、気管支喘息を持っており、中1の頃まで何回か入院をしたことがあり、幼稚園・小学校・中学校はそれぞれ1回ずつ転校しています。

(17) 私と同じなのは、私も幼少期に小児結核に罹ったことです。偶々父親が医師だったためストレプトマイシンが入手できて助かったのですが、運動神経の発達、性格には大きな負の影響がありました。私にとっては負のままでしたが山本さんはそれを克服してむしろプラスに転化された、そこが素晴らしいと感じます(尤もゴルフが上達されたのですから運動音痴ではなかったわけですね)。

→【私の返信】 貴殿とは、駿台での勉強と東大入試中止から始まって、京大での学生生活、公務員としての勤務まで、私の経験と共通点が多いのではないかと思っていました。でも、小児結核まで一緒とは知りませんでした。あの病気は、罹ってしまった人しか分からない辛い経験ですね。私の幼少年期は、それに加えて田舎でのイジメがあったものですから、いやもう最悪でした。

 でも、最初から恵まれた環境で育つのではなくて、私の場合はあのような最悪の環境から出発せざるを得なかったからこそ、反発心や反骨心、それにこんな最悪の状況から抜け出したいという逆境をはね返すバネのような力が働いたのだろうと思っています。

(18) 鉱石ラジオのくだりなど、好奇心いっぱいで、理科や算数が好きだった遠い自分自身の子供時代を思い出しました。

(19) 昨日夕方、アマゾン配送の最新刊『元内閣法制局長官・元最高裁判所判事 回想録』を落手、夕食後、さっそく、大学卒業まで読み耽りました。昭和30年代の『子どもの科学』と鉱石ラジオは共通の思い出です。きょうはこの後、通産に入省されてからを拝読します。たいへんな記憶力ですね。

(20) 駿台の鈴木、奥井先生はよかったですね。私の場合も、両先生の薫陶が後に国際機関の膨大な文書を短期間でわかりやすく翻訳するのに大いに役立ったものでした。






第2章 通商産業省で激務の日々

(21) 山本長官の人間味あふれるエピソードを興味深く読ませて頂きました。官界に活気を呼び戻すためのヒントがあるように思います。

(22) これまでも若干先輩方の回想録を目にしたことはありますが、若い頃の仕事ぶりをこのように詳細に記述したものはあまりなかったように思います。
 その意味で逆風の中で奮闘する若き公務員にこそ読んで貰いたい。私の親戚にも日夜苦労しているキャリアがいますので是非読ませたいと思っています。申し訳ありませんが買わせるのではなく私の本を貸すことになるでしょうが。

(23) 省エネルギー対策課関連記述を拝読していますと、当時の室長の圧倒的な存在感、タラコを焼く匂いが上がってくる古いオフィスでの残業、お供していった法制局での山本様と先方参事官とのやりとり等が蘇ってきます。

(24) 縦社会を打破する分野横断性とプライベートな事柄も語られているのが印象的で、特定の業種に拘泥せずワークライフバランスを重視する今時の若者にも親しみやすいものとなっていると思いました。

(25) エピソードも具体的で臨場感があって面白いものでした。なぜ夏の設定温度28度なのか長年疑問でした。また特に、協定出願、資産流動化、震災直後の衣料の提供などの通産行政のお話は、知ることのなかった分野のお話だっただけにとても興味深いものでした。

(26) この御著書は、山本様のこれまでの人生を振り返り、御幼少期のことから、社会に出て、役人として、裁判官として、枢要なポストにおつきになり、我が国社会の安定、繁栄に向けて積極的に活動され、我が国社会に多大の貢献をされてこられた足跡について、詳しくかつ魅力的にお書きになられております。

 中でも、 阪神淡路大震災の時の山本様からのお申し出に対する当方の対応につきまして、詳しく記載・紹介且つ評価して頂き、心から感謝申し上げます。


→【私の返信】  回想録にも書きましたが、あのような未曾有の災害に直面して、被災者の救援にどう立ち回るかが、その人や組織の真価が問われるものだと思います。その点、まるで歯牙にもかけられなかった海保や防衛省と比べて、貴殿と国税は、事の重大性をすぐに理解されて適切な措置をしていただき、さすがに日本を代表する官庁だと思いました。

 ということで、あの頃の回想を行うに際して、真っ先に思い出したエピソードがこのことです。改めて、お礼申し上げます。

(27) 山本さんが、どこでも仕事に誠心誠意取り組まれた御様子には、頭の下がる思いです。英語もしっかりマスターされ、特許庁の制度改正審議室長、繊維製品課長など通産省の各ポストでも、しっかり課題を見つけて取り組まれたことがよくわかりました。特許庁では、今や米欧との調和は国際課任せですが、あの先鞭を付けられたのは大きな業績だと思いました。そもそも通産省に入りたいという志から、私とは違っていたのだとも。





第3章 家内と二人三脚で子育て

(28) お子様方にする「英才教育」の素晴らしさは、ご子息の「僕、この家に生まれてラッキーだった」という発言に示されていますね。

(29) パラパラ拝見しただけですが、よくこれだけのボリュームを纏めたものと感心しました。内容も、ご両親のことから子供さんの話までカバーされており、山本家の歴史が(読めば)分かる貴重な資料です。もっとも、肝心の仕事がらみのところは読んでないのでまだコメントできません。ちなみに、私自身は書くのが苦手なので、著作のある人には敬意を持っています。山本さんには改めて敬意を表します。

(30) 奥様のご加減がよくなかったことは、これを読むまで存じ上げませんでした。同窓会でもご苦労は全く顔に出されず、いろいろ制約がある中で職務を完璧にこなされたことには本当に敬服する思いです。どうかよい方向に向かわれますよう心からお祈りしております。

(31) 仕事のところは大変興味深く、奥様の病気のところは、びっくりしながら読みました。奥様はもちろん、世話をする山本さんも大変な苦労でしたね。特に仕事も大変な時で、体力的にも大変だったと思います。よく頑張られましたね。

 私は、義母が住んでいるこのマンションの一階上が売りに出たので、その世話をするにも好都合と考え、7年前に千葉のマンションから当地に引っ越してきました。
 その際、奥様に事情を話して、良い食堂がないか訊ねたことがありました。奥様は、子供向けに限らず、ここで良い食堂はこれこれだと、交差点の向こうのフランス料理などかなり遠いところまで直々案内しながら紹介していただきました。ありがたかったです。その時は普通に歩いておられたので気がつきませんでしたが、これを読んで、今から思えば、いろいろハンデがあるなかで、あちこち歩いて紹介していただいたんですね。歩く速さも普通の人と変わらず、全く気がつきませんでした。改めてお礼申し上げますと、奥様によろしくお伝え下さい。

 家内は義母を引っ張り起そうとして脊椎を骨折しましたが、同様に介護で腰を痛めたなどの話もよく聞きます。介護をする側の健康も大切なので、2人とも介護される側にまわるということが無いように、やはり適当な時期に専門家にお願いすることが必要ですね。うちもよく考えたいと思います。

  やっと環境が整い、外国旅行にも出かけておられるようですが、季候が良くなったらぜひ歓談の機会を設けてそんな話もお聞かせ願いたいと考えています。


→【私の返信】  お読みいただき、ありがとうございます。実は、私は仕事も多忙だったのですが、おっしゃる通り家内の世話に加えて一時は幼児の孫の世話まで重なって、大変な時期がありました。でも、過ぎてしまえば、そんなこともあったなぁと、ごくたまに来し方を思い出すだけですね。

 家内は、30年近く前の発病のときは、相当のダメージを受けましたが、リハビリを経てかなり回復し、お会いした7年前頃には普通に歩けていました。ところが、長年にわたって摂取してきたステロイドの副作用が目立ちはじめたのは、ほんのこの数年のことです。

 とりわけ新型コロナが始まった頃に家内の体調が急激に悪くなって、脳梗塞、骨盤内骨折、背骨の骨折と、次々に事件が起こりまして、それらが収まったかと思えば、頻尿、下痢と続きました。せっかく介護しやすいようにバリアフリーのマンションに引っ越したというのに、介護負担が余りに重くなって私の方が倒れそうになり、ついに老人ホームのお世話になったというわけです。そちら様もそろそろお考えになった方が宜しいかと思います。さもないと、介護される方ではなく、介護する方が先に倒れかねませんからね。

 それでは、蓮の季節となりましたら、声を掛けさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。

(32) お子様方の教育のご経験について多くのページを割いて詳細に述べていらっしゃるのは、珍しいことで、これから子育てをしていく人達にとって貴重な示唆になると思います。外科医でいらっしゃるお嬢様は「ドクターX」のようなご経験もお有りなのでしょうか。

(33) 貴重な著書「回想録」をとても興味深く、読み易い語り口調の文章なので、楽しく読ませて頂いています。本当に心温かいお人柄が滲み出て、改めて感心しています。仕事に対しての真摯な取り組み方、奥様との共同の子育ての仕方等々、感心させられる事ばかりです。まだ、読み終わっていませんが、読むのを楽しみにしています。読書はあまり得意では無いので、ゆっくり読ませて頂きます。業績、経歴等素晴らし過ぎて、知ってしまうと、気楽にお話が出来ないくらいですね。

 それから、お詫びしなければならない事があります。大変名誉ある旭日大綬章を受章なさった事を同期の皆様に公表し、お祝いをしなければならなかったのに、全く見過ごしていました。これから、遅ればせながら、既に承知している方々もいると思いますが、高校の同窓会ホームページに載せて同期の方々にもお知らせさせて頂きます。誠におめでとうございました。


→【私の返信】  私も、もう歳なので、忘れないうちにと、コツコツと書き溜めたものを新型コロナの時期までに整理してホームページに掲載していました。そうしたところ、出版社が出版したいと言ってきたので、第5章を追加して本の形にしたものです。ホームページとは違って形に残りますので、生きた証がこの世に残ると思って、記憶に忠実に書きました。

 こうして改めて振り返ると、旭丘高校が自分の原点を作り上げたのだなと思います。あの頃は、加藤朗一先生を始めとして、面白い先生がおられましたね。同級生の皆さんも、立派な生涯を歩まれています。ともあれ、多士済々の高校で学んで、本当に良かったです。
 旭日大綬章は、お気になさらなくて、結構です。自分でも、「あれよあれよという間に、もらってしまった」という感じなのですから。でも、天皇陛下より手ずから授与されたときは、本当に嬉しかったですね。





第4章 内閣法制局で知恵を絞る

(34) 御尊父の「照る照る坊主」には泣かされました。

(35) 日本の法制史を彩る著名な法律の数々に加え、著名な方々が次々に登場してきて、昭和・平成から令和に至る日本史の裏舞台(内情)が克明に描かれており、感服いたしました。

(36) 内閣法制局に関する第4章は、頷ずきながら読みました。参事官の5年間が山本さんとは比べるべくもありませんが、私にとっても役人人生の貴重な部分を占めています。各省から選ばれてきた諸氏は知的水準が高く、「君子の交わりは淡きこと水の如し」であり、大変住み心地が良かったと感じています。

(37) 圧巻は第4、第5章でしょう。立法の過程、立法の勘どころなどこれまでなかなか伝わってこなかった情報、とても参考になりました。従来の法律との整合性に配慮しながらの立法作業、その苦労がひしひしと伝わってきます。もし私が現役の弁護士であったなら、すぐさま書評を認め、日弁連の「自由と正義」に投稿していたでしょう。

(38) 郵政民営化法案ですが、これは実に良く出来ています。時間軸を入れて段階的に進めるという手法が採られ、あれでは逃げられません。郵政事業体は、山本部長の巧妙な法律構成力によって抑え込まれてしまったと言えましょう。

 昭和60年の電電公社民営化の際に、郵政民営化法のような構想力があれば、NTT法が現在に至るまで議論となることは避けられたように思います。強い政治意志の存在は不可欠ですが、その意志を確実に実行できる法技術力も必要でありましょう。






第5章 内閣法制局長官を辞する

(39) 集団的自衛権の話は熟読玩味しました。感激です。

(40) 何といっても集団的自衛権の緊張感あふれる部分は圧巻でした。こういう事件が山本さんの在任中に上がってくればよかった。

(41) とりわけ第5章「内閣法制局長官を辞する」は丁寧に読ませて頂きました。強く心に残ったことは、最高裁判所判事の任命の際の記者会見で、質問に答え、集団的自衛権に関し、見解を堂々と開陳されたことです。

(42) 私が大臣秘書官を拝命したとき、内閣法制局長官でいらっしゃった山本先生と、閣議の前後の官邸や、予算委員会等の前後の国会内などにお会いする機会があり、励ましていただいたことがありまして、その節はありがとうございました。

(43) 第二次安倍政権となり、私は、省内で勤務しつつも、安保法制関連の動きを傍から見ていて、山本先生はさぞご苦労をされているだろう、どうなるのだろうと思っていましたが、やむなく辞任されたことには残念に思いましたし、小松さんに交代となったことや、その小松さんが急逝されたことにも、衝撃を受けました。また、小松さんが国会で、安保関連以外の国内法の法制面の事柄につき、野党議員から執拗な質問を受け、ご苦労されていることには大変気の毒にも感じていました。

(44) 集団的自衛権を巡る問題とご自身の行く末、「それなりの葛藤」とありますが如何ばかりだったかと改めてお察しします。また後任の小松長官に対しては私だけで無く同窓生の面々も複雑な思いがありましたが、山本さんの筆は暖かく行き届いた書きぶりで、さすがと思った次第です。

 ただ山本さんが去られたあとの内閣法制局は、情報公開請求への対応などその権威にやや疑念を抱かせる面があったのは残念なことでした。

→【私の返信】 それにしても、小松一郎さんは、気の毒でした。あんなことがなければ、今頃は大学でフランス語を教えて、のんびりした老後を送っておられたことでしょう。でも、あそこで安倍さんから変に見込まれてしまったことが、彼の運命を暗転させたのは間違いないと思います。運が悪いとしか言いようがないですね。改めて、ご冥福をお祈りする次第です。

(45) 小松一郎君についてですが、彼は横浜の中学校に2年の時転入して来ました。とてつもなく優秀だと聞き及んだ私は、転入生に学年一番をとらせてなるものかと思い、その向上心が現在までの私を作ってくれたと思っています。いわゆるライバルであり、恩人でもありました。内閣法制局長官が二人の友人の間で受け継がれる光景は、私にとって感慨深いものがありました。回想録を読み、山本さんが小松君を深く理解されいてることを知り、何やら安堵いたしました。

(46) 我が国の現代史の生き証人として、重要で貴重な仕事に直接かかわった人でないと書けない深い内容で、とても面白く、一気に読み進めました。とりわけ、安倍内閣とのいきさつは興味深かったです。旭丘高校の現役の生徒たちも、きっと関心を持って読みたいと思う内容だと存じます。

(47) 「回想録」拝読、法制局長官時代の貴兄の身の処し方に、改めて感動しました。辞表と声明文を用意するところなど小生にも似たような思いをしたことがあるだけに、ことさら共感を覚えました。今の官僚の後輩たちは、政治と簡単に妥協するきらいがあるところ、この本を読んで、国家・国民の平和と福祉のため、毅然としてもらいたいところです。


→【私の返信】 最近の後輩たちは、やはり内閣人事局が、気になるのでしょう。その結果、かつてのように天下国家の為に我が身はどうなっても構わないという「国士」のような気概を持つ人はいなくなり、全て政治家の「下僕」になってしまっている気がします。その意味で、国士型の官僚は、我々の世代をもって最後かもしれませんね。

 ただ、私としては、通産省で一生懸命に仕事をしたあの頃の官僚は、皆それぞれの持ち場で、それなりに頑張ったという記録を残しておきたかったのです。だからこそ、現在の繁栄する日本があると思います。

(48)意外だったのは平和安全関連法制の評価。「信用を一挙に失ってしまった」、「これから再建するには、長い時間と懸命な努力が必要である」とされているからには、出来上がりの法律についても否定的な見方というでしょう。

 私は、集団的自衛権と個別自衛権が重なる部分に止めて、それを集団的自衛権を認めたと称することにした、それなりの手打ちで、法制局はよく頑張ったものと思っていましたから、やや意外でした。法文に当たることもなく漠然とイメージしていただけではありますが、どうも山本さんとは違って、仕事の必要がなければ、法文は見たくないという方でして(笑)。

(49)山本さんが法制局が解体されるなら仕方がないと腹を括ったのは正しい。最高裁判事就任に際して、しっかり発言されたのも素晴らしい。歴代長官が新聞等でしっかり発言していたことにも、感心していました。






第6章 最高裁判所判事を務める

(50) 最高裁判所判事時代の章において、関与された事件については、客観的な紹介にとどめておられる点は、ご見識の現れと受け止めたところです。

(51) 惜しむらくはもう少し最高裁への言及、例えば判決言い渡しまでの過程や司法行政等にも言及があってほしかったということでしょうか。

→【私の考え】これは言うまでもないことですが、裁判所法75条は「評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない」と規定しているので、判決言い渡しまでの過程を公開するのはこの規定に抵触しそうですし、司法行政等についても人事など微妙なことも多いので、これまた公開というわけにはいかないことをご理解ください。

(52) 山本先生が内閣法制局長官を辞任されるも、最高裁判事に任命されたことには、たいへんうれしく思っていました。現場にいるときも、何というわけでもありませんし、私が担当した事件でお手を煩わせるようなものはなかったと思いますが、最高裁に山本先生がいらっしゃることには心強い感じがありました。先日は、ちょっとしたことで営業秘密関係を調べていたときに、たまたま、山本先生が裁判長を務めた不正競争防止法違反事件の決定(刑集登載)を拝見する機会がありました。

(53) 判例もいろいろ思考をめぐらされたことと思いますが、とりわけ定数訴訟の少数意見には同感です。ああしたことでもしていかねば、いつまで経っても二倍ギリギリで済ます、それも少しでも先送りしたがる現状は、変えられないでしょう。






第7章 正に七転び八起きの人生

(54) 回想録中に、70歳代が良かったとの先輩の言葉が記されていましたが、私の周りのテニスやゴルフ仲間を見ても、80歳を超えると体力、気力の低下が激しくなるようなので、私も後期高齢者入りを目前に控え、これからの人生の楽しみ方をまた考えてみたいとは思うものの、変わり映えはしないのでしょうね。

(55) 失礼ながら、日刊ゲンダイに掲載されたОBの評、とりわけ、山本さんは「融通が利かない」と言われたことは、不本意でしたでしょう。昔、「参事官は、最後は優しくなければ務まらない」と言われていたのを思い出します。密度濃く付き合わせていただけば、基本は優しい方だと分かるわけですが、大方の人は他人はそこまで深くは見ないもの。

 「融通が利かない」とか、「どうしようもない堅物」とか思われた所以は、議論発言の中身などの話ではなく、参事官の審査卓で厳しい口調で接されていたに尽きると思います。そうした表面的なことで人は、怖がり、忌避するもの。更には、接したことない人まで、そう聞かされるということではないでしょうか。そこは損されてきたことだと思いますが、反論するにも及ばない評だと思いました。




(令和6年4月6日著)
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