悠々人生エッセイ



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 久しぶりにマレーシアの中国正月を訪れた。昨年末に開かれた友人の華僑の「古希の宴」の際に、招待されたものである。この一家はクアラルンプールより北に位置するイポー市の出身だが、兄弟姉妹など全部で8人にも及ぶその半数は、クアラルンプールと1人だけシンガポールに居を定めている。それが、中国正月や4月の先祖の供養日、そして8月のお盆には、一家で集まるのである。この兄妹姉妹の最高齢は78歳で、半数はもう70歳つまり古希の年齢を超えている。だから、各家庭平均2人の子供たちと、更にその子つまり孫世代が全員集まる。よって、もう「うるさい」というレベルではなく、家中がバタバタ、ドタドタ、ワーワーガーガーと、まるで休み時間の小学校のようだ。

 今年の中国正月は2月10日からなので、その前の日の明るい内にイポーに到着する。翌日つまり新年になって、指定のレストランに向かう。新春の宴で、中はもう大混雑。2階に案内され、4つのテーブルに分かれる。世代ごとだ。まずは、テーブルの真ん中に運ばれた「魚生(イーサン)」料理に対して、全員が嬉々としてそれぞれ箸を持って立ち上がり、「ローヘイ(良いことが来ますように)」と叫びながら混ぜる。これは、当地の中国正月独特の慣習で、一体感が高まるそうだ。


 座ってそれをお皿に盛って食べてみると、甘酸っぱくて、胡麻が効いていて、不思議な味だ。肝心の中身は、野菜、鮑、クラゲ、イカを刻んだものが、バラバラになっているので個々の味はよくわからない。それに加えて白身の生魚がある、、、だから「魚生」というのかと納得。でも、こんな国で生魚とは参った。周りに聞くと、日本の刺身や寿司以外で、自分たちもこの料理以外は生魚は食べないそうだ。まあ、それなら良いかと思って少し安心して食べた。それを皮切りに、いつもの中華コース料理が次々に出てきて、皆たくさんよく食べること、食べること。その健啖ぶりに驚く。

 その割には、お腹が出ている人はいないと思って男性陣に聞くと、申し合わせたように「週に5日、毎朝45分の散歩をしている」などと語る。すごいの一言だ。この兄弟は仲が良くて日頃から連絡をとっているから、誰か一人、そういう運動を始めると、皆その真似をするようだ。思わず笑ってしまう。

 それやこれやで、親類一同の「絆(Reunion)」を深めるこの会食が終わり、皆で会食をセッティングしてくれたFさんの家に向かう。中流家庭が集まる地域にあるセミデタッチトの家なのだが、入って驚いた。トヨタのアルファードに並んで、ポルシェがあるではないか、、、こんな高い車は、クアラルンプールでもあまりお目にかからないのに、それが当たり前のように駐車している。

 私が、「これはすごい車だね」というと、Fさんは頭をかいて「息子が勤めている不動産会社は5人の部長がいるのだけど、他の4人が全員がポルシェなので、『お前も買え』ということになったらしいんだ」などと言う。それは、景気の良い話だ。でも、「今どき日本でそんなに儲けている会社があるだろうか。そもそも国の勢いが違うな」と、成熟した老大国日本から来た私は思う。

 ところで、Fさんと会うのはそれこそ5年ぶりくらいなのだが、その「老け」ぶりにビックリした。身体がひと回り細くなっただけでなく、上顎の前歯がなくなっている。60歳で定年後もう10年の歳月が過ぎたが、この間にさぞかし大変なことになっているのかと心配して聞いてみると、こういうことだった。

 Fさんには息子が1人、娘が2人いる。それぞれに、3人、2人、また2人の計7人の孫がいる。上は10歳、下は3歳だ。全部で7人の孫を全て引き受けて、日常の世話、保育園や幼稚園、小学校そして習い事への送り迎えを全部やっているそうだ。こちらでは、ほとんどの家庭が両親の共働きだから、そういう場合は外国人のメイドを雇って対応するのが普通だ。それなのに、Fさんは「外国人には大事な孫を預けられない」と言って、自分が育てることにしたようだ。へぇーっと、思わず感嘆する。当然のことながらそれは重労働で、上の前歯が全てなくなるはずだ。

 その奥さんによると、「ある時、洗濯物がとても多くて洗濯機が一杯なので、夫はタライで手洗いをし始めた。ところが、あまりに疲れていたようで、しばらくして仰向けに倒れてしばらく起き上がれなかった。そこで、皆が心配して、しばらく孫のことを忘れさせようと、近場に旅行に行ってもらった」ほど献身的に孫の世話をしていたとのこと。

 それほど祖父が苦労して育てたから、子供たちは実にしっかりしている。特にポルシェくんの息子の三人の子は、小4、小3、小2なのだが、そのうち小2の男の子と一緒の車となった。私が「お父さんのポルシェは良いね」と聞くと、「でも、2座席しかないから、ファミリー向けではないね。やはりアルファードが良い」と、ちゃんと英語で自分の意見を言う。しかも、北京語、広東語、マレー語もわかる。この歳でこんな子が日本にいるだろうか。そのお姉さんたちは、もっとインテリジェントだそうだ。

 元旦の日の夜になった。Fさんが、家の前の道路に何やら引き出した。こきりこ節に使われる「びんさざら」を長くして一周5メートルにもしたものだ。ひょっとしてと思うと、やはり火をつけた。バババッババンと、激しい音を立てて炸裂した。耳を覆わないと気絶しそうだ。何でも、悪霊を退散させる意味があるそうだ。確かに、、あちこちの家で、派手に花火を打ち上げている。


 ところで、Fさんの家の直ぐ近くの民泊に数家族で泊まるというので、私も付いて行った。立派な家で、車が何台も駐車できる。しかも、庭には何やら黄色とオレンジ色のフルーツが成った大きな棚がある。ちょうど、葡萄の棚のようなものである。何だろうと思って近づくと、見たことのないフルーツだ。名前は、「GAC」と言うらしい。見るからに美味しそうなのだが、そうでもなくて、味はなく、砂糖を混ぜたジュースにするのが、関の山らしい。



 翌朝、近くの「極楽洞」という鍾乳洞に行ってみた。あちこちに仏像が置いてあるから、お寺なのだろうか。鍾乳石の山の一角が開いていて、中には、つらら石、石筍、フローストーンがちゃんとある。だから鍾乳洞そのものである。面白いのは、それらを抜けたところに、池が広がっているのである。ちなみに、こういう構造は、風水の観点から理想的なのだそうだ。また、妙なものを見物してしまった。







 なお、5年前にも、私はこのマレーシアの地方都市イポーの中国正月を訪れたが、その時は獅子舞(ライオンダンス)を見て感激した。それは、この地の著名なホテルでの獅子舞だったが、一般市民の商店や家庭にも、ごく普通に獅子舞があった。ところが新型コロナ禍の悪夢の3年間を経験した今年は、市中の獅子舞をほとんど見かけなくなった。加えて、バババッババンの激しい音を立てる花火も、その時と比べて半減したそうだ。誰かが、「今年は不景気だな」とつぶやいた。







(令和6年2月12日著)
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