1.内閣府の令和3年高齢社会白書(第1章第1節)によれば、令和元年現在、 65歳以上の者のいる世帯数は全世帯(5,178万5千世帯)の半数(49.4%)を占めている。かつて昭和55年では三世代同居世帯の割合が一番多く、それが全体の半数を占めていたものである。ところが、最近ではその様相が一変して、令和元年では夫婦のみの世帯が一番多く32.3%を占めており、男女どちらか一方の単独世帯28.8%と、これらを合わせると約6割となっている。
これは、寂しいものだ。独りで毎晩買い物をし、翌朝自分だけの食事を作り、お昼と夕食は届けられるお弁当を食する毎日だ。でも、週3回はテニスをするので、その時だけは仲間と話して気が紛れる。 また、月に一度は昔の職場仲間や、テニスの友達、大学の同級生、あるいは今の法律事務所の秘書さんたちなどを家に呼んで、伊豆栄のお弁当をつつきながらよもやま話をする。その時は、本当に楽しい。ところが、皆さんが帰って、家の中がシーンとすると、片付けながら何とも言えない寂寥感に襲われる。 これではいけないと、テレビのスイッチをつけると、何やら賑やかにやっているが、いつもの芸人がありきたりのコメントしかしていなかったり、歌手と称して身体中でぴょんぴょん跳ねながらよく分からない歌詞を歌ったりで、全然面白くない。だから、ついNHKニュースを見る。しかしこれも、火事現場などのくだらないニュースが多い。そこで、YouTubeを見る。最近では、ウクライナ戦争の状況や宇宙の話をよく観ているが、前者は明日の日本かもしれないと思って真剣に観ているし、後者は最前線の学者が最新の研究の内容を紹介してくれるので、面白い。 それから、パソコンを前にして著作にとりかかる。今は、私自身の「回顧録」を執筆中だ。いったん書き上げてから、その中に人の名前や固有名詞が数多く出てくるので、チェックが大変だ。これをやっていると、気が紛れるが、ある程度で切り上げないと、明日に差し障る。執筆が佳境に差し掛かったときには、寝る時間が午前1時、2時、3時と次第に遅くなっていって、翌朝のテニスの時にフラフラになったので、それはもう止めている。 2.このように、独り暮らしだと、誰にも気兼ねせずに好きなように時間を使い、自由に暮らせる。それは良いのだが、反面、孤独感に苛まれるし、特に事故があったりした時のことを考えると非常に怖い。 大学時代以来親しくしていた私の友人は、数年前に脳出血で倒れた。それも、家で発症したから、まだ良かった。奥さんが変調に気づいてすぐに救急車を呼び、直ちに手当をしたから助かった。発症直後は身体の片側が麻痺して言葉も発せない状態だったが、その後、3年に及ぶリハビリの結果、今ではほぼ普通に日常生活を送れるまでになった。 ところが一人暮らしだと、下手をすると「倒れてそのまま死亡し、何ヶ月後に発見される」という憂き目に遭う。そこまでいかなくても、深刻な後遺症が残ったりすると最悪だ。早く通報されれば、後遺症は軽くて済むし、何よりも命が助かる確率は高まる。しかし、通報が遅れて後遺症が重症になってしまうと生きる意味がなくなる。通報されることなく数ヶ月後にそんな形で死んでしまうのは、回りに迷惑をかける最悪の死に様だから、これだけは絶対に避けたい。 しかし最近、とても気になることが二度あった。最初は、冬用の暖かいスリッパを履いていて普通に歩いていたのに寝室で両脚揃って見事に滑り、腰を打ったことである。数年前に風呂場の脱衣場で同じようなことが起こり、その時は不幸なことに左手首を複雑骨折した。だから、注意しなければならない。それ以来、家の中では絶対に滑らないスリッパを履くようにしている。 そして2回目は、お風呂の浴槽に入る時、浴槽の真ん中辺りに滑り止めの仕掛けがあるにもかかわらず、わざわざそこを外して入ったために、これまた滑ったことである。何ともなかったとはいえ、危なかった。 もし、こういう場面に遭遇した場合、誰か私を助けてくれるか? 私には娘と息子がいるが、元より娘は、医師の仕事と子育てで忙しいせいか、電話すら寄越さない。息子は、数ヶ月に一度はテレビ電話をしてくれるが、電話が繋がったと思ったら孫に取られて、大人の会話が出来ない。こんな調子では、数ヶ月後に死体発見、、、となりかねない。 そういうことを、いつも通う散髪屋のママさんにブツブツ話すと、「子供は、親はいつも元気だと思い込んでいるし、皆さん生活に追われて日々忙しいのよ。仕事に家事に子育てに住宅ローンにとね、、、だから、暇な老人の相手はしてくれないわよ」と、グサリと言われる。 3.私が続ける。「でもね、私や家内や妹たちは、一生懸命にやったよ。まず妹たちは、富山の両親のすぐ近くに住んで、日を変えてかわりばんこに見にいっていた。実家に交換日記を置いて、『今日、ママさんは何を食べた』とか、『持って行ったおかずは何だ』とか、『ママさんの体調が良くないから、散歩は控えさせて』とか、『薬はまだ、何が飲んでない』とかね」。 「家内は、静岡に住んでいる両親の元に、週に1回は必ず通って、病院通い、投薬の受取と整理、買い物、冷蔵庫の中のチェック、おかずの持参など、実質的な世話をしていた。毎日電話するしね。私も代わりによく電話した。ある時など、寒い季節になっていつものように私が電話で話したら、『ああ大丈夫だよ』と言うのだけど、声の調子がいつもと違っていたから気になって、仕事帰りに新幹線に飛び乗って様子を見に行った。すると、気温が5度くらいの寒い部屋の中にいるではないか。びっくりしてしまった。歳をとって感覚が鈍くなり、寒いと身体が感じないのだ。そこで、押し入れからオイルヒーターを2台出してきて、台所と居間に設置して暖かくしてあげたんだよ。こういうことをするのが、老人の世話というものだ。結局、老人の二人暮しはニッチもサッチもいかなくなって、老人ホームを捜して入れてあげたけどね、、、しかし、老人ホームに入ったら入ったで、そこからの医者通いは家族の仕事なんだよね。これがまた大変で、東京から行って現地で付き添うのは難行苦行だった」。 4.「振り返ったら私自身も、特にこの新型コロナウイルスの3年間は、家内の介護に明け暮れた。思い出すのも辛いが、1年目には脳梗塞に見舞われた。何とか一命を取りとめて、脳内の塞がっているところのバイパス手術を受けた。これ以降、身体が不自由になったからオムツ生活が始まった。リハビリを終えても捗々しい改善はなく、日常生活全てに介護が必要だから、私に負担がかかる。 2年目は骨盤内骨折だ。家の前でちょっと転けただけで、骨折してしまった。長年服用しているステロイド剤の副作用で、骨粗鬆症なのだ。それも、救急車で担ぎこんだ病院で骨折していないと誤診されたせいで、ひどく手間がかかってしまった。 3年目は、背骨が折れた。それも、バラバラ次々と合計5箇所である。身体を動かすと酷く痛いので、もう寝たきりである。しかも、ステロイド剤の副作用で1時間か2時間おきの頻尿と来ている。夜も昼もない有り様だ。大型のオムツをしたが、役に立たない。加えて前のマンションの部屋はトイレと洗面所に段差があって、越えられない。だから昼も夜も介助しなければならない。いやもうこれが辛くて、寝不足と疲労で、私自身が病気になりそうだった。 やむを得ないので、バリアフリーの今のマンションに引越した。手すりを付けると自分でゆっくり歩ける。すると、夜中の介助の回数は減って助かった。ところが今度は、たびたび下痢をするようになった。私と同じものを食べてもらっているのに、私は大丈夫なのに家内は下痢ときている。どの食べ物が原因なのか良く分からない。生サラダや刺し身などの生ものがいけないということまでは分かったが、それ以外でも下痢をする。そうこうするうちに、介護ベッド、廊下、トイレに至るまで汚物まみれになり、その清掃と本人の世話に追われる。これが一晩に2回も3回もあると、もうお手上げ状態だ。しかし、これが介護の現実なのである。これは参ったというのが毎晩続いて、私もおかしくなりかけた。だから、万策尽きて老人ホームに入ってもらったというわけだ」 5.散髪屋のママさんは、いたく同情してくれて、「それは、本当に良くやったわよ、、、ウチのマスターも、糖尿病と認知症を併発していて、それはそれは手がかかる。だけど、今聞いたような悲惨な介護までは行っていないわね。それでも、私は毎日、家に帰るのが億劫なのよね。介護って、本当に嫌になっちゃう。介護している私自身が病気になりそうよ。いやもう病気なのかも」と言う。 私は、「お互い大変だね、、、子供の世話なら、年が行くにつれて楽になるし見通しがつくけど、老人の介護というのは、状況が一人ひとり違うし、悪くなる一方だし、エンドレスつまり、いつまで続くか分からないから困るよね。しかも、こんなことになっているなんて、世話をする当事者でない人には想像もつかないだろうしね、、、」と答える。 6.私は海外にも友達がいる。親しくしてもらっている東南アジアの華僑ファミリーを見ると、三世代同居がごく当たり前である。年寄りを大切にする文化が根付いていて、例えば中華料理店でテーブルを囲む時は、必ず10人近い大人数で一つのテーブルを囲み、そこへ孫がおじいさん、おばあさんの手を引いて椅子まで連れて行っている微笑ましい光景を普通に見かける。 そういうのを目にすると、日本は、戦後なぜこんなに家族がバラバラになってしまったのかと思ってしまう。大家族が一緒に住んでいるからこそ、 たくさんの大人が子供の面倒を見るし、子供が大きくなったら逆におじいさん、おばあさんの面倒を見る。世代間で、知識や経験を伝え合い、教え合い、助け合うことができる。良いことばかりだと思うのに、いつの間にか強い遠心力が働いてバラバラになってしまっている。親世代に干渉されたくないのだろうが、それによって失うものも大きい。 考えてみると、東南アジアの華僑は、周りは全て敵に囲まれている。移住した先の国でもそうで、いつまで経っても「よそ者」のままだ。だから頼れるのは身内と、同郷の人くらいということなので、ますます大家族主義が発達したのかもしれない。 一例を挙げると、中国の南の福建省などには、「円楼(福建土楼)」なるものがある。おそらく13世紀くらいから19世紀にかけて作られたもので、大きな5階建ての円のような建物だ。そこに客家といわれる人達が100家族ほど住んでいる。これは何かと言うと、親族とともに住まう「要塞」なのである。つまり、客家というのは独自の文化と言語を持つ民族で、古くは秦の始皇帝から逃れるために中国各地を彷徨い、ようやく福建省の何もない山の中に安住の地を見付けて、そこに定住したと言われる。周りは敵だらけのため、版築で堅固な要塞を作ってその中に住んだというわけだ。ちなみにこれらの人々は、海外移住に積極的で、今はもう円楼は、もぬけの殻だそうだ。こういう出自の背景もあるから、華僑は未だに大家族主義なのだろうと思う。 こうした寂寥感や心配を解消するため、東京に独りでいるよりはと、長期の旅に出掛けることにした。それも、添乗員付きの旅だ。もし、私が朝起きて来なかったら、添乗員が対応してくれるはずだ。ということで、今年に入って大型の海外旅行に何度か行った。ニュージーランド、スイス、エジプトで、今はタイに滞在している。 考えてみると、私の身体的コンディションは、今はまだ良い。どこも悪くない。氷点下のスイス・アルプスや気温47度の灼熱のエジプトにも行ける。日常生活も、食事、運動、睡眠などに気を配っているし、執筆や弁護士活動を続けて頭が老化しないように努めている。しかし、友達のようにいつ何時、脳出血などに襲われるかも知らないし、何年か先のことはもちろんわからない。そのうち、とうとう立ち行かなくなったら、誰にも迷惑かけないで、自ら進んで老人ホームに入ろうと思っている。しかし、今はまだその段階ではない。 そうであれば、老人ホームに入る前の現在のような「いささか危うい」自立期には、誰が私の面倒を見てくれるのか?また冒頭の疑問が湧き上がる。 二段階がある。一つは、先々、老人ホームに行く前の普段の生活で、事故や急病の時に備えた見守りである。もう一つは、老人ホームに入ったときの通院の付き添いや、役所の手続である。今は家内のために私が月に何度かやっているが、、、これがまた、とても面倒なのだ。 私と家内は、静岡の両親に対して前者の見守りと後者の通院の付き添いをしっかり行ってきた。特に通院は、わざわざ東京から新幹線で静岡まで行って付き添ったから、時間的にも体力的にも大変で、費用は年間50万円、10年で500万円も掛かった。 妹たちは、先も述べたように、両親の近くに住んで、毎日訪ねて、見守るという言葉以上に本当によく介護をしてくれた。そして自分たちの手に余る状態になってからは、老人ホームに入れて、しばしば会いに行き、かつ通院もきっちりと付き添ってくれた。だから私も常々感謝して、相続の時にはそれなりの配慮をさせてもらったつもりだ。 最後に、私は、家内に対して、見守りも付き添いも充分過ぎるほどやった。特に最近出て来た問題は、車椅子を長時間を押すと、腰が痛くなるのである。たぶん私の背の高さと市販の車椅子の押す部分とがマッチしないのだと思うが、歳のせいかもしれない。そこまで考えて、ふと思った。 私と家内がその両親に対して、 妹たちが両親に対して、 そして私が家内に対して 、 これまで営々と行ってきたような見守りや介護を、誰が私に対してやってくれるのかと、、、散髪屋ののママさんが言うように、自分の仕事や家庭で忙しい子供たちを当てにすることはできない。 介護保険的に言うと、私はまだまだ自立で、要支援ですらない。ケアマネジャーといっても、私の両親のところのケアマネは、他人の家を勝手に家探ししてプライバシーを覗くような人だったから、そういう手の人には絶対に入ってほしくない。 そう思っていたところ、ある時、年下の友人と会話をしていて、家の掃除の話となった。 私が「部屋や廊下は、掃除するのは屈むことになって、万一、それが原因で腰が痛くなると困るから、アイロボットにさせています。かなり綺麗になりますよ。ただ最近気になっているのは、天井の換気口の掃除で、長年放置されているから相当な埃が溜まっている。これは椅子に上ってフィルターを取り換えないといけない」というと、 「ああ、それはいけません。椅子から落ちたりすると、怪我しますから、しない方がいいです。代わりに私がやりますから」と言ってくれて、実際に会社帰りにわざわざやってきて、手際よく二つとも取り換えてくれた。 親切だなぁと思うとともに、私の父が今の私の年齢の時に、やはり椅子に上って高い所を掃除しようとして、落ちて踝(くるぶし)を複雑骨折したのを思い出した。父はそれ以来、歩くのが困難になってしまった。この人は、一瞬にしてそんなことを想像して、私がしようとするのを止めたのだ。見守りや介護の本質をよくわかっている。こういう配慮のできる人に、見守ってほしいものだと願っている。 私は今は74歳だから、取り敢えず、少なくとも85歳になるまでは自立で行きたい。それまでに、怪我をしないように、そしてややこしい病気を発症しないように気をつけよう。そして、85歳時点でまだ元気だったら、あと5年は、今の家で更に頑張りたい。その上で、90歳になったら、いよいよ老人ホームに入るかどうかを決断しよう。そんな計画を心積りとしている。 8.ネットで、精神科医の和田秀樹さんの記事が目に止まった。この人は多芸多筆で、確か数年前までは受験をテーマに多くの著作を書いていたのに、最近は業態転換して老年学が中心だ。ちなみに、彼の受験の著作の一つに、弟を指南して東大に入れたという話がある。東大に入って検事となったその弟さんと、私は一緒に仕事をしたことがあるので、そのお兄さんにも親近感を覚えている。 彼の著作の「80歳の超え方」を要約したこの記事は長文だが、そのいくつかのポイントを上げていくと、 (1)ひとりでも楽しめるスキル、家族だけに精神的に依存しないスキル、他者と交流するスキルも必要 (2)妻から精神的に自立し、ひとりになってものんびりと楽しく生きるスキルは身につけておく (3)老いてもなお精神的にタフであれ、自分の尊厳と自由を守るためにもタフでありたい (4)精神的にタフになる日課や、落ち込んだときに「これをやると元気になる」行動を自分でリストアップしておく (5)人に頼ったり薬に頼ったりするだけでなく、自分の元気回復の素を「宝箱」に詰め込んでみる。元気回復の素はたくさんあったほうがいい。 「それぞれ面倒と思えば面倒かもしれないが、でもその面倒を乗り越えるたびに老いを乗り越える元気が備わっていく」のだそうだ。そして、こんな話もあった。 「文芸評論家の江藤淳さんは『脳梗塞の発作に遭いし以来の江藤淳は、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり』という遺書を書いて自殺しました。 一部では前年に妻を病気で亡くしてから気力がなくなっていったという話もあり、うつ状態があったかもしれません。もし、妻が傍らにいたら、脳梗塞のリハビリだと文章を書き続けてがんばったかもしれません。 死の真相は誰にもわかりませんが、脳梗塞などの病気をひとりでリハビリしていくのは大変です。それが男性だとより孤独に見えてしまうのは、まだまだ男性は精神的な自立ができていないように見えるからです」 しかし、うつの影響があったにせよ、これは最悪の死に方だ。そのきっかけは、妻を亡くし、自身が脳梗塞に遭って身体が不自由になったからである。ということは、健康管理を日頃からしっかりとやり、かつ安心できる見守りの体制を確保するほかないと考える今日この頃だ。 (令和5年12月8日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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