悠々人生エッセイ



家内の老人ホーム




1.老々介護の限界

 家内は、私より4歳若いのだが、このたび都内の老人ホームに入居してもらった。私としては、断腸の思いではあるが、正直に言って「もはや老々介護の限界点に達した。これ以上続けると、私自身も疲弊して潰れてしまいかねないから、ひいては本人の介護にも大きな支障が出るに違いない」と考えたからだ。

 まさに断腸の思いで、申し訳ないと思う反面、実を言えば、これであの過酷な介護の日々から解放されると思うと、ほっとした気持ちも一方ではある。


2.30年ほど前に命の危機

 可哀想なことに、家内は30年ほど前に自己免疫疾患を発症した。その時は、風邪の症状から始まって、いきなり強烈な吐き気に襲われて、何も食べられない、水すら飲めない、そのうち視野と聴力が徐々に欠けてくるという深刻な症状に見舞われた。

 医師は、当初メニエール病ではないかと眼科が治療に当たったが、どうも違うようだというので、神経内科に移された。医師はガンを疑ってあらゆる検査をしたが、何が原因なのかさっぱり分からない。

 そのうち、どんどん病状が進んで、寝たきりになり、ガリガリに痩せた。医師は「これほど急激に深刻な病状が進むところをみると、たぶんガンだろうから、あと3ヶ月の命だと覚悟してください」と宣告してくる始末。これには、私は悲しむというより驚愕してしまい、両方の親を呼び寄せて、最後のお別れをしてもらったほどだ。義理のお母さんが「親より先に死ぬなんて、、、」と嘆いていたことを、つい昨日のように思い出す。

 発症した頃、本人が夜中の病院で一人でいるのは心細いというので、私が夜通し付き添った、、、といっても病院には付添人用の設備はないから、家内のベッドの横で、借りてきたマットレスをリノリウムの床に敷いて毛布を被って寝るだけだ。

 そして、家内が何か声をあげれば、話し相手になり看病する。その床の上から職場に直接通うという厳しい生活を、1ヶ月以上も続けた。そのころの私は40歳代で若くて元気だったが、冬の寒い時期であったこともあり、こうした過酷な生活では体力が大きく削がれて、もうフラフラだった。

 しかし、家内の病状はますます悪化の一途をたどり、好転の兆しは全くなく、体力が日に日に衰えていくことが目に見えてわかる。これは、医者の言うとおりかもしれないと思うようになった。私自身も、体力の限界に達していた。振り返ると、この頃が一番辛い時期だった。


3.一か八かのステロイド・パルス療法

 そうこうしているうちに、医師が「内外の文献を10万件以上当たったけど、ピッタリ当てはまる症例はありません。ほとんどすべてのガン検査をしたのですが、いずれも違うようです。あとは、脳の中のガンしか考えられませんが、そのためには『生検』をする必要がありますけれど、お許し頂けますか」と言う。

 私は、「頭に穴を開けるなんて、絶対反対。他に何か治療法はないのですか」と答える。すると医師は、『ステロイド・パルス』というのが考えられるのですが、この場合は効かないと思いますが、、、どうしますかねぇ」と言う。

 私は「そりゃ、何ですか」と聞く。医師は「一種のショック療法でして、一時的に神経を強くしますが、副作用もあって、これをすると副腎皮質ホルモンが自然に出なくなるので、あまりしたくないのです」と言うから、私は、「もはや、それしか打つ手がないのですか」と聞くと、医師は「ほかに考えられる手はありません」と答える。

 私は、素人なりに、家内の命の危機を感じたから、何もしてくれない医師に向かって思わず強い調子で「もう1ヶ月も検査、検査と検査ばかりして、何の手も打ってくれてない。このままだと、ますます体重が減り、体力が失われる。本当に死んでしまうかもしれない。そういう副作用があっても、やってみるしかないでしょう」と、医師に強く決断を促した。するとついに医師は意を決して、ステロイド1g(1,000mg)が入った点滴の瓶を家内の腕に繋いだ。後から医師は、「あの時の旦那さんは怖かった」と述懐していた。

 ちなみに、この1,000mgというのはとんでもない量で、人間は1日で副腎皮質からこのホルモンを3mgからせいぜい25mgを自然に出してそれで足りているのに、その40倍から333倍もの量を一気に流し込むというのだから、どうかならない方がおかしい。まさに、ショック療法そのものである。その主な効果は、弱っている神経の働きを支えて強化するのだという。


4.劇的な回復

 それで、どうなったかというと、直ちに劇的な効果をもたらした。あれほど悩まされていた、頭痛、吐き気、視力聴力の異常がピタリと治まり、寝たきり状態だったのに、上体を起こして食べられるようになった。医師も目を丸くしたほどの急激な回復ぶりだった。副作用として一時的にムーン・フェースになったり、精神が高揚したりしたが、大した問題ではない。

 しかしながら、いったん失われた片目の視野と片耳の聴力が戻ることはなかった。医師がもっと早くステロイドパルスをしてくれていたらと悔やまれるが、今更言っても詮無いことだ。特に片方が失明してしまったことは生活に大きな支障が出た。物を掴もうにも、距離感がなくなってしまい、10センチほど離れた所を掴もうとする。道を歩けば、真っ直ぐ歩いているつもりでも、斜めに歩いて行く。しかも、片方の耳が聞こえないので、後ろから自転車が走ってきた時など、どちらの方に避ければよいのか迷う。これは相当に危ない。

 でも、家内は努力した。半年ほどかかったが、距離感については、片方の目で掴めるようになった。包丁を持って、野菜などを切ることができる。歩道を歩くのも、なるべく道の左側に沿って歩こうと努めた結果、歩道と車道を隔てる柵との距離を同じに保って真っ直ぐ歩けるようになった。

 おそらく、頭の中で神経網が再構成されて、こういう能力が獲得できたのだと思う。ただ、それに至るまでは、相当疲れたようで、かなりの時間、寝て休んでいた。それでも、これでほぼ、外見も支障なく生活ができるようになった。


5.寛解と悪化を繰り返し最近では薬の副作用も

 それからは、今に至るまで、病状が悪化すると入院してステロイドパルスを行い、それで回復したと判断されたら退院し、、、という悪化と寛解を繰り返してきた。入院の回数と期間とは、最初の頃は年に2回ないし3回、それぞれ1ヶ月間ほどあったものの、歳をとって免疫力が落ちてきたせいか、若い頃と比べて次第に収まって来た。特にこの10年ほどの間は、この本来の病気では一度も入院したことがない。

 そういうことで自己免疫疾患が治まってきたという意味では大いに有難いことではあるのだが、しかしながらその反面として、長年摂取せざるを得なかったステロイド剤による副作用が次第に現われてきた。

 これは徐々に身体を蝕む。具体的には、皮膚や血管の壁が薄くなる、血栓ができやすい、胃液の分泌が活発になる、膀胱が過度に刺激される、骨の破壊作用が進んで骨粗鬆症になりやすい等である。これらの影響と思われる症状が、最近とみに次々と現れてきた。


6.脳梗塞の発症と治療

(1)2020年10月といえば、世の中が新型コロナウイルスの流行で騒然としていた頃である。フランス料理店で二人で食事をしていた時、家内が突然ポロリとナイフを落とした。「あれ、どうしたのかな」と言いながらそれを拾おうとしたが、左手に力が入らない様子である。新しいナイフを持ってきてもらって、食事を続けたが、その頃には元に戻っていた。

 家に帰ってきたが、身体に力が入らない模様である。たまたまその直前の8月に、私の母が同じような異変を起こしたことを思い出した。妹と夕食時に食事をしていると、箸を落とした。そして、翌日になるともう左脚が利かなくなってきた。病院に連れていくと、脳梗塞だったというのである

 家内もこれではないかと思い当たって、直ぐに救急車を呼んで病院に行ってみたところ、やはり脳梗塞という診断(右中大動脈閉塞症)が出た。これは写真を見ると一見して明らかで、脳の中で首から上がってきた動脈が、中程で左右に分かれているが、その二ヶ月ほど前に撮った写真では左右対称なのに、今回はその一方が詰まっている。ただ、その先では、薄く血流が見えるから、回り回って先の方ではどうにか繋がっているらしい。だから、ナイフを取り落としても、5分ほど待てば回復することが出来たのだろう。

(2)脳神経外科の担当となった。本来ならtPAの使用(血栓溶解療法)も有り得るところだが、元々の自己免疫疾患のため、それができない。部長先生との話し合いで、バイパス手術をすることになった。

 これは、頭の外を通っている脳動脈を頭の中に呼び込んで、その詰まっている所に繋いでその先に血を行き渡らせるというものである。もう50年以上の実績があるというから、その場で賛成した。

 私が唯一行った質問は、「脳の外側の動脈がなくなると、どうなりますか」というもの。これに対してその外科医は、「少しは何らかの影響はあると思いますが、それより頭の中の方がもっと大事です」と言う。なるほどと納得した。

 いよいよ、手術の日を迎えた。朝から始まって午後3時には終わるという予定だったが、その時間を過ぎても、何の連絡もない。ジリジリして待っていると、ようやく午後5時を回って電話が鳴り、先生から手術は成功したとの話があった。安心したのは言うまでもない。

 ところが驚いたのはその日の晩のこと、家内から直接電話があったからだ。さすがに元気はなかったが、開頭手術直後だというのに、普通に話していたのでビックリした。

(3)その後、家内は順調に回復していき、入院から1ヶ月後に退院することができた。ただ、物との距離感がまた元に戻ってしまい、正しい距離感で掴むことが再びできなくなった。おそらく今回の脳梗塞によって破壊された神経網の部分に、その重要な処理する機能があったのだろう。

 それ以外は、ゆっくりと動いている限り、特段問題なく普通の生活ができるようになった。まずは、めでたしめでたしといったところである。


7.骨盤内の骨折と治療

(1)翌21年になった。家内は、ゆっくりと近所程度までは歩けるようになり、1月末の日曜日、一緒に近くのスーパーに行った。小雨が降る寒い日である。たくさん買い物をしたので、私は傘をさしながら両手に買い物袋をぶら下げて歩いて帰ってきた。家内は手ぶらで傘をさしながら私の後に付いてくる。

 雨が強まってきた。私は両手に買い物袋と傘があり、特に袋が重くて指に食い込んで痛い。だから、自宅マンションに近づいたら、一刻も早く玄関をくぐりたいと思い、つい早足となる。

 私が玄関にたどり着いたその時、「あっ」という声が背後から聞こえた。振り向くと、家内が事もあろうに歩道の舗装にたまたまできていた水溜まりの中で転んでいる。そして、「痛い、痛い」と言って全く動けない。

 慌てて家内を引きずって水溜まりから出し、玄関の中に入れた。これは、何処か骨折したに違いないと思い、その場で救急車を呼び、私が同乗してかかりつけの病院に運んでもらった。

 夕方だったがかかりつけの病院に受け入れてもらい、ER(救急治療室)に招き入れられた。2時間ほど待っていると、若い整形外科医が出てきて、「レントゲン写真を撮ったところ、どこも折れていません。打撲ですね」などと言い、あたかも早く帰れと言わんばかり。

 私はそうなのかと思ったが、ERから出てきた家内を見ると、顔色が悪くて本当に痛そうだ。自分では全く動けない。車椅子に乗ったその状態で無理矢理タクシーに乗せ、自宅に帰った。

 到着してタクシーからマンション入口まで、もう車椅子はないので家内を棒のように引きずって何とか家に入れた。ところが、あまりに痛がるので、ベッドがある奥の部屋までたどり着けない。やむなく廊下に横たわってもらい、そこに布団、電気毛布、オイルヒーターを持ってきて、寒くないようにした。

(2)翌日になっても、翌々日になっても、家内は痛がってその場を動けない。さすがにこれはおかしいと考えたが、あの病院の整形外科に行ってもまた同じことになると思い、ケアマネージャーを通じてどこか受け入れてくれる病院を探した。すると、御茶ノ水にある病院なら、普段の付き合いで受け入れてくれるというが、ベッドの空き具合から入院は数日後だという。とてもそんなに待てない。

 たまたまその日は、かかりつけ医である神経内科の先生の出勤日だったので、思い切って直接電話をし、窮状を訴えた。すると、その日のうちに神経内科のベッドで受け入れてくれるとのこと。地獄に仏とはこのことだと思った。

 家内は痛がって動けないので、病院に連れて行くには、救急車のストレッチャーに乗せて行くしかなかった。病院では、神経内科医がレントゲン写真とCTを撮って診察してくれた。

 すると、骨盤内の骨が折れていることがわかった。何のことはない。あの整形外科医が誤診していたのである。この数日間、家内は痛い思いをするし、私はハラハラドキドキしながら病院を探し回って、本当に損をした。治療法はというと、場所が場所だけに、手術をしないで自然に治癒するのを待つしかないという。

 入院期間は、2ヶ月弱に及んだ。その終わり頃、今後どうするかという話になった。つまり、病院が、「これからは適切なリハビリをしなければならない。その病院を決めてくれ」という。

 係りの女の子が、病院名と住所が50ほど書かれたリストを示して、「さあこれから選んでください」と言う。私が「費用は幾らか、それぞれどんな特徴があるのか」などと質しても、その子は全く答えられない。そんなことでは、選択するなんて、出来るわけがない。

(3)仕方がないので、自分で調べてみた結果、初台の病院を第一候補とした。実際に見に行ったら、オペラシティの近くだ。費用は最も高い部類に入るが、清潔で腕は良さそうだ。長嶋茂雄のリハビリも担当したというのが売りのようだ。

 入院の時に審査があった。おそらく、ちゃんと支払えるかどうか、面倒な客でないかどうかを観ているのだろう。無事に入院が決まり、手術した病院からストレッチャーのまま患者を移送してくれる専門の車で送り届けた。

 ここに、家内は3ヶ月ほどいて、リハビリに取り組んだ。すると、寝たきりで全く動けなかった状態から、徐々に、上体を起こし、床に足をつき、手摺に掴まって車椅子に乗れるようになり、そして遂に、家の中で短距離であれば歩行器に掴まりながら歩けるようになった。

 治療した病院とこのリハビリ病院の入院費を合わせれば高級車が買えるほどの費用がかかったが、この際、金額の多寡は問題ではない。それなりの成果があったので大いに満足している。

(4)ただし、病院側の言うことを鵜呑みにしてはいけないことを思い知らされた。例えばそのリハビリ病院は、マニュアルに沿って、自宅の廊下などに手摺を設置するように提案してきたが、私は断った。そんなことをすれば、ただでさえ狭い廊下がますます狭くなるからだ。

 その代わり、介護保険で移動式の手摺を設置した。これだと、いつでも撤去可能であるし、実際そうなった。だから、病院が全く頭を使わないでマニュアル通りに言ってくる話に乗る必要はない。田舎の広い一軒家と都内の狭いマンションとでは、自ずと事情は違うものなのに、マニュアルではそんなことは考慮されていない。

(5)また別の話だが、病院側、特に理学療法士の言う通りにやると、とんでもないことになる。例えば、家内が何かができないと、理学療法士は「さあやれ、さあやれ、出来るはずだ、頑張って」などと掛け声を掛けるそうだ。

 しかしそれは、健康な若い人に掛けるべき言葉であって、骨粗鬆症をかかえる家内がその通りにやると、それこそ新たな骨折を誘発しかねない。もう少し、患者の年齢とか体力その他の事情を考慮するように、養成過程を見直すべきである。

(6)もう一つ、「薬の一包化」というのも、良し悪しである。元々は患者の飲み忘れを防ぐという大義名分があるのかもしれないが、これは看護師の手間を省いているという側面は否めない。だから、病院は一包化を勧めてくる。ある時、家内がそうやって一包化された薬を数えていた時、11錠のはずが10錠しかなく、1錠足りないことに気がついた。しかし、既に包装から出されているので、何が足りないのかがわからない。

 これを準備した薬剤師に確かめようにも、たまたま土曜日だったので、連絡がつかない。不安な土日を過ごし、やっと月曜日になって確認したところ、一部にジェネリック薬を使ったので、先発薬の2錠から1錠になったとのこと。家内は、ステロイド剤を毎日摂取しなければ命にかかわる問題になるので、そういう大事なことは、事前に言ってほしかった。そういうことで、一包化は止めて、家内が自分で確認することにした。その方が頭の体操にもなる。


8.脊椎圧迫骨折と治療

(1)22年の春になった。家内が「背中が痛い」と言ってほとんど寝たきりになった。かかりつけの病院に運び込んで整形外科で診てもらうと、脊椎を圧迫骨折しているという。前回の骨盤内骨折といい、いずれもステロイド剤の長期服用による骨粗鬆症の影響だろう。ほんのちょっとした動きや自重そのものでも、骨が潰れていくそうだ。

 背骨のレントゲン写真を見ると、椎骨が1個、グシャリと潰れている。併せて、臼蓋形成不全とも言われた。医師からは「股関節の軟骨がほとんどすり減っているので、これでは歩くと痛いでしょう」と言われた。脊椎だけでなく、股関節も痛いのでは、これは一筋縄ではいかないと、暗澹たる気持ちになる。

 股関節の方は、人工関節に取り替えるという方法があるが、その手術は本来の病気のために無理だという神経内科医の意見で、神経ブロックをすることになった。麻酔剤とステロイド剤を神経に注入して、麻痺させることにより、痛みをとるというもの。これは成功して、少なくとも半年は大丈夫だったが、それ以降は再び痛くなった。「また神経ブロックをお願いします」と言ったら、「あれは1回しかできない」と言われた。「後は、薬で痛みを散らしてくれ」と言って、ロキソニンを処方された。そんな殺生な、、、。

 結局、家内は車椅子生活となってしまった。介護保険で車椅子をレンタルしたのだが、これは、押す人の身長を全く考えていない。私のように背が高いと、押す時に前屈みになってしまい、どうしても腰が痛くなる。

 それが病院の建物の中のように短い距離だと問題ないのだが、近所の公園のように少し遠出して散歩に連れて行こうとすると、押し手の私は、帰ってきてからも両肩から腰にかけて痛くて仕方がない。

(2)脊椎圧迫骨折については、骨セメントを注入する手術を行うことになった。ところが手術の数日前にもう一度レントゲン写真を確認したら骨折箇所が3箇所に、、、手術直前には5箇所に増えているではないか、、、。

 担当医は頭を抱えてしまった。私が「全部に注入することはできないのか」と聞くと、「1箇所だけだ」と言う。それは困った、、、結局、医師の判断で、上から2番目の骨折箇所にした。すると、しないよりは良かったようだ。

 この5箇所の脊椎の骨折箇所に関しては、3ヶ月ほどすればそのうち3箇所は治ったが、残る2箇所はまだグラグラして動く度にパクパクと口を開けるようになるので、医者は「これは、痛そうですね」と同情する。

 そして提案してきたのがロモソズマブ製剤である。毎月1回病院に行って、両肩に注射を打つ。それを1年間続ける。ちなみに、この注射の間、それまで内服していたビスホスホネート製剤は止められた。

 打ち始めてそろそろ1年が過ぎる頃だが、目立った効果というのは、残念ながらあまり感じられないが、少なくとも寝返りを打っても痛かった以前のようなことはなくなった。


9.頻尿に悩まされ

 長年服用してきたステロイド剤の副作用の一つとして、膀胱の過剰な活動がある。その結果、家内は2〜3時間置きにトイレに行かないといけなくなった。それも昼夜問わずだから、とても大変だ。

 昼はともかく、夜に2〜3時間置きだと、ゆっくり寝ていることも出来ない。オムツをすれば解決すると考えやすいが、やはり自分でトイレに行って用をたしたいのが人情である。

 家内も脳梗塞や骨折で寝たきりの状態のときはやむを得ないとして諦めていたが、少しは回復すると、自分でトイレに行きたがる。ところが前のマンションはトイレに数センチの段差があるので、股関節が痛いことからこれを越えるのに私の介助が要る。そうすると、私も夜中に数時間置きに起きないといけないことになる。これが、とても辛い。私が大枚をはたき引越しをしてまでバリアフリーの家にこだわったのは、そういう理由である。


10.下痢に悩まされ

(1)3年前に脳梗塞を発症してからしばらく、家内は寝たきり状態となったし、そのリハビリが功を奏しても、今度は骨折と頻尿の影響でほとんどの時間をベッドの上で過ごすことになった。そうすると、台所仕事など出来るはずがないので、自ずと私が食事担当となった。

 最初は、なけなしのレパートリーで対応しようとしたが、1日3食はとてもできない。ちょうど新型コロナウイルスの時期であちこちのレストランにおいてテイクアウトを提供しているから、私の創作料理は朝食だけにして、昼食と夕食はそれを利用することにした。幸い家の近くには色々なレストランがあり、和洋中なんでも揃った。

 そうやってしばらくやっていたが、、、つまるところ、一言でいえば飽きてきた。 どのレストランからでもテイクアウトできるといっても、美味しいと感ずる所はどうしても限られてくる。そもそも、外食は過剰な味付けや塩分過多などの問題がある上に、そんなものばかりだと、どうしても栄養は片寄ってしまう。

(2)そこでどうしたものかと考えてみた。対策としては、お弁当の宅配にするしかないと思い、まず「nosh」という冷凍宅配を試してみた。一度にたくさん持って来てもらえるから、便利だと思ったからだ。ところが残念なことに、これがまたどうしようもなく不味いのである。口に合わないどころではない。

 これはダメだ、、、冷凍ではなく冷蔵でなければと思い、さらに探して、東都生協の夕食宅配とワタミの宅食を見つけた。試しに両方とも頼んでみた。毎日受け取らないといけないので面倒なのだが、食べてみると、どちらもそれなりに食べられる。

 どちらかと言うと、東都生協の方が美味しい。大きな鶏肉や魚の切り身がドーンと入っていて何を食べているのか分かりやすい。

 これに対して、ワタミの宅配は、味はまあまあで飽きないのが良いところだが、かなりの高齢者向けなのだろうか、全般に切り刻んであって、何を食べているのか分かりにくいというのが欠点だ。まあしかし、1日に2食は、この両者に頼ることができる。

(3)これで、食の方が安定してきたのが2年ほど前のことである。この調子でしばらく行けると思っていたが、そうはならなかった。私と同じ食事をしているのだが、困ったことに家内がよく「下痢」をするようになってきたのである。私は同じ物を食べているのに、何ともない、、、なぜだ、、、。

 これは、介護する者にとっては本当に困る。介護ベッドから、廊下、トイレの中まで、全て汚れてしまうからだ。それを清掃してホッとしていると、また汚されて、がっかりする。1日に3回という日もあって、これはショックだ。特に、ベッドは、汚れがベッドパッドにとどまっていればそれを取り変えるだけですむが、マットレスまで及んでしまうと代わりが効かない。もうこうなると泣きたくなる。

 かかりつけの病院に行っても、医師は「ステロイド剤の長期服用で胃腸が弱っているからなあ、、、」と言いながら、ただ下痢止めをくれるだけで、そんな対処療法では、何の役にも立たない。むしろ下痢止めの飲用を続けると、逆に便秘になりかねないから困る。何が原因かを究明しないと、また同じことが起こってしまう。

 その原因は、プロが作る宅配より、私が作る朝食のせいではないかと考え、まずは生ものに目をつけた。そこで、サラダはあらかじめレンジでチンし、とりわけ寿司や刺し身を避けたところ、少しはよくなったが、それでもまた起こる。試行錯誤で色々とやってみたが、もう何が何だかわからなかった。

 下痢が続くと食べられないので、かかりつけの病院に行って点滴してもらう。ところが常用するステロイド剤のせいで、血管が薄く細くなっているから、点滴の針が刺せない。やっと刺せても、すぐに外れて腕の中で補液が漏れてきてしまう。泣きっ面に蜂だ。

(4)一方、新型コロナウイルス禍が世界的に終息してきたことから、私が長期の海外旅行に出掛けるようになり、その間、家内を老人ホームに預かってもらった。いわゆるショート・ステイである。何も知らないものだから、最初はケアマネージャーの紹介で、区指定の老人ホームに入ってもらった。ここは、介護保険が効くので、少しは安くなる。

 帰ってきた家内が言うには、「食事も職員も酷い」という。食事は、三食とも、ご飯、沢庵、具のない味噌汁の三点セットとのこと。栄養失調になりそうだ。職員の質も酷くて、「トイレの掃除をしたのと同じ雑巾でテーブルを拭いているので注意すると、なぜダメなのかと不審な顔をする」らしい。これはダメだ。安かろう悪かろうの典型だ。

(5)調べた上で、ベネッセ系列の民間老人ホームにした。費用は1泊当たり5倍だが仕方がない。食事が美味しいと評判の所だ。そこに3回、最大3週間滞在してもらったが、その間、一度も下痢を起こさなかった。この老人ホームでは、毎食、作ったそばから入居者に提供している。

 そこでようやく気が付いた。下痢の原因は、私の朝食にもあったのかもしれないが、宅食にもあったのだ。これは、プロが作っているから安心だと思っていたが、要は作り置きの食事なので、私のように普通人なら問題のないものでも、家内のように胃腸が弱っている人には有害だったのだ。


11.老人ホームに入るしかない

(1)私も、若い時ならともかく、もう70歳代の半ばに差し掛かろうという年齢なので、今更、料理を習ってそれを日々提供するという気は全然起きない。さりとて、このまま宅配のお弁当に頼ると、家内は必ず下痢を起こして体力を消耗するに違いない。私自身もその後始末に追われて、昔のようにフラフラの状態となり、これで万が一、健康を害しては元も子もない。もはや老老介護の限界だ。やはりここは、老人ホームに入ってもらうしかないと思うようになった。

 家内は介護保険で要介護度1の認定を受けているが、費用の安い特別養護老人ホームに入るには、原則として要介護度3以上でないといけない。だから、まず無理だ。すると、思いつくのはベネッセ系列の有料老人ホームである。近くの湯島にあるが、もう満室だった。新型コロナウイルス禍の時期が過ぎて、どーっと殺到しているらしい。これは困った。

(2)「そうだ、ショートステイで頼んでいるベネッセ系列の有料老人ホームはどうだろう」と思い、いつも窓口になっている人に相談すると、先日ショートステイした部屋がたまたま空いているという。こちらのホームは、昨年3月の建築だから、まだ新しい。家内も、あそこならと納得して入居することになった。

 老人ホーム側と相談すると、家内が未だ年が若い(70歳直前)ので、入居金が跳ね上がり、4,400万円だそうだ。それを聞いて、思わず、耳を疑って聞き返したほどである。加えて、毎月の支出が30万円。これが一生続くので、女性の平均年齢である87歳強まで頑張って生きてくれると6,100万円だから、合わせて約1億円だ。とんでもなく高いなぁ、、、。

 でも、背に腹は代えられない。介護疲れで私が倒れてしまっては、家内を病院に連れていくことができない。家内は毎日服用するステロイド剤を病院で処方してもらわないと、命に係わる。だから、私は倒れるわけにはいかない。そこで、入居してもらうしかないが、とりあえずは、先日売却した旧マンションの売却代金もあることだし、その他なけなしの貯金をはたけば、家内の分は対応は可能だ。

 問題はその先、私自身の番になったらどうするかだ。まあ、年金もあるから毎月の支出分はカバーできるし、入居金を捻出するため、いよいよとなれば今のマンションをたたき売ってしまえば、何とかなる算段だ。余程のインフレにならない限り、まず大丈夫だろうと思いたい。


12.思わぬ一人暮らし

 そういうわけで、私の観点からすると、思わぬ一人暮らしが始まったというわけである。家内は、月に2回ほどはかかりつけの病院にいかないといけないので、これに連れていくのは、私の大事な仕事だ。それもあって、健康を保って元気でいるしかない。とりわけ睡眠と食事と運動に気をつけたい。

 以上のような顛末をメールにして息子夫婦に送ったところ、早速、息子の嫁さんから「お父さん、食事に来ませんか」という有難いお誘いがあった。新型コロナウイルスで長らく中断していたから、久しぶりだ。

 お招きに応じて喜んで行くと、二人の孫とたっぷり遊んだり、美味しい手料理に舌鼓を打ったりと、楽しいひと時を過ごした。帰りには、手料理のお土産まで持たせてくれて、大変嬉しかった。それにしても、嫁さんの優しさが身にしみる。いざという時に頼りになるのは、やはり身内である。





(令和5年8月 2日著)
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