このたび家内が老人ホームに入居した。つまり病状がますます進行し、私の介護負担がどうにもならないほど重くなって、入居してもらわざるを得なかったからだ。せっかくバリアフリーの住居に引っ越してきたばかりだというのに、忸怩たる思いである。当面は月極の入居だが、そのうち本格的な入居になると思う。先日、先輩の写真展に伺ったが、その時に先輩の脇におられた奥様が、すいすいと立ち働いて元気で動き回っているのを拝見して、「ああ、配偶者が元気だというのは、こういうことなのか」と、新鮮な気がしたほどである。
ただこうなってしまうと、介護ベッドがあった場所がぽっかりと空いた。ということは、思いがけず、私の一人暮らしが始まったわけだ。この際、家具の配置その他何もかも一新して気分を新たにしたくなった。ここから、玉突きのように一人暮らし用の大改造が始まる。それとともに寂しがっている暇がないよう、生活のスタイルを抜本的に変えよう。 まずは、リビングの部屋の壁沿いに、引出しと吊しの服を入れられる洋服ダンスを二つ置き、更にその上に天井までピッタリ届く隙間家具を置く。これは、突っ張り棒の代わりである。本当は洋服ダンスの上全部に置きたいが、真ん中にスプリンクラーがあるので、仕方がない。そこは空けて両端の三分の一ずつに置くことにした。洋服ダンス同様、白い壁にマッチするように白いものを選んだので、圧迫感はない。この隙間家具には、頂いた勲章などの記念の品と、私の著書を入れておくことにしよう。 これで収納力が圧倒的に高まることから、この際、私の寝室の「頑丈ハンガーラック2段がけハイタイプ」に入れておいた服と「倉庫のハンガーラック」に吊してあった服を、新しい洋服ダンスに入れてみたら、十分に収まった。すると、前者のハンガーラックが要らなくなって私の寝室が空くので、そこに私のベッドと全く同じベッドをもう一つ入れた。もう、家内が帰って来ることは、もはやほとんど考えられないが、一時的にせよ帰ってきた場合にベッドがないと悲しいからだ。 ベッドが二つ入ると、私の寝室そのものはかなり狭くなったが、背の高い観葉植物を目立つように配置したりして、それなりに収まった。このベッドは下がタンスのようになっているので、更に収納力が増えたことになる。ここに、冬物の下着やシャツやジャンパー・セーターの類いの全部と、夏物のシャツや下着を全部入れても、まだ十分に余る。それに、先ほどの洋服ダンスの中とその引出しもスカスカなので、これらの収納力を活用すれば、残る人生でかなりの「物」に囲まれても、何とかやっていけそうだ。 居間の家具も、一人暮らしに合わせる工夫をした。もともと、台所のシンクの脇に90センチ角の小さなテーブルと二つの椅子を置いて、そこで食事をしていたのだが、それと同じテーブルと椅子をもう1セット買って、先ほどの白い家具の前に置いた。そのテーブルにパソコンを設置して、仕事をしたり写真を整理したりエッセイを書いたりしている。そして、ここが我ながら良いアイデアだったが、来客があったらその二つのテーブルを並べて、細長い一つのテーブルにして使っている。それに合わせた長四角のテーブルクロスを敷き、その長辺の真ん中に装飾として刺繍のテーブルセンタークロスを敷くと、それなりに見栄えのするダイニングテーブルが出来上がる。 そのダイニングテーブルの中心にワインとグラスを置き、近くの伊豆栄不忍亭のお弁当でもとれば、ちょっとした昼食会となる。窓の外は上野動物園の麒麟、上野公園の緑、不忍池の蓮池、東京スカイツリーなので、歓談にはちょうど良い。今はたまたま美しいピンク色の蓮の花が咲く頃だから、長い間ご無沙汰している友達をいくつかのグループに分けて何人か呼んで来よう。それに、7月29日は隅田川花火大会なので、この窓からよく見えるはずだ。70歳代はそうやって友達と交歓し、旅行三昧で暮らしていこう。 家内の介護をするのに大きな負担となっていた、旧マンションのバリアいっぱいの家の中を完全バリアフリーにして、家内が楽に動けるように、そして私の介護負担を少しでも減らそうとこの家に引っ越してきたわけだが、その時には、まさか、こんな人生が待っているとは思わなかった。 (後日談) ちなみに、この回想録は、2024年2月末に、弘文堂から「元内閣法制局長官・元最高裁判所判事 回想録」として、ようやく上市することができた。 (令和5年7月16日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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