悠々人生エッセイ



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1.私は27年前に東京で家を買おうとした時、田舎の広い一軒家か、都会の真ん中の狭いマンションかを選択しなければならなくなった。そして、たまたま後者を選んだわけである。その時のイメージは、埼玉か千葉の一戸建て住宅(5LDK)が整然と立ち並ぶ団地か、それとも東京の山手線内の駅近マンション(2LDK)かを選ぶというものだった。まあこれは、究極の選択というわけである。


2.実は、私の実家は、田舎の団地の一角にある。父が、全国を転勤して回るサラリーマン生活に終わりを告げ、終の住処として姉や兄がいる地元富山に5LDKの大きな家を建てた。鯉が泳ぎ回る池の庭付きである。裏手には、野菜畑ができるほどの土地があった。

 確か、45年ほど前のことで4,000万円だったと記憶している。それから15年ほどして、私が東京で家を買うこととして、念のため、父に聞いたことがある。「東京で、一緒に住みませんか。東京都内ではとても買えないけど、例えば千葉県の我孫子なら、利根川のすぐ近くだから好きな釣りが毎日できるよ」と。


3.父も、一瞬、心が動いたようだったけれど、既に妹たちが近くに住んでいるし、叔父や叔母もまだ元気だった頃だから、結局、この話には乗ってこなかった。経済的な面で言うと、もし、その時に実家を売却していたとしたら、おそらく、2,500万円で売れていたと思う。ただ、結論として、東京に来なくて良かった。富山にいて、兄の叔父さんと毎日のように釣りに行ったり、姉の叔母さんとよく電話したり本をお互いに交換していた。

 そして何よりも楽しそうだったのは、二人の妹がそれぞれ旦那と二人ずつの子供を連れてやってきた時のことである。それは毎週土曜日だったが、その日は家の中を四人の子供が走り回り、男性三人はビールで宴会となり、母と妹二人はおしゃべりに夢中になるという塩梅で、ともかく賑やかだった。それに盆や暮れや正月に我々東京の四人組が加わると、それはもう家が潰れんばかりの大騒ぎをする楽しい時間となる。これはもう、退職後の父と母にとっては、何にも替えがたい至福の時だったと思う。


4.このように田舎でも親類が集う一軒家で本当に良かったという面がある一方で、一軒家は、大修繕をしないと住み続けられない。これに、相当な費用がかかることを覚悟しておく必要がある。現に、買って20年を過ぎた頃から雨漏りするようになった。北陸は雪が多い。冬になるとそれが家の屋根に積もってトン単位の重さとなって家を押しつぶす。これでは堪らないということで、買って25年目に大修繕をしたところ、何と2,000万円もかかってしまった。もちろん、大きな仏壇を買ったり、トイレや台所を修理したりと、余計な改修まで入れてのことだが、それにしてもすごい。

 ところが、田舎の一軒家にそれだけお金をかけても、それから更に20年経った現在では、この土地建物を売ろうとしても、まず建物は無価値どころか、除却費用が200万円もかかるから、負の不動産と化す。だから、土地の値段しか売買の対象にはならず、公示地価をみるとおそらく300万円もしないはずだ。ということは、差し引き100万円の価値しかない。つまり、建てるのとその後の大修繕で6,000万円もかけた一軒家なのに、今やほぼ無価値となっているのが現実だ。

 なぜこんなことになったかというと、特に地方で進む少子高齢化の影響である。買い手がいないから、不動産価格がどんどん下がっていくというわけだ。これに対して、人口は、東京、大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌の中心部に一極集中していく。だから、そういう地域でないと、地価が上がるはずがないのは、自明の理なのだ。


5.ここで、都会のサラリーマンを考えてみたい。一戸建て住宅を買うのを夢みて、自分は何にお金を使うというわけでもなく、ひたすらコツコツと働いてきた。そうした爪に火を灯すような必死の努力の末に、やっとこさ、田舎の一軒家を手に入れたとしよう。そこで、長年の夢を実現して、めでたしめでたしとなるはずだが、実はそうはいかない。今どきの生活では、子供の教育費にお金がかかる。それも中学受験があるので小学校時代から始まる。中高一貫校に入ったら、私立なので授業料が高い。これと住宅ローンを支払っていくと、貯えなどほとんど出来ずに、50歳代後半を迎える。

 そこで、ハタと気がつく。その頃には、自分と同じように住んでいる一軒家も歳をとり、大修繕の時期を迎えてしまうのである。下手をすると、これになけなしの退職金を充てる羽目になる。場合によっては、いくら支出を抑えても、退職金の半分以上が飛んで行ってしまうことになりかねない。すると、生活に全く余裕のない年金暮らしが始まるというわけだ。しかも、自分が亡くなった後は、ほとんど価値のない一軒家が残される。これは悲しい。したがって、例え東京圏でも、田舎の一軒家は、買わない方が良い。定年を迎える頃には、負の不動産と化している。


6.実は私も一介のサラリーマンだったから、子供一人を中高一貫校に入れるのに、精一杯だった。あの頃は、安い給料で実に苦しかったのを覚えている。その後、子供たちはどちらも国立大学に行ってくれたから良かったものの、それでも、中学以降の教育費は、二人合わせて5,000万円を超えた。どちらも大学院まで行ったし、うち一人は生活費の高い地域で6年間も下宿し、残る一人は外国と日本の二つの大学院を出たのだから、お金がかかったわけだ。

 その後、私も会社で言えば役員クラスとなり、金銭面ではひと息ついた状況となったが、40歳を超えたので、今度は住宅ローンの借入期限が迫って来た。当時は返済時年齢が70歳までしか借りられなかったからである。早く借りないと、毎月の返済額が上がる、、、というわけで、冒頭1.に記した「田舎の広い一軒家か、都会の真ん中の狭いマンションか」という究極の選択に迫られたのである。

 その時の私は、まさか田舎の一軒家が何十年も経つとほとんど無価値になるとは考えもしなかった。それより、「満員電車の通勤で1時間以上もかかる田舎は嫌だ、いくら家が大きいといっても辺り一帯に何にもない住宅地には住みたくない」という、さして理由にもならない理由、つまり有り体に言えば消去法で都会のマンションにしたのである。その代わり、こだわったのは、駅からの近さと、オフィスまでの通勤時間、周りの生活環境である。そうでないと、せっかく都会に住んでいる意味がないと思ったからだ。今から振り返ると、これは正解だった。

 それに、田舎の一軒家は、町内会、回覧板、ゴミ当番、共同清掃、寄合、、、などと、何かと煩わしいのである。加えて、最近では泥棒対策にも気をつかう必要がある。正面ドアだけでなく、家の周りのガラス戸の全てを守りきるのは容易ではない。ちなみに、昔住んでいた東南アジアでは、正面ドアには6つの鍵を付け、家の周りには厳重な鉄の格子戸かシャッターを付けて、防御を固めていた。しかし、それでも泥棒に入られた。ある夜、皆で出掛けて夜遅くに帰ってみると、犬が庭を走り回っていて様子がおかしい。玄関の6つの鍵を開けて入ってみたら、泥棒が漁った跡が残されていた。どこから入ったのだろうと思って部屋を一つ一つ確かめていくと、ある部屋が明るい。ふと見上げると、天井が破れてお月様が見えた。何と、周りの窓を破れないものだから、防備の薄い屋根と天井を破って侵入してきたのである。これにはびっくりした。そういう外国人の泥棒からすると、日本の家の泥棒対策など、ちゃんちゃらおかしい。

 話は横に逸れてしまったが、そういう一軒家に対して、都会のマンションは、煩わしい付き合いは管理人に任せておけばよく、玄関のドアの鍵1本を持つだけだ。年に1ないし2回、排水管清掃や消防設備点検がある時に在宅する必要があるくらいで、あとは面倒な寄合などは、原則ない。原則と言ったのは、理事会のメンバーになった時は例外で、これは仕方がない。それくらいは、貢献した方が良い。ボケの防止にもなる。


7.そういうことで、マンション探しを始めた。その結果、地下鉄千代田線の駅から徒歩2分、オフィスまでドア・ツー・ドアで20分、周囲に飲食店が多く買い物にも至便という旧マンションを見つけたときには、小躍りしたものである。私の仕事は、往々にして帰りが午前2時、3時というブラック企業さながらの厳しい勤務が続くものだったが、それでも病気ひとつせずに今日まで来られたのは、ひとえにこのマンションが職場に近かったお陰だと思っている。

 しかも、最近はそれに加えて全く予想もしなかったことが起こった。この旧マンションが、何とまあ、27年前に買った時と「同じ値段」で売れそうなのである。まだ売買契約を取り交わした段階に過ぎず、売買代金が振り込まれてはいない状況ではあるが、未だに信じられない思いだ。ちなみに、リノベーションは、買主が買ってから自分でやるそうだから、私がやる必要はない。いずれにせよ、退職後にこんな大金をいただけるなんて、あたかも第2の退職金さながらである。


8.振り返ってみると、1.の究極の選択のうち、もし私が田舎の一軒家を選んでいたら、こうはならない。それどころか、大修繕の費用に頭を悩ませ、土地建物が無価値だから子供にも残せないと、愚痴るばかりだろう。それに比べれば、今回は、たまたま上手く行ったが、その経験として言えることは、「駅に近く」、「大手町、丸の内、霞ヶ関に近く」、「子育てや買い物、塾通いをしやすい」、そういうマンションを選ぶべきだろう。

 もっとも、例えば親と同居したいとか、子供が沢山ほしいなどで広い家を必要とするなどの事情があるときは、一軒家にせざるを得ない。もちろんそれで良いのだが、親と同居する場合は、同じ建物の中で部屋を提供する形が良い。二世帯住宅はやめておいた方が無難である。私は友達で二世帯住宅のケースをいくつも見てきているが、地価の関係で東京に隣接する三県に建てる場合が多くて通勤に不便な上に、二世帯という特殊な建物の構造のため、いざ売ろうとする時に買いたい人が全く現れなくて、四苦八苦していたからである。









(令和5年 6月 5日著)
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