1.桜前線の異変
これほど、当初の目論見と違った旅はなかった。でも、旅そのものは楽しかったし、まあそれなりの写真を撮ることができたので、満足している。
最初は、今年の東京は寒い日が続いたので、桜の開花が遅れるという見通しだったことから、それでは一気に九州に飛べば、桜が満開だろうというつもりで、九州、中でもしばらく行ってない長崎を目的地にしたのである。また、近年特に綺麗だという話のハウステンボスのイルミネーションを観たいという目算もあった。
ところが、行く少し前から桜前線に異変があり、普通なら南から北へと順に開花時期が遅れていくのに、今年は何と東京が先に開花してしまった。文字通り「しまった」というわけだが、驚いたことに、長崎の桜の開花は、東京より3日ほど遅れてしまったから、もう笑い話の類いである。
行程は、ホテルと飛行機の予約がバラバラだと面倒なので、ハウステンボスだけに宿泊して長崎へは電車で行けば良いと考えていた。しかし、後から振り返ると、ハウステンボス2泊と長崎2泊にすれば良かった。地方の交通機関は、想像以上に遅くて便が少ないから不便なのである。東京で、2分から3分ごとにやって来る地下鉄や新幹線に乗り慣れていると、まあ不便なことといったらない。
2.ハウステンボスの浮沈の歴史
私は、2002年というはるか昔に、ハウステンボスに来たことがある。それから、もう21年も経っている。その時は、「公園として見ると綺麗だけど、テーマパークとしては実に物足りない。全く魅力がない。これでは、破綻は早晩免れないだろう」と思っていた。案の定、その翌年の2003年には会社更生法の適用を申請した。それから、6年後に二度目の会社更生法の申請となったが、それ以降HISの傘下で経営再建に努め、特にイルミネーションが人気を集めたという。今回、なるほどと納得した。
その後、ハウステンボスそのものは営業黒字になるなど順調だったが、昨今のコロナ禍でHISが資金捻出のため、香港の投資会社に1000億円で、売却された。長崎県は、この地にカジノを含む統合型リゾート施設を設置する申請を行っているので、実現されれば、新たな観光資源となるものと思われる。
しかし、この風光明媚な日本離れした土地に、どういう風に大金を儲けたのか分からないような中国人たちが札束を抱え、目を血走らせてカジノに明け暮れるという姿を思い浮かべると、ゾッとする。やめた方がよいと思う。
3.ホテルオークラ
今回の宿泊は、ホテルオークラJRハウステンボスである。場外だが敷地に隣接しているし、場内のホテルヨーロッパの波止場から直行する船が出ている。それに、何よりもホテル自体がヨーロッパの趣きがあるので、直営ホテルではないものの、それなりの扱いを受けているようだ。
とりわけ、朝起きた時に眼下に広がるハウステンボスの眺めが美しい。運河を隔ててオランダの街並みが広がる。左手には遠く半島を遠望し、右手にはハウステンボスの中心街を眺められる。天候は、曇り、雨、晴れだったが、それぞれにヨーロッパの風情を感じるのが素敵だ。
これらオランダ風の街並みの家々は、ハリボテかと思ったら、豈図らんや、ちゃんとした家で、別荘として売り出されて完売しているそうだ。調べてみると、1,600万円から6,000万円で買えるとのこと。家に面している運河にクルーザーを浮かべて、ちょっと航海に行ってくる、、、なんて使い方をしている人もいるようだ。
4.チューリップ
今回は、たまたまチューリップフェアの時期に当たり、100万本が咲きほこっていた。赤色、黄色、紫色、ピンク色、白色と、色とりどりのチューリップの花が、オランダの風車の前やお城の前の公園などに咲いており、これは見事だと見惚れるばかりだ。
チューリップという花は、ひとつひとつの花には取り立ててこれという個性はないが、こうやって集団で並べて植えられると、圧巻である。晴れの日はもちろん綺麗だが、雨の日に濡れて雫が垂れている姿も、これまた美しい。それに、白いブランコなど小物があると、ますます映える。そのチューリップの背景に、オランダの大型風車がゆっくりと回っているから、何とも言えないほど異国情緒豊かな情景となる。ちなみに風車に繋がる道は、フラワーロードと言われる。
パレス・ハウステンボスは、ハウステンボスの最も奥のところにあるオランダの宮殿である。たまたま乗ったバスで連れて行かれたところだ。それに繋がるアプローチ道路の左右には、チューリップの素晴らしい花壇があり、これがまた非常に綺麗である。「オランダで代表的な花の公園『キューケンホフ公園』をイメージした」とのことだった。
5.アトラクションなど
場内には運河が四方に通じていて、船が乗客を運んでいる。カナル・クルーザーと言っていたが、ヨーロッパ風の街並みを、道路より下の目線から眺めて移動していくのは、何とも新鮮で気持ちが良い。
ホライゾンアドベンチャーというのには、驚いた。たまたま、その前を通りかかってもう閉まる寸前というギリギリの瞬間に滑り込んだ。すると、「オランダで発生した大洪水の猛威を最新シアターで体験。本物の水800トンを使用し、これまで以上に臨場感や没入感を味わえます」と言うだけあって、これは凄かった。ストーリーそのものは子供騙しの類いなのだけど、洪水の場面になると、舞台一面がザーザーと水が落ち、流れて跳ね返って、しかも、座っている座席そのものも「揺れる」、本当に揺れるのだ。これは、やり過ぎもいいところで、、、もはや笑うしかない。
ハウステンボス歌劇大劇場なるものがあるのには、びっくりした。(私とは趣味が合わないので、絶対に見ないのだが)あの宝塚歌劇団と同じような衣装でそっくりの歌劇をやっているらしい。「あなたもきっと虜になる。凛々しい男役と可憐な女役のスターたちによるパワフルで圧巻のレビューショー。約1,000名が収容できる新劇場で、華やかな歌劇の世界が存分に楽しめます」とある。これなら、コアのファンがたくさんいそうだ。
イースタータウンでは、「イースターエッグがあちこちに装飾された広場が、夜はライトアップで幻想的な空間に大変身」というのは、確かにメルヘンの世界に迷い込んだようで、綺麗だし眺めていて飽きない。中央の女神の噴水まで、そのメルヘン調で飾られていた。
スカイカルーセルという3階建てのメリーゴーランドがあった。夜になるとイルミネーションが点灯されて、輝いている。とっても華やかで美しい。その前を素通りするのも何なので、ちょっと乗ってみて写真を撮ることにした。すると面白いことに、3階に乗るには40分待ち、2階は20分待ち、1階は10分待ちとの表示があったので、迷わず1階にしたら、10分も待たずに乗れた。中に入ると、馬や馬車が素晴らしくてもはや芸術品と言えるほど華やかだ。孫と一緒に来たら、さぞかし楽しいだろう。
アムステルダム広場で、ドンドコ・ドコドコと太鼓の音がする。何だろうと思ってその方に足を向けて行ってみると、太鼓のパフォーマンスをやっている。すごい迫力と音量だ。身に付けているアイウォッチが「この大音量を30分以上聞くと、耳に障害が残ります」などと警告してくるくらいだ。慌てて、両耳に手のひらを当ててみるが、それでも音が聞こえてくるから、参ってしまう。これを演奏している人達は、果たして大丈夫なのだろうか。
6.評判のイルミネーション
白銀の世界の点灯式には、感動した。あたりが夕闇に包まれる頃、アムステルダム広場の花時計前に集まっていると、全ての照明が消されて真っ暗になる。正面の教会風のファサードが一気に白と青色に光り、人々が「ああっ」と思わず声を上げる。間髪入れずにファサードの下の部分が丸く光り、そこにコーラスを歌う外国人男性二人が照らされる。教会でミサを受けているような荘厳な雰囲気である。やがて、教会風の建物の両脇から花火が打ち上げられる。これは派手だと思う間もなく、今度は頭の上から白い物が無数に降ってくる。桜の花びらかと思ったらそうではなくて、液体石鹸の泡だったから、参った。私の隣にいた若い女性は、頭全体に泡が付いていた。思わず笑うが、もはや笑い話ではない。でも、面白かった。
例の3階建てのメリーゴーランドは、昼間だけでなく、夜に見ると、暖かみのあるシャンパンゴールドにライトアップされて、実に綺麗だ。その隣の観覧車も、色や形を刻々変化させて、これまた美しい。乗ってみると、およそ15分で縦に一周する。外を見ていると、どこにイルミネーションがあるのかがよくわかる。
アートガーデンのイルミネーションには、感動した。それも当然で、説明によれば「世界最大級のイルミネーションが輝く”光の王国”を巡りましょう。あたり一面を埋め尽くす光の海は息をのむ美しさです」とある。正にその通りである。
おやまあ、あのカナル・クルーザーまで電飾付きで美しい。ただ、今から思う反省点は、やはり三脚を持って行ってじっくり写せば良かった。今のSONYのα7IIIカメラの性能が良すぎて、ちょっとした夜景なら難なく撮れるから、つい三脚を忘れて来てしまうのである。しかし、やはり三脚である程度の時間シャッターを開けておかないと、例えば花火がちゃんと撮れない。だから、この「光の海」を見た感動が表現できないというわけだ。
7.長崎市内観光
泊まったホテルオークラJRハウステンボスから、河に架かる橋を歩いて渡って5分ほどで、その名もずばりの「ハウステンボス駅」に着く。ところが、そこから長崎まで、JR九州の電車を使って1時間半もかかる。一応、快速シーサイドライナーというらしいが、どう見ても鈍行列車である。
長崎市内に着き、まずは長崎原爆資料館と平和記念公園を訪れる。資料館には、本当に惨い写真が並んでいる。現在ウクライナに侵攻中のロシアのプーチン大統領が核兵器を脅しの手段に使っているが、こんなことが二度と起きないことを願うばかりだ。帰る途中、原爆で一本柱になった山王神社の鳥居を見かけた。
平和公園では、平和祈念像が相変わらず、中心に鎮座していた。私はこれを見ると、いつも悲しくなる。気のせいか、昔に見た時はくすんだ青色だったのに、今回はそれより空色ががっていた。塗り直しされたのかもしれない。長崎県観光連盟のHP(pdf)によると、「制作者は長崎出身の彫刻家(北村西望氏)で、この像は神の愛と仏の慈悲を象徴し、天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想い」が込められているそうだ。
それから、出島に行った。昔は、扇型の小さな模型しかなくてがっかりしたが、今回は一連の建物がほぼ復元されていて、昔の雰囲気がよくわかる。例えば、カピタン(商館長)の建物に入ったが、豪華なディナーセットが置いてある部屋など、非常に興味深かった。私も、東南アジア暮らしをしたことがあるが、通信や情報入手が今ほど便利ではなかったことから、なるべく本国での暮らし振りをそのまま維持したいという気持ちは、よく分かる。
ちなみにHP(pdf)によると、「19世紀初頭、和蘭商館長ブロムホフや商館医シーボルトたちが活躍した時代の出島の復元を目指しています。すでにカピタン部屋をはじめ16棟の建物の復元が完了しています」とある。門番などに扮した歴史スタッフが案内するガイドツアーがあったり、着物をレンタルしてレトロな街並みとともに写真を撮ったりする工夫がされていて、当時の雰囲気を味わえるのがよい。
孔子廟(中国歴代博物館)に行った。そのHP(pdf)によれば、「長崎孔子廟は、1893年(明治26年)に、清国政府と在日華僑が協力して建立したもので、その後いくどかの改修を経て現在に至っています。中国山東省曲阜にある総本山なみに、建物の随所に壮麗な伝統美を凝らした、日本で唯一の本格的中国様式の霊廟です」とある。なるほど、孔子の故郷の曲阜にある総本山並みなのか、、、東京には湯島の聖堂があり、これは孔子廟そのものである。
昔、ベトナムのハノイを訪ねたときにも、中心部のお寺に「文廟」という名の孔子廟があった。その時は石造りの亀の背中に載せられた石板に、科挙合格者の名前が彫られていて、それが何十も並んでいた。「阮(グエン)」という姓の人が多かった。千数百年前、こんな僻地でも努力して勉強した人がこれだけいたのかと、感激した。この長崎孔子廟にも、それと同じ石造りの亀と石版があった。もちろん、科挙合格者の名前はなかったが、中国から発した文化が西はベトナム、東には日本に伝わったことが、よく分かった。
グラバー園に行く道は、昔は何とも感じなかったが、かなりの登り坂で、右手に大浦天主堂を見ながらやっと入り口にたどり着いた。途中「おかしいな、上りエスカレーターがあったはずなのに」と思いながら足を動かして入り口に至ったところに、やっとそのエスカレーターがあった。しかも、ほんの短い距離だ。我ながら、記憶というのは当てにならないものだと思ったが、その更に上の三菱館に行くエスカレーターは、これはかなり長かったから、その二つを混同していたようだ。
HP(pdf)によると、「長崎港の大パノラマを見下ろす南山手の丘に位置し、異国情緒あふれる長崎屈指の人気観光スポットです。国指定重要文化財の旧グラバー住宅・旧リンガー住宅・旧オルト住宅をメインに、市内に点在していた6つの明治期の洋館を移築し復元しています。居留地時代の面影を残す石畳や石段が、歴史や文化の香りを一層引き立てています」という。
あれあれ、昔は「グラバー邸」だったのに、今や「グラバー園」というわけか、、、そういえば、グラバー邸のほかに、何やら色々と建物が増えている。上り下りをして、ようやく昔のグラバー邸に至った。ところが、建物の色が昔は薄い黄緑色で軽やかな感じだったのに、今回は濃い緑色に塗られていて重厚な感じがする。これも、良いのやら悪いのやら、、、ああっ、グラバー邸の前の蘇鉄の木がやたら大きくなっている。この調子では、あと20年後に来たら、ちょうど東京の岩崎庭園の蘇鉄のように、建物を遥かに超えそうだ。
それにしても、眼下の三菱重工業の長崎造船所が寂しい。造っている船がほとんどない。クレーンも、錆びている。外国の豪華客船の受注に失敗して大赤字を出したり、艤装中に出火して大騒ぎしたりして、全くろくな事がなかったからなぁ、、、今年に入って、国産ジェット機からも撤退してしまったし、大丈夫かと心配になる。、、、防衛産業の中核を担う企業だけに、その屋台骨が揺らぐと国民が困る、、、とまあ、余計なことを考えて、坂を下っていった。
ともあれ、長崎は良い所だ。次回以降は、長崎帆船まつり、ながさきみなとまつり、長崎くんち、長崎ランタンフェスティバル、おたくさ祭り(ながさき紫陽花まつり)などを見に再訪したいと思っている。
(令和4年3月25日著)
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