悠々人生エッセイ



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 今井浜・河津桜・下田への旅( 写 真 )は、こちらから。


 新型コロナウイルス禍のいわば暗黒の3年間が過ぎて、さしものパンデミックもようやく終わりそうな状況になってきた。特に、あと1週間も経てば、マスク着用義務がなくなるところまで漕ぎ着けたのは嬉しい。私もワクチンを5回も接種したせいか、それとも細心の注意を払ってきたおかげか、幸いにも罹患せずに今日に至っている。世間一般も、コロナ前の平常モードに戻りつつある・・・ということで、記念に近場への一泊旅行に出掛けることにした。

 初春なので桜を愛でに行きたいが、2月下旬から3月初めだと、染井吉野には早い。こういう時期に咲くのは、河津桜しかない。河津駅は伊豆半島の先端にある下田の3つ手前の駅で、その周辺には泊まるようなところは、何も無いから、河津の手前の今井浜か、もう少し足を延ばして下田に泊まろう。そういえば、今井浜に東急リゾートホテルがあったことを思い出し、予約した。東京で仕事があったので、伊豆急行線で今井浜海岸駅に着いたのは午後6時40分を回っていた。ホテルは5分ほど歩いたところにあり、チェックインしてそのまま夕食へ行った。予め注文しておいたフランス料理のコースは、見た目も、味も、量も、ちょうど良かった。

フランス料理のコース


 温泉にじっくりと体を沈めるのは、久しぶりだ。大浴場の透明なお湯を手でゆっくりとかき分けるように触ると、トロリとして少し重い感じがする。そうそうこれが温泉の感覚というものだ。他にほとんど人がいなかったこともあり、そこにゆったりと浸かって、英気を養った。

青いプール


手前は河津桜


ベランダにヒヨドリが飛んできた


 翌朝、部屋から見たホテルのプールと、海岸の景色が、美しい。青いプールの底に何か描かれていると思ったら、このホテルのロゴの極楽鳥花(ストレリチア・レギーネ)だった。そういえば、2009年にも、この地に来たことがあることを思い出した。あれあれ、極楽鳥ではないが、ベランダにヒヨドリが飛んできた。

 チェックアウトしようとしたら、静岡県の全国旅行支援(今こそしずおか元気旅)で宿泊に3,000円の補助、それに加えて1,000円のクーポン(食事・お土産補助)の対象となっていることを知らされた。まあ、その分、宿泊料金も引き上げられているだろうから、嬉しいような、そうでもないような「こそばゆい」心境となる。

 ホテルを出て、次の河津駅で降りた。伊豆急行の線路は高いところにあり、その土手には河津桜が植えられている。満開だから、実に華やかだ。線路に沿って歩き、時々道端のお店(干物屋さんなど)を覗いて美味しそうだなと思い、さりとて今買うと荷物になると思い直して、そのまま歩いて行くと、しばらくして川に出た。そこを右手に曲がると、川沿いの土手に河津桜が植えられている。満開の時期は10日ほど前だったので、もう、そろそろ散り始めている。それでも、まだまだ葉桜にはならずにピンクの花を咲かせて、われわれ見物人を目を楽しませてくれる。

河津桜


菜の花の黄色、その上で咲き誇る河津桜のピンク色、それらの背景にある青い空は、正に一幅の絵になる


咲き誇る河津桜のピンク色、それらの背景にある青い空は、正に一幅の絵になる


 川の土手の河津桜の向かいの、多分、私有地だと思うが、そこにはお店が出ていて、買い食いしている人も多い。私は若い頃はともかく、今やファーストフードの類いの食べ物はほとんど食べないから、何が売られていたかはあまり記憶にない。しばらく行くと、菜の花が植えられているところに出た。昔来た時は、確か川のすぐそばに菜の花が自然に咲いていたように記憶しているが、今回はそれが土手の外に堂々と植えられている。ふと見ると、菜の花の黄色、その上で咲き誇る河津桜のピンク色、それらの背景にある青い空は、正に一幅の絵になる。

河津桜と同時に撮れた電車


 川沿いに同じような景色が続いていて、もうそろそろ、飽きてきたので、引き返すことにした。伊豆急行線が川を渡る鉄橋のところまで来て確かめると、あと数分後に電車が来るはずだと分かった、しばらく同じ所で待っていると、トンネルから赤い電車が出てきた。それがちょうど河津桜と同時に撮れる位置まで来た時に、シャッターを押した。まあ月並みだが、それなりに満足な写真が撮れた。

伊豆の踊り子の像


 それから駅に戻り、ブロンズ像を見かけた。つい金色夜叉の貫一お宮かと思ったら、そうではなくて、伊豆の踊り子の像だそうだ。なるほど、ここは熱海でなく、伊豆だった。コロナ禍らしく、像もマスクを付けているのは面白い。

下田ロープウェイ


寝姿山の眼下に下田湾の絶景


寝姿山の眼下に下田湾の絶景


寝姿山の眼下に下田湾の絶景


 下田行きの電車に乗りこんだ。直ぐに伊豆急下田駅に着いた。そこから、すぐそばのロープウェイまで歩いて行く。それほど、混んでなくて直ぐに乗ることができた。山頂の寝姿山駅に着くと、眼下に下田湾の絶景が広がっている。これは素晴らしい。伊豆七島も眺められるそうだが、雲が垂れ込めていて、よく分からなかった。

ヒレ長錦鯉


ヒレ長錦鯉


 案内板のまま、遊歩道を歩いていくと、ひょうたん池に出た。その中には、錦鯉が泳いでいるのだけれど、驚いたことに、鯉なのに、そのヒレが金魚のコメットみたいに長い。いや、それ以上だ。例えば胸ヒレは、まるで天女の衣のように長くてヒラヒラしている。こんな優雅な鯉は、初めて見た。ロープウェイHPの説明によると、「ヒレ長錦鯉が泳いでいます。日本の『錦鯉』とインドネシアの『ヒレナガゴイ』をかけ合わせた非常に珍しく優雅な鯉です。国内数箇所しか泳いでいません! 必見です!」とある(注)。これは、面白いものを見せてもらった。錦鯉好きの私としては、これだけでも、来てよかったと思う。

(注)その後、こんな記事を見かけた。なんと鰭長錦鯉は、平成天皇(現上皇)のご提案だったそうな。


 インドネシアと日本の友好の証しとなっているものの一つに皇室ゆかりのコイがある。インドネシアから約5千キロ離れた埼玉県加須市の県水産研究所。5月下旬、市場での競りにかけるため、職員が10〜15センチの稚魚をいけすから取り出し、次々と袋に詰めた。

 インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配させた観賞魚「ヒレナガニシキゴイ」だ。その名の通り、ニシキゴイより、尾びれや胸びれが倍近く長い。

 1977年7月、上皇さま(当時は皇太子)が、前身の県水産試験場でニシキゴイの養殖の研究を視察した。上皇さまが「インドネシアにひれの長いコイがいたが、ニシキゴイと交配させてはどうか」と提案したことで、新品種の開発が始まった。

 80年2月、職員がインドネシア・ボゴールの研究所を訪れ、ヒレナガゴイの稚魚50匹を分けてもらった。82年5月に初めて交配。鮮やかな色合いを出すべく、ヒレナガニシキゴイにニシキゴイを交配させる「戻し交配」を繰り返した。その後、品種は増え、多い時には10品種超にもなった。

 86年から県内の養殖生産者に配り、市場に出回るようになった。県水産研究所副所長の山口光太郎博士(55)は「池で飼うニシキゴイに比べ、小さい水槽で比較的手軽に飼えるので、子どもたちにも人気がある」と話す。県内外の水族館などにも提供している。
(朝日新聞2023年6月17日付け夕刊)

愛染堂


お地蔵様


 遊歩道を更に行くと、「敬愛・縁結び」の愛染堂があって、不動明王様が鎮座しておられる。その近くに「和み玉投げ」というものがあるらしいが、子供じみているので、さすがにしなかった。要は、「かわらけ投げ」の現代版らしい。ポツポツと雨が降ってきたので、早々に山を降りることにする。

 下田駅についたら、お昼に「炙り金目鯛蕎麦」というものを食べた。あの目が大きな深海魚が、今や高級魚と化しているとは思わなかった。まあまあ、美味しかった。お勘定の時に、静岡県の旅行支援のクーポンが使えた。事前の心づもりでは、下田の街歩きをして、とりわけ「ナマコ壁」をみて、ペリー上陸記念碑まで行って帰って来ようという算段だったが、雨も降り始めたことから、早目に帰京することにした。日曜日なのに幸い踊り子号に座席があったから、そのまま乗って帰ってきた。大人の休日を利用したので、たまたま熱海まで新幹線往復を買っていたから、熱海までなら踊り子号に空席はあるそうだ。良かった。





(令和5年3月5日著)
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