新型コロナウイルス禍のいわば暗黒の3年間が過ぎて、さしものパンデミックもようやく終わりそうな状況になってきた。特に、あと1週間も経てば、マスク着用義務がなくなるところまで漕ぎ着けたのは嬉しい。私もワクチンを5回も接種したせいか、それとも細心の注意を払ってきたおかげか、幸いにも罹患せずに今日に至っている。世間一般も、コロナ前の平常モードに戻りつつある・・・ということで、記念に近場への一泊旅行に出掛けることにした。 初春なので桜を愛でに行きたいが、2月下旬から3月初めだと、染井吉野には早い。こういう時期に咲くのは、河津桜しかない。河津駅は伊豆半島の先端にある下田の3つ手前の駅で、その周辺には泊まるようなところは、何も無いから、河津の手前の今井浜か、もう少し足を延ばして下田に泊まろう。そういえば、今井浜に東急リゾートホテルがあったことを思い出し、予約した。東京で仕事があったので、伊豆急行線で今井浜海岸駅に着いたのは午後6時40分を回っていた。ホテルは5分ほど歩いたところにあり、チェックインしてそのまま夕食へ行った。予め注文しておいたフランス料理のコースは、見た目も、味も、量も、ちょうど良かった。 チェックアウトしようとしたら、静岡県の全国旅行支援(今こそしずおか元気旅)で宿泊に3,000円の補助、それに加えて1,000円のクーポン(食事・お土産補助)の対象となっていることを知らされた。まあ、その分、宿泊料金も引き上げられているだろうから、嬉しいような、そうでもないような「こそばゆい」心境となる。 ホテルを出て、次の河津駅で降りた。伊豆急行の線路は高いところにあり、その土手には河津桜が植えられている。満開だから、実に華やかだ。線路に沿って歩き、時々道端のお店(干物屋さんなど)を覗いて美味しそうだなと思い、さりとて今買うと荷物になると思い直して、そのまま歩いて行くと、しばらくして川に出た。そこを右手に曲がると、川沿いの土手に河津桜が植えられている。満開の時期は10日ほど前だったので、もう、そろそろ散り始めている。それでも、まだまだ葉桜にはならずにピンクの花を咲かせて、われわれ見物人を目を楽しませてくれる。 (注)その後、こんな記事を見かけた。なんと鰭長錦鯉は、平成天皇(現上皇)のご提案だったそうな。 インドネシアと日本の友好の証しとなっているものの一つに皇室ゆかりのコイがある。インドネシアから約5千キロ離れた埼玉県加須市の県水産研究所。5月下旬、市場での競りにかけるため、職員が10〜15センチの稚魚をいけすから取り出し、次々と袋に詰めた。 インドネシアのヒレナガゴイと日本のニシキゴイを交配させた観賞魚「ヒレナガニシキゴイ」だ。その名の通り、ニシキゴイより、尾びれや胸びれが倍近く長い。 1977年7月、上皇さま(当時は皇太子)が、前身の県水産試験場でニシキゴイの養殖の研究を視察した。上皇さまが「インドネシアにひれの長いコイがいたが、ニシキゴイと交配させてはどうか」と提案したことで、新品種の開発が始まった。 80年2月、職員がインドネシア・ボゴールの研究所を訪れ、ヒレナガゴイの稚魚50匹を分けてもらった。82年5月に初めて交配。鮮やかな色合いを出すべく、ヒレナガニシキゴイにニシキゴイを交配させる「戻し交配」を繰り返した。その後、品種は増え、多い時には10品種超にもなった。 86年から県内の養殖生産者に配り、市場に出回るようになった。県水産研究所副所長の山口光太郎博士(55)は「池で飼うニシキゴイに比べ、小さい水槽で比較的手軽に飼えるので、子どもたちにも人気がある」と話す。県内外の水族館などにも提供している。(朝日新聞2023年6月17日付け夕刊) 下田駅についたら、お昼に「炙り金目鯛蕎麦」というものを食べた。あの目が大きな深海魚が、今や高級魚と化しているとは思わなかった。まあまあ、美味しかった。お勘定の時に、静岡県の旅行支援のクーポンが使えた。事前の心づもりでは、下田の街歩きをして、とりわけ「ナマコ壁」をみて、ペリー上陸記念碑まで行って帰って来ようという算段だったが、雨も降り始めたことから、早目に帰京することにした。日曜日なのに幸い踊り子号に座席があったから、そのまま乗って帰ってきた。大人の休日を利用したので、たまたま熱海まで新幹線往復を買っていたから、熱海までなら踊り子号に空席はあるそうだ。良かった。 (令和5年3月5日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
(c) Yama san 2023, All rights reserved