悠々人生エッセイ



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 川越祭り 2022年( 写 真 )は、こちらから。


1.久しぶりの川越祭り

 7年振りに川越祭りに出掛けた。久しぶりのお祭りだから、とっても嬉しかった。新型コロナ第7波がようやく明けて、心配なく外出できるようになったからだ。清々する気分だ。

 まずはロジスティクスだが、私の文京区からは池袋周りで東武東上線で川越駅に行く方法と、新宿周りで西武新宿線で本川越駅に行く方法とがある。後者の本川越駅の方がお祭りの会場に近いが、特急で46分かかるだけでなく特急料金に500円余計に支払わなければならない。前者の川越駅は、本川越駅よりは徒歩8分ほど余分にかかるが、追加料金のない普通の特急でわずか26分だ。

 加えて新宿で西武新宿駅まで歩かなければならないことを考えると、東武東上線経由で行くことにした。ただ、帰りに混雑すると困るなと思って、念のため帰りだけ西武のレッドアロー号(小江戸号)を予約しようとしたが、切符は全て完売だった。まあ、帰りはあまり遅くなければ、さほど混まないだろうと思い、そのまま東武で帰ることにした。

 土曜日の朝10時の池袋発の川越行き特急に乗るつもりで行ったら、早すぎて9時半発の小川町行き特急が目の前にあった。幸先よく、それに乗ることができた。お客はそれほどおらず、ゆったりと座っていた。外は、好天気。お祭り日和だ。幸先が良い。


2.パンフレット

 川越駅に着いた。駅にある観光案内所で川越祭りのパンフレットをもらう。それと、季刊川越専科の瓦版は、なかなか良い出来で、祭りの歴史、29の山車、その構造やお囃子など、よくわかった。なかでも、瓦版の「蔵造りの町並みに江戸まさりの山車がゆく、、、過去と現在と未来が交流する小江戸の大祭」という記事は、とても参考になった。その小見出しを並べると、

(1)初日の見どころは氷川神社の神幸祭と宵山の飾り置き
(2)2日目のハイライトは午後の揃い引きと夜の共演 曳っかわせ
(3)華やかに粋に・・・宰領が取り仕切る伝統の山車運行
(4)起源は370年前、鎮守の氷川祭礼を城主がすすめてから
(5)江戸の名工作、由緒ある山車は県指定民俗文化財
(6)江戸の文化・風俗を川越に定着させた新河岸川舟運


 山車が29もあるとは、、、全てを1日で見るのはとても無理だなと思いつつ、駅で聞いた通り、アトレの中を抜けて蔵造りの町並みの方へと急ぐ。すると、アトレを出て歩道橋にさしかかったときに、早速、地上で山車が引かれてくるではないか。南通町の納曾利の山車だ。舞台でひょっとこが踊っている。この位置で、そのまま高みの見物ができる。この納曾利の山車について、いただいたバンフレットの山車曳行の図を見比べてみた。




3.山車曳行の図

 その図を見ると、先頭から、このようになっている。

 先触れ方(扇を持って他町会所や山車への挨拶をする)
 露払い(「ジャランボウ」という頂きに環の付いた金棒をもって順路の邪気を払う)
 高張り提灯(町名や山車の名前を知らせ、左右の綱の位置と方向の目安にする)
 手古舞(てこまい)衆(可愛いお嬢さん方で、祭りに花を添える)
 祭礼役員(裃姿か紋付袴と編笠)
 宰 領(一の拍子木とも言われ、曳行の責任者)
 曳き綱(長さは30から40メートル、100人から200人程度で曳く)
 警護方(曳き方衆で、手持ち提灯の左右二人と、実際に綱を引いて曳航の主力となる人達に分かれる)
 副宰領(山車と鳶頭の前にいて、宰領の合図を鳶頭に伝える)
 鳶 頭(宰領からの合図に合わせて二の拍子木により、山車の運行や停止を指示する。山車の曳行や停止の責任者で、曳き始めと納めには木遣りを唄う)


 次に、山車の運行についてであるが、その周りには、職 方(山車の周囲にいて、頭の指示を受け、停止や方向転換など山車の運行をつかさどる)が数人いて、運行の現場を担っているが、その中には、キリンと呼ばれる金属製の一種の梃子のようなものを持って、山車の方向転換を行う人がいる。

 山車本体は、三層構造で、最上段が人形である。これは中段から迫りあげ式のエレベーター構造の仕掛けで上がってくる。最下段からは前方に唐破風が突き出ている。そこが舞台で、囃子方と踊り手が日頃の練習の成果を披露する。この舞台は、水平に360度回転する)。その山車の後方には、控えの囃子方がいる。

 山車に加えて、川越祭りのもう一つの主役は、囃子方によるお囃子である。瓦版によると、「文化文政の時代に江戸から伝わったといわれ、王蔵流、芝金杉流、堤崎流に大別され、その構成は、笛1、大太鼓1、締太鼓2、鉦1の五人囃子に舞い手(踊り手)であり、曲目として屋台(天狐、獅子)、鎌倉(モドキ、オカメ)、ニンパ、シチョウメ(モドキ、ヒョットコ)がある」そうだ。笛が主体で、お祭りらしく、聞いていると、うきうきして身体を動かしたくなる。


4.山車を見てそぞろ歩く

 さて、南通町の納曾利の山車は、我々がいる歩道橋の下で方向転換して、やってきた方向に再び戻っていった。ちょうどその頃、反対方向から脇田町の家康の山車が来た。納曾利の山車と向き合う形で、あとで述べる曳っかわせをやっている。


 歩道橋を降りて、先を急ぐことにする。クレアモールという名前の道だと思うが、道幅が狭く、両脇にはお店がごちゃごちゃと並び立っている。そこを抜けて、蔵造りの町並みに向かう。驚いたことに、この狭い道にも、山車があった。新富町二丁目の鏡獅子の山車だ。おや、舞台でおかめ、ひょっとこがひょうきんな踊りを披露している。「祝 川越市市制施行百周年」という幟を持っている。なるほど、今年はそうなのか。




 しばらく歩き、左手に西武鉄道の本川越駅があった。この辺りから、幅広い中央通りを行くことにする。そこを更に進んでいくと、「あれれ、いつものお祭りとは違うな」と思った。それはなぜだろうと考えて、あっと気がついた。お祭りにつきものの屋台が全くないのである。いただいたパンフレットを見ると、新型コロナウイルス対策のため、道が狭くなって密になることから、屋台をなくし、代わりに市内に4ヶ所ある広い場所に「屋台村」と称して屋台を集めるということになったのだそうだ。そのうちの一つの屋台村である蓮馨寺境内に立ち寄ったが、人だかりがすごかった。


 道の真ん中に、山車が鎮座している。中原町の河越太郎重頼の山車だ。なかなか精悍な武者姿の人形である。さらに行き、新富町一丁目の会所を過ぎると、鈿女(うずめ)の山車の居囃子をやっている。また、お獅子の踊り手が、子供の頭をガブリと噛むパフォーマンスをしていた。泣き叫ぶ子が一人もいないのは、さすが川越っ子だ。場慣れている。


 連雀町交差点に差しかかる。ああ、いたいた。この町の太田道灌の山車である。ひょっとこおじさんが頑張って踊っている。太田道灌人形は、日差しを避けるように右手で額辺りを覆っているので、日陰になって顔が暗くなるし左手からは撮れないしで、カメラマン泣かせだ。


 おや、これは面白い。店先に川越狐面なるものを見つけた。カラフルな狐の面である。これを被った見物人を時々見かけたが、正面から被るとやや異様な顔になるけれども、斜めや頭の後ろに付けると、なかなか素敵で洒落ている。



 引き続き北に向かって歩いていく。蓮馨寺前を通ったが、屋台村があるから、大変な人だかりだ。そこから少し行くと、仲町で、いよいよ蔵造りの町並みになる。羅陵王の山車があった。見れば見るほど素晴らしいと思ったが、それもそのはず、江戸時代の文久2年に江戸の匠の仲英秀の作だそうだ。



 蔵造りの亀屋の建物がある。天明3年の創業とある。実に年季の入った建物で、しばし眺めてしまった。明治の川越大火があったから創建期の建物ではないのだろうが、未だにこうやってお商売をされているところが素敵だと思う。街のあちこちで、浴衣をレンタルして着ている人がいて、町になかなか良く馴染んでいる。



 ああ、この建物の看板も歴史を感じさせる。

  「武州 川越 鍛冶町
   荻野銅鐡店
     諸國萬打刃物一式
   銅製茶道具・鋳物製品一般」



 埼玉りそな銀行川越支店の建物が見えてきた。その前に2台の山車がある。一つは、幸町(元の鍛冶町)の小鍛冶の山車。槌を持っていて、名剣の小狐丸を作ったときに相槌を打ったという話を元にしたものだという。いま一つは、幸町(元の南町)の翁の山車。能楽の翁だそうだ。



 小道を回って、時の鐘に着いた。いつもながら、何回も見たくなるほど、味がある建物だ。説明によると、「江戸時代の初期、酒井忠勝が川越城主のころに建設された、、、その後、何度か焼失し、現在の時の鐘は、明治26年の川越大火の翌年に再建されたもので、高さは16メートル」とのこと。


 外に出て、先ほどの蔵造りの大通りに出ると、元町一丁目の牛若丸の山車がやってきた。ひょっとこの演技が上手い。思わず見入った。





5.氷川神社の神幸祭

 瓦版によれば、「川越祭(氷川祭の山車行事)は、10月14日に氷川神社が執行する例大祭(祭祀)を根源として直後に行われる神幸祭と氏子町衆が催す山車行事(祭礼)から成り立っている。

 『祭祀』は、産土神の氷川大神を迎えて行う神事祭典であり、神主を仲立ちとして氏子の人々は神に感謝し、祈願したりしてハレの時を過ごす。

 慶安4年以来370年の歴史を伝える『神幸祭』は、氷川の神様が神輿に乗られて川越城下の町々を巡行すること。人々はその神徳をいただき、幸福と町の繁栄を祈請する伝統儀式」
だそうだ。




 その行列を見ると、氷川神社御祭壇→氏子総代→鬼の仮面を被った猿田彦→赤獅子・青獅子→篳篥・笛→神主・巫女→神輿・彦神→神輿・姫神→神馬→宮司→斎姫輿と続く。



 それから、菓子屋横丁に行った。何年か前にここで火事があったようだが、もう完全に元に戻っている。長さ1メートル近い「黒砂糖麩菓子」が売られていて、大いに惹かれたが、「こんなに長くなくとも、ほんの10センチでも十分なのだけどな」と思いつつ、その場を離れた。


 元町一丁目の牛若丸の山車を見た。その舞台の白狐の演者が上手い。末広町の高砂(住吉大明神)の山車と、先ほどの小狐丸の山車が続く。



 喜多町の秀郷の山車では、ひょっとこが踊る。元町二丁目の山王の山車の人形の胸には、お猿さんの面がある。この二台が向かい合って、曳っかわせに移る。パンフレットの説明によると、「山車が他の山車とすれ違う時、山車の正面を向け、町どうしの挨拶として曳っかわせ(囃子の儀礼打ち)を行います。交差点などでは複数の山車が集まり、舞台が回転して囃子の競演を行う様子は圧巻です」とあるが、続いて「今年の川越祭りは新型コロナウイルス感染防止のため、例年のような曳き手の乱舞は実施しない」とあった。「それは、残念」としか言いようがない。



 宮下町の日本武尊の山車が来た。ひょっとこのお面がユーモラスだ。志多町の弁慶の山車が続く。なぜ、子供の人形が二体、乗っているのだろう。




 川越市役所前に行くと、猩猩(しょうじょう)の山車があった。おかめの演者が上手い。これは、市の職員さんなのだろうか?



 夕暮れがなずむ頃、三久保町の頼光の山車が来た。舞台のひょっとこの面が、変わっている。昼の部の最後に、松江町二丁目の浦嶋の山車を見かけた。


6.うなぎ傅米

 歩き回って、いささか疲れた。精力をつけるために、うなぎでも食べるかという気になり、検索窓に「川越 うなぎ」と打ち込む。その時に居た「時の鐘」付近で一番近いのが「林家」だ。グーグル地図を頼りにそちらへ向かう。やっと着いたが、順番待ちだ。でも、幸いその中でも一番だ。しばらく待っていると、女店員さんが出てきて「今いっぱいになったばかりで、時間がかかります。もし良ければ、近くに姉妹店があるので、そちらにご案内します。付いてきてください」という。それでは、ということで、他のお客さん数人とともに、その姉妹店に向かった。



 どこにあるのかと思ったら、なんとまぁ、メインストリートの中央通りに向かう。そこで、人混みの中でもみくちゃになりながら、とあるお店に着いた。入る前に看板を見ると「うなぎ傅米(でんべ)」とある。なんだ、先ほど歩いていて見かけたお店ではないか。



 入ると、お店は蔵造りを改造して、蔵の中まで突き抜けて客席を作っている。隣席は、中国人女性たちだ。さっそく注文する。五千円を超えるかなりなお値段だが、お祭りだ。気前よく行こう。しばし待って、目の前にうなぎが出された。色つやも香りも良い。いやもうそれが、実に美味しかった。肝吸いも最高の味だ。これは良かった。心から満足した。


7.鳶の梯子乗り

 うなぎを食べて元気を回復した。外に出てみると、もう暗い。その中で、山車の提灯が灯って、幻想的な雰囲気がある。午後6時20分から、埼玉りそな銀行の支店で、鳶の梯子乗りがあるという。これを見逃すまいと、行ってみることにした。うなぎ傅米から、目と鼻の先である。

 ところが、まあこれは大変な人出で、押し合い圧し合い状態なのだ。とっても前へ進める状況ではない。そこで、通りの端のお店近くを伝いながら何とか歩いていったが、もう前進できないと思ったところが、埼玉りそな銀行の前だった。皆そこで見物したいから、止まるのは当然である。




 目の前に紅白の幕があり、それがたまたま、たくし上げられていたので、鳶職の梯子乗りを見物することができた。梯子を勢いよく登っていき、頂上に達したところで演技を始める。二本の梯子のうちの一本に腰を当てて「キメる」とか、斜めになって「ポーズをとる」とか、大変危険を伴う演技である。カメラの連射で撮ろうとしたが、「キメた」時の場面しか、写っていないのは、当たり前か。そもそもこんな暗さで動きのある被写体を撮ろうとすること自体が無理難題なのかもしれない。


8.夜の川越祭り・曳っかわせ

 夜のとばりが降りた頃、山車は鮮やかな提灯に照らされて輝きを増す。昼間とは全く異なる魅力がある。しかも、中央通りの各交差点では、「山車が四つ角などで他町の山車に出会うと、お互いに囃子台を正面に向けて競い合う。この曳っかわせに勝ち負けなどないが、囃子が入り乱れ、曳き方衆の提灯が乱舞する光景は圧倒的な迫力がある」というが、前に述べた通り、今年は新型コロナのために、曳き方衆の提灯乱舞は禁じられた。

 夜に見た山車は、まず新富町二丁目の鏡獅子、ひょっとこがいささか情けない顔をしている。次に連雀町の道灌の山車、ついで野田五町の八幡太郎の山車、その後ろの幕には実に勇ましい騎馬武者が描かれている。




 菅原町の道真の山車が来た。なかなか威厳があるお顔をしている。それと、松江町一丁目の龍神の山車とが曳っかわせに入った。そこに、元町二丁目の山王の山車と、大手町の鈿女の山車が加わった。囃子がひときわ高く鳴り響き、いやもう、その豪華絢爛の風たるや、呆然として見ていた。これぞ、江戸の味といえようか。



 これで、もう十分に堪能したと思い、午後9時を回ったことから、後ろ髪を引かれつつ、帰途に着いた。来た時と同じく、東武東上線川越駅を使ったが、意外と混んでなくて、ゆったり座って帰ることができた。振り返ってみると、29台の山車のうち、20台は見たことになるようだ。朝から夜遅くまで楽しんだ、長い一日だった。


 
       
               



(令和4年10月15日著)
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