悠々人生エッセイ



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 明月院の紫陽花( 写 真 )は、こちらから。


      花の寺


    当寺のあじさいは
    95%が日本古来の姫あじさい
    花の優美ということから名付け
    小振りで可憐です


    淡い青から日ごとに青さを増し
    最後は悠久の空の青
    母なる海の青さに染まり
    大地に還ります


    梅雨どき、美しい優雅な色は
    平安人が心を寄せた色は
    なぜか雨に映えます


    花菖蒲、つゆ草と共に
    あじさいの青は
    この季節の化粧色です

                明月院



 というのが、今年の紫陽花の季節に、明月院にあった掲示である。


明月院にあった掲示


 前回、明月院に紫陽花を見に行ったのは、新型コロナ騒ぎの前年の2019年、その前は2016年だから、さほど時間は経っていない。その2019年の時は、人手が多くて閉口したものであるが、今回は新型コロナ明けということもあって、やはり人出は多かったが、前回ほどではなかった。

 ところで、明月院といえば、例の丸窓(冒頭の写真)が有名であるが、これはなかなか撮りにくい。というのは、丸窓の中の向こうの景色にピントを合わせると、部屋の中とりわけ左手前の紫陽花がぼけてしまう。といって、その紫陽花に焦点を合わせると、今度は丸窓の中の景色が白くつぶれてしまう。だから、その中間にしなければいけない。その両方をピント位置の調整で何とか両立させたのが、この写真(028と029)である。それから、枯山水庭園左手の三角錐の築山の上に寝ている青ガエル(033)のフィギュアは、とっても面白かった。ご住職の遊び心がうかがえる。

三角錐の築山の上に寝ている青ガエル


三角錐の築山の上ある枯山水庭園


お地蔵さま


 お寺の縁起によると、明月院の創建は、永歴元年(1160年)のこと。この地の武将で平治の乱で戦死した山内首藤経通の菩提を供養するため、子の経俊によって建てられた。その後、康元元年(1256年)に鎌倉幕府第5代執権の北条時頼によってこの地に最明寺が建立され、後にこれを前身として時頼の子の時宗によって福源山禅興仰聖禅寺が再興された。開山は、かの蘭渓道隆禅師。そして康暦2年(1380年)に関東公方足利氏満が菅領上杉憲方に禅興寺の中興を命じて伽藍を完備させ支院を配置させた。明月庵は明月院と改められ支院の首位となる。明治元年に禅興寺は、明月院のみを残して廃寺となったとのこと。

三角錐の築山の上に寝ている青ガエル


 このお寺の紫陽花のほとんどが、日本古来の「姫あじさい」と聞いて、青く儚いその丸い形に惹かれていった。また、大きな盆の中に、青い紫陽花と二匹の小さな緋鯉がいたが、よく見ると生きている鯉ではなくて、陶器の鯉だったから、笑ってしまった。また、紫陽花を胸に抱えたお地蔵様が、なんとも品が良かった。

青い紫陽花


青い紫陽花を抱えたお地蔵様む


青い紫陽花と二匹の小さな緋鯉がいた


赤い紫陽花








(令和4年6月25日著)
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