悠々人生エッセイ



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1.結婚式のあらまし

 これは、実に心のこもった素晴らしい結婚式だった。新型コロナウイルス禍のため、参列者は身内だけに絞らざるを得なかった。その結果、小ぢんまりとした挙式と披露宴になったが、かえってそれが手作り感と親近感の湧く素敵なものとなった。

 まず、結婚式では、私は花嫁のお父さん役で、ヴァージン・ロードでエスコートする栄誉にあずかり、いたく感激した。その際、お母様が花嫁にヴェールを掛けるヴェール・ダウンの場面を間近に目にし、母娘が見つめあった際お互いに万感の思いが込められていたのがよくわかった。後からお母様に聞くと「綺麗よ」と声をかけたところ、花嫁が涙ぐんでいたそうだ。

 花嫁の白いウェディング・ドレスは、清楚で優雅だった。お色直しのピンクのドレスは、これまた可愛くて上品なもので、どちらも私がこれまで見た中で最高のドレスだった。花婿のシルバー色のモーニング・コートも、本人のマラソンで鍛えた容姿と体型に、ピッタリであった。そしてその姿で花嫁の白いウェディング・ドレスやピンクのお色直しのドレスの脇に立つと、これがまた映えること、映えること。いやもう、それは素晴らしかった。

 この披露宴の白眉は、花嫁が、後述するように、お母様への感謝の手紙を読み上げた時である。これには、参列者一同、その素晴らしい母娘関係に対して感涙にむせんだものである。

 それから、特筆すべきは、花婿の姪に当たる小1の女の子が果たした役割である。この子は、結婚指輪を運んだり、花嫁花婿に花束を渡したり、ファースト・バイトの直後のサンクス・バイトに参加するという三つの大役を無事にこなして、文字通り大活躍をしてくれた。その愛らしい姿は、参列者の笑顔を誘った。本当に良かった。

 振り返ってみると、何から何まで、スムーズに進んで、これほど素敵な結婚式は、あまり聞いたことがない。よほど、お二人の相性が良かったのだろう。これからの末永い幸せを祈るばかりである。


2.お見合いの経緯

 実は、このお二人の出合いのきっかけを作ったのは、私である。親戚の中で田舎から東京に出てきているのは、私と今回の花婿となった甥っ子だけだ。この子は、小さな頃から真面目で温和、そして数学好きの優秀な子だった。国立大学の大学院を修了し、電子工学のエンジニアとして東証一部(現在のプライム市場)上場の機械メーカーに就職した。私が言うのもおこがましいが、前途洋洋の俊才である。だから、その父から「誰か良い人がいたら、紹介してください」と、かねてから頼まれていた。ところが、私自身が政府や裁判所の要職に就いて、非常に多忙だったものだから、ついついそのままになっていた。

 私がようやく定年退官し、身の回りを振り返る時間ができたものだから、「そういえば、あの甥っ子はどうしているだろうか」と、ふと思い出し、彼の母親である妹に電話した。すると、「あの子は、茨城県の工場近くの会社の寮にいて、毎日朝7時に出勤して夜10時に家に帰る生活」だという。若いと、それくらいしっかり仕事をした方が良いとは思うが、仕事一途というのも程度問題だ。それで、土日はというと、「会社対抗のロボットコンテストのプログラミング、時にマラソン、しばしば料理をしている」とのこと。

 「それじゃ、お付き合いしている人なんて、いないだろうね」というと、「そうなのよ。誰が良い人いないかしら」という。念のため、甥っ子本人に聞いてみると、「出逢いの機会は、全くありません。どなたかご紹介いただければ、ありがたいです」とのこと。

 そこで、彼にふさわしい女性がいないかと思って、すぐに頭に浮かんだのが、以前の職場で私がトップを務めていた時に入ってこられたA嬢である。容姿端麗というだけでなく、何よりも優しい人柄だし、とても気配りができる優秀な女性である。しかも、法律案すら作ってしまう実力の持ち主だ。二人の顔を思い浮かべると、とってもお似合いだ。性格も、よく似ている。

 ということで、A嬢に連絡をとり、「お見合いしませんか」と聞いたところ、「そろそろとは思っていましたが、なかなか良い人がいなくて、、、ご紹介いただければ有難いです」という返事だった。そうしたことで、簡単な略歴を書いてもらい、最近の写真をいただいて、その二つを甥っ子に送った。すると、彼からは、「綺麗な人ですね。是非よろしくお願いします」との返事がきた。

 次に、甥っ子のお見合い写真がないかと彼の母親に聞くと、「特に用意してないけど、そういえば、会社のホームページがある」という。それを開いてみると、なんとまあ、甥っ子の写真が真ん中にドーンとあった。そのスタイルたるや、工場のグレーの作業服を着て、会社のロゴが入った黄色いヘルメットを被り、透明な防塵マスクをし、にこやかに笑って腕を組んでいる。しばらく見ない間に立派な若者になったなぁと、伯父としては、感無量だった。

 しかもそのホームページには、会社でこんな仕事をしているという懇切丁寧な説明があったし、彼が作業中の写真が幾つか載っている。実はこのホームページは、彼の会社が新入社員を勧誘するリクルートのために作られたページで、「我が社にはこんな素敵な先輩がいますよ。入社しませんか」という趣旨のものらしい。そのモデルに選ばれたということは、それなりに期待されているのだろう。

 そこで、このヘルメットで作業着姿の彼の写真をスクリーン・ショットに撮り、ホームページのアドレスとともに、A嬢に送った。実は、こんなヘルメットで作業着姿の写真をお見合いに使うなんて、かなり失礼なことかもしれないと、内心ではハラハラしていた。ところが、彼の仕事の内容がよくわかったらしくて、「ご立派な方です。是非お見合いしたいです」という返事が来て、ホッとした。

 お見合いは、昨年12月の半ばに、常磐線でやってくる彼と上野駅で待ち合わせ、浅草のホテルのお見合い会場に行ったのだが、その時、たまたまクリスマス・シーズンだったものだから、上野駅に天井まで届きそう大きなクリスマス・ツリーがあった。そこで、記念にその前でお二人に並んでもらって写真を撮った。すると、ちょうどお似合いで、これは上手くいくと確信した。

 その後は、あれよあれよという間に話が進んで、今年の4月初めには婚約式、そして7月には、この華燭の典を迎えたというわけである。本当に、良かった。


3.ヴァージン・ロードをエスコートして挙式

 花嫁の側は、母ひとり、子ひとりのご家庭なので、花嫁からお父さん役として、ヴァージン・ロードを一緒に歩いてほしいと頼まれていた。つまりは、エスコートする役割だ。私の娘のときは、和式だったのでヴァージン・ロードなるものがなかったし、息子のときは、洋式だったがヴァージン・ロードを歩くのはもちろん花嫁さんのお父さんだから、これまで、そんな大役を果たしたことがない。あらかじめ、ホテルが用意したビデオを見て準備していたつもりだったが、当日の本番では、モーニング・コートの白い手袋を忘れてしまった。でも、ホテルのキャプテンがその場で貸してくれて、事なきを得た。

 花嫁の右側に立って、左腕を花嫁に差し出し、結婚式場のドアの前に立つ。ハープとフルートの生演奏によるウェディング・ソングが優しく鳴り響き、ドアが開く。まずは花嫁とともに一歩を踏み出して中に入り、我々の左手におられる花嫁のお母様と並んで立ち、花嫁にお母様の方を向いていただく。そして花嫁は、お母様に近づいてまずお互いに一礼をする。腰を低くして頭をお母様に傾けると、お母様は花嫁の純白のヴェールを両手でそっと持ち上げてそれが顔にかぶせる。ヴェール・ダウンである。

 つまりは、花嫁の身支度が整ったという印だ。そして、花嫁とお母様が、何度も頷き合う。感動の一瞬だ。後からお母様に聞くと「綺麗よ」と声をかけたところ、花嫁が涙ぐんでいたそうだ。そして、再び私がエスコートして、花嫁の手を新郎に渡して、私の束の間の父親の役割は終わった。

 それにしても、スカイチャペルというこの式場の眺めは素晴らしい。視界の半分が青い空で、目の前には東京スカイツリーがある。地上100メートルだから浅草寺やアサヒビールの本社と例の金斗雲が遥かに下にあって、浅草の街を見下ろす文字通りのパノラマビューだ。

スカイルームから見た東京スカイツリー


スカイルームから見たアサヒビールの本社


 新郎新婦が、並んで牧師さんの前に立った。まず、聖書朗読があり、そして祈祷、式辞、誓約と続く。指輪を交換し、祈祷し、二人の結婚が宣言された。白い鳥の大きな羽根のペンで二人が署名する。後ろには、東京スカイツリーが見える。それからヴェール・アップとウェディング・キスがある。

 最後に家族の誓いがあり、新郎新婦が両家の両親と言葉を交わした。それで「皆様、ここに新しい家族が誕生しました」という牧師さんの言葉をもって、式は滞りなく終わった。なかなか厳粛ながら、暖かくて幸福感のあふれる一連の儀式であった。


4.幸せいっぱいの披露宴が始まる

 花婿花嫁が、ひな壇に並んで、披露宴が始まった。司会者が、届いた電報を次々に読み上げる。参列者に、席順とお二人へのアンケートが配られる。それによると、

(1)お互いの第一印象は?
 (新郎)綺麗な人
 (新婦)賢そう

(2)お互いのどこが好き?
 (新郎)優しくて丁寧
 (新婦)真面目でしっかりしている

(3)10年後は?
 (新郎)一軒家を買う
 (新婦)お料理上手になっている

(4)絶対にやりたいことは?
 (新郎)仕事で海外駐在
 (新婦)華道教室を開く

(5)どんな家庭にしたい?
 (新郎)笑顔が多い家庭
 (新婦)安らげる家庭

 ということで、お二人のほのぼのとした温かみのある人柄がしみじみ感じられる内容だった。

 最初に司会者からスピーチを頼まれたのが、私である。そこで、上記2.お見合いの経緯を話した後、新郎の姓をインターネットで調べてみた結果を紹介した。すると、「全国で同姓は、たった20人しかいない。そのうち10人は三重県だから、これは関係ないとして、残る10人は、市名町名に至るまで新郎の故郷の出というから、まさに本日ここに出席しておられる方のことですね。もう、日本の中でも、稀中の稀と言っても差支えのないお名前です。その仲間入りをされる新婦は、幸運なお方だと思います。これから、新郎くんと手を取り合って、幸せな家庭を築いていっていただきたいと思います。新郎も、得意の料理を活かして、主夫つまり主の夫として、ご活躍ください」という趣旨の話をした。

 披露宴の食事だが、一言でいうと、見た目が美しいだけでなく、本当に美味しかった。一般に披露宴というと、おざなりなフランス料理もどきが多いのだが、このホテルの場合は、和洋中を取り混ぜて良いとこ取りをしたような料理だった。ロシア料理のようなパンで蓋をしたスープ、最後の大きなデザートが、何とも面白かった。

披露宴の食事


披露宴の食事


披露宴の食事


披露宴の食事


披露宴の食事


 ケーキ・カットのイベントがあり、場が盛り上がった。なかでも、互いにケーキを食べさせ合う「ファースト・バイト」は、お互いにほどほどの大きさにカットして食べさせ合ったので、二人とも常識人だった。ちなみに、「新郎からの一口は『一生食べ物に困らせません』、新婦からの一口は『一生おいしい料理を食べさせます』という意味が込められている」そうだ。また、花婿の姪の小1の女の子が、同じようにケーキを一口、食べさせてもらい、満面の笑みを浮かべて、満場の拍手をもらっていた。その口の両端にケーキの白いかけらがあるのが、また可愛い。花嫁がそれを拭き取ってあげていた。

 花嫁がお色直しで中座した時、私はグラス片手に会場を一周した。華やかな若い女性がたくさんいると思ったら、花嫁の中学高校大学時代の親友で、文字通り東海道の沿線各地から駆けつけてきてくださったものだ。このような交友関係が豊かな人は、魅力的で心根も良い。

 その親友のうちに、赤いドレスを着た元気な人がおられた。聞くと、この会場に来る途中、電車が止まったので、4駅を走ってきたらしい。私なら青息吐息といったところだが、平気な顔をしている。それで、おそるおそる職業を聞いてみたら、「白バイ隊員」とのこと。思わず納得してしまった。

素敵なピンクのドレスの花嫁


 お色直しが終わった花嫁が、花婿にエスコートされて出てきた。それが、素敵なピンクのドレスである。花嫁さんの美しさを引き立たせ、実に品が良い。その姿で、次の手紙を朗読したので、参列者一同、思わずもらい泣きをした人も多かった。


5.花嫁からお母さんへの手紙

 「私とお母さんとは、親子でありながら、姉妹のように仲良しでした。毎日ご飯を食べながら、今日あったことを話したり、休日はランチに行ったり、買い物に行ったり、国内外を問わず二人で旅行にもたくさん行きました。周りの人から「お母さんと仲良しね」と言われますが、私は、お母さんと仲良しなのが自慢でした。

 ただ仲が良かっただけではありません。お母さんは、私が悩んでいる時や、苦しんでいる時に、きちんと向き合ってくれました。そして、的確なアドバイスをくれたり、美味しいご飯で慰めたりしてくれました。だからお母さんには、嬉しかったことも、辛かったことも、何でも話せました。どんな小さな悩み事にもきちんと向き合ってくれるお母さんの存在はとても大きく、私の一番の理解者でした。ずーっと私を支えてくれて、感謝しています。そんなお母さんについ私は甘えてしまい、思ってもいないようなことを言ったりしたこともありました。本当にごめんなさい。

 お母さんが、私に二人分、いえそれ以上の愛情を注いでくれたからこそ、私は今日の幸せな日を迎えることができました。お母さんの娘に生まれて、私は幸せです。私を産んでくれて、育ててくれて、本当にありがとう。お嫁に行ってもお母さんの娘であることには変わりがなく、どうぞこれからもよろしくお願いします。

 (新郎の)お父さん、お母さん、私を一家の一員として暖かく迎えてくださり、本当にありがとうございます。彼とともに歩み、しっかりと幸せな家庭を築きたいと思っています。どうぞよろしくお願いします」



6.披露宴もお開き

 次に、シルバー色のモーニングを着た花婿さんと、ピンク色のドレスを着た花嫁さんが、キャンドル・サービスをする。暗くした照明の下、点火するトーチを持った二人の姿が照らされて綺麗だ。各テーブルを回って、それぞれ参列者と言葉を交わす。感動の瞬間だ。もうそれからは無礼講で、花嫁は、遠方から来てくれた中学高校大学の親友数人と写真を撮っている。

 さて、楽しい時間はそろそろお開きとなる。出口近くに新郎父母と新婦母が並び、新郎新婦が感謝の花束と記念品を渡す。お二方の母は、いずれも涙ぐんでいる。感動の瞬間だ。次いで、新郎新婦が父母と同じ列に入って参列者の方を向く。新郎の父が挨拶をする。

 自分は話し下手だと言いながら、結構、流暢に話をされる。何でも、このホテルは7〜8年前に写真コンテストで入選した時の表彰式への出席で来たことがある思い出の場所だそうで、まさにそこが息子のお見合いと結婚式の会場になったというのは、偶然の一致を超えて運命的なものではないだろうかとのこと。それは、知らなかった。また、経緯は既にあらかた私が話してしまったので、話すことがなかったようで、申し訳なかった。話の最後に、私に感謝の意を表してくれた。

 いよいよ新郎が、皆に挨拶をする段となった。本日、参列していただいたことへのお礼と、まだまだ未熟な二人ではあるし、これから幾多の困難に見舞われることはあるとは思うものの、夫婦二人で助け合って乗り越えていきたいとの決意を述べ、これで披露宴はお開きとなった。


7.新郎新婦へのメッセージ

 本当におめでとうございます。お二人のこれからの末永いお幸せを心から祈っております。





(令和4年7月10日著)
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