上野の東京国立博物館で開かれているポンペイ展に行ってきた。実は、平成13年(2001年)に江戸東京博物館で開かれたポンペイ展に行ったことがあるので、今回は2回目となるが、その当時と比べて更に発掘や研究が進んだようで、展示内容は、まるで比べ物にならないほど充実している。
二千年前にローマの植民市として繁栄していたポンペイは、ヴェスヴィオ火山を望む風光明媚な地である。港湾に届いた貨物をアッピア街道を経由してローマに運ぶ商業都市であり、またワインやオリーブ油を産する豊かな町として知られていた。ところが、AD79年のある日、そのヴェスヴィオ火山が噴火を始め、火山灰や軽石が降り積もり、これによって家の屋根が落ちて住民が閉じ込められた。翌朝、大きな火砕流と有毒な火山性ガスが一気に街を襲い、全てが焼き尽くされた。そして、地中で長年の眠りについたのである。
18世紀になって発掘が始まり、古代ローマの計画された都市と、そして当時のままの人々の生活の姿や貴重なフレスコ画や彫刻などが地中から現れ、まさにタイムカプセルの扉が開いたのである。本ポンペイ展のHPによれば、ファウヌスの家、竪琴奏者の家、悲劇詩人の家があり、「『ファウヌスの家』は前2世紀にさかのぼる古い邸宅で、『竪琴奏者の家』ではポンペイがローマ化し帝政期になってローマ文化が黄金期を迎えた頃のフレスコ画、『悲劇詩人の家』では噴火直前に描かれたフレスコ画」が知られているとのこと。
ポンペイは、東西1,600m、南北800mの中規模の都市で、東西に2本、南北に1本の大通りが通っていて、人口は1万人程度と言われている。古代ローマの都市に見られるように、公共施設が充実しており、市の中心部には神殿があり、広場(フォルム)、円形闘技場、公衆浴場、運動場などがあった。更には上水道があって、町中の水汲み場、浴場、邸宅へと清潔な水を供給していた。
ポンペイ最後の日に火山灰や軽石や火砕流の下敷きとなった犠牲者の体は、そのまま朽ち果て、それが空洞となっていた。発掘した考古学者がそこに石膏を流し込んだところ、犠牲者の最後の姿があらわれた。中には、うつ伏せになった女性、幼児を守ろうとした母の姿、苦痛に悶える犬などがあって、痛ましい限りである。
ローマの初代皇帝であるアウグストゥスの胸像があった。写実的で素晴らしい。次に、毛織物組合が保護者エウマキアを顕彰するために建てた女性の像は、これまた、まるで生きているようだ。骸骨が描かれているのは革なめし工房のテーブル天板だ。通称メメント・モリ(いつか必ず訪れる死を忘れるな)といわれている。
アウレウス金貨は、立派なものだ。日本の和同開珎のはるか前にこれほどの貨幣が作られていたとは、驚きである。アンフォラというのは、左右対称の2つの持ち手と、胴体からすぼまって長く伸びる首のある陶器製の器のことらしいが、これでワイン、オリーブオイル、穀物などを運んだという。
おや、これは面白い。目玉焼き器あるいは丸パン焼き器というが、大阪のたこ焼きの型そっくりで、思わず笑ってしまった。それと、、、ああ、この時代には既にガラス瓶があったのだ。
これは、街角のパン屋の店先である。山と積まれた丸い形のパンを、客に売っている。ポンペイ全体で、こうしたパン屋が30軒あったとされている。高位の聖職者がパンを人々に施す光景も見受けられたという。炭化したパンの現物も、残されている。干しイチジク、干しブドウ、キビの炭化物もあった。
これは美しい女性像だ。ビキニのウェヌス(ビーナス)という。サンダルを脱ぐところらしい。大理石彫刻で、金色の彩色が施され、目はガラスになっている。見れば見るほど綺麗だ。まさにギリシャ彫刻そのものだ。この当時、ギリシャから彫刻家などがローマ各地に住んで作品を作っていたというから、そういう作品の一つだろう。次は、写実的な男性像だ。ポリュクレイトス「槍を持つ人」とある。ポリュクレイトスとは、紀元前5世紀から紀元前4世紀初期の古代ギリシアのブロンズ像の彫刻家であり、その複製だろう。
黒曜石の杯については、こんな精巧で繊細な美術品が二千年前にあったとは、驚くばかりである。黒曜石の塊から杯の形を掘り出し、その表面に珊瑚、ラピスラズリ(青)、孔雀石、金で、エジプトの人物や聖牛アピスを祀る絵が描かれている。ちなみにこの杯は、2001年のポンペイ展でも展示されていた。
女性頭部形オイノコエの「オイノコエ」とは、「ギリシア陶器の一種。『酒注ぎ』」の意。クラテルからぶどう酒をくんで杯に注ぐための器。円形もしくは三葉形に開いた口縁部と膨らんだ胴部、それに口縁部から突き出て頸部(けいぶ)もしくは胴部に至る大きな垂直の把手をもつ」(出典:コトバンク・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 前田正明氏解説)。それにしても、上目遣いの可愛い顔をした女性である。その次の咢形クラテルの「クラテル」とは、「ギリシア陶器の一種。ブドウ酒を水で割るための器。口縁部が広く,ふくらんだ大きな腹部をもつ。大,小,垂直,水平の把手の形により,鐘形,柱形,萼形,渦巻形に分けられる」(出典:コトバンク・世界大百科事典 第2版 前田正明氏解説)。
ラオコーンの家の饗宴と、ヘタイラ(遊女)のいる饗宴の二枚のフレスコ画で、非常に写実的である。当時の上流階級の豪奢な生活ぶりがわかる。
無名のマトローナ(既婚女性)の家から出土したフレスコ画である。おそらく、この家の女主人であろうか、きりりとしたその表情から、かなり意思が強い人のように思える。
装身具のレベルが非常に高い、そのまま現代でも通じるくらいだ。例えば、蛇のブレスレット、三美神のカメオ、エメラルドのネックレスである。ちなみにカメオとは、「めのう、サンゴ、水晶などの宝石や貝殻や象牙(ぞうげ)などに浮彫りをした細工。また、彫刻の手法で凹形彫刻(インタリオ)に対する凸形彫刻をいう。縞めのうや皿貝の縞を巧みに利用するもので、通常、暗色の層を背景にして、より明るい色層に浮彫りをする」(出典:コトバンク・日本大百科全書(ニッポニカ) 平野裕子氏解説)。
書字板と尖筆を持つ知的な女性の肖像画があった。古代ギリシャの女性詩人である「サッフォー」という通称で呼ばれている。また、小売り用の竿天秤があった。錘はギリシアのユピテル神(ゼウス)と、エジプトのアンモン神(アモン)が習合したものだという。
ヴェスヴィオ火山を背景としたポンペイの全景で、ポンペイが埋没した当時のヴェスヴィオ火山は、今より高くてとがった円錐形だったようだ。それが、その後の数度の噴火で、現在の凸凹のある山頂になった。
猛犬注意のモザイク画で、玄関の床に描いてあって、来訪者に注意を促したものと思われる。ほかに数ヵ所で見つかっているそうな。おお、アレクサンドロス大王のモザイク画があった。アレクサンドロス大王とペルシャ王との戦いのシーンである。
ナイル川の風景のモザイク画があった。水辺に、カバ、鰐、鳥が集っている。これが、ローマ人にとって、異国情緒がいっぱいの風景なのだろうか。踊る牧神ファウヌス像は、非常に写実的で、素晴らしいものだ。ヘレニズム彫刻の典型という。スフィンクスのテーブル脚というのも、単に脚とするにはもったいない。
猪を囲む犬、ライオン、鹿のブロンズ像は、極めて写実的である。通称「ダンサー」ぺブロスを着た女性も、同様である。
(令和4年3月19日著)
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