悠々人生エッセイ



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1.世界における日本の地位が低下

 今から40年ほど前のことになるが、エズラ・ヴォーゲル著「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という書物が出版された。これは、日本人の勤勉さ、教育熱心さ、科学的知識の確かさが、通商産業省と大蔵省による強力な行政指導と相まって、日本経済の圧倒的力となっているということをアメリカへの教訓として著したものである。私は、その頃この本を読んで、つくづく良い国に生まれ、立派な省に入ったものだと思っていた。事実、1980年代の日本は世界第2位の経済大国で、アメリカに次ぐ圧倒的な力を有していた。世界のどこにでも日本人がいて、活躍していたので、頼もしく思ったものである。

 ところがそれからおよそ10年の歳月が経ち、今から30年近く前になると、様子が違ってきた。私が東南アジアに駐在していた時のこと、商社の支店長が嘆いていたことがある。「最近の若い社員が海外駐在を希望しなくなった。これは、誠に嘆かわしい。日本の商社の活力がなくなる。我々の頃には、合繊の反物を担いで、日本から遥か遠い中東やアフリカまで売りに行ったものだ」と。

 そのときは、そんなものかと思っていたら、その90年代のバブル経済崩壊のあたりから、世界における日本と日本人の存在感が、つるべ落としに薄くなり、年を経るごとにあたかも坂道を転げ落ちるごとくの惨状になってきた。その一つの指標として、アメリカにおける日本人留学生の数がある。1994年から97年にかけては、日本人留学生の数は第1位だった。これをピークに年々下がっていって、2017年には、次のように、もはや第9位までに落ちてしまった。いささか古い統計だが、この傾向は、今もさして変わらないだろう。

  第1位  中 国        (32万8547人)
  第2位  インド        (16万5981人)
  第3位  サウジアラビア(  6万1287人)
  第4位  韓 国        (  6万1007人)
  第5位  カナダ        (  2万6973人)
  第6位  ベトナム      (  2万1403人)
  第7位  台 湾        (  2万1127人)
  第8位  ブラジル      (  1万9370人)
  第9位  日 本        (  1万9060人)
  第10位  メキシコ      (  1万6733人)

 貧すれば鈍するということかもしれないが、最近の日本人の質が落ちてきたという意見がある。私が最近聞かされたのは、長年、現地の日本の会社でローカル・スタッフとして働いていて、つい先日、定年で退職した現地の人の言葉である。彼は、「自分が会社に入った頃は、公共のため、社会のため、会社のために貢献する日本人が数多くいて、私は心から尊敬していた。ところが最近、日本から派遣されてくる中間管理職や若い人を見ていると、礼節をわきまえないばかりか、会社を騙しズルばかりして専ら自分の利益を追い求める自分勝手で利己的な日本人が増えた」と言うのである。

 これに対して私が一言弁解したのは、「昔は、海外で勤務するのはそれ自体がステータスで、そういう選ばれた社員はまさに自らをエリートと自覚し、心して勤務をして会社の名誉を守り、また日本人として恥ずかしくないように気を使っていたのだと思う。それに対して昨今は、昔だったらとても海外派遣の対象にもならなかったような程度の人たちまで派遣されているので、そういう心構えがないままに振る舞うから、そう見えてしまうのだろう」ということだ。

 しかし、本当のところは、どうなのだろうか。彼の言っていることも、実はかなり的を射ている。特にバブル経済以降の日本人の「質」とまでは言いたくないが、「公や社会に尽くす精神」がなくなってきたのではないかと、私は密かに思っている。これはなぜかと考えると、1990年代以降の日本経済の停滞にあると思う。「失われた30年」と言われるこの時期、株価や賃金の低迷、デフレーションで、ほとんど成長することができなかった。加えて2008年のリーマン・ショック、2011年の東日本大震災は、経済の低迷に拍車をかけた。2012年からアベノミクスが始まったが、事態の改善につながることはなかった。むしろ、経済格差を広げて中間層の一部が脱落していき、賃金がほとんど上がらなかったことから、若年層に将来への諦めが広がったからだと考える。

 私は一時期、東京大学で客員教授として教鞭を執っていたことがある。教えている中に、中国人の女性留学生が2人いた。この2人の授業にかける熱気が、これまた凄いのである。ところが、タイプは全く異なっていた。うち一人は北京の生まれ、北京大学を経て東京大学の大学院に留学中で、ガリ勉タイプだった。私が彼女のキャリアパスを尋ねると、東大の後はハーバード大学に留学し、そこでアメリカの弁護士資格を取り、日本かアメリカで弁護士をしたいということだった。事実、彼女はその通りのコースをとって、何年か後に気が付いてみれば、大手町の私の法律事務所の隣の事務所で、外国法弁護士として働いていた。もう一人の方は、瀋陽の出身、実に聡明な人で、何でもすぐに頭に入っていくようだった。留学2年目だというのに完璧な日本語を読み書き話し、日本の後にはシンガポールに留学して先生になると語っていた。

 この天才肌の2人と比較するのは気の毒ではあるが、それに対して日本人学生の能力の低さとやる気のなさは、どうにかならないものかと思ったほどだ。でも、中に一人だけだが、ものすごいオーラのようなものを放つ学生さんがいて、授業中はともかく積極的に発言し、聞き、新しいことをひとつでもよいから吸収しようという貪欲な態度で、頼もしかった。卒業時にどうするのかと思っていたら、外資系企業に行った。昔は、こういう人が通産省を目指したものだ。

古河庭園の秋薔薇



2.ハングリー精神の喪失

 どうして、海外に飛躍する夢を持つ日本人がいなくなってしまったのかと考えてみると、いくつかの仮説を思いつく。第1は、日本人はもう現状程度の豊かさで十分に満足してしまって、今更わざわざ外国へ行って面倒な英語その他の外国語を覚えて生活をするという気持ちにはなれないのではないかと思う。つまり、早い話が、日本人はかつてのような外国生活への憧れやハングリー精神を失ってしまったと考えられる。

 昔を振り返ってみると、私が若かった1960年代などは、日本はまだまだ貧しかった。美味しい食べ物は少なく、高速道路はやっと首都高や東名高速が出来たばかり。住宅事情もフランス人から「ラビット・ハッチ」(ウサギ小屋)と揶揄されるほど小さな家に住んでいた。東京では大混雑する通勤電車に1時間以上も詰め込まれ、仕事も、日が変わる頃まで働きづめで、猛烈サラリーマンと言われた。

 そういう中、海外で勤務するのは、非常に魅力的だった。何よりも東京並みの猛烈な仕事をする必要がなくなる。食べ物は美味しい。自宅と勤務先は非常に近い。家族と触れ合える時間や休暇は遥かに長くとれる。ゴルフ場やテニス場はごく近い。もちろん、英語や現地語には苦労するが、まあ1年もあれば、だいたいの用が足せる。それに、下働きの東京での生活と違って、海外では与えられる裁量は大きくなる・・・というわけで、私など喜んで海外勤務を希望したものだ。

 それが、私より10年ほど下の世代から、海外勤務の希望者がだんだん減ってくるとは、考えもしなかった。振り返ってみると、その頃には週休二日制になったし、サービス残業はいけないとうるさく言われるようになったし、周りにコンビニや洒落たレストランなども出来てきた。だから、何も苦労して海外に行かなくともこのままで良いかという雰囲気になるのも、分かる気がする。

 それから、こと留学について述べると、最近では「持てる人と持たざる人との格差がますます開いてしまった」ことから、あまり生活に余裕のない家庭では、高騰する留学費用を出せない親が増えたのではないかと考えられる。私の息子がボストンに私費留学をした2000年代の始め頃には、1年間の留学費用は大学院の学費が250万円、生活費用がほぼそれと同額の合計500万円程度だった。だから、私でも何とか工面することができた。

 ところが昨今は、特に学費が高騰して、生活費用と合わせて1年間合計で1000万円だと聞く。それが2年間で、しかも語学学校の費用などを含めると、2500万円となる。これは、私のような一般家庭では、おいそれと出せる額ではない。いきおい、奨学金という話になるが、よほどの伝手か成績優秀者でもない限り、そんな簡単に得られるものではない。

 もっとも、以上は個人留学の場合で、会社や官庁からの留学はまた別の話である。ところが、こちらも最近は、留学させてもすぐに辞めてしまう。それを防ぐために留学後一定期間内に辞めたら留学費用を返還せよという制度を作ったのに、転職先からその費用を出させて辞めてしまうということで、会社や官庁もあまり積極的に留学させなくなったようである。

古河庭園の秋薔薇



3.悪平等過ぎて競争が皆無

 第2の仮説は、今どきの若い人は、もう小中学生の頃からあまりに平等に扱われてしまって競争原理が働かないままに教育の世界から実社会に放り出される結果、そこで激烈な競争に直面し、精神的にも不適合を起こすからではないだろうか。

 私の子供(といっても、今や堂々の40歳代)が小学生のときに、学芸会の劇を覗いて、驚いたことがある。例えば、「私は、あの山の麓に行きたい」というたった一文のフレーズを、わざわざ3人の子供がリレー形式で、「私はぁー」→「あの山のぉー」→「麓にぃー」→「行きたい」などと、単語にばらして演じていたことである。何と馬鹿馬鹿しいことをやっているかと思ったが、これは全ての児童に文字通り「平等に」、劇に参加させるための工夫なのだと気が付いた。

 私の時代は違った。主役になりたい人は手を挙げて、そこでオーディションをして上手い順に、主役から始まる役を割り当てていくのである。そこには、競争原理が働くので、皆や先生にアピールしようと子供なりに一生懸命やってみることになる。ところが、今はどうだ。こんな平等といっても「悪平等」な世界では、少しずつだが取り敢えず役柄はもらえるので、皆はそこに安住してしまって、自主的に「工夫して伸びる」機会の芽を摘んでしまっているのではないか。

 次に驚いたのが、小学校の運動会である。50m走として4人組が次々と出てくるのであるが、走り出すと、ほとんど差が付かずにほぼ同時にゴールする。中には4人とも遊び半分にチンタラ走った上に、薄ら笑いを浮かべて手をつないでゴールする組もある。見ていて、阿保らしくなった。聞いてみると、差がつかないように、実力が同じ組を揃えているとのこと。

 これらはもう、「悪平等の世界」としか言いようがない。競争という環境の中で、その子なりの工夫と努力をして這い上がるという機会をわざわざなくしているのである。私はつい、「世の中で、実力が同じものばかりが競争するなどというのは、あり得ない。実力と特技が違うものどうしの競争の中から、それぞれがいかに生きていくか、知恵の限りを尽くして考え、練習し、工夫して生き残る道を探る」というのがあるべき姿だと思うのに、今時の教育現場は、一体、何をやっている」とでも言いたくなった。

 私の頃が全て良かったと言うつもりはないが、例えば私は、音楽、特に歌を歌うのが苦手で、体育も小さい頃から病気がち、いわゆる蒲柳の質のせいで、実技は平均以下の成績だった。でも私は腐らなかった。実技はダメだが、代わりにペーパーテストには自信があったからだ。とりわけ国語や歴史や地理は、病気療養のかたわらでたくさんの良書に触れたので非常に得意だった。こういう子供は、音楽や体育の時間はショボンとしているが、テストになると俄然目立つ。それで結構なのである。学問や勉強で生きていけば良いからだ。

 ところがその反面、テストには弱いが身体を動かすのは得意という子供も必ず一定数いる。そういう子は、運動会になると実力がものをいって、1等賞を総なめにして得意満面だ。運動会の全ての種目が自由競争だからだ。まさにそこに、その子が生きる道へのヒントがある。別に学問で身を立てずとも、得意な身体能力を使って生きていく道を探せばよろしいと思う。運動能力が抜群に高ければ、プロ野球やプロサッカーの選手になるなら、人も羨む高額の年収が約束されている。

 それから、成績表の相対評価というのも、競争原理を妨げる馬鹿げた政策だ。これは、「子供の成績がその学習集団全体のどの位置にあるかで評価しようとする」ものである。しかし、これはその学習集団とやらが社会全体のどこに位置するのかで、大きく違ってくる。早い話、全体集団の底辺に位置する学習集団では、その中でいくら良い評価を受けても、全体集団ではトップになれるはずがない。それどころか、全く努力しなくともその狭い学習集団の中ではそこそこの成績をおさめられるから、努力しようというインセンティブが働かない。これは、悪平等そのものだ。

 子供は、そのような生ぬるい教育の世界から、卒業したら飛び出さなければならない、そうやって、いったん実社会に出たとたん、その子は激烈な競争に晒されるのは当たり前のことだ。そこで、大きく戸惑い、自らの無能をようやく意識し、どうしてよいやらわからなくなる。これが、社会的に不適合になる原因ではないだろうか。最近は大人の引きこもりが100万人ほどいると推計されているが、その原因は、子供時代に子供なりの健全な競争を経験していないからではないかと思う。

 会社がまだ年功序列の時代だった頃はまだしも、最近のように成果主義によって立つ時代になると、たちまちノルマや成績で振り分けられるようになる。こんな相対評価の生ぬるい評価で育ってきた人間には耐えられないはずだ。だから、既に教育の世界から絶対評価の下でしっかりとした競争に晒されるように配慮すべきだと考える。

 世界は、国どうし、また企業どうし、激烈な競争に晒されている。その中で、日本企業は競争に打ち勝っていかなければならない。それにもかかわらず、企業の基礎である社員が、そのような悪平等が過ぎて競争が皆無の世界に安住していた人間ばかりだとすると、野心ある発想など生まれるはずもなく、ましてや世界に伍して国や企業を発展させることは、とてもできないと考える。こういう状況は、日本の国や企業にとってはもちろん望ましくないし、またそういう社員自身にとっても、非常に不幸なことだと思うのである。

 2021年のノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんは、日本を飛び出して米海洋大気局に勤務して米国籍を取得した。そして「日本に戻りたくない」と発言したが、その真意として、「アメリカでは、学会で侃侃諤諤の議論をし、ライバルの意見を取り入れて研究を進化させてきた。ところが日本では、ボスが自らの後継者を育てるために若手を使っているだけで、これでは新しい分野を切り拓く創造的な研究は生まれない」という趣旨のことを語っていた。私の意見と相通じるところがある。

古河庭園の秋薔薇



4.優秀な才能の芽を摘むな

 もっとも、この私の意見は、成長する社会の先端を走る人々のことを念頭に置いている。いわば国を牽引する機関車のような、こういう人々がいないと、他国に伍して国の成長を図ることはできないし、そうして大きくした国富がないと、社会に適切に分配することもできない。こういう人々は、日本の社会ではしばしば異端扱いをされて、その芽を摘まれてしまうのが常である。この悪弊をも正さないと、せっかくの国をリードする才能をつぶすことになりかねない。

 私の初孫はインターナショナル系の保育園に通っていたのであるが、文京区の私の家に同居することになった。そして、近くの区立幼稚園に入園するつもりで、園長の面接を受けた。家内が付き添ったのであるが、その様子を聞くと、こんなことだったらしい。

園長 (リンゴの絵を示して)これは、何ですか。

初孫 おー。イッツ アン アポー (完璧な英語の発音)

園長 ダメよ。リンゴでしょう。

 私はこれを聞いたとたん、とんでもない幼稚園だと思った。こういう「異端の芽を摘む」ようなことをやっているから、日本はダメになるのである。とりわけ、これからの社会では英語がいかに大事になるのか、全くわかっていない。いやもう、本当に情けなくなった。

 ちなみにこの子は、そんな幼稚園に通うのはやめて東京のインターナショナル・スクールに通い、それから中高一貫校に進学した。その結果、英語も日本語もできる次世代仕様の人間になった。これから世界を股にかけて活躍してくれることを心から願っている。




(令和3年11月11日著)
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