目 次 | ||
0 | プロローグ | |
1 | 東京から十和田湖へ | |
2 | 奥入瀬渓流を歩いて下る | |
(1)子ノ口から銚子大滝まで | ||
(2)九段の滝 | ||
(3)雲井の滝 | ||
(4)阿修羅の流れ | ||
(5)石 ヶ 戸 | ||
(6)盛 岡 駅 | ||
3 | 浄土ヶ浜へ行くも残念ながら雨 |
0.プロローグ 新型コロナウイルスの第5波が日本列島で猖獗を極めていた8月頃、私は「1日当たりの患者数が25,992人(20日)となっては、これはダメだ。今年は海外どころか国内への旅行もできない。もう2年近く旅行をしていないのに、何ということだ」と思ってすっかり諦めていた。ところがどうしたことか、10月に入って感染者数がみるみるうちに減っていき、10月23日には東京都の感染者数は32人と、7日連続で50人を下回った。全国でも283人だ。しかも全国都道府県に出されていた緊急事態宣言は9月30日には解除された。 ああ、これなら旅行に行けそうだ。今は秋なので、紅葉の写真を撮って来ようと思い立った。ただ、10月下旬では関西方面の紅葉には早すぎるので、東北ならどうだろうと思って、かねて秋に行きたかった奥入瀬渓流を選んだ。その帰りには三陸の震災遺構でも見学しようと思って調べてみた。 そうすると、第1日の予定として奥入瀬には、まず東北新幹線で八戸まで一気に行ってそこからバスに乗り、十和田湖で下車して休屋で泊まる。翌朝、子ノ口から渓流を歩いて下ればよいとわかった。旅行ガイドには、その逆に八戸からバスで石ヶ戸に行ってそこから歩いて十和田湖まで登って行けば良いとあるが、それだと子ノ口到着の頃には日が暮れてしまって写真を撮ることができない。また、登りより下りの方が楽だ。 第2日は、朝から夕方までかかって八戸に下り降りてから、東北新幹線で盛岡まで行ってそこに泊まる。第3日は、盛岡から宮古に行って三陸鉄道山田線で田老まで行こうとした。ところが、そもそも山田線は2時間に1本しかないほどの過疎線だ。これでは、夕方遅くに盛岡まで帰ってくるのは不可能となる。そういうことで、目的地をかねてから行きたかった宮古の浄土ヶ浜に変更した。 結論から言えば、今回の旅は、50点だ。というのは、十和田神社でのフェスタ・ルーチェでマイナス10点、奥入瀬渓流では紅葉が3割程度だったのでマイナス10点、そして浄土ヶ浜の雨でマイナス30点だったからだ。でも、奥入瀬渓流は晴れて気持ちよくトレッキングすることができたし、記念になる写真やビデオを撮ることができて、これに限っては大いに満足した。 1.東京から十和田湖へ (1)八戸駅でバスの切符売場を求めてさまよう 10月24日の日曜日は、文京区の自宅を朝8時過ぎに発って、東京駅から、はやぶさ11号09:08発に乗ると八戸12:01着で、八戸からJRバスおいらせ号13:20発、十和田の休屋に15:35着となる。そこで泊まるという日程だ。 東北新幹線は順調に走り、定時で八戸に着いたのは良かったのだが、八戸駅でおいらせ号のバスの切符を買おうとして最初の問題が発生した。標識の指示通りに改札のある3階から1階へと降りて行ったが、どこにも切符売場らしきものはない。また改札に戻り、みどりの窓口を見て、「JRのバスなのだから、ここで売っているのだろう」と思って聞くと「ここではない。2階の観光案内所に行って聞いてください」という。 仕方がないので、観光案内所で訪ねたところ、「1階のバス乗り場1番から出ています。現金がなくとも、Suicaがあればそれで乗れます」とのこと。「また八戸に戻って来られるなら、往復切符を買えばお得ですよ」とも言われた。 その言葉で振り出しの1階バス乗り場1番バス停にまた戻った。そして、そこにあった表示をたまたま見ていたところ、「往復切符は、2階のコンビニで売っています」とある。「なんだ・・・いまその前を通って来たばかりなのに」と、がっかりした。 困ったことはそれだけで、午後1時20分発のバスに乗ったら順調に走り、明日歩くつもりの奥入瀬渓流の見所の予習をしながら登って行った。十和田湖の子ノ口(ねのくち)に出て、それから終点の休屋(やすみや)で降りたのは、定刻の午後3時35分だった。十和田湖では、湖岸の紅葉が色づいていた。 さて、まだ明るいうちに有名な「乙女の像」(高村光太郎作)を見て来ようと、湖畔に沿って歩いて行った。(一社)十和田湖国立公園協会のHPによると、「光太郎は『湖水に写った自分の像を見ているうちに、同じものが向かい合い、見合うなかで深まっていくものがあることを感じた。それで同じものをわざと向かい合わせた・・・二体の背の線を伸ばした三角形が″無限″を表す・・・彫刻は空間を見る。二体の間にできるスキ間に面白味がある』とモチーフを語った。 佐藤春夫も『十和田湖の自然を雄大で静かで、内面的な風景と見て、そうした自然の味わい方を表現したもの』と解釈していたという。そして、完成後、『あれは智恵子夫人の顔』といわれるようになったが、それを確かめた横山武夫に対し光太郎は『智恵子だという人があってもいいし、そうでないという人があってもいい。見る人が決めればいい』と答えたと言われており、また『体の方はモデルがいました。藤井照子、当時19歳。東京のモデルクラブに所属する姉妹の1人』とのこと」。 この声で、すっかり私は現実の世界に引き戻されてしまった。この像は、昭和28年の完成ということなので、もうかれこれ68歳かと一瞬思ったものの、いやいや青銅の像が歳をとるはずもないと頭を振り払う。しかし考えてみると、当時の19歳の肉体そっくりに作ったならば、やはりそれは「昔の乙女」の姿に他ならず、髪型も昔のままなので、現代の女性からすれば、昔の女性の体型と思うのは、当たり前かとも思った。 さて、再び休屋の中心部に戻って、今晩泊まるホテル十和田荘へ行き、チェックインをした。大きな和室に案内され、そこでまず一服した。数日前の天気予報では、十和田湖の最高気温は12度、最低は1度ということだったので、厚いジャケットに冬物のコートという冬支度をして来てみたら、何のことはない。最高18度、最低6度と、東京と変わらない。だから、この格好で少し動いただけでも大汗をかく。コートもジャケットも脱いでもまだ暑い。部屋ですっかり着替えて、一息をついた。 (3)十和田湖フェスタルーチェは失敗作 午後5時半から、十和田神社で「十和田湖 FeStA Luce」が始まるという。そのフェスタルーチェ実行委員会によれば「日がくれる頃より、大きな樹木で囲まれた鳥居をくぐり、イルミネーション、ライトアップ、プロジェクションマッピングなど、森に溶け込んだ光と音の演出で湖畔を帰る約1kmの道のりを歩いて行きます」として、「第1章 光の紅葉物語」、「第2章 光の冬物語」をするが、今回は第1章だという。 2.奥入瀬渓流を歩いて下る 奥入瀬渓流は、十和田湖から流れ出る奥入瀬川によって形成され、国の特別名勝、天然記念物に指定されている。十和田湖からの流水が調整されていることと、そのゆるやかな勾配のため、川の中の小さな岩や倒木にも、苔やシダや潅木が自生し、しっとりとした美しい景観がつくりだされている。私は、今回が3回目の訪問である。 子ノ口から、階段を下り、さあ、これから奥入瀬渓流トレッキングの始まりだ。それが狭くて急な階段で、もう少し工夫があれば良いのにと思う。それとも、ほとんどの観光客がバスで素通りするから、そんなところにお金をかけないのかもしれない。奥入瀬歩道案内図があった。なかなかわかりやすい。 私がそうやって感激して写真を撮っていると、突然、賑やかな若い女の子たちが4〜5人連れ立ってやってきた。そして、滝を見たとたん、異口同音に「やばい」、「やばい」、「やばい」と言う。もっとほかに表現する言葉はないのか・・・語彙が乏しいのか・・・やばいという表現は、私の若い頃はヤクザのお兄ちゃんの言葉だ。「兄貴、やばいことになってますぜ」という具合に使われたものである。 奥入瀬谿谷の賦 佐藤春夫 瀬に鳴り渕に咽びつつ 奥入瀬の水歌うなり しばし木陰に佇みて 耳かたむけよ旅人よ うれしからずや谿深み 林のわれを養ふは 水清くして魚住まず 望すぐれて愁(うれい)あり 十和田の湖の波の裔(すえ) 身の清冽を愛(を)しめども 深山を出でて野に向ふ 身を現実こそ是非なけれ 友よ谷間の苔清水 歯朶(しだ)の雫よ瀧つ瀬よ やがて野川に濁るべき 明日の運命は欺かざれ しばしは此処にいざよひて さみどり深く閉したる高山の 気を身に染(し)めん 花も楓も多(さわ)なるを 林に藤の大蛇(おろち)あり 谿に桜の鰐朽ちて 何をか求め争うや わが幻をにくむかな さもあらばあれ木洩日の 漂う波に光あり 水泡(みなわ)はしろく花を咲き 鶯老いて春長し もしそれ霜にうつろはば 狭霧のひまの高麗錦(こまにしき) 流れる影も栄えあり みな一時の夢ながら わが行く前の十四キロ ここに歌あり平和あり また栄あり劣らめや 浮かべる雲のよろこびに ちなみに、この近くに佐藤春夫の詩碑があり、そこには次のように書かれているというが、草が繁茂していて、どうにも見つけられなかった。 奥入瀬渓谷の詩 佐藤春夫 おちたぎり急ぎ流るる なかなかにみつゝ悲しき 行きゆきて野川と濁る 汝(な)が末を我し知れれば (2)九段の滝 (3)雲井の滝 (4)阿修羅の流れ (5)石ヶ戸 (6)盛岡駅 早めに着いたので、県庁所在地で夕食を食べた方が良いだろうと思い、持っている指定券の時間を早めて、午後6時半過ぎに盛岡駅に到着した。そのまま、駅ビル内で「十割そば」という看板を見つけて、そこに入った。店に入ると、新型コロナウイルス対策で紙に氏名と電話番号を書かされた。面倒だが、仕方がない。そういえば、このパンデミックが始まった昨年、岩手県は陽性者が最後まで出なかった県であることを思い出した。注文は、天麩羅蕎麦にしたが、とても美味しかった。 そこから、駅前ロータリーの反対側にある「ダイワロイネットホテル盛岡駅前」に歩いて行って泊まった。これは、今月からオープンしたばかりのホテルで、全ての設備が新しくて気持ちが良かったし、朝食の種類が豊富でしかも美味しくて、言うことがないほどだった。ところが、強いていえば、問題があったのは、シャワー室の設備である。バスルームにシャワースペースとバスタブがあるが、そのシャワーの栓を上方に上げると、なんとまあ天井の丸い穴から雨のように冷たい水が降ってくる。不意打ちで突然の雨に遭ったようで、冷たくてかなわない。あわてて栓を下に下ろすと、やっとシャワーヘッドからお湯が出た。よく見ると、小さな字で説明がある。しかし、こんなもの、誰も見ないで栓を捻ってしまうだろう。これだけが問題だったものの、朝食がともかく美味しかったから、ビジネスホテルとしては文句なしのところだった。 3.浄土ヶ浜へ行くも残念ながら雨 昨日は山を見たので、今日は海というわけで、三陸海岸で最も有名な浄土ヶ浜を見てくることにした。盛岡駅からJR山田線に乗ろうとしたが、2時間もかかる上に、最初に出る午前11時の便で、遅すぎる。その次は午後1時の便だ。これでは不便で役に立たない。ではバスはどうだろうと思って調べると、岩手県北バスがあった。1時間おきに出ていて、掛かる時間も1時間45分だ。なるほど、地元の皆さんは、こちらを主に使っているようだ。では、これにしよう。 宮古市から浄土ヶ浜に向かう岩手県北バスの中の広告放送で、こういうのがあった。「◯◯整形外科です。日本古来の大和心(やまとごころ)の精神で、皆さまの社会復帰をお助けします。頑張ろう日本、頑張ろう岩手」・・・これには笑えてきた。面白い。とりわけ、「日本古来の大和心の精神」というのは、気に入った。それは良かったのだが、宮古に近づくにつれて、雨足が強くなってきた。これでは、あまり良い写真は撮れないかもしれないと、少し諦めの気分になる。 どうかして最も短いルートはないかと地図を見たら、南の「浄土ヶ浜ビジターセンター」で降りるか、それとも北の「奥浄土ヶ浜」まで行ってそのビジターセンターに戻ってくるかという選択だ。後者の方が、往復する必要がないので歩く距離は短くなる。ではそうしようと思い、今乗っているバスの行先を「乗換案内」のアプリで調べると、ちょうど終点が「奥浄土ヶ浜」だ。これは良いと思い、そのまま乗っていた。「浄土ヶ浜ビジターセンター」を通り過ぎ、「第三駐車場」を通り越し、そろそろ「奥浄土ヶ浜」のはずだと思ったら、「佐原団地」だというので、これは間違ったと思ってそこで降りた。 これは困った。「乗換案内」のアプリを信じすぎた。「NAVITIME」や岩手県北バスのWebサイトとダブルチェックをすべきだった。でも、あの揺れるバスの中では無理だ。今回は奥入瀬渓流についてはかなり調べたが、浄土ヶ浜は市街地の中だから真剣に調べなかったから、こんなことになってしまった。仕方がない。ではどうするか。次の反対方向のバスに乗るために待つと、寒くて風邪をひくかもしれない。バス停2つ分だから、歩いても高々30分に過ぎない。雨は降っているが、それほど強い雨ではない。では、歩くかと思い、傘をさして歩き始めた。幸い、立派な道路があり、Googleマップも見られる。道を誤る心配はない。 (2)浄土ヶ浜レストハウスで救われる この雨の中、どこか濡れないで過ごせるところはないかと地図を見たら、「浄土ヶ浜レストハウス」がある。そこを目ざして山の中の道を歩いて行くと、下の海岸にそれらしき建物を見かけたときは、嬉しかった。お昼を過ぎていたので、やっと座って休めるだけでなく、食事をすることができる。これは助かった。看板メニューの「トラウト瓶ドン」というのをいただいた。瓶の中にあるトラウトの中味を真ん中の白いお皿に入れて食べ、最後は右上の赤い入れ物の中の出汁を左下のご飯に掛けて、お茶漬けにするという。これでお値段は1,500円だから、観光地価格だ。しかし、まあ美味しかった。 その浄土ヶ浜レストハウスの前が「奥浄土ヶ浜」のバス停だったので、そこからバスに乗って宮古市に出た。何しろ雨なので、市内を見物することもせずにそのまま盛岡駅に帰った。盛岡駅ビルでは、また十割蕎麦をいただき、そのまま東京新幹線で帰るつもりが、盛岡駅構内で「漁火弁当」なるものを見つけた。真ん中に大きな帆立貝があって、それが目玉で、上から順に、蟹の身、イクラ、貝が並んでいる。その魅力には勝てずに、新幹線車内でいただきながら帰京した。 (令和3年10月26日著) (お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |
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