悠々人生エッセイ



湯島天神本殿




1.湯島天神の聖と俗

湯島の白梅


 近くの湯島天神に初詣に出かけた。この神社の2月は受験祈願と梅まつりが重なってまあその忙しいこと。片方では、受験祈願と合格お礼の絵馬で鈴なりであり、他方では、変わったベリーダンスや中国の雑技のパフォーマンスがある。いつぞや悟ったことであるが、上野の下町にあるこの湯島天神は、学問の神様として知られる菅原道真を祀った「聖」と、それから下町風の「俗」とがほどよく入り混じった有難い社(やしろ)なのである。

    東風吹かば 思い起こせよ 梅の花
    主なしとて 春な忘れそ

                  菅原道真


 湯島天神といえば、まずこの句を思い出す。事実、 受験シーズンになると、この神社は必死になっている受験生でいっぱいになる。これを「聖なるもの」とすると、それだけでなく、この神社には下町の社という側面もあり、同じ2月の梅まつりの出し物は、結構、「俗っぽい」のである。

 この日、天気はいいが、吹きすさぶ北風が冷たく、耳が痛くなった。ちょうど北陸の方は一晩に何十センチも積もる大雪のようなので、そちらに雪を降らせてから山越えをしてきた寒風に違いない。フード付きのダッフル・コートを着てくるべきだった。

 そんなことを思いながら15分ほど歩いて、湯島神社に着いた。もう1月の6日なので、神社の中は、初詣客というより、受験生でいっぱいである。「確か、うちの子たちの受験の年には、心の中でドキドキしながらここで絵馬を書いていたっけ」と思いながら見ると、もう絵馬を掛けている場所は鈴なりである。


2.太りに太った絵馬

太りに太った絵馬


 それにしても、この絵馬の数は半端ではない。馬の胴体並みどころか、太りに太った牛並みの胴体である。すごいなぁの一言である。近づいてみると、いくつかの絵馬が裏返しになっていて、願い事が読める。これを何枚か読んでいると、本当に面白いのである。いや、受験生を笑っているのでは決してない。私のような歳になると、この年頃の若い人たちの「生の作文」を目にすることは絶えてないので、そういう意味で実に勉強になったのである。

 そこで、それらの一部をデジカメで撮って、家に持ち帰った。こういう絵馬にもプライバシーの問題があるので、個人を特定できる部分はしっかりと消しつつそれらの写真を掲載し、それぞれの筆者の願い事なり、人生感なりについて考察してみることとしたい



3.全員合格祈願

全員合格祈願


 平成12年初春の湯島天神の絵馬を拝見しよう。まず、この絵馬は、書くのにかなり時間がかかったはずである。文章も図柄も非常によく書き込んでいるし、今年の干支の蛇を二匹も描いている。それにしてもこの子は思考のスケールが大きい。「世の中の」とか「世界中の」という言葉をたくさん使っている。「世の中の受験生が全員合格出来ますように」とは、受験生の数が減った最近だからこそ説得力がある言葉で誠に結構だが、我々がベビーブーマーと言われた時代には、そんなことを思いもつかなかった。いまや競争がなくなって、平和な時代に入ったようだ。

 「世界中の皆様の健康状態を良好に!!」「世界中のサラリーマンの給料UP!!」というスローガンも良い。日本国憲法の精神が行き渡っているとみえる。「今年はおみくじが初めて大吉だったので、きっと幸せな一年だろうと思っている」というのには、笑ってしまった。この子は本当に今まで、おみくじに縁がなかったのだろうか。いずれにせよ、大吉、誠に結構である。引き続き希望を持って楽しくこの1年をすごしていただきたい。



4.スチュワーデス志望

スチュワーデス志望


 これは、もちろん女の子の絵馬でスチュワーデスになるのが希望のようである。これは昔から、女の子のあこがれの職業だった。海外旅行が今ほど日常化していなかった時代には、自在に海外に行けて、かつ英語をしゃべるスチュワーデスは、一種の社会的エリートであったといっても過言ではない。ただ最近では、航空自由化の荒波を受けて、給料は下がるし、パートタイム的な勤務形態も増えるし、仕事はきつくなるしで、昔ほど優雅な職業ではなくなったと思う。

 まあそれでも、このように志望する若い女性がいることは、たいへん結構なことである。この人は2機の飛行機を描いているが、その上にはJAL、下にはANAと書き込んである。なかなか配慮の行き届いた人とお見受けする。ただね、「TOEC」ではなくて確か「TOEIC」だから、受験願書では間違えないようにね。それから、この人の書いている「カラーコーディネーター」って、何だろう。公的な資格でもあるのだろうか。ともあれ、こういう夢がある人には、その夢を目指してぜひ頑張っていただきたい。



5.ラブソングと鳩

ラブソングと鳩


 これは、まあ何というか、本当におもしろい人である。Love Song がいきなり出てきたり、英語も使ったり、平和の鳩の絵まで描いてある。発想がいろいろと飛ぶ方らしい。そのくせ「かぜをひかないように」などと、案外用心深いところもあったりして・・・。ただ「センターで実力はっき」とあるけど、「発揮」と漢字で書いたら、センターの点数がもっとよくなるのではないかと、よけいな心配をした。



6.一橋大学合格

一橋大学合格


 この絵馬を見た瞬間、これを書いた学生さんの人となりや性格がわかった。きっと、何事もきっちりと処理しなければ、気が済まない人なのであろう。この調子でバリバリ勉強していけば、大丈夫、あなたは必ず合格すると私が太鼓判を押したい。しっかりやってね。



7.カップルの願い

カップルの願い


 会社員のカップルが書いた真面目で楽しい絵馬である。何とも心の中が温かくなった。こういうカップルがいると、日本という国も、まだまだ捨てたものではないと考える。まず「おばあちゃんが元気になりますように」という。いいお孫さんだ。次に「私の初仕事の□□□本がたくさん売れますように」と書かれてある。初々しい会社員一年生かもしれない。

 3番目に「仕事やいろんなことを通してたくさんの人に出会い、自分を成長させることができますように」である。たいへん良い。最後に、「5下の彼氏とずっと仲良くできますように」とのこと。「5下」とは何かと思ったが、5歳下という意味ではないか。まあ、あまり気にするほどのことではあるまい。

 その下にその彼氏が付け加えた一文がある。「みんな健康で楽しく過ごせますように、あと、彼女とは仲良く。他人には厳しく。いつもどおりで楽しく生きていけますように」とある。ただ、このうち「他人には厳しく」というのは「優しく」あるいは「自分には」の間違いかどうか、こちらの方がいささか気になるところである。



8.なるようになるさ

なるようになるさ


 私は、この絵馬が一番面白かった。まず本人が大きく「合格祈願」と書いた。その下にお父さんが「最後まで気を抜かずに全力を尽くすこと」と訓辞を垂れた。その下におばあちゃんが「希望の医学部へ合格出来ますように」と、心をこめて書いた。ところが最後にたぶん弟であろうが、「なるように なるさ」と書いてしまって、全体の雰囲気をぶちこわしてしまった。ただ、この家庭の暖かな雰囲気がただよってくるような良い絵馬である。今年の絵馬大賞をさしあげたい。



9.海外留学組

海外留学


 これはまた今はやりの海外留学組らしい。650点とは相当な高得点であり、これは遊び組ではなくて、どうやら本物らしい。ただ、その得点を実際に取れるのであれば、狙っている大学をもう少し高いものにしてはどうかと思う。いずれにせよ、海外に雄飛し、頑張ってほしい。なお、左隅に遠慮しながら小さく書いて、彼の合格を祈る彼女の姿がほほえましい。



10.資格取得組

資格取得


 これは、技術職の会社員の方であろうが、たいへんな勉強家のようである。高圧ガス保安責任者、電気主任技術者、電気エネルギー管理士それに消防設備士。いや、これだけかたっぱしに受験して、果たして受かるものなのだろうか。人ごとながら、心配する次第である。こういう資格の取得は、それこそ若いうちにしかできないので、体を壊さないように、やっていただきたいと祈るばかりである。



11.巨大絵馬

巨大絵馬


 境内に入って目に入ったのは、この馬鹿でかい巨大絵馬である。かわいいマンガの人物(キャラクター、略して「キャラ」というそうな)が描かれていて、その下は虫眼鏡で見るような名前が並んでいる。その回りを中年のおじさんが3人ほどたむろしている。

 さて、いったい何が起こるのかと見ていたら、その中の頭の薄いおじさんが、かわいい女子中学生が通りかかるたびに何か話しかけて、にべもなく振られている。それでもくじけないで続けていると、そのうちようやく何人かと話がついたようだ。その子たちは、きゃあきゃあ言いながら巨大絵馬の前に並んだ。

 なんだ、撮影会の手の込んだ無料モデル探しである。どうやら、某新聞の中学生版の編集者とカメラマンだったらしい。しかし、今は中年になっているこの人たちも、昔は希望に燃えて新聞社に入社したであろうに、まさか20数年経ってこんなことをしているとは、想像もしなかったのではないか。



12.絶体絶命のピンチ

絶体絶命のピンチ


 さて、絵馬の中で目に付いたのは、この「絶体絶命のピンチをお救いください」というものである。なになに「もう留年できないのです。進級させてください」だって。慶応の大学生である。私がこの子の父親なら「このバカ!」といって、頭の上をコツンとやるフリをするところである。

 この大学生は、それだけでなく、来年の就職までこの機会にちゃっかりお願いしているという甘ちゃんである。しかし、「どうか道真様−−」と呼びかけていたり。いとこ達の受験も頼んでいるところなどは、なかなか愛嬌のあるヤツである。いや、いけない、いけない。情けは人のためならず。慶応の先生、こういう世の中を甘く見ているヤツは、本人のためにも留年させるべし。



13.切なくなる母心

切なくなる母心


 これはもう、切なくなるような母心を感じる。今回の数ある絵馬の中でも白眉である。2月1日 女子学院中学校と書いてそのあとに「こんなに努力した子はいません。合格できますように。お願いいたします。」とあり、その横に再び受験日らしき2月2日のあとに慶応湘南中等部という受験校を書いて、さらに同じ文句を書いている。別の子について同じ文句を繰り返すのならともかく、受験生ひとりの受験校ごとにおまじないのように二度も書くのであるから、これはもう、すごいのひとことである。まさに、お母さんのお母さんによるお母さんのための(?)鬼気迫る合格祈願である。


14.喜びもいっぱいに抱きたい

喜びもいっぱいに抱きたい


 これはどうだ。「精一杯の努力をした。喜びもいっぱいに抱きたい。私立高校の合格を 祈願」だって。これを書いたのは、受験生のお父さんなのだろう。大人の立派な文章で、しかも達筆である。まさに、脱帽というところである。大丈夫。あなたのお子さんは絶対に合格すると、私が太鼓判を押してあげたいくらいだ。



15.禁忌を踏みませんように

禁忌を踏みませんように


 これはまた、医学部らしい。几帳面に「48回 卒試」「95回 国試」などと書いている。なぜ、こんなどうでもいい数字を知っているのか不思議である。そのあとの「禁忌を踏みませんように」というのは業界用語である。医師国家試験には、出来の悪い医者を排除するため、患者の死に繋がったり法律違反となるような誤答を一定数以上したときは、それだけで不合格とする制度がある。しかしそれにしても、この絵馬の表現は、まるで地雷か落とし穴のようであり、よく感じがでている。



16.凶のおみくじ

凶のおみくじ


 「今年2度目の凶のおみくじを引きました。どうぞ普通の運に変へて下さい」というお願いだ。そもそもこんな祈願ってありなのかどうだかよくわからないが、焦っている気持ちはわからないでもない。しかし、最初から御神籤など引かなければ良いのにという気がしないでもない。



17.ベリーダンス

ベリーダンス


 とまあ、以上が必死になっている受験生の様子であるが、しかしその反面、湯島神社は上野という東京の下町の神社であり、地元住民向けに、梅まつりと名うっていろいろな出し物をやっている。カラオケ大会、地元婦人会の踊り・・・、などというのはまだ理解の及ぶ範囲内である。しかし、この「ベリー・ダンス」などというのは、もう私には想像を絶するものである。

 つい、数日前までは、受験生が鈴なりでいたその同じ境内で、またこれは、俗っぽい行事をやっているものだと思うが、そういえば、泉鏡花の婦系図・湯島の白梅での、お蔦と主税の話もあるくらいだから、まあ、ベリー・ダンスも相応なのかもと納得した次第である。いずれにせよこのあたりの融通無碍さが、この神社が14世紀以来生き残ってきた秘訣なのかもしれない。



18.日本舞踊

日本舞踊




 その3年後であるが、また別の年の湯島天神梅まつりに行ってみると、このように日本舞踊を優雅に踊っていた。和服も日舞も三味線も、誠に梅まつりにふさわしい。





(平成13年1月6日著、令和3年7月30日追加)
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