悠々人生エッセイ



動く芸術インデックス



     目 次
   動く芸術
   和風の世界
   洋風の世界
   季節の香り
   南国の風景


0.動く芸術

 「動く芸術」とは、私がまだパソコン初心者だった頃の2004年から4年間ほど、このホームページ「悠々人生」に掲載した「動く画面」のシリーズである。元々は、私がホームページを作成するために使うHTMLJava言語の練習のために始めたもので、併せて自分のホームページが少しでも彩りのあるものになれば良いなという程度の気持ちであった。

 ところが、知識や技術を得るにつれ、とりわけJava言語を使って画面上で自由に桜の花びらや雪を降らせたり、熱帯魚をひらひらと泳がせたり、動きを次第に複雑なものすることができるようになった。これにバックグラウンド・ミュージックをも追加すると、なかなか雰囲気のあるものに仕上がる。時には、プログラム中にあまりにも多くの要素を詰め込みすぎたので、画面の動きが重たくなってしまったこともあるが、そのうち、装飾、音楽そして動きの間で適度な釣り合いを見い出すことができるようになった。

 これまでのところ、和風の世界洋風の世界季節の香り南国の風景というジャンルに分けて、約50作品ほど作ったことになる。その過程で思い当たったことは、「良いものを作るためには、プログラム能力というよりは、結局のところ芸術的感性があるかどうか、そしてそのためにパブリック・ドメインから適当な画像や音楽を探してくることができるかどうか」ということである。なお、BGM(音楽)を聞くときのボタンは、各作品の左下にある。

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1.和風の世界

庭の錦鯉


 まずは、「和風の世界」をご紹介したい。比較的初期に作ったのは、「庭の錦鯉」である。この背景となる画像は、北区にあるバラの名所の古河庭園の日本庭園である。池と灯篭の組み合わせが私のお気に入りである。その池で、錦鯉が生き生きと泳ぎまわっているので、それを写し取りたかった。画面の下半分で3匹の錦鯉が水面下で泳いでいるのがわかるだろうか。これは、ちゃんとしたGif画像をまず作り、それをあたかも池の中にあるようにしている。亀と蛙は、既存の画像を使わせていただいている。ただひとつ、心残りなのは、水面から飛び上がる鯉が、水面に落ちるときに「ポチャン」と水しぶきが上がるはずなのに、それを描けていないところで、そのうち何とか改良したいと思っている。

笑点劇場


 「笑点劇場」は、ご存じの落語家が出演する番組であるが、飲み物のおまけについていたこれら落語家の顔のフィギュアを集めている子がいて、ウチの息子がその子からいただいたワンセットの人形から写真を撮って、それを画面一杯にダイナミックに動かしている。

歌舞伎


 「歌 舞 伎」 というのは、歌舞伎役者の大見得の瞬間を画像にして、それを動かしているだけであるが、まあ何とか雰囲気は出ていると思っている。これに、「よっ! 成駒屋!」などという掛け声を入れたいと思っているのだが、適当な音源が手に入らないので、そのままとなっている。これも、ちょっと心残りなところである。そのうち、歌舞伎ファンの友達にでも、やってもらおうかと心積もりをしている。引退したら、やることが多い。

悠々人生訓


 「人 生 訓」 は、東西の名言や箴言、たまには私自身の言葉も入れて、浮き上がるように作ってみた。こうすると、何となくもっともらしいので、面白い。それにしても、「ともかく、結婚してみよ。そしてもし君が良い妻をもったら幸福になるだろう。逆に悪い妻をもったら哲学者になるだろう」(ソクラティス)なんていうのは、出来すぎている。悪妻で名高いクサンティッペからくる後世の贋作ではないかと思うが、それにしても(要は、他人事だけに)やはり面白い。

桜と蝶鳥の舞


 「桜と蝶鳥の舞」 というのは、私にとって記念すべき第2作目である。背景の岩木山と桜の木の組み合わせと、鳥や蝶の組み合わせが、やや幻想的でシュールな感じがするのではないかと思う。いや実は、こういう画像しか見つからなかっただけなのである。これを怪我の功名というべきなのかもしれない。


【後日談】 私は、この「動く芸術」シリーズで、Javaを多用していたが、その後、私が使っていたJavaの一部のプログラムが普通のブラウザではサポートされなくなった。拡張子が「.js」のはまだ使えるが、同じJavaという名前でひとまとめにくくられていた拡張子「.class」は全滅してしまった。これはコンパイルする必要があるのでコンピューターウイルスが仕込まれる起点になることがあったからなのか、あるいはもっと効率のよい手法ができたことによるものなのか、よくわからない。

 また、ブラウザを動かすHTMLがバージョンアップされたせいで、昔のタグが使えなくなったものもある。加えて、バックグラウンド・ミュージックも、かつては拡張子「.mid」が全盛だったのに、いつの間にか「.mp3」の時代になって、前者は普通のブラウザーでは再生されなくなってしまった。それやこれやで、いったん作り上げた作品も、その部分を削除したり別のプログラムを組み込んだりする必要が出てきて、中には作りたての時のような魅力ある作品ではなくなったものがあるのは、いささか残念である。

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2.洋風の世界

恐竜時代


 「洋風の世界」について、ご紹介したい。まず、我ながら結構、気に入っているのは「恐竜時代」である。上空には翼竜プトラノドンが飛び、右から左へと草食竜のアロサウルスが逃げてくる。それを肉食竜ティラノサウルスが追いかけているという構図である。バックグラウンド・ミュージックもオッフェンバックの「天国と地獄」だから、追いかけっこにふさわしい。

 単純といえば単純なのだか、これをしばらく見て聞いていても、我ながら飽きることがない。それに、プログラム上、いつまで経ってもティラノサウルスは永久に追いつくことがないので、安心なのである。そのうち、追いつかせて、ガオーッとばかりに草食竜に食いつかせるというのも一案だが、そんなことをすると2つの恐竜の画像を一から作り直さないといけないので面倒だし、そもそも今の方が平和である。

 なお、最初は生きている化石といわれる銀杏の葉が舞う中での追いかけっこであったが、残念なことにこのプログラムを動かすHTMLの仕様が変わったので、もはや銀杏の葉が舞うという部分は動かなくなってしまったのは、いささか残念だ。

モンサンミッシェル


 さて恐竜時代の次に気に入っているのは、「モンサンミッシェルである。これはご存じの通りフランスの有名な観光地であり、ウチの娘は先日行ってきたらしいが、私は退職後の楽しみに残しておきたいと思って、まだ行ったことがないところである。右上の空で天使がコーヒーなんぞを飲んでいるところで、本命(?)の天使が画面の正面に鎮座して浮かぶ。その一方で、左手から馬がぽっくり、ぽっくりと歩いてくる。この馬は、庶民の人生の象徴のようなものである。もちろんそれだけでは彩りに乏しいので、派手な風船の束が空に舞い上がるという仕掛けである。

 バックグラウンド・ミュージックに以前はアルビノーニのアダージョを使っていたが、それだとどうしても人生屈折して考え直したいという感じになって気分が落ち込むので、マスカーニのカヴァレリア間奏曲に代えた。これは最初は静かだが、そのうち音が大きくなって眠気がさめること請け合いである。

 【後日談】モンサンミッシェルには、結局、退職前の2015年8月に、家内と初孫を連れて訪れた。この背景写真にあるような緑はなかったが、村内と中心部に聳え立つ教会が期待にたがわず素晴らしくて、大いに満足して帰ってきた。

アヴェ・マリア


 同じような宗教的シリーズが、「アヴェ・マリア」である。元々はアヴェ・マリアの荘重な声楽をバックに、菜の花畑を背景に画面一杯に蝶が乱舞する面白い作品だった。これは写真や絵を使わないでHTML上で動くプログラムで作り出していたものである。ところが、ブラウザの仕様変更だと思うが、事もあろうにその蝶のプログラムが動かなくなってがっかりした。このままだと全く安易な図柄になってしまうから、せめて背景は迫力のある写真が良いだろうと思って、日本の風景だけれども、夏の入道雲に替えた。すると、歌詞が読みやすくなったばかりか、全体の雰囲気に不思議なくらいに良くマッチしている。

春


 「四季のうち春」は、同じ題名のヴィヴァルディの曲を背景に、自転車に乗った少女たちが家に入っていくもので、そのバックには、ヨットが行ったりきたりしている。技術的には、ヨットの影が水面に浮かぶようにするのがなかなかむずかしいのであるが、少女たちだけが目立つ画面である。まあ、平和なもので、私もときどき、これを眺めていると気持ちが落ち着く。これまたご用とお急ぎでない方へのお勧めの一作というべきか。

夜の遊園地


 「夜の遊園地」は、HTMLのANIMATIONタグを使って画像の大きさをゼロから原寸大になるように動かす技術を覚えたことから、ピエロの画像を動かして原寸大にしたあと、再びそれを左右に揺らすことに成功した。我ながらよく出来たと思って満足していたら、これもブラウザの仕様変更で、肝心のそのANIMATIONタグが使えなくなり、魅力が半減してしまった。残念ではあるものの、仕方がない。

 そのうち、また新たな仕様変更の機会をとらえて何とかしたいと思っている。ちなみにこの作品は、最初は昼の遊園地にするつもりだったが、そうすると画像の縁が目立ってしまって、うまくいかなかった。それで仕方なく夜にしたが、それはそれでそれなりの雰囲気が出るようになったから、まるで瓢箪から駒が出たようだ。

アフリカ


 「アフリカ」は、草原を空には鳥、地上にはヒクイドリ、象と犀とがのんびりと歩くという設定で、技術的には「マーキー」タグを使っているだけで、シンプルなものであるが、使わせてもらっている「毎日の散歩」という音楽がやや浮き浮きとした感じということもあって何か不思議な雰囲気をかもし出していると思う。アフリカ大陸は、実際こんなものかもしれない。

木星のオーロラ


 かつて、ヨーロッパに出張したときのことである。その頃は冷戦時代であったから、日本からの飛行機は当時のソ連上空を飛ぶことができずに、アメリカのアラスカ経由でヨーロッパ方面に向かっていた。そうやって北極上空に差し掛かったとき、機長のアナウンスがあり、「皆さん、左前方にオーロラが見えます」と言った。その方向を見ると、薄い緑色のカーテンのようなものが、ふわり・ふわーりと揺らいでいた。おお、これがオーロラかと感激したものである。

 ところで、NASAのハッブル望遠鏡が撮った写真の中に、「木星のオーロラ」があり、ついその機中から見た地球のオーロラのことを思い出したというわけである。そこで、これを材料にイメージをふくらませ、黒い宇宙を駆け抜ける白馬と、キラキラ輝く星を配したものである。なお、このホームページは、悠々人生のトップページを兼ねているという、いささか欲張りなものにしてある。

海のある生活


 「海のある生活」は、海の見える所に日がな一日いて、遠くを航行する船を眺めたり、島や灯台に目をやったり、あるいは揺れる小舟の中で潮の満ち引きを感じたり、木の下で寝そべって心地よく通り過ぎる風を頬に受けたり、そうやって自由気ままに過ごして、もう夕方になったという情景である。タイスの瞑想曲(タネス作)が耳に心地よい。

風のまにまに



 「風のまにまに」は、これは、前の「海のある生活」と同じく、思想性など全くない。単に気分転換や暇つぶしをするには、これぐらいが適当かと思って作っている。それもいい加減なもので、たまたまアラジンと魔法のランプのような動く画像があったものだから、それを元に風船を画面いっぱいに動くようにしたものである。

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3.季節の香り


 季節の香りと称して、春夏秋冬のそれぞれの季節感のある動画を「動く芸術」の一環として、作ってみた。

(1)春の喜び

桜の季節

 まずは「桜の季節」である。もちろん春という季節の花は、なんといっても桜である。白やピンクの色あざやかに満開となり、わずか1週間かそこらではかなく散っていくこの花は、古来から日本人の感性に合い、その心に響いてきた。そこで、この「桜の季節」は、春の原野を背景として、さわやかな若い女性が髪をなびかせて歩いている。暖かくなってきた風が吹き、それにつれて「桜の花びらが舞い落ちる」。左手には、桜の木が花びらをまき散らしている。また、空には、2人の天使が春の種を蒔きながら、ニコニコしながら飛んでいるという構図である。さくらさくらの音楽もよい・・・と、まあ自画自賛していても仕方がないが、自信作のひとつではあったのだが、悲しいかな、このうち「桜の花びらが舞い落ちる」部分がブラウザを動かすHTMLの仕様変更で動かなくなってしまった。残念である。

入学お祝い

 それから、4月は入学シーズンであるから、2人の小学生に出演を願って、小学校への入学式の雰囲気を出してみた。「入学お祝い」である。ここにも、さきほどの「桜の季節」の天使たちが飛んでいて、いかにも楽しそうである。その後、私には3人の孫ができたが、そのうち学齢期に達した2人にランドセルをプレゼントした。日本橋三越に買いに行き、帰りにそこで皆で食事をしたのは、いまだに楽しい思い出である。
端午の節句

 「端午の節句」は、5月5日の節句に男の子の健やかな成長を願って鯉のぼりを立てたり、柏餅をいただいたりする行事に合わせて作ってみた。これはもう、鯉のぼりがアクセントになっていて、その風にたなびく様子が何ともいえない。「柱の傷はおととしの・・・」は、私の世代には、誠になつかしい童謡である。


(2)夏の行事

七夕の幻想

 「七夕の幻想」は、最初は☆印を左上から右下にたくさん動かすソフトを入手して、はて何に使えるものかと思案していたところ、そういえば、これを天の川に使えないかと思いついた。そうこうしているうち、彦星と織り姫の素材を見つけて、それをズームで手前に動かすと、いい感じになると思ったことが、始まりである。ところが、例の通りのHTMLの仕様変更で、ズームが動かなくなってしまった。それでも、まあまあの雰囲気は出ている。

花火見物

 「花火見物」は、私の心の原風景のようなもので、父や母と川のほとりに花火の打ち上げを見に行ったときのことを思い出す。今のスターマインなどの派手な花火と違って、その当時の花火は実に素朴なもので、ズドーンと上がってパッと丸く開くものが多かったが、中には線香花火を上向きのようにした、この画面に出てくるようなものもあった。女性は浴衣姿の人も多く、それもこの画面が気に入っている理由である。なお、左下のコントロールパネルのボタンをクリックすると、花火を打ち上げる音がする。


(3)秋の紅葉

赤とんぼ
 「赤とんぼ」、夕焼け小焼けの赤とんぼが飛び交う中、子供がそれを取りに駆けめぐり、また、野菜を運ぶおばさんと、焼き芋売りのおじさんが登場する。このメロディも、ややとぼけたものながら、妙に耳に残るものである。そういえば、小さい頃に見た夕焼けの風景は、全てのものが真っ赤になって、本当に美しかった。工業化前の世界で、空気がまだ汚れていなかった時代のことである。

紅葉の季節
 「紅葉の季節」、紅葉は、いつ見てもいいものである。画面の左手には、すすき、柿、薩摩芋、とうもろこしなどの秋の幸、そして田舎の風景が現れる。それに、楽しそうな狐の子が画面を横切る。これらのアンバランスが、ある種のおかしみを醸し出している。

銀杏並木の四季

 「銀杏並木の四季」と題して、銀杏並木を同じ構図で同じ場所から毎月のように撮った写真のスライドショーである。私が毎週テニスをするために通っている神宮の良いところは、クラブ・ハウスにたどり着くまでに、この銀杏並木を通ることだ。毎年4月になると、新緑が芽吹き始め、5月にはそれが青々と茂って、緑のトンネルができる。この季節には人通りがほとんどなく、真夏でもひんやりとしていて、そこを歩いて通ると実に清々しい気分になる。銀杏の葉は秋も半ばを過ぎれば次第に黄葉するようになり、ある日突然という感じで一面が真っ黄色に変ずる。それが落葉すると、トンネルは一面の黄金世界となるのである。それが銀杏祭りと称して宣伝されるので、これを見物するために大勢の人出があり、屋台も現れてごった返す。1年で最も賑わう季節である。そして、ついに木にはひとつの葉も残らなくなった頃に、この近辺はまた静寂を取り戻し、12月から3月までは、幹だけが寂しく残っている。それが桜の季節の頃から徐々に緑が出てきて、再び新たな1年が始まる。


(4)冬ごもり

クリスマス
 「クリスマス」は、これをお祝いするプレゼントの山が積み上げられている中、サンタのそりが空を飛び、動物の楽隊が出てきて行進するというもの。クリスマス・ソングを選択できるようにしてあり、「ジングル・ベル」、「清しこの夜」、「おめでとうクリスマス(We wish you a Merry Christmus)」、「もろびとこぞりて」の4曲で、じっくり聞きくらべていると、クリスマスの夜がふけていく。

七福神のお正月
 「七福神のお正月」は、迎春の飾りとお正月のご挨拶のある中、七福神が画面狭しとばかりに縦横無尽に走り回るという構図であり、門松が時々、私に変身している。我ながら面白いものに仕上がっていると思う。

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4.南国の風景

アローハ


 「動く芸術」と銘打った「動画」シリーズの最後である「南国の風景」は、私自身が気に入っていて、ときどきこれを眺めてリラックスしている。

 私が初めて、「南の国って、いいなぁ」と思ったのは、31歳のときに、ハワイに立ち寄った時のことである。ワイキキのホテルでパイナップルが飾られたプレートの朝食を摂り、目の前のプライベート・ビーチに寝そべっていると、打ち寄せる波の音、生暖かい海風が実に心地よい。沖に目をやれば、左手遠くに旅客機が現れたかと思うと、それが沖合いを横切って右手方向へと飛び、やがて視界の右手隅にあるホノルル空港へと着陸する。その瞬間、視界の反対側の左手隅に目をやると、別の新たな旅客機が再び現れるという調子である。こういう風景を、午前中一杯眺めていて、飽きなかった。

 この「アローハ」の作品は、そのワイキキのシェラトンホテルの浜辺を思い出して作ってみたもので、3人の踊り手がかわいい。しかも、遠くで家内が、私に対して、手を振っているという構図である。ワイキキの浜辺はまさにこういうところだった。ああ、とても懐かしい。

 それから更に34年経ち、今度は家内と娘それに初孫を連れて再びハワイに行った。ピンクパレス・ホテルに泊り、昼はホテルのプールとビーチでのんびりと過ごし、夜はフラダンス・ショーを観に行った。もう何も言うことがない。まるで、天国のような島だ。

潮騒の島


 私の趣味のひとつは、熱帯の海の中をシュノーケリングで眺めることである。それはかつて東南アジアに駐在していた頃からの年季の入ったもので、映画「南太平洋」の舞台となったティオマン島などは、一番、気に入っている。ここでは、「潮騒の島」として表現している。

 そういう熱帯の海としては、日本の沖縄だけでなく、ティオマン島にはもう4回も行ったし、タイのクラビ・ビーチ、インドネシアのバリ島にも行った。ところがその後、熱帯の海はいずれも遠いことから、現役でバリバリと仕事をしている時には、なかなか行けなくて、退職したらインド洋のモーリシャスに行こうと考えていた。しかし、残念なことに、新型コロナウイルス禍が始まってしまった。この調子では、しばらくは無理だろう。

 熱帯の海の雰囲気に浸りたい気がするとき、私はサンシャイン水族館葛西臨海水族館品川水族館に行ったりする。そうすると、家内が呆れて、「あなた、お魚がホントに好きね」というが、「別に夜の蝶の類ではないからいいではないか」と反論している。

南国の夢



 「南国の夢」という作品は、ハワイの風景をまた別の角度から描いたつもりである。初めて行った時には、空にはパラグライダーが浮かんでいたし(ここでは、適当なイラストがないので、それに代えて気球にしてある)、海にはヨットが何隻も行ったり来たりしていた。夕方になって、そのうちの1隻に乗ってディナー・クルーズに行ったこともある。もっとも、大味のバーベキューだったので、いささかがっかりしたことを覚えている。もっとも、後年、初孫を連れて行ったときには、「Tanaka of Tokyo」という「ベニハナ」のようなパフォーマンス付き焼肉店に入り、そこの料理を味覚と視覚で堪能した。

熱帯魚の水槽


 ところで南の海の醍醐味は、いうまでもなく熱帯の海の中であり、本格的なダイビングをするまでもなく、単にシュノーケリングする程度で十分に眺めることができる。そもそも、色とりどりのサンゴが広がる海に、これまた彩り鮮やかな熱帯魚が泳ぐのは、まあ何とすばらしいことか。その詳しい様は、また別に「スキューバダイビング」のエッセイにおいて、次のように描いたことがある。

 「視界に入ってくる熱帯魚には、フエフキダイの仲間が多い。太陽の光が一杯届くところの珊瑚は、自然光で紫、赤、黄色などに見えるが、それより下の深いところは、次第に青くなっていって、その辺りまで来ると、さすがに怖くなって、海岸べりに近いところまで引き返す。それからまた、海の上を漂い、沖合いに出てはまた海岸方向に戻るという調子である。あるときは、海中で小魚の大群に出会った。たぶん鰯の仲間だと思うが、それはもうすごくて、何万匹という数である。これなら、2〜3匹くらい簡単に捕まえられそうだと思って、近づいていって両手を広げて捕獲しようとするけれど、いくらやってもさっと散ってしまって無駄に終わる。大群のくせに、全体でひとつの意思で動いているかのごとく、実に俊敏である。結局、一匹も捕まえられなかった」。こういう雰囲気は、「熱帯魚の水槽」で味わっていただければと思っている。

人 魚 姫


 「人 魚 姫」は、シュノーケルをしているダイバーが海面近くをふわふわしているところを、海底から人形が斜め一直線に上がってくるというのが当初の作品で、この斜めの動きが表現できるようになったので、その習作として作ってみたものである。このシリーズの中で、動きだけでなく画面の色合いも含めて、一番、美しいものではないかと思っていた。ところが、ブラウザーの仕様が変わってしまったので、残念なことに斜めの動きができなくなってしまった。そこで、縦と横のマーキータグを組み合わせて斜めの動きをさせようとしたが、部分的にはできたものの、画面一杯には無理だった。だから、やむを得ず横の動きにしたものである。これではパンチがないので、せめて音楽くらいはと思って、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」にしてある。

ネオンテトラ


 そのほか、「ネオンテトラ」というのは、オフィス近くのNTTの事務所に行ったときに見かけた水槽の中を撮った写真をベースに、ネオンテトラを模して作った動きのある魚の画像を動かして作ったものである。自分で言うのも何だが、本当の水槽を覗き込んでいるような気すらする。

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(1と2は、平成19年5月30日、3は平成20年1月30日記、4は同年6月8日記で、いずれも令和3年7月20日追記)
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