1.チームラボ・プラネッツに行く 現下は新型コロナウイルス禍ではあるが、私はモデルナ製ワクチンの2回目接種から2週間が経過したので、もう免疫がついたと思って、少しだけなら外出してもよいのではないかという気になった。
当日、地下鉄千代田線→有楽町線→ゆりかもめ線と乗り継いで、新豊洲駅に到着した。駅のすぐ前が目指す白い建物で、その前に赤いタワーのようなものが立っている。これは、「憑依する炎 / Universe of Fire Particles」というおどろおどろしい名前が付けられている。夜に見るとそれなりのものらしいが、昼間はただの赤いタワーにすぎない。建物に入ろうとして並ぼうとしたら、同じ時間帯には、お客が10人程度しかいない。新型コロナウィルスの「密」対策としては、助かる。 2.坂の上に輝く光の粒の滝 建物に入ってロッカーが並ぶ部屋に着くと、そのロッカーにカメラや携帯電話以外の荷物全部と、靴そして靴下を入れよという。一体なぜだろうと思いつつ、その通りにした。順路に従って歩いてくと、黒い上り坂があり、その両側に水がザアザアと流れている。ああ、このせいかと思って足を踏み入れると、真ん中の道にも水が流れていて、そこを滑りそうになりながら登っていく。登りきったところに、ピカピカ光る滝がある。 3.クリスタル宇宙に迷い込む この展示には、とても感動した。天井からぶら下がった長い紐に一つ一つが発光体のビーズ様のものが仕込まれている。その光の集まりが一斉に光り、色を変え、観覧者の動きにも合わせてそれが変化しているようだ。昔々、2001年宇宙の旅というSF映画があって、宇宙を飛翔する時に、確かこのような映像があったように記憶している。 白く輝く立体の中に入ったら、三次元の世界からまるで多次元の世界に迷い込んだようだ。しかもそれが、パステルカラーに変化する。時々、自分の位置が分からなくなる。そういうときは、天井を見上げると、ああこうなっているのかと相対的な位置関係が把握できる。いやはや、これまで味わったことのない新感覚である。「クリスタル宇宙に迷い込む」とでも名付けたい。 4.歩くと錦鯉がやってくる この展示には、驚いた。暗い中、30センチほどの深さのプールを歩かされるからだ。膝までズボンの裾をたくし上げた。中に入ると、高速で鯉が寄ってくる。見慣れた紅白もあれば、光り物(金色)、ドイツ鯉らしき紺色というか青色まであり、それが縦横無尽に池の中を走り回り、いや泳ぎ回り、私にぶつかるとパーっと消える、いや散っていく。 この展示の唯一の問題は、仮にこの池の中でばたりと倒れると、ずぶ濡れになることだ。ともあれ、これは今までにない独創的な展示である。アイデア賞ものだ。ただ、見終えてさあ出ようという時に、出口がどこにあるのかが、よく分からなかった。やみくもに歩いたら、目の前の黒いところが出口だった。 公式HPによると「人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング」という題で「無限に広がる水面に鯉が泳いでいる。人々は水の中に入り歩く。鯉は、水の中の人々の存在に影響を受け、また他の鯉の影響を受けながら泳ぐ。そして、鯉は、人々にぶつかると、花となって散っていく。1年を通して、咲いていく花々は季節とともに移り変わっていく。人々の存在に影響を受けて泳ぐ鯉の軌跡によって、線が描かれていく。作品はコンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。全体として以前の状態が複製されることなく、鑑賞者のふるまいの影響を受けながら、変容し続ける。今この瞬間の絵は2度と見ることができない。」とのこと。 5. 大きな色付き風船が迫る これはまあ、妙な展示だ。本当に妙だ。丸い大きなボールが、どういう仕組みか分からないが、天井に張り付いていて、時に降りて来たり、立ち塞がったり、ふわふわと浮いているかのようだ。そこをかき分けて行くのだけれど、時には、上から降りて来たボールが頭にボーンとぶつかる。結構な衝撃だ。そうすると、ボールが反発してゆっくり飛び上がり、しかも赤くなったり、青くなったり、黄色くなったりと、その色が変わる。今度は、頭にぶつからないようにと、ボールが降りて来たら手で押し戻す。するとまた、ボールの色が変わって伝染していく。 公式HPによると「 意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在 - 平面化する3色と曖昧な9色、自由浮遊」という題で「空間は、自由に浮遊する光の球体によって埋め尽くされている。人々は球体をかき分け、空間の中に入っていく。色の変化の中で、空間は、球体の集合による立体と色の平面とを行き来する。球体は、人々がかき分けたり、叩いたりして衝撃を受けると、色を変化させ、色特有の音色を響かせる。そのまわりの球体は、近くの球体から、放射状に連続的に呼応し、同じ色になり同じ音色を響かせていく。 各球体が自由に移動し、どこにあったとしても、空間全体として光のふるまい(球1つを1ドットと考えた3次元的な映像表現)は維持される。そのため、集団としてふるまう光は、ひとつの立体的な存在とも言える。今回は衝撃を受けた球体を中心として球状に光が広がっていく。そして、その立体的な存在の構成要素である球体の物理的な位置は自由であるため、人々は、立体的な存在として認識しつつ、球体をかき分け、その立体的存在の中に入っていく。浮遊する球の集合である空間の形状は、人々のふるまい(押しのけたりぶつかったり)によって変化する。また、球体の集合のもつれ具合を判断し、風と気圧変化によって、球体は、低層で高密度になったり、一斉に高層に上がったりと、空間も自ら空間の形状を変えていく。 近代以前、日本では『かさねのいろめ』という、表の色と裏の色の組み合わせ(当時の絹は薄かったので裏地が透けたため複雑な色彩となった)や、重なる色彩のグラデーションなど、曖昧な色彩に、季節の色の名前がついていた。球体は、光だからこそ発色できる曖昧な9色(水の中の光、水草のこもれび、朝焼け、朝空、たそがれ時の空、桃の実、梅の実、花菖蒲、春もみじ)と、空間を平面化する3色(青、赤、緑)の計12色の色に変化していく。」とのこと。ふーん、ますます分からなくなった。まあ、芸術家の思いというものだろう。 6.色鮮やかな花が宙を舞う これも、非常に気に入った。素晴らしい。大きな黒い半球ドームの中に入ると「寝そべって観てください」と言われた。そのお勧めのままに寝そべって見上げると、色とりどりの花々、葉っぱ、茎などが早いスピードでどんどん流れていく。 公式HPによると「 Floating in the Falling Universe of Flowers 」という題で「1年間の花々が、時間と共に刻々と変化しながら咲き渡る生命の宇宙が、空間に広がっている。寝転ぶ、もしくは、座ってしばらくいると、やがて身体は浮遊し、世界と一体化していくだろう。人々は自分のスマートフォンで蝶を選択し投げ込むと、生命の宇宙に蝶が舞う。作品は、コンピュータプログラムによってリアルタイムで描かれ続けている。あらかじめ記録された映像を再生しているわけではない。花は、生まれ、成長し、つぼみをつけ、花を咲かせ、やがて、花を散らせ、枯れて、死んでいく。つまり、花は、誕生と死滅を、永遠に繰り返し続ける。今この瞬間の空間は、2度と見ることができない。」とのこと。ああそうか。自分のスマートフォンで蝶を選択し投げ込むことができたのか。それは知らなかったが、面白そうだ。 7.苔庭に起き上がり小法師 苔庭に金属色の「起き上がり小法師」がずらりと並んでいる。説明では、「Ovoid(卵形体)」となっているが、まるで金属製「起き上がり小法師」である。現に触ってみると、少し倒れて起き上がるその時に、音が鳴る。それが周りに波及する。それらが苔の上にあるのが、これまた「禅」庭を思い起こさせる異次元の世界にいる気がする。 公式HPによると「 呼応する小宇宙の苔庭 - 固形化された光の色, Sunrise and Sunset 」という題で「日中と日没後で様子が変わるOvoid(卵形体)が、敷き詰められた苔の庭園である。 日の出と共に、Ovoidは周りの世界を映しはじめる。人に押され、もしくは風に吹かれ倒れると、音色を響かせ自ら立ち上がる。その周辺のOvoidも次々に呼応し、同じ音色を響かせ連続していく。 日の入りと共に、Ovoidは、自ら光り輝き出す。人に押され、もしくは風に吹かれ倒れると、その光を強く輝かせ、音色を響かせ自ら立ち上がる。その周辺のOvoidも次々に呼応し、同じ光を輝かせ、同じ音色を響かせ連続していく。 Ovoidは、風が静かで人々が何もしない時、ゆっくりと明滅をはじめる。 チームラボは色の概念を更新することを試みている。Ovoidは『固形化された光の色』と名付けられた新しい概念の色、61色で変化していく。 コケ植物は、陸上にはまだ生物のいない、岩と砂ばかりの世界に現れた、はじめての陸上生物だと言われている。コケ植物やシダ植物が現れて森ができたことにより、陸上にさまざまな動物も住めるようになっていった。生物は、細胞内部における水が欠かせないため、体の水分が足りなくなると死んでしまう。これに対し、コケ植物は、周囲の湿度の変化により細胞内の含水率が変動する変水性という特殊な性質から脱水耐性を持ち、乾燥状態で長期間死なず、水が与えられれば生命活動を再開する。コケは、変水性であるため、空気が乾燥している時と、雨や靄があるなど濡れている時で、色も姿形も大きく変化する。 苔の間に生活しているクマムシも、周囲が乾燥すると、無代謝の休眠状態である乾眠状態になり、活動を停止するが、水が与えられると復活し活動を開始する。生命活動はないが死んだわけでもないクマムシのこの状態は,『生』でも『死』でもない第三の生命状態としてクリプトビオシス(cryptobiosis『隠された生命活動』の意)と呼ばれる。生命とは一体何なのかと考えさせられる。」とのこと。いやはや、コケ植物の生態からクマムシにまで発想が飛ぶとは思わなかった。 8.ぶら下がる蘭に囲まれて 私は、この展示が最も気に入った。みんな小ぶりの蘭だが、1万3千もの鉢が天井からぶら下がっていて、しかもそれらがゆっくりと上下している。その中を歩くと、顔の高さに美しい蘭の花々がゆらりゆらりと揺れて、しかも香りが良い。それだけで幻想的で平和な光景だ。 歩き回っても、蘭の鉢が顔にぶつかることもなく、完全にコントロールされている。蘭の鉢の向こうには、誰かがやはりゆっくりと歩いている。蘭の鉢によって隔てられているような、そうでもないような、誠に不可思議な感覚である。 禅の庭園は、山の中で大自然と一体化するように修行を行っていた禅僧が集団で修行をするための場として、生まれてきたとも言われている。禅の公案に『南泉一株花(なんせんいっちゅうか)』というのがある。僧肇(そうじょう)の有名な句『天地と我と同根 万物と我と一体也』を、ある人が『也甚だ奇怪なり』と南泉和尚に問うた。南泉和尚は『時の人この一株の花を見ること夢の如く相似たり』と言ったという。本作は、人々が花々の中に埋没し、花と一体化する庭園である。花を近くで見続けると、花もまた人を見はじめる。その時、人は花と一体化し、はじめて花を見ていることになるのかもしれない。 本作品の花々は、ラン科の花々である。多くのラン科の植物は、土のない場所で生き、空気中から水分を吸収する。この作品の花々は、空中で生きており、日々成長しつぼみをつけ咲いていく。空中に生えているとも言える。花が咲く植物は、植物の種類の中でもっとも最後に現れた。そして、ランは、花の中でもっとも最後に現れた花、つまり、もっとも進化した植物とも言える。ランが現れたのは最後だったため、すでに土の上は他の植物でいっぱいであった。そのため、他の植物のいない岩や木の上など土のないところで生きられるように進化した。土のないところで生きれるように進化した花がランとも言える。そして、もっとも種類の多い植物でもある。陸上にある全ての植物の種類の約10%は、ラン科の植物とも言われている。そもそも陸上の植物25万種のうち、花が咲く植物が少なくとも22万種である。進化は、多様性の享受を選び、そして、花とは多様性を生むために生まれたとも言える。そして、もっとも進化したランは、他の花をも圧倒する多様性を選び、その多様性によって、他の植物がいない様々なところで生きれるように進化したのだ。進化は何を選んだのか、考えさせられる。 また、ランは花粉媒介を行う特定の昆虫との共進化の例で知られており、パートナーの昆虫の行動する時間に合わせて香りが強くなる。そのため、作品空間は、朝、昼、夕、夜と、空間の香りが刻々と変わっていく。本作品のランは夜行性の昆虫がパートナーであるランが多いため、夜の超高密度のランによる香りは、圧巻である。」とのこと。まさかここで、禅の公案が出てくるとは思わなかった。 10.全ての展示を見終えての感想 先行したお台場の「チームラボ ボーダレス」は、室内で展開するプロジェクションマッピングとして、非常に目新しかった。これを初めて目にしたアメリカ人女性は「これこそ、次代の美術館だわ」と感心していた。行って見て、私もそう思った。まあいわば、「コンビューターの性能を生かしたアート」である。 しかしその姉妹館のようなこの「チームラボ・プラネッツ」は、「色鮮やかな花が宙を舞う」展示のようにコンビューターが作り出す動く映像をただ見ているという従来型のものもある。しかしその一方で、観覧者とのコラボレーションで映像を作り出すという新たな試みがなされていると思う。そういう目で見ると、「クリスタル宇宙に迷い込む」、「歩くと錦鯉がやってくる」、「大きな色付き風船が迫る」、「苔庭に起き上がり小法師」、「ぶら下がる蘭に囲まれて」は、いずれもそうだ。 加えて今回の「チームラボ・プラネッツ」では、単なる映像ではなく、生きている苔や蘭の花とコンビューターによるコントロールを組み合わせているところが、その目新しいところだ。こういうような「考えもつかない」「独創的な」発想で、今後も新しい展示を開発していってほしい。 それにしても気になるのは、各展示がバラバラで統一感やストーリーが全くないことだ。次回はSF小説仕立てにでもして、「宇宙探検に出発 → クリスタル宇宙に遭遇 → 表面が僅かに水に覆われた惑星に着陸して歩くと魚が寄ってくる → 次の惑星では重力異常でバブルの世界になる → 次の星では文明が滅んでいてようやく見付けた過去の映像では花びらが舞う美しい世界がったが、今や廃墟で無常を感じる → 更に探検を進めると、かつての文明人の成れの果ては起き上がり小法師になっていた → 最後の星は実は100万年後の地球で、蘭に征服されていた」などと、多少は強引でもよいから、少しはストーリーを作ってはどうかと思う。 加えて、それぞれのパーツを少しずつ入れ替えていくことだ。コンビューター制御だと、季節ごとに変えても良い。学校の休みの期間なら、キャラクターと連携して子供向けの展示も入れたらどうか。そうすると、観客は飽きないし、ストーリーが変わっているならまた来ようという気になる。舞浜のディズニーランドの手法だ。あそこはしょっちゅうリニューアルして観客を引き付けている。まあ、そうやって総合的な企画を行うプロデューサーが必要だろう。 そういう人物が欠けているというのは、「チームラボ ボーダレス」のHPを見ればよく分かる。各展示の題名も説明もバラバラで統一感が全くない。総じて、その展示を作った作者の思いが出すぎていて、何が書いてあるのかさっぱり分からない。時々、その使っている日本語にも次のように変なところがある。 (誤)他の植物がいない様々なところで生きれるように進化した (正)他の植物がいない様々なところでも生きられるように進化した そういうわけで、独特の世界観があってそれは高く評価されるのだから、このままバラバラで統一感のない展示を続けるのではなく、敏腕のプロデューサーを連れて来てストーリーや表現に一貫性を持たせたらいかがかと思うのである。
(令和3年7月13日著) |
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