悠々人生エッセイ



異人坂のメジロ




 異人坂のメジロ( 写 真 )は、こちらから。


 上野公園の入り口の左右に大寒桜(おおかんざくら)があり、例年そこにメジロが来るので、それを撮ろうとして早朝に自宅から歩いて行った。すると、大寒桜は満開だったが、いつもの年と様子が異なる。まず向かって右の大寒桜の下には、事もあろうに喫煙スぺースが設けられている。煙草の煙がもうもうとしている中に、メジロが来るはずがない。早々に諦めた。

 それでは、左手の大寒桜はどうかと思って近づいた。ところが、鳥など、どこにもいない。これは当てがはずれてしまった。仕方がないので、ピンクの桜を撮っていると、しばらくして「チチッ、チチチッ」という鳥のさえずりが聞こえてきた。「あれれ、メジロが鳴くなんて、そんなことがあるのか」と思いながらそちらの方を見上げてみると、「あれは・・・なぁーんだ。スズメではないか」とがっかりした。スズメには申し訳ないが、これでは写真にはならない。

異人坂のメジロ


 というわけで、トボトボと歩いて戻ってきた。「そういえば、自宅のすぐ傍の異人坂に、梅の木が植わっていた。あそこにメジロが来ているかもしれない」と思い、行ってみると、案の定メジロがいて、一生懸命に梅の花をついばんでいる。しかも、そんなところに誰も来ないから、近いところにいる。これだこれだ、今日は運が良いと嬉しくなって、夢中で撮り続けた。と言っても、単に連射しただけなのだが、それでもメジロの特徴が現れた、なかなか綺麗な写真となり、どれを表紙に選んでよいか迷うくらいである。まあ、御覧いただければと思う。

異人坂のメジロ


 なお、「異人坂」という珍しい地名の由来は、その辺りに掲げられている文京区教育委員会の掲示が詳しい。曰く

異人坂の説明


「 坂上の地に、明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があった。ここに住む外国人は、この坂を通り、不忍池や上野公園を散策した。当時は、外国人が珍しかったことも手伝って、誰いうことなく、外国人が多く上り下りした坂なので、異人坂と呼ぶようになった。

 外国人の中には、有名なベルツ(ドイツ人)がいた。明治9年(1876)ベルツは東京医学校の教師として来日し、日本の医学の発展に貢献した。ベルツは不忍池を愛し、日本の自然を愛した。
(以下略)」

 今や全く俗っぽくなっている上野公園はあまり好みではないが、私もこの新型コロナウイルス禍でも、どういうわけかほとんど毎日、不忍池には出かけている。お店が集まっている湯島や御徒町への道すがらではあるが、この池は、どこか心地よい。それこそベルツ並みに私も「不忍池を愛し」ているのかもしれない。野鳥がいるボート池も好きだし、蓮池は特に蓮のシーズンには神秘的な魅力があるし、池の真ん中の弁天堂は、昼間はもちろん夜景も良い。





(令和2年2月25日著)
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