新型コロナウイルスで明け暮れた令和2年(2020年)が終わり、ようやく新年の令和3年がやってきた。しかし、新型コロナウイルスの第3波が襲ってきている最中なので、とても新年を迎える晴れがましい気分にはならない。医療崩壊寸前の危機的状況にあるからだ。
アメリカやイギリスでワクチン接種が始まって2週間ほど経つが、日本にその第1陣が届くのは来月(2月)末になりそうであるし、その接種の順番が回ってくるのは早くて6月ぐらいだろう。いや、特定給付金の交付であれほど時間がかかった経験からすると、また今回も接種の順番がどうこうということで準備が長引き、私たちが実際に接種を受けるのは8月くらいになるかもしれない。まあ、副作用の有無を確認するには十分な時間だが、それまでウイルスから逃げ回る現在のような生活が続くのかと思うと、いささかゲンナリする。
一昨日、浅草の雷門、仲見世、浅草寺に行ってきた。特に仲見世通りには、新年の飾りが掛けられていて、お正月の写真の題材を撮るにはちょうど良いからである。しかも今年は丑年で、私の干支でもある。朝の10時頃に行ったのであるが、「GO TOキャンペーン」が中止となったせいもあろうか、歩く人の数は非常に少なく、誠に寂しい年の瀬であった。その中で、仲見世通りの上に飾られてある数々のお正月の飾り物だけが賑やかな雰囲気を醸し出すという「シュール」な風景だった。
今年は、7月に東京オリンピックが予定されているが、この調子では、通常通りの開催はとても無理ではないか。アメリカの大手放送会社の要請に応じてやむなく無理やり開催するにしても、昨年末の大晦日の紅白歌合戦と同様、無観客試合になるのではないかと思う。そうするとチケット収入がなくなる。どうするのだろう。
今年の政治日程も、なかなか微妙である。9月には菅首相の自民党総裁としての任期が来て、10月には衆議院議員の任期がくる。しかし、新型コロナウイルスが全く収まらない状況下で、しかも東京オリンピックが失敗に終わって国民が意気消沈している時に、選挙どころではないだろう。その頃までに全国民へのワクチンの接種が終わっているとはとても考えられない。また、今の政権幹部の顔ぶれを見ていると、胸のすくコロナ対策が打ち出されるとはとうてい思えない。おそらく麻生内閣の時のように「追い込まれた任期切れ」解散となり、政権が根底から覆されるかもしれないという気がするのである。
最後に気になるのは、新型コロナウイルス対策で各国が大盤振る舞いをしている経済である。実体経済は落ち込んでいるのに、金余りで膨らんだお金で株式市場だけは大きく上昇を続けている。もはや、天井知らずのようだ。こんなバブル経済が長く続くはずがない。上がりに上がった後、どこかで急落するはずだ・・・そう思いながら、もう半年も経ってしまった。それがどういうきっかけでそうなるのか、これを言い当てるのは至難の技だ。もっとも、言い当てることができるなら、今頃は大金持ちになっていただろう。
そういうことで、せっかくの新年の始まりだが、明るい話題は全然見当たらない。しばらくは何事にも自重して、身の安全を図っていきたい。
次は、つい先ほどアメリカ在住の友人と交わした電子メールのやりとりである。
【アメリカ在住の友人より】
こんなご時世ですので今年のご挨拶はデジタルとさせていただきます。
明けましておめでとうございます。
貴方のように旅行がお好きな方にとってさぞ鬱積された日々をお過ごしではありませんか?
私の方は結局昨年は10ヶ月間どこへも行かず、誰とも会わずにジッと我慢のStay-at-Homeを余儀なくされました。日本の状況も累積死者の数が3,300人になったとNHKニュースで報じられていましたが、こちらは33万人ですから、数字の上ではこちらの状況の方が100倍酷いということになります。UKからの変異ウイルスの件は、間違いなく侵入していると思われますし、医療破壊もひっ迫していると思いますが、どちらかというと淡々としているのは、国民性の違いなのでしょうか。ワクチンの接種も始まりましたが、果たしていつ受けられるのか全く判りません。まだしばらく我慢が続きそうです。
コロナ禍といい、トランプ禍といい、早くStress-freeな春が来てほしいと感じているこの頃です。なお恒例の賀状は添付しました。良いお年をお迎えください。
【私の返信】
お便り、そして素敵な年賀状をありがとうございます。
過去10ヶ月間、ステイ・アット・ホームを実践されたとは、それはご立派です。なかなかできることではありません。しかし、今やアメリカの17人に1人は感染していると聞いていますから、感染を防ぐためには、それが一番だと思います。
私は、一昨年の秋に退職し、昨年(2020年)は最初から海外旅行をするつもりで、2月に台湾旅行をしました。しかし、その時点で台湾ではまだほとんど新型コロナの患者がいないというのに、ホテルで美人のお姉さんが急に近づいてきたと思ったら検温のためだったり、レストランでは入る前に必ず手に消毒液を吹き付けられたりで、文字通りの厳戒体制でした。
ところが日本に帰ってみると、人々は普通に生活していて何の警戒体制もなく、その対比に驚きました。しかしそれから2月もしない間に緊急事態宣言が出されて、今の騒ぎが始まりました。私がせっかく予約して楽しみにしていたエジプト、カナダ、バルト三国の3回の旅行は皆キャンセルしてしまい、残念です。
せっかく入った法律事務所も緊急事態宣言以来、誰も来ないし出勤が制限されているので、ほとんどが電子メールとZoomでの仕事です。しかし、実はこれで十分に用が足りることがわかりました。ということは、これまで行ってきた通勤というのは、いったい何だったのでしょう。常識や習慣などというものは、ちょっとした事で覆るという見本のようなものですね。
日常生活では努めて散歩するようにしていて、出かけるのは、なるべく人のいない時間帯を選んでいます。ただ、それでは身体がなまるので、週3回、近くでテニスをしています。仲間はテニスが好きで、「テニスして感染したらそれは本望」という命知らずばかりなのですが、そういう人に限って未だ感染した人はいませんね。
そんなことで、自宅で暇をもて余していたら、秋の叙勲の対象となり、驚いたことに、私にとっては望外の素晴らしい勲章(旭日大綬章)をいただきました。他にトヨタの現会長、パナソニックの元会長など6人しかいないので、皇居に参内して、陛下から直接一人ひとりに勲章を手渡され、その時「おめでとう」と小声でおっしゃられて感激しました。46年余りも公務員をやっていましたから、お金はあまりありませんが、有り余る名誉をもらったというところです。世の中、うまく辻褄が合っているものだと思いました。
しかし、その頃、家内が何でもないときにスプーンを取り落としたりするのでおかしいと思い、病院に連れて行ったところ、脳梗塞の初期だと言われて直ぐに入院することになりました。脳の中に2本ある中動脈の一つが詰まったのですが、まだ若いから周囲の血管から迂回して血流が流れてきて補っていたので、大事に至らなかったようです。でも、このままではそのうち本格的な脳梗塞になるかもしれないと言われて、結局、バイパス手術を決断しました。手術は成功し、今では後遺症もなく、次第に回復しつつあります。その間、私が「主夫」をしていたので、これも退職後の良い訓練になりました。
そういうわけで、全くもって、妙な一年でした。こちらでは、NHKで紅白歌合戦が始まりました。皆初めて観る歌手ばかりで、誰が誰だかさっぱりわかりません。唯一、さだまさしを知っているくらいです。彼の持ち歌「昴」はとても良い歌ですが、最近の歌手は「歌を歌う」というよりは「くねくね踊りながら下手な詩を大声で叫ぶ」ようなものですから、あまり共感するものがありません。ああ、ナツメロが懐かしい。
日本時間ではあと3時間で新年を迎えます。ワクチンが普及して、皆が新型コロナへの免疫を持つようになると良いですね。それでは、ご家族も含めて、皆様にとり、今年は佳い年になりますよう、お祈りしています。
【アメリカ在住の友人より第二信】
秋の叙勲で「旭日大綬章」をもらわれた由、何も知りませんで大変失礼しました。
本当におめでとうございました。実は飛び上がって喜んでしまいました。
貴方の国家に対する真摯な態度が高く評価されたのでしょう。
最高位の勲章を天皇陛下からじきじきに手渡された方と知己を得ていたとは私にとっても大きな誇りです。
思い返せば、貴方から一緒に本を書きましょうとお誘いを受けていなければ、私のその後の人生も違っていたかも知れません。
数年前に日本へ帰国した折、数人の業界屈指のコンサルタントから、「あの本は今でも私のバイブルです」と言われたこともありました。そう言われて読み返してみても自分でも驚くほど今でも通用するアイデアがあふれていました。
奥様のご病気の件、お大事になさってください。
つい嬉しくて一筆書きましたので、ご返事は不要です。
【私の再返信】
そう言っていただき、本当にありがとうございます。業界では「サプライチェーン・マネジメント」という言葉が人口に膾炙していますが、本来は「コンシューマー・レスポンス」となってほしかったですね。
我ながら、46年余も飽きずによく公務員をやってきたなと思うくらいですが、昨年秋になって叙勲の話をいただき、それが通常の最高位の大綬章と聞いて、驚きました。また、皇居で実際に陛下より手ずから勲章をいただいたときには、先のメールでも書きましたが、感激しました。口の悪い友達の中には、「あれほど政権に忖度せずに好き勝手なことを言っておいて、それでいて大綬章を貰うなんて奇跡だ」と言うのもいて、確かに自分でもそう思うから、笑い話ですね。まあ、最近の香港などと違って、それだけ日本にはまだ自由があるということでしょう。
それに、私は昔の東大入試中止に翻弄された世代ですが、そのときは「自分は運が悪いなぁ」と思いながら京都大学に行ったものです。しかし、それから40年間にわたる異動のタイミングやポストなどの色々な人事の綾があり、そういう数多ある極々「細い道」を何とか通り抜けて、最後には最高裁判所までたどり着き、それだけでなく最高位の勲章までいただいたというわけです。だから、運が悪いどころか、「この上なく運が良かった」、「長い目で見ると、人生というものはちゃんと帳じりが合っている」と思う今日この頃です。
これは別に私が優秀だったということでは決してなく、私から見てもう溜め息が出るほど優秀な人は通産省にたくさんいました。ところが、異動のタイミングや次のポスト、それに上司との折合いなどの関係で次々と消えていき、気が付いてみると私だけが消去法で残ったというのが実感です。私がやってきたのは、「人事などは全く気にせず、ただ目の前の仕事に集中して独創的なアイデアを出してそれを解決すること」それだけでしたから、強いて言えばそういう姿勢が評価されたのか、若しくは単に運が良かったからなのか、又はその両方のおかげで最後まで残ったのだと考えています。
ともあれ、戦い済んで日が暮れて、さあこれから「黄金の70歳台」を楽しもうというときに、新型コロナウイルスで出鼻をくじかれた感があります。それでも、今年中には何とかなりそうなので、それまで体力を蓄えておきます。そのうち海外旅行ができるようになれば、また世界を飛び回ろうと思っています。アメリカに行くときにはノースカロライナまで足を伸ばして、またお会いするのが夢ですね。
(令和3年1月1日著。3日追記)
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