悠々人生エッセイ



国立感染症研究所が分離に成功した新型コロナウイルス(2019-nCov)




新型コロナウイルス対策緊急事態宣言


        目   次
   雑誌のインタビューの打診
   インタビューの当日のやりとり
   インタビュー記事の掲載
別冊    日本のPCR検査がなぜ進まないのか
別冊    我はマスク難民なり


1.雑誌のインタビューの打診

 数日前、私のところに、とある雑誌の編集長と記者がやって来られて、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する法的措置について、インタビューをしていった。事前に連絡いただいたメールには、次のように書かれていた。

 「新型コロナ・ウイルスへの初期対応を振り返りつつ、まだ見ぬ感染症への対応策を提言する特集を組む中で、国と地方自治体のリーダーシップに関してもテーマにしたいと考えております。

 地方自治体が外出自粛等の要請ができる新型インフル等対策特措法が改正される前に、北海道や大阪は早期に外出自粛要請をするなど先手を打っています。特措法が施行されても、国は緊急事態宣言を出ないまま、自治体の自粛要請は継続されました。

 このような自治体の対応は感染症法をはじめとする法的な観点からいかに評価されるのでしょうか?自治体のリーダーシップは国の後ろ盾と法的根拠があってこそ如何なく発揮できるものであるとも考えられるので、今回の都道府県の判断はどう見るべきなのか、お話をお聞かせていただきたい。」



2.インタビューの当日のやりとり

 私「この問題は、『法律とは何か』、『基本的人権の尊重』、『地方分権』の三つに分けてお話しした方が分かりやすいと思う。

 まずは『法律とは何か』だが、権利義務を定めるものである。例えば国家賠償請求権という権利を与えたり、刑法199条の『人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。』は、殺人の禁止という義務を課すものである。このほか、国家の組織も国民の権利義務と密接な関係があるので、いわゆる組織法、例えば財務省設置法というのも、もちろん法律に含まれる。

 そういう観点からすると、新型コロナウイルス対策特別措置法をみて、皆さんはどうお思いか。私ども専門家は、まずどういう権利義務の規定があるのかを知るため、最後の罰則規定を見る。すると、立入検査妨害のほかは、知事などによる医薬品等の保管命令違反に対する罰則しかない。しかもこれは業者に対するもので、一般の人に対するものではない。ということは、権利義務を直接規定する法律とは必ずしも言えない。最初から読んでいくと、ほとんどの規定は、緊急事態宣言からはじまって、政府、都道府県、市町村の対策本部の相互関係などであるから、これは組織法として定められたことがわかる。

 とりわけ、住民の外出、学校の授業や興行の開催などについては自粛要請にとどまっている。これなどは事態が急速に悪化あるいは深刻化したような場合には罰則規定をつけてしかるべきと思われるかもしれない。でも、そうはしていない。感染防止のための集会禁止規定もない。一定の要件を満たせば、土地所有者の同意を得ないで土地等を使用できるとしているくらいだ。

 それはなぜかというと、現行憲法の基本的人権の尊重の観点からは、それが限界だからだ。罰則をもって外出禁止を命令することは憲法22条の居住移転の自由に、同じく集会禁止命令は憲法21条の表現の自由に反する。先に述べたように本法では医療施設設置のための土地の強制使用規定があるが、これも憲法29条上、問題なしとはしないところだが、財産権であるからこの程度は公共の福祉の観点からは許されると解されている。これが本法の限界である。たとえ武力攻撃事態であっても、考え方は同じである。

 どうしてこういう構造なのかといえば、突き詰めていうと、日本国憲法に緊急事態条項がないからだ。かつての大日本帝国憲法では、戒厳大権など4つの緊急事態条項があった。しかしこれによって基本的人権が大きく制約されたのは歴史的事実である。その反省から、日本国憲法では緊急事態条項が設けられなかったとされる。だから我々は、その制約の下で最大限、何ができるかを考えなければならない。

 もっとも、行政というのは生き物で、いついかなる深刻な緊急事態が生じるかもしれない。そういうときのため、比例原則という考え方がある。降ってわいた災難の程度が強ければ強いほど、必要最小限の範囲でこれに対しその深刻さの程度に応じた強い対応が許されるというものである。例えば、新型コロナウイルスが、今のように死亡率1%から2%などという生易しいものではなく、エボラ出血熱のように死亡率が50%を超えてしかも全国的に蔓延してなかなか止められないという文字通りの緊急事態となると、国民の外出や集会禁止命令を罰則付きで担保する必要が生じるかもしれない。それは憲法学では未踏の分野ではあるが、私は、現行日本国憲法の下でもおそらく許されるだろうと思う。ただ、私が担当していた時にはそういう立法事実はなく、従って今の新型インフルエンザ対策特別措置法が限界だと考えていた。

 次に、北海道や大阪の道府民に対する外出自粛要請が、国の緊急事態宣言に先走って出されたことの評価だが、これはまさに、地方分権の趣旨に沿った対応である。」

(と言うと、記者は訝しげな表情をみせた。特別措置法に基づく正式な手続を踏まずに勝手にやったと批判するのを期待していたものと見える。)

 私「この話の背景は、戦前の内務省にさかのぼる。内務省は、治安、衛生、労働、土木、地方行政を所管する最強の官庁だった。それが、敗戦後に解体されて、それぞれ警察、厚生省、労働省、建設省、自治庁となった。警察は都道府県警察となったが、これでは広域化する犯罪に対応出来ないので、本部長以下の幹部だけを国家公務員にして今に至っている。これで、国としての行政の一体性が確保できている。ところが、衛生は、現場の実務は都道府県に任せたままで、本省の健康局がこれらを束ねて指揮していくという体制であった。その裏付けとして、地方自治法に機関委任事務というものがあって、その事務に関しては地方公共団体の長を出先機関と位置づけて国が一元的に指揮監督するという仕組みがあり、それがあった時代はその仕組みで行政が回っていた。

 ところが、政治の潮目が変わり、「地方分権」が声高に叫ばれるようになった。これは、生活者の視点に立った「地方政府」(地方が自ら考えて判断し、国の縛りを受けずに実施することができる体制)をつくっていくことを目指し、地方の自由度の拡大、住民に身近な市町村の強化などを進める政策である。その一環として機関委任事務が廃止されて法定受託事務となった。だから、感染症防止法やこの新型コロナウイルス対策特別措置法を見ても、何らかの処分の主体が全て地方公共団体の長(都道府県知事)であるのには、そういう背景がある。現に今回の事態の対応に当たっても、北海道知事が法律に依らず自らの判断で緊急事態宣言をしたというのは、繰り返しになるが、それこそ地方分権の趣旨に沿った対応である。」

 記者「でも、地域によってバラバラの対応となった。国の緊急事態宣言がないままに勝手に各知事が内容が区々まちまちの宣言を出すのではなく、全国一律の対応が必要なのでは?」

 私「地方分権の議論が始まったとき、私も『全ての機関委任事務をなくすのはいかがなものか、特に感染症対策は全国的に一律の迅速な対応が求められるのに』という感想を持った。ところが、あの時はともかく『中央省庁の権限を地方に下ろせ、中央省庁と地方公共団体は同格なのだ』という政治思想が世の中を席巻して、反対する声がかき消されて結果的にそうなった。だから、良いも悪いも、日本国民がそういう選択をしたということだ。見ていると、北海道や大阪府のように若くて元気の良い知事は前向きにどんどん積極的な対策を打ち出し、多選の傾向にある知事はそうでもないなど、地方の特性というよりは、むしろ知事の特性や個性が如実に現れている。」

 記者「元のように、中央集権に戻さないのか、アメリカにはCDC(疾病管理予防センター)があり、1万5千人ものスタッフを抱えている。そういうものを作れという声もある。」

 私「何か組織を作ったら、それで全て解決するというのは、失礼ながら行政機構というものをあまりご存知ないからだ。CDCの予算は莫大だ(その後、年間9千億円とわかる。ちなみに日本の環境省の予算は3千億円。)。人員も、国内外に1万5千人も配属している。しかも、CDCは一朝一夕にできたものではない。第二次世界大戦中にマラリアなどの疫病に悩まされた米軍の反省からだという。だから、軍事組織の一つとして見るとわかりやすい。

 日本で、それだけの予算と定員がある行政組織ができるとお思いか。ただでさえ、厳しい財政事情に鑑み、国や地方は財政改革のために国公立病院の独法化や統廃合、保健所の大幅な整理を進めている。そういった状況で十分な予算と人員が確保できるのか、私にははなはだ疑問である。またこれら既存の機関との調整をどうするのかという難しい問題がある。それらをうまく解決して設立したとしても、組織として世間から評価され、理想とする運用を果たすことができるようになるには、まあ、10年単位の月日が必要だろう。だから、今述べた数々の問題を克服して組織を設立し、優秀な人材をたくさん集めることができたとしても、組織をスムーズに動かし、職員を一人前にするための育成に時間がかかるから、急場の役には全く立たない。それに、緊急事態ではない普段は、何をしてもらうかという問題もある。日本の国立感染症研究所は、通常のR&Dのほか、ワクチンの品質管理も行っているようだが、定員が300人と、桁違いに少なすぎる。その辺りの充実が先決だろう。

 やや飛躍するかもしれないが、仮に日本版CDCを作るとして、いつ起こるかわからない事態に備えて普段から大規模な組織と人員と予算を抱えているという意味では、軍事組織と似ていると考え、ご迷惑かもしれないが、自衛隊の一部門として発足させるという手もないわけではない。現に今回、乗客乗員3,700人が新型コロナウイルスの脅威にさらされたダイヤモンド・プリンセス号の事態終始に当たって、自衛隊が確か2,000人ほど出動したと聞いている。しかも立派なことに、防疫のプロであるはずの厚生労働省の検疫官などが10数人も罹患したのに対して、防疫という面では素人の自衛隊員からは一人の患者も出さなかったということで、いざという時の頼もしい組織だと感心した。」

 記者「ところで、緊急事態宣言が出されて知事から興行や営業の自粛が求められた場合、責任関係があいまいな『要請』などというものではなく、法整備を講じて『命令』という形にし、イベントの中止や延期への補償が必要であるという声も出ているが、どう思いますか。」

 私「これは地震や台風などの天災のようなものだから、皆でその負担に耐えるのが基本である。たとえ法律を作り『命令』という形にしても、災害のときの市町村長の避難指示と同じで、現行法体系では罰則を付けられないから『要請』とさほど変わらない。以上のような性格のものに国や地方自治体が『補償』するというのは、いささか筋違いである。それでも、これは人道上又は社会政策上、放っておけないという事案が必ず出てくるので、そういう人々や零細企業に対しては、『救済』することを考えなくてはいけない。

 なお、私は、法律に罰則を付してその内容を強制するという手段は、この場合はさほど有効ではないと考える。なぜなら、軽い罰則しか付けられないし、その程度であればと守らない人も一定程度は出てくるからだ。従って、個人個人が運命共同体だと自覚して、その危機意識を高めていくしかないと思う。(注)微温的な日本の緊急事態宣言の理由

 記者「北海道や東京都知事の『外出自粛』について、新聞やテレビが『法的根拠はない』というようなことを言っていますが、厳密に言うと、これは誤りということなんですか?」

 私「今回の外出自粛につき、法律にはそのように知事が要請できる規定はないという意味では、間違ってはいません。ただ、先程申した知事の既存の権限に基づき、『行政指導』の一環としてやっていると理解すれば、行政府の長として当然に行い得ると思います。というのは、『法律に基づく行政』ということは当然の原理ですが、将来のことを見越して何でもかんでも全て法律に書くようなことは事実上できないので、現行法には直接の規定はないけれども、例えば事態の急速な展開に応じてすぐに対応する必要があるような場合には既存の権限をやや膨らませて解釈し、その範囲で『要請する』程度なら一種の行政指導として出来ると考えています。」


3.インタビュー記事の掲載

 というわけで、2時間近いインタビューは終わり、しばらくしてまずウェブ上に、次のような記事が載った。雑誌は、4月20日に発刊されるそうだ。




「日本の現行法体系では外出やイベント開催の禁止は困難」

 新型コロナウイルスの影響で国と埼玉県が自粛要請したにもかかわらず、格闘技イベント「K-1 WORLD GP」がさいたまスーパーアリーナで開催された。これはたとえ新型インフルエンザ等対策特別措置法による「緊急事態宣言」が出されたとしても、イベントを止めることはできなかった。「日本の現行法体系によって強制的に外出や集会を禁止することはできない」。内閣法制局長官や最高裁判所判事を務めてきた弁護士の山本庸幸氏は指摘する。

 新型インフルエンザ等対策特別措置法については、「緊急事態宣言」に関する「私権の制限」が話題となった。これに対し山本氏は「罰則の部分を見ても、『特定物資を隠匿し、損壊し、廃棄し、又は搬出した者は、六月以下の懲役又は三十万円以下の罰金』と『立入検査を拒み、妨げ、若しくは忌避し、又は同項の規定による報告をせず、若しくは虚偽の報告をした者は、三十万円以下の罰金』のみ。ほとんどのことは要請しかできない」と指摘する。

 感染症拡大防止に向けての移動制限に対してヨーロッパや東南アジア諸国では罰金や禁錮といった罰則が設けられているのに対し、日本の特措法はそうした条項がない。諸外国と同様にすべきかどうかは議論が求められる。しかし、山本氏は「どのような罰則を付けても、守らない人は必ず出てくる。事実、道路交通法違反による反則金を払わない人が違反者の1割もいる」と現状を解説する。罰則で人は動くのか細かい検証が必要のようだ。


補償と合わせた「中止命令」は可能なのか

 強制力や罰則がないものの、再三の要請を受けても格闘技イベントを強行開催≠オた主催者側には資金繰りが苦しく運営を強いられている部分もあったという。こうした状況に対し、責任関係があいまいな「要請」ではなく、法整備を講じて「命令」という形にし、イベントの中止や延期への補償が必要であるという声も出ている。

 これに対し山本氏は「これは地震や台風などの天災のようなものだから、皆でその負担に耐えるのが基本である。それでもこれは放っておけないという事案が必ず出てくるので、国や地方自治体が『補償』するというよりは、『救済』することを考えなくてはいけない」と主張する。

 「現行憲法には『緊急事態条項』が設けられていないが、これは基本的人権の尊重と旧憲法時代の反省からである。したがって、公共の福祉の観点からどこまで個人の行動を制約するかということが問題となる。その点から、新型インフルエンザ等対策特別措置法による緊急事態宣言で危機を呼び掛けることは一つの施策だ。個人の危機意識を高めていくしかない」としている。もっとも、「今の程度の脅威であれば禁止はできないと思うが、更に事態が進んで致死率が高くなり急速かつ広範囲な蔓延となれば、公共の福祉の観点から、禁止ができないわけではない。ただ、これは憲法学の未踏の分野ではある」とも付け加える。


「地方分権」の下での公衆衛生行政

 新型コロナウイルスに対しては、北海道の鈴木直道知事が「緊急事態宣言」を出し、大阪府の吉村洋文知事が大阪と兵庫の往来自粛を呼びかけるといった国の要請に伴わない独自≠フ判断が起きている。「これは公衆衛生の最終責任者を都道府県知事としている地方分権の本来の趣旨に沿った望ましい動き」と指摘する。

 「1993年に『地方分権の推進に関する決議』が衆参両院でなされ、これに基づいて地方分権改革一括法が成立した。それ以来、感染症への対応行政も、都道府県知事らが責任をもって行うことになった。国は技術的な指導はしているものの、基本的には地方公共団体の裁量の下で行われることになった」と解説する。

 事実、感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)では、感染症患者の就業制限や入院措置、建物への立ち入り制限、交通の遮断などは全て都道府県知事が実施主体となっている。

 ただ、今回の感染症の全世界的かつ急速な拡大といった緊急事態に対しては、国と地方が一体となった措置が必要となる。「公衆衛生の方向性をどのようにしていくかといった折り合いをつけていくのが国の仕事。組織の枠組みや、ガイドラインを作成するといったことが求められる」と強調する。


日本版「CDC」は機能するのか

 こうした感染症への危機対応への注目が高まる中で、議論が沸き起こっているのが、米国などで政府とは別組織として感染症対策の陣頭指揮をとる疾病対策センター(CDC)の日本版≠フ設立だ。

 「現在の日本の政治状況や行政機構の常からすると、果たして実効性のある効率的な組織ができるか疑問」と指摘する。「国や地方は財政改革のために国公立病院の独法化や統廃合、保健所の整理を進めている。そういった状況で十分な予算と人員が確保できるのか、またこれら既存の機関との調整をどうするのか、難しい問題がある。それらをうまく解決して設立したとしても、組織として世間から評価され、理想とする運用を果たすことができるようになるには10年はかかるだろう」

 また、現在は感染症の拡大という危機に直面していることから、多くの国民が必要性を強く感じているものの、非常事態でない時の運用も課題だという。「優秀な人材を雇い続けるには、それなりの待遇も必要になる。国から予算を出し続けることが有用であるのか、という声は出てきてしまうだろう」。活用されないハコモノ≠ノならないよう気を付けなくてはならない。







(令和2年3月29日著)
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