悠々人生エッセイ



中国獅子舞




 イポーの中国正月( 写 真 )は、こちらから。


 中国正月(春節)の風習を撮りに、マレーシア中部の都市、イポー在住の友達を訪ねた。マレー半島西海岸に近い内陸の中部に首都クアラルンプールがあり、そこから高速道路で200km北上すると、ペラ州の首都イポーに着く。ちなみに更に100kmほど北に行くと、昔の海峡植民地ペナンがある。イポーは、中国人の町である。かつてのイギリス統治時代には、錫鉱山によって栄え、その労働者として連れてこられたのが、中国南部の主として広東省や福建省出身の中国人達である。クアラルンプールには広東省出身の人が多いが、更に南のシンガポールには、福建省の人が多い。ちなみに、英国統治時代に、錫鉱山のほか、マレー半島特産の天然ゴム採取の労働者としても中国人が活躍した。そのほか兵士や鉄道関係労働者として連れてこられたのが、インド人で、今でもガードマンや鉄道関係の仕事をしている人が目立つ。

ゴム農園労働者


 中国人は、単なる鉱山労働者やゴム農園労働者では終わらなかった。いわゆる「華僑」としてその才覚を活かして経済界に進出し、中には大金持ちや小金持ちになる人が多かった。イポーは、マレーシア中に散らばるそうした華僑の、かなりの人々が故郷とする都市で、かつて錫鉱山で繁栄し、今は商業都市として栄えている。美人が多いといわれ、とりわけ香港と同じく広東語を話すことから、香港に行ってスターとして活躍する女性もいる。

イポーの町


 前置きはそれぐらいにして、イポーに入ると、中国の桂林や山水画に出てくるような石灰岩のタワー・カルスト地形が迎えてくれる。これは宗教的霊感を呼び起こすのか、その麓に中国寺院が開かれている。現在のイポーは、ゆったりとした住宅地に大きな家々が立ち並ぶ典型的な地方都市である。中心部にも、クアラルンプールのような高層ビルはなく、その代わり大規模なイオン・モールが三つもできている。物価は特に食べ物が安いことから、クアラルンプールで長年働いた人が、リタイア後に移り住むという話をよく聞くそうだ。

普通の家庭の正月飾り、玄関先に真っ赤な楕円球体に赤や黄色の房の付いたもの


 普通の家庭の正月飾りは、玄関先に縁起物の赤い提灯(真っ赤な楕円球体に赤や黄色の房の付いた「ちょうちん」)をぶら下げているところが多い。また、玄関脇に低木がある家々は、そこに真っ赤なパイナップルを模した紙飾りをたくさん吊るしている。聞いてみると、パイナップルは、原語の発音をなぞった福建語で、「福が来る」という意味だから、あちこちに新年のシンボルとして飾ってあるそうだ。日本の松飾りのようなものだろう。もちろん、家の玄関の両脇には、赤い地に金色で、新年を寿ぐ漢字「恭賀新年」や、「家内安全」、「出入平安」などと書かれている。

 中国正月で欠かせないのが、「親類のリユニオン(reunion)」、「アンパオ(紅包)」、「花火」そして「獅子舞(Lion Dance)」である。まず、親類のリユニオン(reunion)というのは、その名の通り、親類一同が寄り集まって、一族の結束を確認することである。この日は、クアラルンプールにいても、ペナンにいても、たとえロンドンやオーストラリアにいても故郷イポーに集まって、親類一同が会食し、麻雀し、おしゃべりをする。例えば、私が招かれた家は、おじいさんの時代に広東省を飛び出してマレーシアにやって来て、裸一貫で錫鉱山で頑張り、そこで現地の女性と結婚し、父が生まれた。父は、同じ中国人女性と結婚して8人の兄弟を育てた。その兄弟の子供が成人し、孫が現在のところ7人もできたという状態である。もう父母はいないが、こうでやって親類一同が寄り集まるそうな。だから、レストランで行われた一同の会食の場に招かれた時、果たしてこれに応じてよいものかと最初は思ったものの、行ってみると、いやもう凄い人数だし、小さな子供が走り回ってまるで保育園が移動してきたようなものだし、そもそも誰が誰だから分からない状態だった。

 中国正月の作法は、皆で箸を持って立ち上がりながら「ローヘイ(良いことが来ますように)」と言いながら、大皿に盛られたカラフルな食べ物(魚生=イーサン)を上に持ち上げ、かき回して食べる。味は、甘酸っぱい。立ち上がったとき、何かブツブツ呟いている人が多いから、何か願っているのかと聞いたら、「もちろん! もっと健康に、もっとお金を儲ける!」というので、やはり中国人らしいと思った。もっとも、ここマレーシアのように、中国人は数の上では少数派だから、自分達の国というよりは、常に民族的緊張の下にある中で、我が身と家族の安全を守るのはお金の力だということを身をもって知っているからだろう。だから、拝金主義というのは、必然的にそうなってしまうので、私はやむを得ないと思っている。

アンパオ(紅包)


アンパオ(紅包)


 見ていると、親類の子供達のうち、未婚の人に対して、「アンパオ(紅包)」を贈りあっている。これは、そもそも福建語のようで、それだからシンガポールにもある習慣である。日本で言えばお正月のお年玉である。日本みたいに、万円単位というものではなくて、せいぜい千円にも満たないくらいのものである。そのポチ袋は、結構手の込んだものが多くて、例えば次のように、「鼠銭代代、如意萬事、迎春鼠銭、大和大吉、鼠年大吉、吉祥銭鼠」などと書かれているし、イラストがとても可愛い。今年は鼠年だから、もう鼠一色だ。イラストの中に、お金を抱いた鼠がいるのも、ご愛嬌だ。私は、平成20年2月12日にも、アンパオのエッセイを書いたことがあるが、その時の写真と比べて、更に進化している。

ホテルでの花火。これと同じ花火を民家でやっていた。


 そうやってお正月の最初の日又は大晦日に親類一同のリユニオンの会食が終わると、今度は長兄の家に集まって、家の前で花火で遊ぶ、花火は、日本流に言えば、「鬼を追い払う」ということで、家の前の道路で、バチバチと大きく鳴らす。大人が上げる大きな打ち上げ花火から、よちよち歩きの幼児が投げる小さな花火まで、その熱中ぶりといったら凄い。30度を超える暑さの中で何時間もひたすら打ち上げ、投げている。花火の煙で辺りが暗くなるほどで、やかましいったら、ありゃしない。しかし、これがないと新年が来ないということで、大人も子供も熱中してやまない。中には2mほどの長さの赤い花火があり、それを道に伸ばして広げ、片方の端に点火する。やがてバチッ、バチバチッという轟音とともにどんどん燃えていき、やがて反対側の端まできて、ああやっと終わったと思ったら、最後に爆音を立てて皆をびっくりさせる。いやいや凄い。

獅子舞


獅子舞


 次に記念すべき行事は、獅子舞である。かつてはそれぞれの家を回って来たが、最近はそれより商業施設を回った方が効率がよいというので、個人の家には来なくなった。どこで見られるのか探しに行こう考えていたら、泊まったホテルに獅子舞がやってきた。写真を撮るには、こんな都合のいいことはない。どんなお獅子かと思ったら、日本のような怖い姿と違って、身体が黄色や赤色というカラフルで目がぱっちり、しかも時々ウィンクするなど、とっても可愛い。それが、ドラや太鼓の「ドンドン、ガンガンー」という、うるさくてかなわないほどの音を出して、立って踊ったかと思うと、急にうずくまったり、飛び跳ねたり、肩車して立ち上がったり、口からオレンジを出して観客に配ったりと、サービス満点でしかもダイナミックに動き回る。ちなみにオレンジを配るのは、「何か幸せなことが来ますように」という象徴らしい。親類や友人に、「恭賀新年」という化粧箱に入ったオレンジを贈り合うというのが昔ながらの習慣だという。私も、お獅子からいただいたオレンジを剥いて口に入れたら、中には種があって、昔の日本の静岡蜜柑のようだった。

「恭賀新年」という化粧箱に入ったオレンジ


「恭賀新年」という化粧箱に入ったオレンジ


 また獅子舞の話に戻ると、こういった新年の祝賀だけでなく、一般の会社や商店の開業記念などに招かれて、このパフォーマンスを行うという。一件20分から30分くらいで現地通貨RM(リンギット)で、300から400ぐらい(日本円で8千円から1万1千円)らしい。私の泊まったホテルは、1時間もやっていたから、RM2000から3000(5万3千円から8万円)くらいではないかと言っていた。地元の人と話すと、結局はお金の話になる。まあそれも、冒頭に述べたような華僑が置かれた厳しい現実からくるのだと理解していただきたい。ところで、イポーでこのような獅子舞のパフォーマンスを行うことができる「会社」が3つもあるそうだ。新年の3ヶ月前から練習して備えるという。新年の舞のほか、商業施設の開業祝いの仕事もある。ただ、それだけでは食えないから、オフシーズンにはメンバーは別の仕事と掛け持ちするようだ。

 その他、聞きかじった面白い話として、中国正月の最終日(今年は2月15日)に、交際の相手探しの慣習があるそうだ。イポー特有だという。何かというと、オレンジに名前と携帯電話の番号を書いて、川に投げるだけのことだ。それを拾った人がその相手に連絡をして、カップルが成立するという例が少なからずあるとのこと。平和な田舎ならではの面白い慣習だ。

吾観音堂


吾観音堂


吾観音堂の四面菩薩


 なお、今回は日中に街中や中国寺院の写真も撮りたかったが、この地は何しろ気温が摂氏30度を優に超えるという猛暑が続く。しかも今年は例年にも増して暑いそうだ。これでは摂氏8度前後の冬の日本から来た身には堪えるので、直射日光の当たらない冷房が効いたホテルでの獅子舞と、気温の下がった夜の洞窟寺院の写真しか撮らなかった。それにしても、吾観音堂という洞窟寺院にあった、四面全てにお顔と手足と体のある「四面菩薩」という仏様には恐れ入った。でも、考えてみれば、興福寺の阿修羅像も、三面六臂である。するとこの菩薩様は、四面八臂八体というわけだ。日本では、あまり見かけたことがないと思うが、いかがであろうか。





(令和元年 1月26日著)
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