悠々人生エッセイ



取り出された金属プレートとネジ10本




 ちょうど1年前に左手首に怪我をして(左橈骨遠端位骨折)、治療のために金属プレートが埋め込んである。この間、順調に治ってきたので、それを取り出す手術をすることになった。正式には、「左橈骨遠端位骨折術後抜釘」というらしい。

 そもそも、なぜ怪我をしたかというと、風呂場の僅かな水たまりにスリップして床に落ちたからだが、その時に左手首を柔道の受け身のように「順手」で床につけば何の問題もなかったものを、咄嗟に「逆手」でついてしまったことによる。よく、雪国の人が雪で転んでこの形の骨折をするそうだが、まさか風呂場で起こるとは思わなかった。

 その「逆手」で床についたことで、左手首の外側の骨に楔形の切れ込みが入ってしまった。これでは長い間、左手を動かすことができないので、その折れた部分の反対側の左手首の内側に、小さな手の形をした金属プレート(チタン製)を埋め込んで支えようというのが、前回受けた手術である。そのおかげで、12月に怪我をしたのに、もう翌年の4月初めからテニスを再開した。もう少し正確に言うと、医者は「テニスをするには少なくとも6ヶ月は間を置かなきゃ。」と言っていたのに、「私のテニスはバックも含めて全て右手一本でやっているから大丈夫」と思って、4ヶ月後から勝手に再開した。

 以上のようなことで、今回は埋め込んだ金属プレートを取り出す手術をしたというわけである。木曜日に入院して金曜日の午前中に手術を受け、翌土曜日の朝に退院した。ただ、健康体だから、身体測定しても、体温は36.8度、血圧は上が113、下が74と、別に異常値ではない。もっとも、手術直後の夕刻には、体温は37.0度、血圧は上が134、下が98と、かなり上がっていたが、寝る前には平常に戻っていた。

病室からの眺め


 手術前日には、家内と話したり、担当の看護師さん(2年目、埼玉出身)と四方山話をしたり、iPadで先週の京都・滋賀へ紅葉の旅の顛末を書いていたりと、のんびりと過ごした。ちなみにその手術を受けた病院が、今年5月に、新設したビルへと移転した。だから今回はその新設ビルに入院したことから、入院環境が大きく変わった。まずは、個室がビジネスホテル並みに大きくて綺麗になった。眺めもよい。シャワーも部屋にある。お値段は、一日約3万円だが、同室者のいびきなどに悩まされるというようなことはないから、それなりのことはある。

病室の様子


 さて、手術の当日、手術着が届けられた。それを着て、家内に見送られて歩きで手術室に向かった。手術室のフロアも、廊下が広くて清々としている。ただ、手術用のエレベーターの速度が遅くて、長く待たないといけない。この点は、旧病院の悪い所を受け継いでいる。

 今回は全身麻酔はせず、左手の部分麻酔だから、何が行われているかがよくわかる。それどころか、手術医とのやり取りで進められる。超音波で神経の構造を見つつ、左腕の内側根元に麻酔液を注射していく。即効性と遅効性の薬を半々に混ぜ合わたものだ。指先のどの部分が痺れるかを確認しながら、「はい、2cc、逆流ありませんか。」「はい、なーし。」などと、徐々に注入していく。それが全て終わると、先生たちはいったん引き上げ、しばらくして私の左手の感覚がなくなった。

金属プレートを取り出す前の患部


 前回に切開した縦の5ないし6cmほどの傷跡(上の写真)をなぞって切り開き、埋まっている金属プレートと10本のネジを取り出すというものだ。手術が始まり、まず切開しているようだ。それからネジを回して一つ一つ取り出し、最後に金属プレートが出たようだ。少しも痛くはない。時々、右腕に装着された血圧計が作動して、腕を締め付ける。そのうち、切開された部分が閉じられたようで、「はい、終わりました。」との声でホッとする。

 今度は歩けないので車椅子に乗せられて部屋に帰ると、家内が安心した顔で迎えてくれた。お昼の12時を過ぎていたので、食事が届けられている。それを見た瞬間、朝食抜きだったのを思い出し、急にお腹が空いてきた。そこで、食べ始めたところ、全く普通に食べられたので、我ながら安心した。

 それにしても、病院食というのは、1食分の量が、これほど少ないとは思わなかった。大根サラダはほんの少し、カボチャの煮付けはほんの一切れ、鶏の唐揚げは一口サイズがわずか3個、それにご飯がお椀で一杯分だ。これらの中で、おかずは私が普段食べている量の半分だ。ただ、ご飯の量は家では130gと、この病院食の半杯だから、そこでカロリーを調整していたようだ。

 翌日朝、担当医がやってこられて、グルグル巻かれた患部の包帯を外してチェックしてくれた。前回と違って今回は縫ってあり、真ん中の縫い目の間の3箇所から血が滲み出ている。思ったほど痛くはない。昨晩、痛み止めのロキソニンを飲んで寝たが、それ以降は飲むほどではないので、飲まないままで過ごしている。

 そういうことで、無事に手術が終わって、自宅に帰っている。特に痛みはなく、体温、血圧とも正常に戻った。それにしても、切開された場所は、血管、神経、腱などをちゃんと避けている。まさに、プロフェッショナルの技だ。なお、今回の手術では、リハビリの必要はないので、助かる。

 退院までに、私の左手の埋め込まれていた金属プレートとネジ(冒頭の写真)が綺麗に洗って私の下に戻ってきた。いわば、「お土産」である。それを見ると、金属プレートの方はレントゲン写真で見慣れているので、「ああ、これか」という気がするだけだが、10本のネジは、こんなに長いものだったのかと驚く。いずれにせよ、これで1年間に及ぶ私のサイボーグ時代は終わった。下の写真は1週間後の姿で。抜糸は更にその1週間後を予定している。

金属プレートを取り出した患部


 この先、再生医療技術が進歩すると、こんな単純なものではなく、医者が「ああ、これは心臓が悪いからだ。それでは、全体を取り替えましょう。」などと言って、体外でiPS細胞を使って臓器培養してできた心臓で丸ごと取り替えたりする時代が来るかもしれない。腎臓、心臓、肝臓でそれが進むと、今は高々100歳の寿命が、120歳くらいになるのではなかろうか。面白い時代になったものだ。それまで、ボケないようにせいぜい頑張ることにしよう。

 ところで、入院した後にこの病院の差額ベッド代(消費税抜き)の表示を見たところ、次のようになっていた。

  特別個室 A 200,000円 (特別)
  特別個室 B 150,000円 (特別)
  特別個室 C 85,000円 (特別)
  特別個室 D 70,000円 (特別)
  個室(有料) 27,000円 (一般)
  4人床(有料)7,000円 (多床)
  4人床(無料) (多床)

 なるほど、私は個室(有料)だったのか。道理でビジネスホテル並みだったわけだ。すると、特別個室というのは、四つ星から五つ星ホテルに相当するものだろう。それにしても、特別個室 A というのは、どんなものだろうと思っていると、それが載っている病院の資料があった。それによると、部屋はスィートルームのように広々として常に笑顔を絶やさないコンシェルジュが控え、看護師さんも愛想よく、夕食は、(1)うなぎ、(2)ビーフステーキ、(3)海老チリソースの3つから選べるという。五つ星ホテル並みのつもりかもしれない。向かいのホテル・オークラから取り寄せるのだろう。

 今回の私のように、健康体で、ちょっと切開して取り出すというのではなくて、怪我したばかりで痛くてかなわないという状況だと、鰻だろうがビフテキだろうが、ともかく何も食べたくない、コンシェルジュにも相談することもないというときには、まるっきり無駄で役に立たないのではなかろうか。だから、いささか妄想の類いだが、ここは永田町に近いということもあり、特にAは、「エレベーターが別になっていることだし、健康体なのだけれど、報道陣から逃れるために身を隠す」という使い方があるのかもしれない。

 それにしても、残るBとCとDの差は何か?たぶん、部屋の広さだろうが、コンシェルジュは付くのか、バスタブはあるのかなど、疑問は尽きない。いや、「疑問」ではなく単なる「興味」にすぎないが・・・。まあ、入院してみるとわかる話だが、なるべく入院せずに過ごしたいものである。ともかく、人生初の入院・手術を体験し、良い経験になった。





(令和元年12月7日著)
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