悠々人生エッセイ



奉射:女性騎馬武者が二の的を狙う




 逗子の流鏑馬( 写 真 )は、こちらから。


 鎌倉や明治神宮だけでなく、逗子にも流鏑馬(やぶさめ)があると聞いて、見物に行くことにした。実は、私は逗子駅には降り立ったことがない。横須賀線の路線図を見たところ、鎌倉の次の駅で、葉山の隣りだった。すると、以前に海岸線を車で通りかかったことはあるが、かなり昔のことなので、記憶はあやふやだ。観光スポットはというと、まさにその逗子海岸で、そこで流鏑馬があるらしい。

逗子開成学園の子たち


 当日は快晴で、逗子海岸に着いてみると10人以上がウィンドサーフィンを楽しみ、海に色とりどりの帆が林立している。それを見る海岸の砂浜に、太鼓が並んでいて、若い男の子たちが準備している。逗子開成学園の子たちで、元気よく和太鼓を披露してくれた。これは、いわば前座である。

流鏑馬一行の登場


流鏑馬一行の登場


 始まる前に、いただいたパンフレットを拝見すると、このように書かれていた。「鎌倉幕府の行事記録である吾妻鏡によれば、正治2年(1199)9月2日、源氏2代将軍頼家が小壺の海辺で弓馬の達人集めて笠懸を射させたという記録があります・・・笠懸は流鏑馬と共に疾走する馬上から弓を射るという騎射の一種で、これは関東武士のお家芸であり、当時最高の武技であったのです・・・流鏑馬は起源が古く、6世紀の半ば神事として始まり、平安朝では宮廷の公事として年々催されておりました。その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果たしたので、天下泰平を祈願するため文治3年(1187)8月15日に鎌倉八幡宮の宝前で流鏑馬を催し、以来源家3代を経て文永3年(1267)に至るまで毎年のごとく行われた・・・逗子商店会では約800年前に行われた逗子流鏑馬を再現させ、市民の皆様に、往時の伝統武芸をご高覧いただきたく存じます。

流鏑馬解説

【天長地久の式】(てんちょうちきゅうのしき)
 奉行は、記録所前に勢揃いした諸役の前中央に進み、「五行之乗法」を行う。乗馬して左へ3回、右へ2回、馬を回して中央の位置で馬を止め、鏑矢を弓につがえて、天と地に対して満月の弓を引き「天下泰平、五穀豊穣、国民安堵」を祈念する。式が終わると奉行、射手、所役は行列を組み「序之太鼓」に合わせて射手は馬場本に進む。

【素 駆】(すばせ)
 馬場入後、奉行は記録所に上がり、諸役一同は各部署に着く。射手は馬場本の馬溜りに集合する。奉行は、各自の配置と馬場内の安全を確認する。馬場本、馬場末の扇方は馬場内の安全を確認を確認し、準備完了の扇の合図を行う。その後、奉行は、「破之太鼓」を打ち、射手は、順に馬場に全力で馬を打ち込む。

【奉 射】(ほうしゃ)
 馬場に3つの「式之的」が立てられ、射手は馬を全力走らせながら腰の鏑矢を引き抜いて重藤(しげとう)の弓につがえ、一の的から次々に射て馬場を駆け抜ける。これを決められた回数繰り返す。的は一尺八寸四方で、檜板を網代に組み、その上に白紙を貼って青、黄、赤、白、紫の5色であらわし、的の後ろに四季の花を添える。

【競 射】(きょうしゃ)
 的は、径三寸の土器2枚を合わせて、中に五色の紙切れを入れてあり、命中すると土器は裂け、中の五色の紙は花吹雪のように飛び散る、こうして競射が終わると、奉行は記録所で「止之太鼓」を打ち、射手、諸役は行列を組んで記録所前に向かう。

【凱陣の式】(がいじんのしき)
 記録所前に勢揃いした後、競射の最多的中者は式之的を持って奉行の前に座する。奉行は、扇を開いて骨の間から的を見聞する。扇をたたみ太刀の鯉口を切った時、太鼓をドン・ドン・ドン」と三打する。奉行の「エイ・エイ・エイ」の声に続いて、射手諸役一同「オーッ」と唱和、これを3回繰り返して勝どきを揚げる。この儀式は、流鏑馬そのもの、世の邪悪退治も意味しているため、退治した邪悪の「首実験」の意味も込められている。


 午後1時から流鏑馬が始まったのだが、このパンフレット中の「流鏑馬解説」にそのまま沿って行われた。行事が全て終了してから気が付いたのだから、笑い話だ。当たり前といえば当たり前なのだが、それならそれで、題名を「本日の流鏑馬の流れ」とでもしてくれていれば、わかりやすかったのかもしれない。

 私は、この種の伝統行事や祭りに最初に行く時には、有料観覧席に座ることにしている。現地の事情がわからないからだが、この日もそうしたところ、中央の「櫓」つまり記録所のすぐ近くだった。ここから見ると、正面は海、これに沿って一直線に218mの馬場が走る。左手奥に馬場本があり、そこが出発点で、その近くに一の的が、私がいる記録所前に二の的がある。そして我々の前を通り過ぎると、右手奥に三の的がある。その先が馬場末だ。

 この流鏑馬をしているのは、武田流で、「立ち透かし」という「上半身が上下動しない美しくかつ正確な騎射を可能にする究極の技術」を披露できるという。同団体では、この逗子のほか、鎌倉八幡宮、明治神宮などで披露しているとのこと。なお、念のために検索してみたところ、公益社団法人 大日本弓馬会一般社団法人 日本古式弓馬術協会(武田流鎌倉派)特定非営利活動法人 武田流流鏑馬保存会の3つの団体がヒットした。このうちどれかだろうと思ったが、当日のアナウンスを聞いていたところ、その内容は大日本弓馬会のホームページのものと共通していたので、本日の団体は間違いなく大日本弓馬会である(その後、同会の行事予定に掲載された。)

 午後1時になり、最初に、逗子市長などの来賓挨拶があった。市長は、「財政事情が厳しい折、この流鏑馬予算を2年前からカットしてゼロにせざるを得なかった。」などと平然と語る。ある意味、大したものだ。

天長地久の式


我々の横の櫓(記録所)


 櫓の前で「天長地久の式」が始まった。騎馬武者が馬を左右に回し、止まって矢をつがえて天と地に向ける。天に向けたとき、あのまま矢を放つのかと思ったほど弓を引き絞っていた。それから、一行は旗を先頭にして、太鼓の音とともに左手の馬場本の方に向かい、奉行は我々の横の櫓(記録所)に登った。子供武者行列の一行がやってきた。周りの見物人から、「まあ、可愛い」という声があがる。亀岡八幡宮からやってきたらしい。

子供武者行列の一行


騎馬武者が全速力で馬を走らせてきた


 太鼓の音が鳴り、馬場本で旗が上がったと思ったら、騎馬武者が全速力で馬を走らせてきた。騎射はしない。そして、右手の馬場末へと走り去った。それが何騎か続く。これが、いわば馬の準備運動だろう。やがて、前を通った4騎が全て揃って馬場末から同じ道をゆっくりと馬場本へ帰っていった。

一辺50センチの四角いカラフルな的。その的の上に花が飾られている


 いよいよこれからが本番の流鏑馬だ。我々の前の二の的に、一辺50センチの四角いカラフルな的が上下左右に角がくるように掲げられた。的の上に花が飾られていると思ったら、かつて的を射るのに失敗したことを恥じて自害した武士がいたことから、こうするようになったという。

 準備万端が整い、馬場本で旗が上がった。騎馬武者(射手)が、あちらの一の的に向けて矢をつがえて放った。バキッと音がして、記録所の係が「命中」と叫ぶ。ドドッ、ドドドッと音を立てて我々の二の的に向かってくる。この間に矢をつがえなければならない。そして、二の的でまた放つ、バキッ・・・見事、命中だ。さらに右手に走り去り、あちらの三の的を狙ったかと思うと、ワァーと歓声があがる。おお、素晴らしい。三つとも命中だ。

流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


流鏑馬の本番


 次の騎馬武者が来る。一の的は失敗だ。我々の二の的は、バキッと、これは当たった。三の的は、残念ながら失敗だ。なかなか難しいものらしい。更に三番目の騎馬武者はというと、これは女性だ。気のせいか馬で駆ける音もかろやかで、一の的は成功、二の的は、失敗、三の的は成功・・・とまあ、そういう具合で4人の武者が駆け抜けた。騎馬武者は一の組と二の組、それぞれ4人ずついるという。中でも、先頭と殿(しんがり)は最も上手な射手を配するらしい。

旗が上がっていないのに、もう騎馬武者が駆けてきた


 あれあれ、旗が上がっていないのに、もう騎馬武者が駆けてきた・・・ところが、私の前の二の的では、二人がかりでまだ的を変更する作業中である。走ってくる騎馬武者が矢をつがえた。あっ、危ない!と思ったその時、すんでのところで騎馬武者が気がついて、矢を放つのを止めた。そして、来た道を引き返して戻って行って、やり直した。

 ところで、私は写真を撮ろうといつものソニーα7IIIを持っていったのだが、この日の撮影は難しかった。まず、二の的付近では完全な逆光となる。次に、馬は速い、速すぎる。加えて、私から見て一の的と二の的の間に仕切りの棒があって視界を遮るから、コンティニュアス・フォーカスがそこで途切れる。それやこれやで、最悪の条件だった。

流鏑馬の競射


流鏑馬の競射


流鏑馬の競射


 流鏑馬は続き、的がカラフルなものから、四角い板になり、最後は、丸いかわらけ(素焼き土器)になった。真ん中に黒い目玉が描かれていて、かなり小さい。これを速く走る馬の上から射るわけだから、非常に難しいと思う。これほど的が小さいと、たとえボールを投げても当たる確率は低いのではないか。それを弓で射抜くのだから、大したものだ。本番だが、我々の前の二の的については、騎馬武者のうち二人当てた。当たった瞬間、中に仕込んであったカラフルな紙が舞った。

凱陣の式


凱陣の式


凱陣の式


 最後は、凱陣の式である。最もたくさん当てた騎馬武者が、その的を持って奉行に見せると、奉行は、「扇を開いて骨の間から的を見聞」している。何をやっているのだろうと思ったら、獲物は邪悪つまり穢れたもの故、直接見てはいけないそうだ。そうやって見聞が終わると、「扇をたたみ太刀の鯉口を切る」。そして太鼓の合図とともに奉行の「エイ・エイ・エイ」の声に続いて、一同が「オーッ」と唱和するという次第だった。日本古来の武芸も、なかなか良いものだ。









(令和元年11月17日著)
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