悠々人生エッセイ



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 ひたち郷土芸能大会( 写 真 )は、こちらから。


1.日本各地の郷土芸能を呼ぶ

 日立のお祭りといえは、日本五大曳山祭りの一つである「日立風流物」が演じられる「ひたち春祭り」だけかと思っていた。ところが、「ひたち秋祭り」もあって、その最大の目玉は、日本各地の郷土芸能を呼んできて、それを演じてもらうことだという。今年の演目を見ていると、かねてから関心のあった秋田の「西馬音内(にしもない)盆踊り」があるではないか。この機会にとりあえず、どんなものかを観て、これは良いと思ったら、そのうち本物を西馬音内まで見物に行けばよいと思い、日立市へ出かけることにした。

 祭り当日の10月26日は、前日の台風による大雨の影響で千葉県から福島県にかけて河川の氾濫や山崩れなどが起きて、午前中は常磐線を走るスーパーひたちが運休になった。被害に遭われた方々には、心から哀悼の意を表する次第である。ところが、その時にはそれほどの被害が出たとはついぞ知らず、大雨の影響があったかどうか線路の点検を行うということだった。この催しは午後5時半からなので、それまでには運行されるだろうと思っていた。すると、お昼を回った頃に平常通り時刻表に沿って運転が始まった。

 日立駅に降り立って、会場の日立シビックセンターに行ってみたら、何と野天の会場である。ところが、今日は台風一過の晴天なので、助かった。比較的早く行ったので、たまたま隣り合わせた同年輩の地元の女性と話していたら、昨年は雨が降ってきて、カッパを着て観覧したそうだ。


2.西馬音内盆踊り

 いよいよ始まった。それでは、私が気に入った順にご紹介したい。まずは、何といっても本日のハイライトの「西馬音内盆踊り」である。秋田県羽後町の盆踊りで、黒い布で顔を隠して踊る、あの「亡者踊り」の写真を見て驚かない人はいないだろう。

西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


 いただいたパンフレットには、このように紹介してある。「西馬音内盆踊りは、国指定重要無形民俗文化財に登録されて、700年以上の伝統を守る日本三大盆踊りの一つです。豊年祈願や盆供養のために始められた伝統行事であり、勇ましくにぎやかに鳴り響く囃子に対し、優雅で流れるような上方風の美しい踊りの対照が特徴です。

 女性の踊り手で多く用いられるのが『端縫い衣装』です。端縫い衣装は四種も五種もの絹布を端縫ったもので、母から子へと代々受け継がれ、故郷に生きた女性たちの思いも同時に身にまとって踊るという意味を持ちます。

 衣装から踊り手の指先までもが美しい西馬音内盆踊りにぜひご注目ください。」


 実は、本番が始まる前に会場そのものを使ったリハーサルがあって、その時に金髪でアメカジ(アメリカン・カジュアル)という格好のいいお兄さんたちが出てきて、まるでジャズ風に手や足をくねくねさせて踊っていた。私の隣のおばあさんたちは、「わあーっ、カッコいい!」と呟いたほどだ。私は、かつて一世を風靡した原宿の竹の子族みたいなこのお兄さん達が、本当に700年も続く伝統の踊りを踊るのかと、いささか半信半疑になってきた。

 太鼓がドドンと響き、ヤートーセ・ヨーイワナー・セッチャーという掛け声で始まった。笛に合わせて歌われるその歌詞には、思わず笑ってしまった。秋田弁なので、詳しくはわからないが、断片的にわかっただけでも、抱腹絶倒の代物だ。例えば、

 「ホラいっぱい機嫌で踊りコ踊たば 皆に褒められた いい気になりゃがてホカブリ取ったれば 息子に怒られた」

 キタカサッサ・ドッコイナ

 「ホラ隣の嫁コさ盆踊り教えたば ふんどし礼に貰た 早速持ってきてかがどさ見せたば 横面殴られた」

 キタカサッサ・ドッコイナ

 「おらえのお多福ぁ めったにない事 びん取って髪結った お寺さ行ぐどって そば屋さ引っかがって みんなに笑われた」

 などと、延々と面白い話が続く。時々、意味が分かって、思わず笑ってしまう。これは、農民の憂さばらしそのものではないか。

西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


 舞台の上では、編み笠に「端縫(はぬい)衣装」というきらびやかな姿の女性や、あの黒い「彦三(ひこさ)頭巾」に藍染め衣装姿の男性や未婚女性が、一重の細長い輪を作って優雅に踊っている。手の動きが綺麗だ。ここまでを「音頭」というらしい。

 次に、彦三頭巾の男性たち数人が舞台から降りてきて、曲のテンポが早くなり、歌詞の中身も変わる。例えば、

 「お盆恋しや かがり火恋し まして踊り子 なお恋し」

 「月は更けゆく 踊りは冴える 雲井はるかに 雁の声」

 「踊る姿にゃ 一目で惚れた ひこさ頭巾で 頭しらぬ」

 「踊ってみたさに 盆踊習った やっと覚えたば 盆がすぎた」などという調子である。

 音頭のときは陽気でひょうきんな感じだったが、それから一転してこのような情緒と哀愁感あふれる歌詞に移行する。それと同時に、とりわけ男性たちのダイナミックで早いテンポの踊りに観客は魅了される。これが「がんけ」というものらしい。その漢字は、定まっていないようだ。

西馬音内盆踊り


西馬音内盆踊り


 彦三頭巾姿のその男性たちが、私のすぐ横で踊り出した。まずはその彦三頭巾が独特である。長細い黒い布の目の部分に二つ穴を開け、それを頭に被って豆絞りの鉢巻きをして留める。おどろおどろしい感もあるが、それもそのはずで、これは亡者を表しているそうだ。そもそもお盆というのは、死者を迎えて供養するための行事なので、本来の趣旨に沿ったものといえるが、やはり、いささか怖い気がするのもやむを得ないところだろう。

 ところで、この彦三頭巾姿の若者たち、音頭のときと違って、グルグル回る。しかも、人差し指を立てる動作も加わる。まるで、西洋式のダンスだ。思わず見とれていると、目の前にやってきて、何とか「どっこいショ」と言って脅かされる。面白い。それやそれやで、西馬音内盆踊りの魅力を十分に味わった。これは、本番を見に行く価値は十分にあると思う。


3.石見神楽

 石見神楽(いわみかぐら)については、私は全く知らなかったが、八岐大蛇伝説を演じる非常に魅力的な舞台だった。演者の皆さんは、この日は島根県益田市から16時間もかけて来ていただいたそうだ。

石見神楽(須佐之男命)


石見神楽(媼)


石見神楽(翁)


石見神楽(奇稲田姫)


 いただいたパンフレットによれば、「石見神楽は、神事を主とする小神楽と呪的な色彩を帯びた大元神楽とが融合したもので、遅くとも室町時代には島根県西部の石見地方一円に流行しました。江戸時代までは神職による神事であったものが、明治維新以降、土地の人々に受け継がれ、更に民衆の新しい感覚が加わり民俗芸能として舞われています。

石見神楽(大蛇)


石見神楽(大蛇)


石見神楽(大蛇)


石見神楽(大蛇)


 演目の多くは古事記・日本書紀が題材とされ、大太鼓、小太鼓、手拍子、笛の囃子が奏でる調子やリズムは、勇壮にして活発な八調子と呼ばれるテンポの速いもので、見る人を魅了します。

 大蛇(おろち)

 悪業により高天原を追われた須佐之男命は、放浪の旅の途中、出雲国で八岐大蛇の災難に嘆き悲しむ老夫婦と奇稲田姫に出会う。須佐之男命がその訳を尋ねると『八岐大蛇が毎年出没し、7年に7人の娘がさらわれてしまった。残ったこの娘も喰われてしまう』と告げる。一計を案じた須佐之男命は、毒酒で大蛇を酔わせて討ち取る。この時大蛇の尾から出た宝剣『天叢雲剣』は天照大神に捧げられ、三種の神器の一つとして熱田神宮に祀られている。」
とのこと。

石見神楽(須佐之男命が大蛇を退治)


石見神楽(須佐之男命が大蛇を退治)


 舞台では、奇稲田姫を中央に置いて、左手から媼、右手から翁が出てきて、嘆き悲しんでいる。そこに須佐之男命が通り掛かり、事情を聞いて八岐大蛇と戦う決心をする。そこへ大蛇が現れ、須佐之男命と大乱戦が始まる。太鼓がドドドーッ、ドドドーッと鳴り響き、その合間に合図があって、大蛇の形態が変化する。横長に絞った紐のようにもなれば、縦に渦巻きのようにもなる。それがまた、非常に見事なものである。最後は、須佐之男命が剣で大蛇の頭を一つ一つ斬り裂いて、大円団となるという趣向である。クライマックスでは、パチパチッと、花火まで使われる。いや、これも見事というほかない。もちろん、劇の主役は須佐之男命だが、8人の蛇役が一糸乱れずに演じるからこそ、この神話劇が成り立つ。さすが、出雲大社の近くの地元というほかない。それにしても、大蛇役は大変だ。劇が終わって被り物を取り去った姿は、いかにも疲れたという表情だった。


4.大川平荒馬

大川平荒馬


大川平荒馬


 大川平荒馬(おおかわだいあらま)は、青森県今別町からで、パンフレットによると、「津軽統一の故事にも由来し、馬と田畑を切り開いてきた苦労と喜びを、荒馬と手綱取りの絶妙な連携と華麗で迫力のある踊りで表現されます。扇ねぶたの山車とねぶたの衣装をまとったハネトが荒馬を囲み、『ラッセーラー』の掛け声と太鼓や笛の囃子に合わせて舞います。」という。

大川平荒馬


大川平荒馬


大川平荒馬


 花道をいきなり、弘前風の扇形をした「ねぷた」が出てきた。もう夜だから、灯りが眩しいほどで、綺麗なねぷたである。そして、青森ねぶた祭のハネト(跳人。派手な花笠を被って白い浴衣着にピンクや赤色が出るようにし、鈴をつけた独特な衣装の人)が、片足で2回ずつ飛ばながら、紅白の手網で荒馬を引っ張ってくる。荒馬を演ずる人は、身体の前に小さな木馬、身体の後ろに馬の胴体を付けて、結構早いテンポで左下、右下へと動く。掛け声は、青森ねぶた祭と同じく「ラッセーラー」である。とても威勢が良く、素晴らしい踊りだった。


5.神川豊穣ばやし

神川豊穣ばやし


神川豊穣ばやし


 神川豊穣(かみかわほうじょう)ばやしは、「埼玉県北部に位置する神川町において、1994年に町おこし太鼓教室をきっかけに新しい芸能として誕生しました。町に流れる神流川の豊かな流れと大地の恵みに深く感謝し、『全ての豊穣』作物も人間も豊かに稔ることを願う意味が込められています。現在、郷土芸能として定着することを目指して活動しています。老若男女が息を合わせてさまざまな演目を用意しています。10人で操る大獅子舞、子供や女性の太鼓や舞、力強く叩かれる四尺の大太鼓をご覧ください。」とのこと。



神川豊穣ばやし


神川豊穣ばやし


神川豊穣ばやし


 その説明の通りだと、わずか25年前に始まった芸能である。しかし、その割には、小太鼓、中太鼓、大太鼓があり、また巨大な獅子が出てくるなど、非常に充実している。思わず感心して見ていた。特に巨大な獅子は、他では見たことがない。大勢の人が一心同体となってよく動かしているのは素晴らしい。また、大太鼓の周りを打ち手がいかにも楽しそうに打ちながら踊りまわっている。結構なことだ。


6.津軽三味線

 水戸市から、佐々木光儀一門の津軽三味線奏者がやって来て、ペペペン、ペペン、ペンと、お馴染みの演奏を披露してくれた。まあその迫力といったらない。あの広い青空会場全体に響き渡る。これは、写真よりはビデオに撮っておくべきだろうが、著作権がどうなっているのか不明だし、私のホームページ内では取り扱いづらいので、いつも通り写真だけにしておこう。

津軽三味線。高橋拓美さんと高森彩花さん、そして師匠の佐々木光儀家元


 この日は、佐々木光儀家元とその一門、特にまだ大学生の高橋拓美さんと高森彩花さんが演奏してくれたのだが、この若いお二人は、津軽三味線全国大会で日本一に輝いたそうだ。それもそのはずで、6歳、7歳の頃から修業を積んできているという。佐々木光儀家元は、こういう方々をはじめとして、プロの奏者も何人かを育て上げられたようで、これまた素晴らしいことである。








(令和元年10月26日著)
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