ヒンズー教とはどういう宗教かと、その雰囲気を味わうには、本場のインド以外では、クアラルンプールのバツー洞窟(バツー・ケーブ)に行くとよい。市内中心にある交通の要衝のKLセントラル駅から、北に向かうKTMコミューターという電車で乗り換えなしで30分で行くことができる。私は、約30年前にこの地に住んでいたとき、ここに何回も来たことがあるけれども、その時は車で行くしかなかった。ところが今は、それに比べたらはるかに便利になったものだ。バツー・ケイブ駅で降りて構内を出るとすぐ左手に、薄緑色のハヌマン神像(力と勇気の神)が迎えてくれる。その脇にはラーマーヤナ洞窟があるが、時間が惜しいし、昔とさほど変わりがない思うので、通りすぎてバツー洞窟の入り口に向かった。
入り口でまず目立つのは、右手前に聳えている威風堂々の黄金色の神像である。タミル系ヒンズー教のムルガン神像で、高さは43mというが、余りにも背が高いので、びっくりするほどだ。これは何かと現地のインド人に聞いたところ、シヴァ神の息子ムルガンだという。昔々のそのまた昔、悪魔と正義の戦いがあり、正義軍が敗北の寸前まで追い詰められた。その時、天界のシヴァ神が送ったのが戦士スカンダで、何を隠そう、自らの息子ムルガンだった。その活躍で、正義軍がついに勝利を収めた。その時に負けた悪魔は、シヴァ神によって孔雀にその姿を変えられた。だから、孔雀も神聖な存在だ・・・ということを熱弁していた。
ところで、年に一度のタイプーサムというヒンズー教のお祭りがある。何回か見たことがあるが、夜にその行列に出会うと、ピカピカに光り輝いているお神輿を中心に大勢のインド人がカネや太鼓で賑やかに練り歩いていて、驚いてしまう。もっとびっくりするのは、それを担ぐ信者たちが、鋭い串(カバディ)やフックを顔や身体に刺したり引っ掛けたりしていることである。これは、そういう障害を克服して、正義の存在であるムルガンに捧げるのだそうだ。その祈りの対象を具現化したものが、このバツー洞窟にあるムルガン神像なのである。鉄の串を舌や皮膚に刺して痛くないのかと思うが、現地のインド人は真顔で、「神様のご利益があらたかなので、そんなもの翌日にはもう傷痕は消える。」と言っていたのを思い出す。科学的に言えば、鍼のようなものかとは思うが、いやしかしカバディの刺し跡からは確か血が出ていたはずだ。まあ、宗教上の「荒行」の一種なのだろう。日本でも山伏が裸足で火渡りの行を行うし、イスラムのシーア派の男達はアーシューラーの行事で自らの体を鎖で打って血を流すから、同じようなものかもしれない。
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そういうことを考えつつもう一度ムルガン神像を見上げると、黄金色に輝いていることもあり、あまりにも神々しくて、その脇にあるバツー洞窟名物の272段の階段が霞んで見えるくらいだ。ところでその階段だが、やけにカラフルになっている。昔ここに来たときは、この神像も色付き階段もなく、両脇に石灰岩が剥き出しのさっぱりした古びた階段だったが、変われば変わるものだ。それにしても、こんなイスラム国家で、これほどまでに目立つ偶像を作って問題にされないのだろうかと思う。ただ、現地の人に宗教上の微妙なニュアンスに関わることを下手に質問すると、どんなリアクションを受けるかわからないので、危うきに近寄らずという主義で聞かないことにしている。だからその答えはよくわからないが、要は、宗教的に寛容になりつつあるのかなと思う。
さて、いよいよバツー・ケーブ名物の272段の階段を上がっていく。手すりが両端と真ん中に2つあるので、階段が3つに分かれている。三分の一ほど上がって市内の方を振り向くと、少し白っぽくぼやけて見える。もしかしてHazeによる大気汚染の影響かもしれない。それにしても、左手にあるムルガン神像の後ろ姿が目立つ。更に登って行くと、野猿が手すりの上を自由自在に走り回り、時には観光客が手にぶら下げているプラスチック袋やペットボトルを引ったくろうとする傍若無人ぶりだ。その一方では小さな子猿がいたかと思うと、そのお母さん猿もいて、見ていて飽きない。おっと、まだ半分くらいだ。この暑い中をもっと登らなければならない。更に階段を上って三分の二のところに来た。ムルガン神像の顔くらいの高さだ。もうちょっと頑張ってやっと272段を登りきった。そこで目の前に見たのは、大きな洞窟でできた広場である。
広場の高さは数十mはあるだろう。周囲に太い鍾乳石の氷柱状のようなものがあったので、こんな太いものができるまでに何億年もかかったのは、間違いないだろう。そこを更に進むと、右手には、踊るシヴァ神の像がある。左手には神聖なものとされる孔雀が羽を広げた像で区切られた一角があり、ここは神聖な場所とのこと。入ろうと思えば入れるが、靴を脱がなければならない。この国のことだから、いったん靴を脱いでしまうと、戻ってきたときにその場からなくなったりしていると一大事だ。笑い話のようだが、あり得る。そういう訳で、入る気がしなかった。日本と違って、外国ではあらゆる事態に備える必要がある。
突き当たりに、更に数十段の階段があって、また階段かと思いながら上って行くと、そこがやっと最後の神聖な場所である。鍾乳洞の天井が空に向けて開いていて、日の光が差し込んでいる。昔は、この光が斜めに差し込んでいたりして、非常に神々しく思えたものだが、今はあちこちに照明があるので明るく、残念ながら以前のような神秘さが消えてしまった。その代わり、洞窟のあちこちに極彩色の神像が置かれている。インド人の男性、サリーを着た女性というのは、まあ馴染みがあるので、普通に見られる。ところが、ヒンズー教の象の姿をしたガネーシャ神だけは、何回見ても、見慣れない。そのお話も、これまた独特だ。
このガネーシャ神は、商業と学問の神様である。象の頭をしている所以だが、私が以前、インド人から聞いたところによると、次のようなものである。偉大なシヴァ神の妻パールヴァティーは、子供ガネーシャを生み出した。ガネーシャが父親シヴァ神が帰って来たときに、父親とは知らずに入室を拒んだことから、怒ったシヴァ神はその頭を切り落として遠くへ投げ捨てた。ところが、我が子と知ったシヴァ神は、ガネーシャの頭を探したが見つからなかったので、代わりに象の頭を切り落としてガネーシャの胴体に付けたことから、今のようなお姿になったという。何ともインドらしいお話だが、例によってコメントはしないでおこう。そうした大変な出来事をくぐり抜けて来た神様だから、あらゆる障害を克服する霊験あらたかな神として信仰されるようになったそうだ。
いずれにせよ、我々日本人にとって、ヒンズー教はあまり馴染みがない。仏教を生み出した国なのに、仏教は廃れて、ヒンズー教一色になってしまった。そのヒンズー教も、今の形になるまでは、各地の土着の宗教を取り込んできたという。特にタミル系インド人の人達は、こういう神を信じているのかということを思うだけでも、国際理解に少しは役立つかもしれないと思うのである。話は変わるが、インド人といえばターバン姿を思う日本人が多いけれども、あれはシーク教徒の人達で、その割合はインド人全体の僅か2%にも満たない。その話は、別のエッセイで書いたので、ここでは割愛しよう。
さて、見学が終わり、無事に272段を降りてきた。もと来た道を辿って、バツー・ケーブ駅に着いた。午前11時18分のことである。「さて、クアラルンプール方面に戻るか。次の電車は何時だろう。」と思って、表示を見て、我が目を疑った。それには、「12時15分」とあったからである。こんな猛暑のプラットホームで、1時間も待たなければならない。これは大変だと思っていたら、しばらくして電車が入って来たので、とにかく乗り込んだ。あんな暑いプラットホームにいるのは、もうたくさんだ。乗り込んでみると、エアコンが効いている。これは助かった。階段を登ったり降りたリしたので、大汗をかいている。それがちょうど良いくらいに引いた頃に、電車が発車してくれた。
(令和元年5月5日著)
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