悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



宮田亮平文化庁長官(元東京芸術大学学長)作のイルカをモチーフにした像




 我が家から東京メトロの千代田線に乗って北へ約10分で、北千住駅に着く。先日、用事があって家内と一緒に出かけた。北千住駅西口には、2階部分に駅前広場をカバーするペデストリアン・デッキがあり、そこを歩いて見回すと、北千住を象徴する風景を一見することができる。駅から出てきて振り返れば、二つの大きなビル、ルミネと丸井があり、また正面を見ると、失礼ながらごちゃごちゃとした旧来の商店街が広がる。丸井の前には、宮田亮平文化庁長官(元東京芸術大学学長)作のイルカをモチーフにした像が異彩を放っている。これらのビルや東口の東京電機大学、近くに林立するマンション群を見ていると、首都近郊の新興開発地のような様相を呈している。

北千住駅前のルミネ"


 確かに、ここは交通のハブだから、通勤には非常に便利である。東京メトロ(千代田線、日比谷線)、JR東日本(常磐線快速)、東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリー線)、つくばエクスプレス線が乗り入れている。それだけでなく、私鉄との直通運転で、小田急線、半蔵門線、東急田園都市線とも繋がっている。東京都心にも近く、大手町駅には17分で着く。こうしたことから、北千住のマンションを買って移り住む若いファミリー層が増えている。加えて、この交通の便に着目して、2006年以降、東京芸術大学、東京未来大学、帝京科学大学、東京電機大学が相次いで千住キャンパスを新設したことから、街中に若い人が目立つようになった。今流行りの「移り住みたい街」の第1位というから、結構なことである。

千住宿という宿場町


 ところが、北千住というのは、江戸時代は日光街道の千住宿という宿場町だった。その名残りからか、今でも昔ながらの古い商店街が残っている。それは良いのだけれども、お洒落というには程遠くて、ごちゃごちゃした飲み屋が多いせいか昼間から酔っ払っている人がいたり、煙草を辺り構わず吸う人が多かったりと、いささか猥雑な雰囲気も確かにある。夜はもっとすごいことになっているのかもしれないが、近づいていないので、よくわからない。要は、新旧の全く対照的な街が混在しているのである。

 一方、足立区作成の浸水ハザードマップによれば、台風などで荒川の堤防が決壊すると、北千住駅の辺りは5m以上も浸水するというので、これには驚いた。もっとも、そういう事態が起きるのは、例えば百年に一度という台風や大雨のような極めて稀な時だろうから、我々が生きているうちはまずないとは思う。しかしながら、東日本大震災のようなこともあり得るので油断大敵であり、普段からの備えが必要である。いま考えられているのは堤防の幅を大きく広げて厚くする「スーパー堤防」というものだが、北千住のロケーションを見ると、川に挟まれた中州のような立地なので、それもなかなか困難だろうと思う。だから、事前の避難が大事になってくる。ここに住まうには、そういうことを頭の片隅に置いておく必要がある。


足立区作成の浸水ハザードマップ


足立区作成の浸水ハザードマップ


 ともあれ、北千住駅西口のペデストリアン・デッキを降りて、日光街道(国道4号線)まで続くアーケード通りを歩いて行った。この辺り一帯を北千住駅西口美観商店街振興組合が担当していて、「歳末大売り出し、春のわんさ君祭り、そして西口商店街連携イベントとして、『足立の花火』屋台船ご招待セール、『お花見』屋台船ご招待セールを実施」しているらしい。こういう点は、昭和の雰囲気のままで、我々には懐かしい。

眼科医院


アーケード上の緑色の足場


 商店街の途中に、まるで大正時代からタイムスリップしてきたような建物がある。近づいてみたら、眼科医院であった。また、アーケードをしげしげと眺めると、天井に置かれた湾曲した茶色のアクリル板の上に、どういうわけか、緑色の足場が設置されている。「何だろう、洪水時の避難場所か。」とも考えたが、それは考え過ぎで、そもそも5mもの浸水には耐えられまい。単に天井を点検するための足場なのだろう。商店街を抜けて日光街道に至った。ビュンビュンと車が走っている。その交差点の角に、「天然たいやき・鳴門鯛焼き本舗」という店があった。「まさか、天然の鯛を焼いているのではないのだろうな。」と思って近づいてみると、やはり、普通の和菓子の「鯛焼き」だった。紛らわしいったらありゃしない。

天然たいやき・鳴門鯛焼き本舗








(平成31年2月2日著)
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