横浜の原鉄道模型博物館に行ってきた。6年前の平成24年7月10日に開館したもので、その頃に行った家内によれば、その当時は大変な混みようだったそうだ。私も小さい頃から模型が大好きだったから、そのうち行きたいとは思っていたものの、写真撮影は禁止されていると聞いて、行くのはやめていた。博物館の名前からして、これは「模鉄」(鉄道模型を造るのが好きな鉄道ファン)が主体のところで、「撮り鉄」(鉄道写真を撮るのが好きな鉄道ファン)は、眼中にないのだと早合点したからだ。
ところが、今回はたまたま田舎から出て来た人がいて、東京と横浜を案内することになった。聞いてみたら鉄道模型が好きだという。それではということで、初めてこの博物館へ行ってみた。すると、もうあまり観客がいなくなったせいか、それとも「撮り鉄」からの要望があったせいか、その経緯は知らないが、何とまあ撮影が解禁されていた。それどころか「ここが撮影ポイント」という表示すらあって、至るところに「撮り鉄」の心をくすぐる配慮がされていた。いやしくも鉄道ファンであるなら、こうでなくてはいけない。(既に、平成25年11月1日には、解禁されていたようだ。)
この博物館は、原 信太郎(1919年から2014年)という稀代の鉄道ファンによって作成、撮影、蒐集された鉄道模型(約6000両)、鉄道写真(約10万枚)・フィルムとビデオ(約440時間)、一番切符その他鉄道資料を展示するために設立された。そもそも、この原さんという人は、知れば知るほど、まるで規格外のスケールの人物である。
博物館の展示とHPによれば、「幼児の頃から、いかにグズっていても、鉄道の音を聞けばピタリと泣き止む。海外の鉄道について知りたくて、小学生の時から英語を学び、中学・高校でドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語を習得。大学入学前にはロシア語も習得した。」。ううむ、この語学能力だけを見ても、並みの天才ではない。「小学6年生から本格的な模型製作を始める。・・・鉄道技術を学ぶために東京工業大学工学部機械工学科に入学。第二次大戦後、コクヨ株式会社で開発技術担当。在職中、世界初の立体自動倉庫やオフィス家具自動一貫製造ラインなどを開発し、300以上の技術特許を個人で出願・維持。」とある。鉄道模型以外でも天才的技術者だったというわけだ。加えて、「戦後は海外に積極的に渡航し、各国の鉄道車両を模型化。所蔵模型数約6000両。これまで訪れた国、延べ約380ヶ国。」いやはや、これは凄いとしか、言いようがない。こういう人がいたということを知っただけでも、本日はこの博物館に来た甲斐があったというものだ。
普通、何かの蒐集家といえば、乏しい資産の一切をありとあらゆるものを集めるのに使って、残ったものはガラクタばかりというのが通り相場である。ところが原信太郎の場合は、語学の天才かつ成功した技術者でありながら、非常に完成度の高い模型を数多く残した。HPに曰く「原信太郎の模型は、通常の模型と異なり、鉄のレールと鉄の車輪を用い、架線から電気を集める。また、揺れ枕やスパーギア、コアレスモーターなどを用いて惰力走行を実現したが、それぞれ、本物の鉄道の技術を深く理解して成立したもの」だという。ジオラマ展示室に入ると、本物の鉄道と同じく、「ゴォー、ガタンゴトン」という音に包まれるから、つい嬉しくなる。これは「本物の鉄道車両を忠実に再現していることです。模型は架線から電気をとり、鉄のレールを鉄の車輪で走行します。なかでもご注目いただきたいのはその"走行音"。レールのつなぎ目の音がゴトンゴトンと鳴り、本物と同じサウンドを聞くことができます。ギア、板バネ、ベアリング、揺れ枕、ブレーキ・・・外からは見えませんが、本物の鉄道で使われている技術を搭載することにより実現した」ものだそうだ。
また、ジオラマ展示室は、照明が変えられる。これで走っている鉄道車両は、昼間の走行、夕方の暮れなずむ頃の走行、そして夜行列車の雰囲気が味わえる。ジオラマは、街並み、大きな駅、鉄橋、山岳地帯などと、変化に富んでいる。その大半はヨーロッパのようである。ただ、街の広場のようなところで、ヨーロッパ人の人形に混じって、日本の漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の主人公の警官「両津勘吉」らしき人形があるのには、笑ってしまった。ガタンゴトンと走る世界各国の車両に混じって、空中に黄色いゴンドラが浮かんで動いている。ちょっとした遊び心が散見される博物館だ。
隣の部屋には、また趣きが変わって、横浜みなとみらい21地区のジオラマがある。もちろん、鉄道模型であるから高架の鉄路があって、電車が走っている。秀逸なのは、左手の高層ビル横浜ランドマーク・タワー、中央の観覧車、右手のヨットの帆のようなヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルが描かれていて、昼間、夕方、夜間とそれらの照明が変わることだ。特に夜間は、ネオンが輝いて、本物に負けないほど美しい。また、昼間も、どこからともなく現れた海鳥が乱舞する。実に、良くできていると感心した。
横浜駅東口ベイクォーターから、シーバスで元町公園に行き、横浜中華街を歩いて、そこでランチをいただいた。次いで再びシーバスで途中まで戻って、赤レンガ倉庫に着いた。すると、北朝鮮の工作船を展示している「海上保安資料館横浜館」別名「工作船資料館」があった。平成13年12月に奄美沖で発生したスパイ船領海侵入事件の主役で、いったん自沈した船を海から引き上げたものである。私は、平成15年に東京お台場にある「船の科学館」で、これを見たことがあるが、それ以来である。その感想はそれを記したエッセイに譲るが、今回は海上保安庁自身の展示とあって、工作船を追い詰めたときに受けた銃撃の模様や、ロケット弾攻撃の様子がビデオの資料として展示されており、より生々しくなっていた。現在の北朝鮮問題を考える上で、是非とも見ておくべき展示物だといえよう。
赤レンガ倉庫を見物して少し早目の夕食を食べ、それから夜景を見るために、大桟橋の方へと行った。ここは、海に突き出ていて、しかも3階ほどの高さがあるから、みなとみらい21地区の夜景を見るには、最適の場所だ。やがて夕闇が迫り、いい感じになってきた。先程の原鉄道模型博物館のジオラマより、もちろん本物の方が見応えがある。左手から右手へとライトの付いた建物などが連なり、横浜ランドマーク・タワー、横浜コスモワールドの大観覧車、クイーンズ伊勢丹の三連のビル、ヨットの帆のようなヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテルである。中でも、大観覧車のカラフルな色が、暗くなった空に映え、何よりも美しかった。
(平成30年6月17日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。) |