1.明治神宮の花菖蒲園
都内3箇所で、菖蒲とアヤメを観てきた。まず最初は、明治神宮の花菖蒲園である。この悠々人生の記録を見ると、2010年6月13日に訪れている。こちらの特徴は、原宿や表参道という都会の繁華街のすぐそばにもかかわらず、まるで深山幽谷のような趣きのある菖蒲の花を楽しめることだ。千代田線の明治神宮前駅を降りて神宮橋を渡って、大きな鳥居をくぐって本殿につながる参道をひたすら行く。途中で森の中を左手に曲がり、500円の入苑料を支払って中に入る。
いただいたパンフレットによると、この明治神宮御苑は、江戸時代初頭には熊本藩主加藤家下屋敷の庭園だったが、その後、彦根藩主井伊家のものとなり、明治維新で皇室の御料地となったそうだ。静謐な地だったので、明治天皇はお気に召され、「うつせみの 代々木の里は しづかにて 都のほかの ここちこそすれ」と詠まれたという。
隔雲亭(かくうんてい)という数寄屋造りの家屋は、明治天皇が昭憲皇后の休息所として作られたそうだが、その前に南池(なんち)があり、今は睡蓮が真っ盛りに咲いている。ピンク色がかった睡蓮の花が実に美しくて、写真を撮った後も、その場でしばし眺めていた。池の真ん中には睡蓮の葉が密集しているところがあり、そこに1本の低い杭が打たれている。すると、その杭に、まるで図ったように青鷺がとまっていて、細長い首を伸び縮みさせながら水中の魚を粘り強く狙っている。10分ほどする内に、ついに魚を捕まえてしまった。
南池から小径を進むと、両側を森に囲まれた花菖蒲園に出る。菖蒲田の周囲が緩やかなカーブを描いていて、誠に優雅な形をしている。立ち姿が美しい江戸系の菖蒲を中心に植えられているそうだ。おや、菖蒲の向こうに、白人のよちよち歩きの赤ちゃんが見える。菖蒲を見て、指をさしている。その脇には、白人のお父さんがいる。体重は、200kg近いのではないかと思われるが、この小さな赤ちゃんも、将来はこれくらいの偉丈夫になるのだろうか。
花菖蒲を眺められる丘には、茅葺き屋根の四阿(あずまや)がある。今日のような太陽の光が燦燦と照りつけるような日には、非常にありがたい。そこに入って一休みしていると、目の前に「菖蒲、アヤメ、カキツバタ」の区別が書いてあった。それによると、花菖蒲(アヤメ科)は湿地に生育し、花の弁元が黄色く、葉の筋は表に1本、裏に2本。アヤメ(アヤメ科)は乾いたところに生育し、花の弁元が淡い黄色で周りが白色、葉の幅が細い。カキツバタ(アヤメ科)は水辺に生育し、花の弁元に細長く白い筋、葉は幅が広くて薄い。
話は変わるが、私は「菖蒲」というのは、英語ではてっきり「iris」というものだと、昔から思っていたが、どうもそうではなくて、「菖蒲」は「Japanese iris」、「アヤメ」は「iris」又は「Siberian iris」というそうだ。これは、ややこしいと思っていたら、どちらも「sweet flag」でよいそうなので、これからそのように覚えておこうと考えている。ただし、「カキツバタ」は「rabbit ear iris」というらしい。「兎の耳」ねえ・・・それで「iris」か・・・ああ、またややこしくなった。肝心の「菖蒲、アヤメ、カキツバタ」だが、紺色、紫色、白色という単色の花はもちろん美しい。しかし、それにも増して、白色を基調に淡い紫色の線が混ざっている花も、また見事なものである。ただ、これらはどの花も、同じ品種ならほとんど差はなくて、例えば薔薇のような品種の多様性は見られない。またそこが、菖蒲らしいところだといえる。
2.しょうぶ沼公園
足立区しょうぶ沼公園は、千代田線の北綾瀬駅のすぐ側にある。足立区のHPによると「しょうぶ沼公園一帯は、その昔野生のノハナショウブが多数咲き誇っていました。土地区画整理事業に伴う公園を造成するにあたり、昔の地名を残したいとの地元の方々の願いから、旧地名である菖蒲沼耕地にちなんで「しょうぶ沼公園」と名づけられました。」とある。
訪れたときは、たまたま「しょうぶ祭り」の日で、噴水広場は飲食物販エリアとなっていて、多くのテントが並んでおり、たくさんの人々が集って賑やかだ。そこを通って、細長い菖蒲田に向かう。目指す菖蒲田はすぐ近くにある。その前には、これもまた細長い藤棚があって、その下に並べられたベンチを涼やかなものにしている。そのベンチに腰を下ろして菖蒲田を見渡す。こういう下町のイベントの日だから、家族連れとお年寄りが多い。相撲の玉ノ井部屋が主催する子供相撲大会があるなど、長閑なイベントである。ここでも、菖蒲田の中に桟道が通っているので、菖蒲に近づいて写真を撮りやすい。しばらく花菖蒲とアヤメを撮り、三連水車なるものまで見て、満足して帰途に着いた。
3.小石川後楽園
地元の文京区の東京ドームの隣にある公園で、言わずと知れた水戸藩の上屋敷、水戸黄門のゆかりの地である。そのHPによると、「江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、江戸の中屋敷(後に上屋敷となる。)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀の代に完成した庭園です。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の教え『(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ』から『後楽園』と名づけられました。庭園は池を中心にした『回遊式築山泉水庭園』になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっています。また、当園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されています。この地は小石川台地の先端にあり、神田上水を引入れ築庭されました。また光圀の儒学思想の影響の下に築園されており、明るく開放的な六義園と好対照をなしています。」とのことである。
同じ文京区に、柳沢吉保の屋敷跡である六義園がある。私はどちらかといえば、六義園が好きでよく行くが、この小石川後楽園には、あまり足を運ぶことはない。好みの問題かもしれないが、例えば春になると咲く枝垂れ桜は、小石川後楽園にもあるのだけれど、もう圧倒的に六義園の方が素晴らしい。池も、六義園の方は和歌調で、馴染みやすいのに対して、小石川後楽園のは西湖の堤などと中国趣味に溢れていて、今ひとつ馴染みがない。それに、秋の六義園の紅葉は、これまた素晴らしい。というわけで、六義園ばかりに目を向ける結果となってしまっている。ただ、小石川後楽園にも魅力はないのかと問われれば、決してそういうわけではなくて、早春の梅林と、それからこの季節の菖蒲と睡蓮は、とても素晴らしいと思っている。
というわけで、まず花菖蒲田に行ったのだけれど、背景に文京シビック・センター(文京区役所)やら、東京ドームやら、挙げ句の果てには後楽園遊園地のジェット・コースターの一部が写り込んで、あまり良い写真にはならない。その割には、カメラを持った多くの皆さんがやってきて、写真を撮っている。都内の花菖蒲なら、堀切菖蒲園や、上の明治神宮の花菖蒲園の方が良いなと思う。
花菖蒲園の隣には、梅林があって、ちょうど季節なので、梅の実が生っている。それを抜けて、大泉水の周りを回っていくと、紅葉の木の青葉が眩しいほど美しい。地面に生えた羊歯の葉も、梅雨入りした直後のせいか、生き生きとしている。
それから最奥の唐門跡を過ぎると、内庭の池があり、睡蓮の葉が丸い大きな固まりとなって、池のあちこちに見受けられ、その中に白い睡蓮の花が咲いている。蓮の実ピンク色も華やかで美しく、私は大好きだが、こういう白い睡蓮も、清楚で綺麗である。マネやモネが、睡蓮を良く描いたのは、同じような気持ちだったのだろうか。
(平成30年6月3日著)
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