1.屋久島とは
鹿児島県の屋久島に一泊二日の短い日程で行ってきた。先日、NHKの番組で、いかに屋久島が特殊な成り立ちの島かという解説を行っていて、興味を覚えた方も多いと思う。屋久島は、黒潮に浮かぶ周囲100kmの丸い形の島で、2つの地層から出来ている。まず、4000万年前から海洋部のフィリピン海プレートの上に堆積した地層が、プレートの沈み込みによって大陸側のユーラシア・プレートに乗り上げたものが島の基盤となった。次いで1550万年前に地下深部からマグマが上昇して冷えて固まり巨大な花崗岩となり、それが最大1000mも隆起して花崗岩の上部が地表に露出し、島を代表する中央部の山岳地帯の地層が形成されたというものである。ところが、7300年前に屋久島の北30kmのところで鬼界カルデラ火山が大爆発を起こした。その時に発生した火砕流が海を渡って屋久島を襲って生態系が大きく破壊されたと考えられている。大変な歴史があったものだ。
現在、屋久島の人口は、12,300人、24集落があり、海岸部の平地に住む。屋久島に最初に定住したのが平家の落人だったという伝説があり、そのときに海上から舟を寄せる目印にしたという丸くて白い石が残っている。島の9割が森林山岳地帯であることから、「洋上のアルプス」とも称される。隣の細長い種子島で一番高い山の高さは282mなのに対して、屋久島には1000m以上の山が45座、1500m以上の山が20座、うち宮之浦岳が一番高くて、1936mというから、地中深くで前述のような大規模な地質の運動でもない限り、そんな不思議な地形の島は、できないはずだと納得した。ちなみに、その宮之浦岳だけれども、地元の皆さんが住んでいる地区のどこからも全く見えない。その手前に立つ他の高い山に邪魔されてしまうからである。
屋久島の海岸部は亜熱帯気候であるのに対して、島の中心部は高山地帯特有の亜寒帯気候であることから、非常に変化に富んだ植物が見られる。まず、周辺部全体が照葉樹林であり、落葉樹はないので、秋の紅葉というものはない。シダ植物が豊富で300種類もある。とりわけウラジロは、新芽が出る季節がとても綺麗である。それから苔類の数は600種類以上もあり、白谷雲水峡は、「もののけ姫」のモデルとなったほど苔の多いところである。標高1,000m以上のところには、杉の大木である屋久杉が生えている。中には昭和41年に発見された縄文杉のように、その年齢が2,000年とも、いやいや7,000年以上とも言われるほど古いものもある(放射性年代測定では、2000年だった。)。ちなみに縄文杉を見るためには完全な登山行となり、往復に平均10時間かかるといわれる。先日やってきた海上自衛隊員は頑張って6時間というから、これが限界である。
屋久島は古代から神の島であり、その大木の屋久杉は神の木として伐採されてこなかった。それが江戸時代になり、鹿児島の島津藩への年貢代わりに、屋久杉を切って横60cm、縦10cmの平木(ひらき) にして納めるようになった。屋久杉は油分が多くて、屋根を敷く用途に使われたそうである。木目が曲がっていたら平木にはならないので、形の良い杉ばかりが切られた。また、外側はまっすぐでも切ってみたら木目が曲がっていて使えないという杉は、そのまま現地に放置された。更には「土埋木」(どまいぼく)と言って、根とそれに近い部分は油分が多くて加工しにくいので、これもその場でそのまま放っておかれた。普通の杉なら直ぐに朽ち果てるたころだが、屋久杉は何しろ油分が多いことから300年近くも変わらずに残っている。
ということで、それなりに事前勉強をして行くことにしたのであるが、調べれば調べるほど、縄文杉のところまで行くのなんてとんでもないという結論になった。でも、やはり屋久杉を見なければ始まらないと思い、何とかならないかと思って調べたら、島の中央部の標高1,200m付近に屋久杉ランドというところがあり、そこには一周30分コースから150分コースまであるという。ただ、安房(あんぼう)という集落から内陸部に向かって15kmもあるということで、行くだけで疲れ果ててはどうにもならない。そこで、到着したその日は屋久杉ランドに行く観光コースに、次の日の午前中も屋久島の海岸部を一周する観光コースに乗ることにした。最もお手軽で、とりあえず全部を見られるというわけだ。
2.屋久杉ランド
そういうことで、屋久島に着いた当日は、空港から「やくざる号」という小型観光バスに乗った。安房(あんぼう)を経由して島の中心部に向かい、屋久杉ランドまで直行した。標高1,000mから1,300mに広がる面積270haの自然休養林とのことで、歩く人の体力と関心に応じて、30分、50分、80分、150分の4コースに分かれているそうだ。私が乗った観光バスには「50分の散策」とあったから、てっきり50分コースだと思い込んでいたが、30分コースだと分かって、少しガッカリした。
屋久杉ランド(正確には、ヤクスギランド)の入口には小屋があり、そこで森林環境整備推進協力金という実質的な入山料500円の支払いを済ませて、いよいよ出発である。森林内の湿気が凄い。「屋久島は、ひと月に35日も雨が降る」などと冗談まじりに言われるほど雨の多い土地柄で、行ってみると森の中に霧が出ている。だからカメラの自動焦点が定まらない。また、歩く足元にはとりあえず道らしきものが整備されているものの、湿気のために非常に滑りやすい。私はトレッキング・シューズを履いてきたから大丈夫だったが、そうでない街中を歩くような靴を履いていた人は、相当、慎重に歩かないというスリップしてしまう。しかも、高低差のある道を歩く。でも、沢渡りをしなければならないところには、簡単な踏み橋や吊り橋がかけられていて、なかなか考えられている。
そうした橋から下を見下ろすと、流れる水が本当に透き通っていて、美しい。島の高地全体が花崗岩でできているので、泥などないのだ。また、岩を抱くように木が生えていたが、長い間にその岩が失われて、結果として木の根だけが空を張っているものすらある。岩は全面が苔に覆われているし、木の根にもびっしりと苔が生えている。羊歯植物も多い。森に特有の清浄な空気に、肺の中が隅々まで洗われるようだ。土埋木が出てきた。つくづく眺めてたくさん写真を撮りたいが、グループだからそれについていかなければならないのが辛いところだ。さりとて、プロの写真家ではないのだから、こんな森林内に一人で来る気もしない。少しその場に留まって写真を撮って、走って仲間を追いかけるということの繰り返しだ。「ときめきの径」と称するこのコース上には、木の股を潜り抜ける「くぐり栂」、「林泉橋」、切株の中から別の木が生えている「切株更新」、「千年杉」(ちなみに屋久島では樹齢千年以上になって初めて一人前の「屋久杉」と呼ばれ、それ以下は「子杉」と言われるそうだ。)、「双子杉」、「くぐり杉」、吊り橋の「清涼橋」などがある。コース上では、この季節には「油桐(あぶらぎり)」の白い細かい花や、薄いピンクの「桜つつじ」、コブラが鎌首を持ち上げたような「マムシ草」が咲いている。
そのコースを歩き終えて、そこから車で20分ほどの「紀元杉」を見に行った。この屋久杉は、周囲8.1m、樹高19.5m、推定樹齢が3000年である。残念ながら何年か前の台風で先端が折れてしまったようだが、それでも下から見上げると堂々とした風格を感じさせる樹姿である。私は写真で自らの姿を撮ることはあまりしない方だが、この時ばかりは紀元杉と一緒の写真を撮りたくなって、ガイドさんにお願いして撮ってもらった。
3.屋久島海岸部
さて、翌日は、別の観光コースに参加した。屋久島は丸い形をしている。それを上から見下ろして時計に例えると、4時の位置の安房から時計回りに1時の位置の宮之浦まで、ほぼ四分の三周するものだ。まずは5時の位置にある「千尋の滝(せんぴろのたき)」である。「滝の左側にある岩盤は、まるで千人が手を結んだくらいの大きさ」ということで、この名が付けられたという。ちょうど「V」字型の谷の中央部から勢いよく水が落ちている。モッチョム岳という不思議な名前の近くの山から流れてきた水だそうだ。でも、落ちる水を見て見て感激するかと聞かれればそうでもなくて、「ああ、滝だ」というのが正直なところである。それよりも、滝の左側にある赤味を帯びた巨大な一枚岩に注目したい。高さ300mで、地下深いところでマグマがゆっくり冷えてできた花崗岩である。滝よりも、むしろこちらの岩に重点を置いて観光客にアピールした方が良いかもしれない。ちなみに一枚岩で、世界一大きなものは、オーストラリアのマウント・オーガスタス(858m)であるが、その次がウルル(エアーズロック。335m)だから、これと比べて決して引けを取らない。
それからバスでしばらく行くと、「イタリア人宣教師シドッチの上陸地点」がある。鎖国下の1708年に屋久島に上陸したが捕らえられ、長崎経由で江戸に送られて、茗荷谷の切支丹屋敷で亡くなったという。新井白石がシドッチから外国事情を聞いて、本にしたものが「西洋紀聞」である。
ガジュマルが植えられている「中間(なかま)集落」を通った。7時の位置である。ガジュマルは桑科の植物で、根を張って長持ちすることから、海からの風の影響を防ぐために家の周りに植えられたという。古いと300年もの樹齢の木もあるそうだ。ちなみに屋久島は、ガジュマルの最北限の生息地だとのこと。どこかでお目にかかったのではないかという気がして、よくよく見ていたら、「ああ、これは『締め殺し』という物騒な名前で聞いたことがある」と思い出した。ベトナムで見たことがある。他の木の上で芽を出して、垂れ下がった気根を絡みつかせ、ついにはその寄生されてしまった木を枯らしてしまうという、ちょっと恐ろしい木である。
「大川の滝(おおこのたき)」は、8時の位置にある。この島では、「川」のことを「こ」というそうだ。先端から滝筋が2本に分かれていて、左側の水量が多くて、右側の水量はさほどでもない。ガイドさんが言うには、雨がたくさん降って水量が多いときには、中央から1本になってドドっとばかりに降ってくるらしい。
バスは、「西部林道(せいぶりんどう。世界遺産)」に入る。8時の位置から10時の位置である。海から1000mの高さまで垂直に山がそそり立っていて、それを見ると日本列島の全ての植物層を一度に見られるという。実は、この世界遺産の地区は、杉の木も含めて木は切られていない、手付かずの原生林だという。林野庁が一旦は切る方針を示していたが、色々あった結果、幸いにしてこのように残ったそうな。良かった。おかげで、世界遺産に登録されたという。
そういう原生林であれば、屋久島だけに生息しているヤクザルとヤクシカが見られないかと、期待が高まる。ちなみに、いずれも本土の猿や鹿と比べて、身体がひと回り小さい。特にヤクシカは体重が平均36kgで、エゾジカの120kgに比べれば、子供と大人くらいの違いがある。林道の終わりに近づいて、もう猿も鹿も撮れないのかと諦めかけたときに、道路の左端に、何尾かの猿が現れた。しかもその内の一匹は、胸に抱いた子猿に授乳中である。バスの中からだったが、何とか撮ることができた。気を良くしていると、今度は道路の右手斜面に鹿が現れた。これがすばしこくて、カメラを向けてもお尻の白い尻尾しか撮れない。やっと撮れたと思ったが、顔が草の葉で隠れてしまったり、お尻を向けられている。こちらは、上手く撮れなかった。
その西部林道を抜けて、「永田いなか浜」に着く。永田(ながた)集落だ。こちらは、海亀の産卵地として有名で、もう産卵シーズンが始まっている。私が行った時には海岸の一角が仕切られていた。海亀が産卵した卵がある場所に、人が近づかないようにする保護措置だそうだ。また、産卵する海亀は神経質になっていて、道路を走る車のヘッドライトが目に入るとまた海の中に戻ってしまうので、遮光板が設置されていた。1回の産卵で120個ほどの卵を産むという。見たい観光客は、午後8時頃から海岸に行き、待っているそうだ。
さて、いよいよツアーの終点の「宮之浦ふるさと市場」に着いた。1時の位置である。宮之浦港の入り口である。世界遺産へ登録された記念碑がある。食事後、空港に行くバスが来るまで、すぐそばの「屋久島環境文化村センター」で展示や映画を見て、屋久島の自然について、改めて学んだ。
4.屋久島のいろいろ
屋久島の名物の一つは「飛魚」である。お昼前に飛行機で着いたことから、レストランに行くと、「トビウオ丼」というメニューがあった。物珍しいので注文したところ、長い羽根(胸ビレ)を含めて一匹丸ごと唐揚げにしたものが出された。これは何だとばかりに眺めていると、「ヒレも食べられるよ」と言われた。そんなものかと思って、ヒレの先端からポリポリとかじり始めた。単調な味だから、掛かっていた甘ったるいソースがなければ食べられたものではない。やっとヒレを食べ終わったので、二つに切られて胴体に取り掛かる。外観はまるで秋刀魚だ。ところが、食べてみると実は白身で、あまり味がしない。ちくわや蒲鉾の材料としてなら良いが、揚げ物はさほど美味しいものではないとわかった。むしろ、泊まったホテルで出てきたように、生の切り身を酢の物にしたものの方が美味しかった。ちなみに、屋久島と鹿児島を結ぶ2隻の高速船のうちの1隻を「ロケット」といい、もう1隻を飛魚の愛称である「トッピー」というそうだ。
泊まったところは「屋久島グリーンホテル」で、インターネットを通じて予約した。大きな集落の「安房(あんぼう)」にあるから便利だろうと思ったが、その通りだった。島を一周する県道に面していて屋久島ランドへ行く道の起点である。駐車場には大きなガジュマルの木がある。チェックインするときに、ホテル周辺の散歩コースが描かれた紙を渡された。それを片手に少し散歩し、若干の花をカメラに収めることができた。夕食は「鄙にも稀」というと失礼かもしれないが、なかなか豪華で美味しくて、ダイエット中の身には逆にこたえた。鹿の生肉が出されて、「はて、どうしたものか。野生のエゾジカの生肉を食べてE型肝炎になった人がいるからな」と思ったからだ。ふと思い付いて、グツグツ煮立ったしゃぶしゃぶの中に一緒に入れたところ、やや硬めになったが、食べられた。
それから、ホテルで、「亀の手」という珍味が出た。いかにも亀さんの手らしきもので、こんなもの食べられるのかと怪訝な顔をして眺めていたら、給仕してくれたお嬢さんが、食べ方を伝授してくれた。要は、蓋を開けるように二つに割って、その中身を食べるようにとのこと。そうしたところ、わずかな量だが、中身が出てきてそれを口にしたところ、カニのような味がした。「これは、ひょっとして海岸のテトラポットによくくっついているあれかな」と思って調べたところ、やはりそうであった。動かないから、当然、貝の仲間だろうと思っていたが、意外なことに、甲殻類つまり海老や蟹の近縁種だそうだ。だから、カニのような味がしたのは当然だった。
屋久島への行き帰りに乗ったのは、鹿児島空港との間を結ぶ「日本エア・コミューター」というJALグループの会社のプロペラ機である。ターボプロップ機で、この種の機体に乗るのはYS11以来のことで、若い頃の国内出張時によく乗ったものだ。ブーンという騒音がうるさいことも含めて、とても懐かしかった。この鹿児島からのフライトは、晴れた日なら美しい海や海岸線が見えるはずなのに、残念ながら雲が垂れ込めて、空の旅を楽しむどころではなかった。それでも定刻通りに屋久島空港へと着陸した。着いてから時間があったので、周辺を散歩してみると、空港の端に、丸いお椀を上向きにしたような、遠目では直径20mくらいの灰色の設備があった。成田空港や羽田空港では見かけたことがない設備だなと思っていたら、翌日、その前を通るとき、バスのガイドさん曰く「屋久島空港には管制塔がありません。やって来る飛行機は全て有視界飛行で、これがその設備です。つまり、鹿児島を飛び立って島の近くに来ても、滑走路が見えなければ、島の周囲をぐるぐると回ったり、あるいはまた鹿児島に戻ったりします。」などという。いや、そんなことは全く知らなかった。でも、それは困った。明日は仕事なので、天候が良くなることを祈るしかない。しかし、案ずるより産むがやすしで、実際には、帰りは、時折、小雨がパラつく天候だったので、少々気をもんだものの、幸い鹿児島空港まで遅れることもなく帰ることができた。ただ、鹿児島空港から羽田空港まで行く乗り継ぎの飛行機が機材到着の遅れで1時間ほど遅延してしまった。
かくして、屋久島への旅行は終わった。盛りだくさんの内容で、とても面白かったが、もう少し森林地帯の写真を撮りたかった。そういう意味で、次回また行く機会があれば、白谷雲水峡と、それから屋久島ランドの150分コースに行って、じっくりと写真を撮ってきたいと思っている。なお、屋久島には、熊も猪もハブもいない。蝮などのハブ以外の毒蛇はいるそうだが、危ないのはそれくらいで、季節が早かったせいか、それとも場所がよかったせいか、蚊や虻のような有害な昆虫もいなかった。ただ、南西部にはヤマヒルがいると聞いているので、気を付けたい。
(平成30年5月20日著)
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