1.皇居濠周辺
また今年も、春の訪れとともに、桜の季節が巡ってきた。長く寒い冬を抜けて、心も浮き立つ季節である。私の車通勤の途中でまず桜の開花に気がつくのは、皇居の大手門の大手濠沿いにある枝垂れ桜である。染井吉野の桜より、約1週間ほど早く咲き始める。大手門の左右にはそれぞれ4本ずつの枝垂れ桜がある。中でも向かって左手には花が白っぽい大振りの枝垂れ桜の木があって、実に見応えがある。その反対の右手には花に紅をさしたような紅(べに)枝垂れ桜が並んでいて、いずれも小ぶりではあるものの、この数年の間に大きくなって、これも見映えがするようになった。そうすると東京駅も近いので、外国人観光客も多く集まってきて大混雑な上に、そこに皇居周辺を走るランナーがどんどん走ってきて、いささか危ない状況になっている。いつか事故が起きないかと心配であるが、警官やガードマンが配置される気配もない。
私と家内は、先ずは早めの時間に桜見物をしようと、この大手門の枝垂れ桜を目指した。ところが、もう既に大勢の人が桜見物に集まっていた。その人たちとランナーが交錯しそうになっていたので、早々にその場を離れて、消防庁前の交差点に向かった。皇居のお濠を「小回り」で歩こうという算段である。これは、気象庁前を通り、竹橋で左手に曲がり、東京国立近代美術館を過ぎて千鳥ヶ淵南端の交差点までショートカットで行くルートだ。途中、早咲きなのでおそらく山桜であろうが、白っぽい花を付けて既に満開の桜の木が続く。 道に並行する土手の上に行けば全体を見渡せるが、先を急ぐし、靴も汚れるからとやめにする。
千鳥ヶ淵交差点に着いて、対角線上にある小さな公園に向けて歩いていった。確かこの公園の一角には綺麗な紫木蓮があったはずだと記憶していたからだ。例年は、染井吉野の桜が満開の時にこの紫木蓮をついでに見るから、もはやその時には盛りを過ぎて花が萎れ始めて見る影もない。さて、今年は早めに来たのでどうだろうかと期待する。あった、あった・・・紫木蓮は、真っ盛りである。暫し惚れ惚れと眺めて、写真を撮る。とても良い写真になった。その後、英国大使館前を通ったが、染井吉野の桜はまだ一分咲きといったところである。その次の週に、気温がぐんぐんと上がり、最高気温が23度から25度となったので、撮り直しに行った。大使館前の染井吉野は満開で、またとない綺麗な構図である。夢中になって写真を撮っていたら、立札があり、そこには「この桜の原形は、維新の頃に活躍したアーネスト・サトウ公使が東京市に寄贈したもの」と書かれていた。
(平成30年3月21日)
2.六義園(昼)
17世紀末、時の5代将軍徳川綱吉の側用人であった柳沢吉保が、綱吉から駒込に土地を賜り、その地に下屋敷を造った。そこに庭園を造営し、詩経の六義にちなんで「六義園」と名付けて、それが、今日に至っているわけである。幸いなことに私の自宅近くなので、特に春と秋にはよく通っている。秋はもちろん、紅葉を見に行くのであるが、春は一点豪華な「六義園枝垂れ桜」を鑑賞に行くのを常とする。この枝垂れ桜は樹齢がおそらく60年くらいで、十分に「老木」の域に達している。実は私より少し若いので、老木などど言われるのはどうかと思うところだけれども、しかし桜としては、年々大きくなり、しかもますます美しさを増していくのが小憎らしいところである。
この日も、朝8時45分頃に正門前に行くと、開園時間前ではあるが、この季節に限って早く入れてくれた。そこで枝垂れ桜前に行くと、正規の開園時間の9時になるまでその周囲に誰も近付けさせないで、専ら撮影タイムとなる。折からの晴天で真っ青な空の下、昇ったばかりの太陽の光を浴びて燦々と輝くピンク色の花弁が、四方八方に伸びやかに広がっている。大袈裟かもしれないが、正に神々しいばかりの桜の木である。それを正面から撮ったり、左右から撮ったりと、散々好きな方向から撮影していたら9時となって、花に近付いてよい時間となった。すると、あっという間に人の輪が縮まって、花の接写が始まった。私もその一人となり、近付いて枝垂れ桜を下から上に見上げると、青空一面にピンク色の花が広がって、まあその見事なことと言ったらない。今年も、来て良かった、いや元気で見られて幸せだと思った瞬間である。
(平成30年3月24日)
3.六義園(夜)
六義園の枝垂れ桜のライトアップがあることは知っていたが、これまで行ったことはなかったので、今回初めて行ってみることにした。夜だが三脚は使えないので、あの細かい桜の花びらについて、手ブレが少ない写真をどれだけ撮れるかが問題である。私のカメラ、キヤノンEOS70Dには「手持ち夜景モード」というのがあって、1回の撮影で4枚の写真を連射で撮ってそれを自動的に合成してくれるので、それに賭けるしかない。
ということで、六義園には午後6時過ぎに着いた。年間パスポートを示して足早に入って行くと、おおこれは凄い。暗い夜空に白い枝垂れ桜が大きく広がっている。夜だから、桜の前に人が立っていても気にならない。カメラの手持ち夜景モードでバシャバシャ撮る。何とか撮れているようだ。左手に回ると、正面からのような左右対象ではなくて、左側の花の壁の傾斜が急で、右側の傾斜が緩やかという、また趣きを異にする形となる。右手から撮ると、私の背中の方にある別の桜の木の花びらが上から垂れ下がっている不思議な構図となる。再び正面に戻って枝垂れ桜の花びらを見上げていると、ちょうど月が桜越しに見える。ただ、これを両方とも写すのは至難の技だが、ともあれトライしてみたのが、下の写真である。
それから、せっかく来たので、更に園内に入ってみた。池の正面の対岸がライトアップされている。更に進むと、池の奥の小島の方から水蒸気のようなものが流れて来て、対岸にある吹上茶屋の方面へと動いている。人工的なもののような気がしないでもないが、何だろうと、訝しく思う。その吹上茶屋まで行って、引き返してきた。
(平成30年3月22日)
4.国立劇場前
皇居半蔵門の近くにある 国立劇場には、様々な種類の美しい桜の木々が植えられている。向かって左側に「小松乙女」、真ん中左手に「駿河桜」、同じく真ん中右手に「仙台屋」、一番右側に「神代曙」という具合である。中でも小松乙女の花は、やや小ぶりではあるが、花が集まってクラスターを形成するので、実に華やかだ。神代曙は、染井吉野よりもピンク色が濃くて、本当に美しい。花々を見れば見るほど、まるで花の精に引き込まれるような気がする。いずれも染井吉野とは別種で、小松乙女と神代曙は1週間ほど早く咲く。私がこれらの桜に注目しているのは、これらが次世代の桜の標準木となるからである。
日本の桜で種から生える「実生(みしょう)」は、山桜、彼岸桜、大島桜だけで、他の桜はいずれも接ぎ木で育つ。一番普及している染井吉野は、元々は江戸の染井村で人工的に作り出された接ぎ木の桜で、戦前は国威発揚のためもあって、全国各地の神社、連隊本部などに植えられて日本中に広まった。いま残っている桜の古木は、その頃のものである。ところが、実生の場合は神代桜や三春の滝桜のように大切に管理されていれば何百年でも持つが、雑種第1代の接ぎ木の桜は、植えられてから百年も経つと、樹勢が衰えてくる。私が小さい頃に見た染井吉野は、ピンク色がもっと濃くて、花に勢いがあったと記憶しているが、いまの染井吉野は、そうでもない。しかも古木になると、幹の中は空洞化していたり、てんぐ巣病という病気に罹りやすい。だから、倒木のおそれありということで、早晩伐採される運命にある。
問題はその後で、再び染井吉野を植えると、一見すれば若木なのだけれども、実は100歳近くの年をとっている状態である。そこで、染井吉野の代わりに植えられつつあるのが、神代曙と小松乙女なのである。いずれも、桜の病気には強いとされている。中でも神代曙は、アメリカにポトマック川沿いに贈られた染井吉野が、現地の桜と交雑して里帰りした曙という桜が起源で、それが神代植物園で大切に育てられて、新品種の神代曙になったという。その経緯からも、正に今風である。これから、日本全国に広がっていくのを期待したい。
(写真一覧表中の画像1から37までが平成30年3月24日、38から108までが同月26日、109以下が同月31日)
5.横浜三渓園
横浜の本牧にある三溪園は、「生糸貿易により財を成した実業家 原 三溪によって、1906年(明治39)5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。(同HPより)」とされる。原三渓は、大変な文人であり絵画骨董の目利きであった。しかもそれだけでなく、古今の建築物にも造詣が深かったようで、重要文化財10棟をはじめとして各地から貴重な社寺、茶室などの建物を収集して、それらを実に見事に配置している。例えば、園内に入った瞬間に目に入る大池と、その向こうの丘の上に立つ旧燈明寺五重塔の取り合わせは、誠に素晴らしい。私は昔、奈良の山中で室生寺の五重塔を初めて観たときに感激したものだが、こちらの場合もそれと同じような感激を味わった。それから、内苑の臨春閣からその前の池越しに再びこの五重塔を眺めることができるが、これも絶景と言ってよい。
臨春閣は桃山時代に豊臣秀吉が建てた聚楽第の遺構だとか、いやいや紀州徳川家の別荘であった巌出御殿だとか言われるし、その近くの聴秋閣は徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物だし、月華殿は徳川家康が京都伏見城内に建てたものだし、天授院は建長寺の近くにあった心平寺の地蔵堂であるというし、鎌倉の東慶寺にあった仏殿もあった。ともかくそんな重要文化財ばかりなのである。そういえば、飛弾三長者の1人の合掌造りの建物、旧矢箆原家住宅もあった。貴重な歴史的建物を保存するという意味では、まるで愛知県の「明治村」のようなものである。明治村はその名の通り明治時代の遺構を収集保存しているが、この三渓園は、平安、鎌倉、室町、織豊、江戸と、様々な時代にわたっていて、それを一個人が成し遂げたという意味では、素晴らしい。もっとも、原三渓は関東大震災が起こってからというもの、その復興のためにこの事業を中断してというから、これまた偉いものだと思う。
せっかく来たのだからと、汗をかきつつ丘の上の旧燈明寺五重塔を目指して登り、そこからは遠く横浜市内を眺めることが出来た。降りてきたところに旧燈明寺本堂があったが、実はその前の何の変哲もない桜の木が、岐阜県根尾村の淡墨桜の種子から育てた苗木を植えたものだそうだ。更に行くと、その辺りからようやく染井吉野の桜が大きく枝を伸ばしていて、桜の季節らしくなっていた。
(平成30年3月25日)
6.小田原城址
小田原城に、家内とお花見に行ってきた。私は東京に住んで45年になるが、東京にほど近い小田原は、箱根に行く途中の玄関口という程度の認識だった。それでも、一度だけだが、乗り換えのついでに余った時間を利用して、小田原城を見に行ったことがある。お城そのものの記憶よりも、やたらと蒲鉾屋が多い街だなという印象と、この地が発祥の「ういろう」薬局を見に行ったことを覚えている。
ご存知の通り小田原城は、戦国時代には北条早雲を始祖とする北条家5代が統治した際の拠点であったが、天正18年の秀吉の小田原攻めによって北条家は滅亡した。その後のことは、案外知られていない。私も今回、小田原城の公式HPを読んで初めて学んだのだけれども、要はこういうことらしい。徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保氏が城主となったものの直ぐに改易され、その跡を継いだのが、あの春日局の一族である稲葉氏だそうだ。ところが、貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となって、幕末に至った。それからは小田原城に苦難の時代が続く。明治3年に廃城となり、明治5年までに城内の多くの建物が解体されたそうな。後に、城内は県庁やその県支庁の所在地となり、明治34年には、御用邸が建てられた。しかし、大正12年の関東大震災で、御用邸はもちろん石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまった。その後、隅櫓、天守閣、常盤木門、銅門(はがねもん)、馬出門と、順に再建されて、今日に至っている。
小田原駅を降りて、小田原城に向かう。近道をしようかと思ったが、こういう場合は正面から行って写真を撮るのが王道だろうと、南口の正門の方に回りこんだ。お堀端通りの歩道は、もう満開の桜に覆われている。手前に桜、お堀の水の向こうには赤く塗られた「学橋」が見えて、素晴らしい眺めだ。そこでまずは何枚かの写真を撮る。その向こうの「隅櫓」と桜の組み合わせも良い。お堀に沿って更に歩いて正門から入り、「馬出門」→「住吉橋」→「銅門」→「常盤木門」→「天守閣」の順に移動して、桜の木を写していった。桜と天守閣の組み合わせは、正に絵になる。天守閣に登って周囲を眺めると伊豆半島が目の前に横たわるなど絶景そのものである。その他の遠景は、花曇りのためによく見えなかったものの、大山、大島などの方向を確認することができた。
(平成30年3月31日)
7.千鳥ヶ淵で
また今年も、千鳥ヶ淵緑道の桜を観に行った。3月の平日の早朝だから、どこかの大学が武道館で卒業式を開催している。女学生が明治時代のような紺色の袴をはいて、歩いている。なかなか似合っている。ところで、私がお花見の名所10箇所を挙げよと言われれば、真っ先に挙げたいのが、この千鳥ヶ淵の染井吉野である。
ちなみに第2位は秋田の角館の武家屋敷地区にある枝垂れ桜、
第3位は井の頭公園の染井吉野、
第4位は三春の滝桜、
第5位は池上本門寺の染井吉野、
第6位は京都平安神宮の庭園にある枝垂れ桜、
第7位は奈良の長谷寺の染井吉野、
第8位は六義園の枝垂れ桜、
第9位は新宿御苑の八重桜、
第10位が弘前城公園の染井吉野と枝垂れ桜である。それぞれに、思い出がある。東京では、目黒川沿いの染井吉野の並木が近年かなりの人気となっている。確かに都会の真ん中であれほどの桜のトンネルを味わう所はそうそうないというのは事実ではある。でも、川の両岸が垂直のコンクリートの壁で固められているので、風情というものがないのが、画竜点睛に欠けるところである。
ところで、この千鳥ヶ淵の桜の何が良いかというと、まずはお濠沿いの道の頭上に染井吉野の並木が立ち並ぶ。ここまではありきたりの風景であるが、それに並行してお濠ギリギリのところにも染井吉野の並木があって、それらの桜がお濠に対してグーンと張り出している。それだけでなく、対岸の皇居側の方にも桜の木があるから、お濠を両岸から桜で覆うようになっていることだ。その桜の雲の下を、のんびりとボートが行き交う。しかもこれらの風景を十分に堪能したところに展望台がある。その真下が貸しボート乗り場というわけだ。そこからたった今歩いて来た方向を振り返ると、まるで四角いキャンバスを2本の対角線で4つに分割したような情景で、上の逆三角形は青い空、下の三角形はグリーン色のお濠の水面、両脇の2つの相対する三角形は桜の雲である。もう、絶景としか言いようがない。これを観て感激しない人はいないだろう。
なお、午前中は、対岸の皇居側の桜に対して逆光になるので、写真を撮るのであれば、午後早くの方が順光になって具合が良いと思う。夜にはライトアップされるが、その頃には押し合いへし合いの満員電車状態になるので、ゆっくり写真を撮るというわけにはいかないから、私はまだ夜には訪れたことがない。もっとも、昔のカメラだと手ブレがひどくて夜の桜を撮るなど論外であったが、今のカメラで今年、六義園の夜桜を撮ってみたら、まあまあの写真が撮れたから、案外それなりの写真が撮れるかもしれないと思っている。
(平成30年3月26日)
8.飛鳥山公園
北区の飛鳥山公園に行って、染井吉野の桜を見てきた。王子駅を降りてすぐ目の前に飛鳥山がある。この地の桜は、享保年間に8代将軍の徳川吉宗が、江戸庶民の行楽の場として整備したのが始まりという。享保の改革で日常生活を厳しく取り締まる一方で、憩いの場を設けようといった飴と鞭の政策だったのだろう。
さて、私が行った時はまだ午前中だったが、桜という桜の木の下にはブルーシートが敷かれて、若者がその番をしている。中にはそういう人同士で一杯やっている微笑ましい風景もあって、完全なるお花見モードだ。江戸の昔から変わらないらしい。地元の北区が付けたぼんぼりが、桜の花の間を通って風に揺れている。なるほど、これは小上野公園といったところだ。それにしても、肝心の桜はまだ三分咲きといったところだから、桜の下で宴会を開いても、気分が盛り上がらないかもしれない。
(平成30年3月25日)
9.愛宕神社で
標高26メートルの愛宕山の頂上にある愛宕神社は、出世の階段などのエピソードに事欠かないし、何よりも桜の季節には池の鯉と周囲の桜が素晴らしく調和していて、私の好きな花見の場所である。以前の私のオフィスから近かったが、その後、職場が変わって少し遠くなった。でも、今年こそは是非とも再訪したいと思っていたので、早朝に立ち寄ってみることにした。記録をたどれば、直近は2010年4月と2012年4月に訪れたことがあるので、今回は6年ぶりということになる。
愛宕神社の正面の出世の階段からではなく、地下鉄日比谷線の神谷町駅で降りて裏手から登ることにした。愛宕山に近づくと、満開の桜の花に囲まれた「愛宕隧道」つまりトンネルがある。その向こうの出口にも、桜の花が見える。今日はそのトンネルをくぐらずに、左手前の階段をひたすら登って行く。途中、降りてくる2人とすれ違った。そして登り切って出たところがNHK放送博物館前の広場である。白い染井吉野と、赤っぽい別種の桜とが並んで咲いており、まるで紅梅と白梅のようである。その反対側には染井吉野がびっしりと咲いているのだが、今年は登り道の補修工事が行われていて、工事車両が駐車していたり、工事機材が置かれているので、どうも落ち着かない。何もこんなお花見シーズン真っ盛りにわざわざ工事をしなくともと思うのであるが、そういえば年度末だからであろうか。
さて、その博物館前の広場から愛宕神社の方を見たところ、これは驚いた。染井吉野の満開の桜越しに、大きな高層ビルが見えたからだ。その特徴がある形からして、虎ノ門ヒルズである。6年前は影も形もなかった。そういえば、虎ノ門地区は国際金融地区を目指しているらしいから、今後ともますます発展して行くだろう。
愛宕神社の境内に入り、本殿にお参りし、池の方に行って緋鯉を眺めて周囲にある桜の木を観賞するのがいつものパターンだったが、鯉も桜も、昔と比べて相当、数が減ってしまっている。いささか寂しい限りだ。昔は池に近付くと、餌を貰えると思った沢山の緋鯉たちが折り重なるようにやって来て、それぞれが大きな口を開けて「ジョボジョボ、パクパク」という音を立ててうるさいほどだった。あの頃は人間だけでなく、鯉も活気があったなぁと思う。しかも、以前は池の中にボートが浮かんでいて、それがややシュールな雰囲気をもたらしていたが、そういうものが一切なくなっていた。全体に愛想がなくなったというか、何というか、最近の世相そのものだ。
さて、出世の階段を上から覗いて、改めて勾配が急だなと思ったら、降りる気がなくなった。そこで、放送博物館の方にあるエレベーターで地上に降り立った。そこから出世の階段まで歩いて行ったところ、おや、昔は焦げ茶だった鳥居が、赤く綺麗に塗られている。それに、「出世の階段」の看板が、より小ざっぱりしたものになっている。しかもその裏には、「出世の階段のいわれ」と題して、こういう記述があった。講談調だから、面白い。
「愛宕神社正面の石段『男坂』(となりの緩やかな石段は『女坂』)は別名『出世の階段』と呼ばれ、その由来は講談で有名な『寛永三馬術』の一人、曲垣平九郎の故事にちなみます。
時は寛永十一年
三代将軍 徳川家光公が 芝 増上寺ご参詣の帰り道 神社に咲き誇る源平の梅の馥郁たる香りに誘われて山頂を見上げて『誰か騎馬にてあの梅を取って参れ』と命ぜられました。しかし目前には急勾配な石段があり、歩いて登り降りするのにも一苦労。馬での上下など、とてもとても・・・と家臣たちは下を向くばかり。
誰一人 名乗り出る者はおりません。家光公のご機嫌が損なわれそうなその時、一人の武士が愛馬の手綱をとり果敢にも石段を登り始めました。
『あの者は誰じゃ?』と近習の臣に家光公からお尋ねがあっても誰も答える者はおりません。その内に平九郎は無事に山の上にたどり着き、愛宕様に『国家安泰』『 武運長久』を祈り、海の枝を手折って降りてきました。
早速 家光公にその梅を献上すると『そちの名は?』『四国丸亀藩の家臣、曲垣平九郎にございます』『この太平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれ、日本一の馬術の名人である』と褒め讃えられました。
一夜にして平九郎の名は全国にとどろき出世した故事にちなみ、『出世の階段』と呼ばれるようになり、現代においても多くの皆様にご信仰をいただいております。」なるほど、実に、良い話である。
(平成30年3月27日)
10.新宿御苑で
桜のシーズンの最後を締めくくるのが、新宿御苑の八重桜である。毎年、千鳥ヶ淵の染井吉野とともに、この八重桜を必ず観に行くことにしている。特に、「関山(カンザン)」は桜の花が八重であるばかりか、それがこんもりとした花束のようなクラスターを作っていて、その下に入るとすごい。とりわけ桜のピンク色は、青い空の下で見上げながら観ると、ますます引き立つ。だから行くのは、晴天の日に限るというわけだ。加えて、新宿御苑らしいと思うのは、代々木のドコモタワーが見えることだ。どの場所にあっても見え、建築された当初は公園の雰囲気を損ねていると思っていたが、歳月を経て次第に景色に馴染んでくると、方向が直ぐに分かるし、写真のアクセントになってなかなか便利である。
地下鉄丸ノ内線の新宿御苑前駅は、新宿門と大木戸門につながっているが、どちらに行くにも5分程度と、ほぼ同じ時間がかかる。新宿門に行くには、いったん道を渡って新宿御苑の中を外周に沿って歩いて行くとよい。そうでなくて道路を渡らずに歩いて行って新宿門に行こうとすると、新宿門を通り過ぎてずーっと向こうの信号まで行って道を渡り、また戻って来なければならない。だから私は、ついつい大木戸門の方に行って、そこから入ることが多い。
この日も大木戸門から入り、温室の脇を抜けて行くと、白い八重桜がある。「一葉(イチヨウ)」だ。その横のピンク色の「陽光(ヨウコウ)」とともに、紅白の形を成しているが、他の大きな桜の木と比べれば、まだまだ小さい。でも、その広がった枝の中に入って外を見れば、なかなか面白い。風景が一風変わって見える。
イギリス庭園、といっても広大な芝生が広がっているだけだが、その芝生の向こう側に大きなピンク色の八重桜の木がある。あれこそ「関山」だ。それにしても、実に大きいし、その形もなだらかな富士山のようで非常に美しい。それが重たそうに満開の八重桜の花を付けている。惚れ惚れとしてしばし眺めていた。これを観ただけでも、本日わざわざ来た甲斐があったというものだ。その近くに「普賢象(フゲンゾウ)」という白い八重桜があり、また「御衣黄(ギョイコウ)」という緑がかった八重桜がある。この「御衣黄」は、まさに変わり種で、花の中心は赤っぽい色をしているが、どういうわけか花びらになると、薄緑色になる。桜といえばピンク色というのが日本人の常識であるだけに、不思議な魅力ある花である。
日本庭園の「中の池」と「下の池」の間の橋を渡る。下の池には、ピンク色が濃い八重紅枝垂れ桜が咲いていて、水面に映ってこれまた実に美しい。中の池の向こう岸には「修善寺寒桜」だと思うが、やはり濃いピンク色の桜があって、同じように湖面に映る姿は神々しいばかりである。その付近にある染井吉野はもう葉桜となっていて、日光越しに見える若葉が綺麗だ。「躑躅山」というところには、その名の通り丸く刈り込まれた躑躅の木が赤や紫色の花を一面に付けている。今が見頃らしい。
八重桜の花を充分に堪能したので、三角花壇を経由して新宿門の方へ向かう。実は、この近くの「母と子の森」に向かう道の入り口手前に、「ハンカチの木」がある。ミズキ科の落葉高木で、中国の四川省・雲南省付近が原産地だそうで、その紹介者の名前をとって「ダビディア」と呼ばれる。花に上下の白い大きな2枚の苞葉が垂れ下がっている様は、まさにハンカチそのものだ。咲き始めの花は緑色っぽいが、この日はかなり日が経っていると見えて、花の色は茶色になっていた。それにしても、これは相当に変わった花だ。風に吹かれてぶらぶら揺れる様子をずーっと見ていても、飽きない。
新宿御苑の園内マップ
(平成30年4月14日)
(平成30年3月21日〜4月14日著)
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