1.MRT鉄道
クアラルンプールのイスラム美術館に行ってきた。国立モスクに隣接している。最近、同市内ではモータリゼーションが飛躍的に進んでいる一方、道路の整備が追い付かず、市内は慢性的に渋滞している。そこで、同時に整備が進められている鉄道網を利用してみることにした。公共交通機関で、今年の5月に全線開通したばかりのMRT(The Klang Valley My Rapid Transit)という鉄道に乗った。路線図を見ると、これはクアラルンプールを南東から北西に向けて斜めに貫く路線である。両端の一部が先に完成して既に電車が走っていて、中心部の7駅だけが未完成だったが、それがようやく出来たというわけだ。
最新のサンウェイベロシティ・ショッピングモールと、古くからあるイオン・ショッピングセンターからほど近いマルリ駅からMRTに乗った。平日の午前10時頃だったから、駅で待っている人は、ほんのちらほらといるだけだ。「タッチ&ゴー」というプリペイドカードを買って改札を抜ける。日本のスイカと同じ要領だ。読み取り機の反応は、なかなか良い。プラットホームには、ホームドアがある。高さは、大人の顔くらいだが、転落防止にはこれで十分だろう。ホーム上の案内スクリーンを見上げると、青地に白抜きの文字で、縦に「1st. 3min.、2nd. 10min.、3rd. 17min.」と並んで表示されているので、あと3分後に電車が来そうだ。待っていると、MRT電車が静かに到着した。お台場のゆりかもめのような無人運転の4輌編成で、車体はさほど高くない。乗ってみると、座席は固いプラスチック製である。これがもし日本で季節が冬だと、冷たくてとても座っておられないところだが、ここは常夏の国だから、この方が良いし、掃除も簡単なのだろう。ただ、車輌は小さいから、1輌当たりの輸送力は、日本の首都圏の鉄道車輌と比べれば、かなり少ないのではないかと見受けられる。
事前に調べて、イスラム美術館は国立モスク(現地語で、MASJID NEGARA)の裏手にあることがわかっていたので、そうするとMRTの路線上のパサール・セニ駅(中央マーケット駅)が最寄りの駅だ。そこで、グーグルの地図でパサール・セニ駅からイスラム美術館への道順を表示させたら、川の向こう側に行くのに、わざわざ隣のクアラルンプール駅に行ってまた戻るという馬鹿馬鹿しいルートが表示されて、しかも徒歩22分と出た。そんなはずはない。せいぜい10分くらいの距離のはずだ。地図をよくよく見ると、川の上に細い道があって、向こう岸の国立モスクに繋がっている。たぶん、この道の方が正解だ。東京でグーグルの地図が初めて利用され始めたばかりの時のように、当地では、グーグルの地図はまだ発展途上のようだ。
乗った車輌は、マルリ駅のいくつか先で地下に潜る。そして、再び地上に出たと思ったら、パサール・セニ駅に着き、そこで降りた。駅のプラットホームは地下2階ほどのところにあってとても涼しいくらいだが、そこから長いエスカレーターで上って地上に出ると、むっーとする暑さが体にまとわりつく。駅のすぐ脇には泥川が流れている。「あれあれ、これはひょっとして、クアラルンプール(泥川が合流するところ)の語源となったクラン川(そのすぐ北の地点で、ゴンバック川と合流する)ではないか。では、この川を渡ればよい。」と思いつつ見回すと、国立モスクはこっちという矢印表示がある。どうやら川の向こう岸に、やはり交通機関のKTMコミューターの駅があって、それとパサール・セニ駅が歩道橋で繋がっているらしい。なるほど、これがグーグルの地図上では、川の上に細い道として描かれていたもののようだ。
ところで、例えば東京の新宿だと、JR、東京メトロ、都営地下鉄、小田急線、京王線、西武新宿線などが集まっていて、慣れない旅行者には、非常にわかりにくい。ここクアラルンプールも、数え上げれば、MRTの1路線、KTMコミューター3路線(うち、1路線は未開通)、LRT3路線に加えて、KLモノレールなるものがある。そのほか、KLIAエクスプレスとトランジット2路線があって、これは国際空港や行政首都のプトラジャヤに行く。合計10路線だ。その多くは、KLセントラル駅を通るから、その点はよく出来ている。だから、路線図は、この駅を中心に見ていけば、わかりやすい。問題は、駅どうしが繋がっているけれども、かなり歩かなければならないようなところである。このパサール・セニ駅もそんなところがあって、MRT駅からKTMコミューター駅まで、細々とした回廊のようなところを歩く。もっとも、東京でも大手町駅で乗り換えようとすると、初めての人はまごつくから、それと同じかもしれない。
そういうわけで、MRTのパサール・セニ駅から歩いて、KTMコミューターのパサール・セニ駅に着いたが、国立モスクは、さらにその先だ。クラン川上の橋を渡り、迷路のような駐車場の建物を抜け、地下の歩道橋を渡って、やっと国立モスクに着いた。それをぐるっと半周くらい回って、ようやくイスラム美術館となる。
2.イスラム美術館
イスラム美術館に着いたはずなのだが、道路の左右にそれらしき建物がある。特に左の建物は、立派なイスラム模様を施してある。これかなと一瞬思ったが、事前に調べた外見とは違う。守衛に聞いたら、これはオフィスで、美術館本体は向かい側だという。そこには、入り口こそモスク風の玉ねぎ形だが、他はがらんどうの何の変哲もないコンクリートの空間が広がっている。イスラム的な雰囲気はある。でも誰もいない。本当にここかと思いつつそちらに行き、やっと見つけた脇の階段を降りていくと、そこにようやく美術館の入り口があった。愛想のいい係員に14リンギットほどの入場料を支払って、入った。私のすぐ後に、白人の若いカップルがやって来て、こんなやりとりをしていた。
係員「いらっしゃい。お嬢さんは、学生さんですか。」
女性「いいえ。違います。でも、聞いてくれてありがとう。」
学生なら、入場料が半額になる割引きがあるそうで、係員は確かめたかったのだろうけど、女性は、学生さんと若く見られて、どうやらひどく嬉しかったようだ。乙女ごころは、洋の東西を問わず、変わらない。
イスラム教では、偶像崇拝が禁じられているから、日本の寺院のように、仏様を拝んで感情移入をするということは出来ない。だから、イスラム美術といえば、偶像に繋がるような造形ではなく、せいぜいタイル模様の延長のような幾何学模様しかないだろうという程度の認識であった。ところがまず最初の展示は、「心の旅」と称する50人の写真家の写真の展示である。中でも、イスラム教の寺院であるモスクが、主に取り上げられていた。ここで見るモスクの数々は、朝焼け、夕焼けに映し出されたり、目の前の湖に青い空と白い雲が写ったり、空の色との対比が鮮やかな濃いピンク色をしていたりして、息をのむほどに、実に美しい。時間が経つのを忘れて、思わず魅入ってしまった。しかも驚いたことに、雨上がりの森の道を、数人のマレーの子供が楽しそうに語らいながら歩く後ろ姿もある。また、父の手を引いてさも嬉しそうにモスクの階段を登る子供の姿もある。いかにも、人間らしい平和な風景だ。宗教や人種、時代を超越した感がある。私も、暇ができたら機会を作って、是非こういう写真を撮ってみたいものだと、つくづく思う。
それから、 ミュージアムショップや図書館の脇を通って、展示室に向かう。その前に、暑い外から冷房が効く建物の中に急に入ったためか、汗がとめどもなく出てきて、シャツがびっしょりと濡れてしまった。このまま館内の冷気に当たり続けると風邪を引きかねないので、身障者トイレで着替えさせてもらった。ひと息ついたので、レストランに行くと、昼食はちょうど12時からだというから、まだ1時間ほど早い。展示を見てからまた戻ることにした。
いつもの通りの無手勝流で、興味の向くままに展示品を見て行く。個々の展示品に英語とマレー語の説明があるが、暗い上に字が小さいので、見辛いことこの上ない。途中で説明を読むのを諦めて、大まかな題名を眺めることにした。インド・ギャラリーでは、インドの王侯貴族の肖像画、衣装、家具などがある。テキスタイル・ギャラリーでは、アフガニスタンの遊牧民「KUCHI」(クチ)族の女性の衣装というのが誠にカラフルで、非常に印象に残った。これを着て、男性を魅惑するのだろうか。その他、中央アジア系のイスラム女性の衣服は、色使いといい、デザインといい、非常に魅力的である。そういう衣装を、上から下まで真っ黒で目しか出していない、おそらくサウジアラビアからの観光客のような黒づくめの女性が見ているのは、珍妙な風景である。ただ、宗教問題なので、事は微妙である。
次に、マレー風のテキスタイルが、いくつか展示されている。今でも 街中で目にするデザインが多い。当地では、歴史的にインドや中国との貿易が盛んで、そういうところから、こうしたデザインが定着していったらしい。まあ、何というか、マヤ文明を想起させるモチーフの文様もある。これは、14世紀から16世紀にかけて全盛期を迎えたチィムール王朝が工芸を尊重して周辺国に広めさせたものだそうだ。そうかと思うと、絹でできた立派な衣装がある。これは、3世紀から7世紀にかけてシルクロードを実質的に支配していたソグド人のものだそうだ。ソグド人といえば、唐の玄宗皇帝時代に反乱を起こした安禄山は、確かソグド人の血を引いている。高校で習った知識が、半世紀ぶりに蘇ってきた。
宝石のギャラリーは、非常にわかりやすい。ややゴテゴテとしているが、そのまま現代でも使えそうな飾りが多い。例えば、金地に緑や赤の宝石を飾ったパイプは、素晴らしい。青いトルコ石を使った19世紀のネックレスは、誠にモダンなデザインだ。トパーズやサファイアのネックレスも、実に美しい。
武具のギャラリーには、オスマン・トルコの男性の武具、装飾品、肖像画などがある。特に、ペンダントに入れられた男性の肖像画は、なかなか味がある。誰がどこで、こんなペンダントを身に付けていたのだろうと、不思議に思う。やはり、戦争に行った夫を思う妻なのだろうか。単発式の昔の銃がたくさん並んでいる。しかも、銃把に虎などの動物の像が彫られているから、面白い。クリスという不思議な形の短剣がある。何が不思議かというと、普通の短剣は左右が対照的なのに、これは非対照で、まるで平仮名の崩し文字のような形をしているからだ。まあこれは、説明に文字を費やすより、実際に写真を見た方が早い。
陶磁器のギャラリーでは、昔の中国から輸入された、イスラム模様やコーラン文字が描かれた陶磁器がたくさんあった。金属ギャラリーでは、精巧加工された銀やブロンズ性の作品が置かれている。硬貨のギャラリーでは、硬貨のツリーや、金貨に目を奪われた。この他、マレー世界ギャラリーというのがあったようだが、残念ながら、気が付かなかった。考えてみると、文化を残すというのは、少なくとも数百年に渡る平和が続き、国民の中で裕福で文化的な生活をする層が一定数いないとあり得ないことだから、その点、まだ時期尚早ということなのかもしれない。
そういうことで、展示品をあらかた見終わったのであるが、その印象を取りまとめていえば、この美術館は、最初思っていたような「イスラム教そのもの」の美術館ではない。そうではなくて、「イスラム諸国の美術品や民族品」を集めた美術館だということが、よくわかった。だから、最初はモスクに入るような緊張感があったのだけれど、そこまで用心することもなかったというわけである。
さて、もうお昼がすぎてお腹がすいた。この美術館のレストランに行く。60リンギットのブッフェ・ランチしかない。日本円で1500円ほどだから、食料品が安いこの国では、相当に高い。でも、喫茶メニュー以外はそれしかないので、やむなく注文した。肉の種類を選べというので、鶏肉にした。周りを見ると、あまり客がいないくて、 もう70歳くらいの白人女性が2人、中国人の旅行者らしきカップルが1組、それに日本語を話す男性を含む3人組、それだけだ。
ウェイターのお兄さんが、「あそこにある」とばかりに、顎をしゃくってブッフェの方向を示す。そちらに行くと、サラダ、豆、卵、干し魚の細片などが、10種類ほどお皿に盛られている。これは、ダイエットに良いとばかりに、全種類を大きなお皿に盛る。ついでに、メキシコ料理のトルティーヤらしきものを席に持ち帰り、また引き返して、お魚のスープをいただいてきた。いずれも 、(「マレー料理にしては」と言うと叱られそうだが)、味が良くて美味しい。トルティーヤもスープとともに3枚ほど続けて食べたので、お腹がいっぱいになった。そうこうしているうちに、 メインデイッシュの大きなお皿が運ばれてきた。うっかり、そんなものがあるのを忘れていた。そのお皿には、カレー味の角切り鶏肉、レタスなどの野菜、こんもりと盛られたお米が、綺麗に盛り付けされていた。それを見ていると、また別腹で食欲が湧いてきて、お米は半分ほど残したが、後は皆、食べてしまったから、我ながら驚いた。ついでに、デザートのムースと西瓜も平らげてしまった。その日は、ドリアンも食べてしまったことから、はてさて帰国した後、果たして体重が何キロになっているかが、目下の気掛かりなことである。
【後日談】 帰国して体重を計ったところ、行く前の71kgが、72kgと、ちょうど1キロの増加にとどまった。あれだけ食べていたことを考えると、上々の出来かもしれない。暑くて外出時には汗をたくさん流したし、それに加えて、毎日ホテルのジムに通って運動したおかげかもしれない。ちなみに、帰国してからさらに気を付けていたところ、1週間後には、70kg台へと落とすことができた。
(平成29年8月3日著・10日追記)
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