悠々人生・邯鄲の夢エッセイ







カラーの写真を見たい方は、こちら。ただしあまりお勧めはしない。




 最近の毎晩の仕事は、父の残してくれた古いアルバムの写真のデジタル化に取り組むことである。これを通じて、若い頃の父母や妹たち、それに私自身に出会うのは、時空を超えた感があって、実に楽しみだ。父は、こんなにマメに写真を整理して、この十数冊を残してくれた。感謝するほかない。

 最初、写真をアルバムに貼ったままで、そのデジタル化を行おうとしたが、それだと写真の退色補正や傷とカビの修復ができない。同じページにある写真でも、ひとつひとつの退色や傷付き具合が違うし、ページ全体が大き過ぎて、スキャナのサイズには合わないからだ。仕方がないので、各ページ全体のイメージは別途、写真に撮って保存し、個々の写真は、アルバムから剥がした後でスキャナにかけて画像を取り込むことにした。こうすると、画像を補正できるし、それをレタッチしていくことが容易だし、綺麗にした写真を再出力して新しいアルバムができるし、年代順や人物別に整理ができるなど、色々と都合が良いというわけだ。ただし、元のアルバムは失われる。それも、メリットを考えれば仕方がないと考えた。

 そういうことで、写真を剥がしていったアルバムは、もう5冊目に入った。剥がすときには、まず各ページの透明フィルムを取り、台紙と写真をむき出しにしてから剥がすのだが、アルバムの性能が良すぎて、写真をなかなか剥がせない。手ではどうやってもダメなので、フルーツナイフをへらのように使ってすることにした。最初は切れ味の鈍いものをということで、セラミック製のナイフを使っていた。ところが、4冊目の終わりまで来たところで、何とまあ、折れてしまった。余程の力が繰り返しかかったとみえる。そこで、今度は金属製のフルーツナイフを買ってきて、それで作業を続けて行った。これは切れ味がいいものだから、作業の効率は高まった。ただ、切れ過ぎるのは、問題だと思っていた。

 昨晩もそうやって、写真剥がしの作業を続けていて、午後9時になり、5冊目の半ばに差し掛かった。そのページの四隅の写真全部を剥がし終わって、残るは真ん中の写真だけだ。それが、強く付いていて、なかなか剥がれない。仕方がないので、左手を台紙の下へ置いて写真を少し浮かし、それで写真を削ぎ取ろうとした。ところが、うまく取れないので力を入れたら、写真だけでなく下の台紙を突き破って更にその下の私の左手人差し指にまで到達し、指の先が少し切れてしまった。

 最初は、血がなかなか止まらないので困ったが、指の根元の方を圧迫してしばらくするとやっと止まった。傷口をしげしげと見たら、先端に丸い皮ふの残骸があって、そこから下へ2センチほど半円形に切れているように見える。これは縫ってもらう必要があると思った。そこで、近くの外科医院に行こうと、東京都と救急相談センターに電話した。そうしたところ、切れ切れの聞きにくい機械の音声で、新宿百人町と羽田空港の診療所を告げられた。私の住んでいる文京区には夜間診療はないようだ。家内が、「そんな遠くに行くよりは、いつもの虎の門病院の方がいいのではないの?」と、傍らから言ってくれたので、それもそうだと思い直し、虎の門病院に電話した。ここなら、40分もかからなくて行ける。診察券は元々あるので電話すると話は早く、すぐに来て良いですよということになり、1人で行った。当直医師は、若い外科医のお兄さんで、説明の歯切れがよく、信頼に値する。これなら任せて大丈夫だ。手当てにとりかかる前に、水道水で患部を洗い流すと、2センチほど切れたと見えた半円形の部分は単なる血が流れた跡で、実は先端の丸く皮膚がえぐれたところが患部だとわかった。痛いのは、指の先端部分に、神経が集まっているからだそうだ。まさにそこをスパッと切ったというわけだ。

 では、その丸く皮膚がえぐれたところにひらひらと残っている蓋のようなもの(フラップ)を縫おうという話になり、その前に麻酔の注射をすることになった。患部の周りかと思ったら、そうではなくて、指の付け根だという。指の先端に麻酔を打つと、血流が悪くなって良くないそうだ。そこで、指の付け根に4ヶ所、麻酔を打たれた。ところが、その部分は確かに感覚がなくなるが、肝心の先端部分は、まだ痛いという知覚が残る。これはダメだと、更に4ヶ所ほど打って、ようやく先端まで痺れた。そこで、フラップを3針縫いつけてもらった。釣り針のような針に糸を通し、それを患部に縫い付けて、器用にクルクルと縛る。流れてくる血を拭いながらだから、それだけでも大変だ。やっと終わり、ワセリンかゲンタシン(化膿止め軟膏)のようなものを塗った。もう、血は止まっていたので、そのまま市販のバンドエイドで止めてもらった。こんな簡単な方法でよいのかと思うくらいだ。


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 医師の話によると「最近は消毒せず、怪我をしたところを水道水で洗い、汚れを落とす。それから清潔な、できれば市販の滅菌済のガーゼで水気を拭き、血が止まるまで手で押さえる。止血できたところでワセリンのような保湿剤を塗って乾かさないようにする。寝ている時などに傷口が何かにあたるといけないので、そういう場合は絆創膏で止めるといい。」という。確か以前、市販のラップにワセリンを塗って傷口に当て、絆創膏や包帯でそのラップを固定する。それは1日1回、取り換えるとよいと聞いたことがある。民間療法の類かと思っていたが、最近は医療現場もそうなってしまったようだ。更に昔は、白い泡の出るオキシドールや赤茶色のイソジン、更にその昔は赤チンなるものを塗って消毒したものだが、それはかえって治りを遅くし、しかも元のように綺麗には治らないことが多いそうだ。

 常識というのは時代によって異なることが多いが、これほど180度正反対にひっくり返ってしまうとは思わなかった。しかし、考えてみると、似たような例は枚挙にいとまがない。私の学生時代は、いくら暑い日であっても、運動中は絶対に水は飲むなと言われていたのに、今は逆で、なくなった水分を補給するためには水は飲まなければいけないものとされている。また、昔は日焼けをすると健康的な体になるといわれていて、日焼けが推奨されていたものだが、今は全く逆に日焼けをすると紫外線を浴びて身体に有害だと言われて外に出るときは長袖、襟元までカバーのある帽子をかぶり、日焼け止めを付けることが推奨されている。受験時は3当5落といって、3時間しか寝ないで勉強する人は合格し、5時間も寝ているようでは落ちるなどと、今から振り返ると馬鹿馬鹿しい言葉が流行った。しかし、そういう迷信のような考えの下でも、私のようにこの年まで生き残ってきたのだから、人間というものは、元々強くて、ちょっとやそっとの悪い環境でも十分に耐えられる身体を授かっているのかもしれない。








【後日談】

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 怪我をしたのは、6月22日の夜9時過ぎだった。その後、上の写真のようにバンドエイドで患部を包んでいたが、翌日の晩にはもうそれを外して下の写真のように泡石鹸で洗った。

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 それから1週間後、上の写真のように、患部がほぼ落ち着いてきた。そして更に1週間後の7月6日にいよいよ抜糸の日を迎えた。3箇所の糸を単にハサミでパチンパチンと切って、それを抜き取るという単純な作業である。別に痛くはなかった。その抜糸後の姿が、下の写真である。患部がまだ少々、引き攣れている。ここに力がかかると、少し違和感があって、若干痛い。

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 およそ2ヶ月後の姿が、次の写真となる。僅かに丸く盛り上がっているように見える。力がかかったときの痛さはとうになくなった。まだ感覚的に若干の違和感がないわけではないが、それでも随分と良くなった。

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 実は7月の終わりに海外旅行に行ったとき、その時点でこの怪我をしてから5週間が経っていたが、果たしてこの指で、成田空港の出国審査場の自動化ゲートが通れるかどうかが問題だった。自動化ゲートでは両方の人差し指を器械にかざして本人がどうかが判断されるからだ。もちろん、通ることができなければ従来通り有人のゲートに行けばよいだけのことだから、別に大した問題ではないのだけれど、それでもパスポートのデータに基づいて本人かどうかが判別されないとなると、何かあったときに面倒なことになりかねない。だから、ここで試しておく価値はある。そう思って自動化ゲートに行き、器械に手をかざした・・・その結果は・・・大丈夫、ちゃんと通ることができた。





(平成29年6月23日著、9月11日追加)
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