東北六魂祭は、2011年の東日本大震災で壊滅的な打撃を受けた東北六県の6市が、「鎮魂と復興の狼煙をあげる」ため、各市が誇る伝統の祭を持ち寄って始まったという。各市順番に開催され、11年は仙台市、12年は盛岡市、13年は福島市、14年は山形市、15年は秋田市、16年は青森市と、6市を一巡した。その後、16年11月20日に、東京は新橋の虎ノ門の地で、これを披露することとなった。この地区には、最近新築された虎ノ門ヒルズが建つほか、東京都がその整備に力を入れる新虎通りのお披露目という意味もあるのかもしれない。
ある日たまたま、このパレードを指定エリアにおいて見物する観客を、インターネットで募集しているのを知ったので、応募したところ、2人分の入場を認める葉書が送られてきた。それには、「厳正な抽選の結果、当選されました」とある。実は私は、これまで懸賞の当選などというものには、およそ縁遠かった人間なので、大袈裟かもしれないが、まるで人生に春が巡ってきたような気分になった。もっとも、2万人が当たったそうだから、倍率はかなり低かったのかもしれない。
当日、新虎通りでは、道の両側にAからD、EからHの観客席の椅子が並べられ、午後1時と3時の2回に分けて行われる。私たちが見るのはB席で、午後3時開演の部だ。1時半から入場可というので、2時15分頃に家内とともに指定された所に行った。すると、まだ45分も前だというのに、もう席はほぼ満席だった。それでも空席がないかと探したところ、最後列に、何とか2人分の席があった。観客の出足が、とても早かったようだ。3時になった。どこか遠い所で出発式のセレモニーが行われているらしく、何か聞こえてくる。そこから、パレードが出発して、秋田の竿燈祭り→盛岡のさんさ踊り→山形の花笠祭り→仙台のすずめ踊り→福島のわらじ祭り→青森のねぶた祭り→戻り囃子の順でやってくる。一度通り過ぎた後、またこの順で、帰ってくるそうだ。そして、各観客席の前で「定点エリア」つまり、そこに留まって演舞する地点を設け、新虎通りの真ん中のBCFGで囲まれた区域を「回転エリア」として、そこで青森ねぶたと福島わらじが回転演舞をするという。次に、何が来るというアナウンスは分かりやすく、日本語に次いで同じ人が英語で喋るから、外国人にも理解できる。総じてこの催しは、細かいところまで計画がよく練られていて、かゆいところまでよく目が届いているので、感心した。
最初の秋田竿燈は、「病魔や邪鬼を祓う『ねぶり流し』行事」として長い歴史があるそうで、本日の竿燈は重さ50kg、長さ12mのいわゆる大若を操るという。まずは、横倒しの状態で運び、4ヶ所で位置についた。さて、差し手の演技が始まった。どっこいしょーの掛け声とともに竿燈が立ち上がり、1mほどの支柱になる竹が次々に継がれて、空へ空へと伸びる。それを1人の男性が支える。支える所も、手のひら、肩、額、腰など様々だ。それだけの重さが人体のその1ヶ所に集まっているかと思うと、これはまるで神技だ。よく見ると、常にゆらゆらとしていて、いつもバランスをとっている。そのせいか、まるで手のひらがこちらを向いたり、それが横を向いたりと、まるで生き物のようだ。ああっ、傾く・・・おっと、持ち直した。ハラハラするが、そこがいい。そうやって見物していると、横を向いてこちらから眺めたときに縦に緩やかに曲がった曲線に見える場面があった。すると、あれよあれよという間に、竿燈が目の前で反り返るように傾いてきた。それを立て直すべく、差し手が頑張る。頑張れ、頑張れと誰かが叫ぶ。その叫びも虚しく竿燈はどんどん曲がっていく。ついに竿燈がUの字を横にしたような形になったかと思うと、「ボキッ」と音がして本当に折れて倒れてしまったので、驚いた。しばらくしてその竿燈は、再び支柱の竹が継がれていって復活し、見物人の拍手を浴びていた。
盛岡さんさ踊りの賑やかな太鼓の音が聞こえてきた。この踊りは、藩政時代より受け継がれてきたもので、「昔、南部藩盛岡に鬼が現れてさんざん悪さをすることから、村人たちが困って三ツ石神社の神様にその退治を祈願した。 そこで神様がこの鬼を捕まえてもう悪行をしないように誓わせ、その証として神社境内の大きな三ツ石に、鬼の手形を押させた。これを喜んだ里人たちは、三ツ石のまわりを『さんささんさ』と踊ったのが始まり」とのこと(HP参照)。この踊りは、ミスさんさの手首をキレよく使うキビキビした踊りと、太鼓の力強さとが重なって、誠に素晴らしい。加えて、特に太鼓のお嬢さん方の奇抜な衣装とその格好での群舞は、非常に迫力がある。
山形花笠音頭の一行が近づいてきた。これは「めでためでたの若松様よ/枝も栄えて葉も繁る・・・」と歌ってやってきて、なかなか華やかで優雅な踊りだった。ただ、盛岡さんさ踊りのときもそうだったのだけど、私たちの席は後ろの方だから、前の人たちが邪魔になって、カメラのファインダーを覗いても写真が撮れない。ときどき、人々の顔の切れ間で、踊り手さんたちの顔や花笠が見えるくらいだ。これでは写真にならない。そこで、カメラのチルト機構、つまり可動式になっている液晶モニターを下に傾けることができる仕組みを利用して、両手を伸ばしてカメラを構え、その液晶モニターを見ながら適当にシャッターを押した。それも1秒間で7枚の連写だ。これでは焦点すら合わせられないのではと思ったが、奇跡的に使える写真があったので驚いた。たとえば花笠音頭では、ミス花笠の女性が写っていた。実は、肉眼では見られなかったものである。
4番目に登場したのは、仙台の七夕祭りと雀踊りである。さすがに七夕祭では六魂祭の演し物にはならないので、実際にやって来たのは、雀踊りだけであるが、これがまた、踊り手は両手に扇子を持ち、あたかも阿波踊りを思い出すような軽やかな乗りの踊りで、誠に面白かった。この踊りは、慶長8年に、仙台城の新築移転の儀式の宴席で、泉州・堺から釆ていた石工たちが、即興で披露した踊りにはじまる。そのはねて踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから雀踊りと名付けられ、たまたま伊達家の家紋が「竹に雀」であったこともあって、長く伝えられることになったそうだ(HP参照)。しかし、現在の仙台の人達としては、七夕の方を推したいようだ。この辺りの微妙なニュアンスは、門外漢には、よく分からない。
5番目に来た福島わらじは、羽黒神社に奉納する大わらじに由来するもので、「日本一の大わらじの伝統を守り、郷土意識の高揚と東北のみじかい夏を楽しみ、市民の憩いの場を提供する」祭りとのこと(HP参照)。大わらじは、長さ12m、重さ2tという。それを、皆で楽しく担いでいると思ったら、回転演舞の場所で、本当にぐるぐると回ったから、びっくりした。それが終わると、観客席の方に傾けてくれて、わらじの上を見せてくれた。
最後にやって来たのは、青森ねぶたで、前を行く跳人たちが元気に飛び跳ねて演じている。ねぶたは1台だけではあったが、迫力のある図柄で、素晴らしい。それが、あちこちでお礼をするように愛想を振りまいていた。実は私は青森ねぶた・弘前ねぷたが大好きなのだが、今年の夏、実際にこれらを見に行ったので、詳しい解説は、そのエッセイに譲りたい。秋田竿燈にしても、この青森ねぶたにしても、夜間に灯が入っているときが素敵なのだが、それを東京のこのパレードに期待するのは、無理というものかもしれない。しかし、このパレードは良かった。主催者に感謝したい。併せて、今回の東日本大震災で犠牲になった皆さまのご冥福をお祈りしたい。
(平成28年11月20日著)
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