悠々人生・邯鄲の夢エッセイ








 京都 祇園祭り( 写 真 )は、こちらから。


1.祇園囃子の中の山鉾巡行(前祭)

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 コンチキチン、コンチキチンと聞こえる祇園囃子が次第に大きくなってきた。いよいよ来たかと期待が高まる。遥か先にある四条河原町の交差点に、大きな長刀鉾が姿を現した。そこで、鉾が直角に方向転換(辻まわし)をする。1回では足りないので、普通は3回、時には4回に分けて、方向転換を完結する。そのたびに、長刀を先頭に取り付けた鉾頭が大きく揺れる。300mmの望遠レンズを通して眺めると、鉾が辻まわしで次第に方向転換をしているのがわかる。後でテレビを見たら、あの大きな車輪の下に割り竹を敷き詰めて、その上に水を打ち、大きな掛け声を合図に、曳き方が一気に引いて回していた。それでようやく、その真北に位置するこちらまで引いてきて、我々の前に来るという塩梅である。この辻まわしを見たかったが、四条河原町の交差点近くは非常に混雑して、とても入れなかった。

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 次第に私のいる場所まで、長刀鉾が近づいてくる。高さ25mの巨体の鉾頭つまり頂上にある長刀が左右に揺れて、じわりじわりと私の前に来た。ちなみに、この切っ先は決して御所の方を向かせないそうだ。鉾の1階に当たる先頭には、音頭取という扇を持った2人の男の人が左右にいて、扇を動かしながら引き手たちに合図をしている。2階の正面には、化粧をしたお稚児さんがいて、脇には囃子連がコンチキチンの囃子を流している。時々、鉾の脇に垂らした紐を引いて、拍子を付けている。屋根を見上げると唐破風形式で、その上に屋根方が乗っていて電線などにぶつからないか見守っている。その更に上の棒の部分には、下から上へと神社のような榊、真木、天王台とあって、頂上が長刀である。

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 鉾の次には、山が続く。最初の長刀鉾や最後の船鉾などの例外を除き、順番はくじ引きになっているそうだ。今年は、長刀鉾の次は、山伏山、白楽天山、孟宗山と続いて、函谷鉾になった。鉾のところで時間をかけて大きな辻まわしをする。だから、間隔が空くので、ひとつの大きな鉾が小さな山を3つ引き連れているようだ。

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 そういう大きな鉾としては、函谷鉾のほか、月鉾、鶏鉾、菊水鉾、放下鉾がある。鉾は、前懸、胴懸として重要文化財級の絨毯などを惜しげもなく使っている。山も同様だが、鉾(重量7〜9t)と比べて規模は小さい(重量0.5〜1t)し、構造も異なる。山は、朱大傘に御神体(人形)と真松を載せる台のようなものである。

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 山のうち、面白かったのは蟷螂山である。宵山で、蟷螂(カマキリ)の人形が乗っていたのに気が付いたのだけれども、本日の巡行では、見物人が大きく拍手すると、動いたのである。それも、まるで、「やあ」と挨拶するように、片手を上げたり、羽根を広げたりという具合である。

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 綾傘鉾では、「棒振り踊り」が披露された。赤熊という不思議な被り物をかぶった踊り手が、鉦、太鼓、笛に合わせて踊り出す。公家の装束をしたお稚児さんも行列に加わっている。暑い中、ご苦労さまなことだ。四条傘鉾も、同じように赤熊さんがいて、踊っていた。

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 最後に、山鉾巡行のしんがりをつとめる船鉾である。これはつい最近、再建されたそうで、新しいだけあって、先頭の金色の瑞鳥、舵に施された螺鈿細工、タペストリーその他の飾りなど、どれをとっても見事である。

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 さて、これで巡行の見物が終わった。山鉾は、この巡行後すぐ解体されるそうだ。これは、山鉾が街中を巡行することで厄を集めるとされているので、その集めた厄を留めないようにするためだという。元々、祇園祭りは貞観11年(869年)に、日本全国の災忌の徐去を願って始まったものだそうで、その起りから、さもありなんと思う。なお、それぞれの山鉾には、長い歴史のあるこの祭りらしく、それぞれに興味深い言われがあるので、 インターネットなどで参照されるとよいと思う。

【本年の前祭の山鉾巡行の順番】

 1番 長刀鉾(なぎなたほこ)
 2番 山伏山(やまぶしやま)
 3番 白楽天山(はくらくてんやま)
 4番 孟宗山(もうそうやま)
 5番 函谷鉾(かんこほこ)
 6番 太子山(たいしやま)
 7番 四条傘鉾(しじょうかさほこ)
 8番 占出山(うらでやま)
 9番 月鉾(つきほこ)
 10番 芦刈山(あしかりやま)
 11番 蟷螂山(とうろうやま)
 12番 保昌山(ほうしょうやま)
 13番 鶏鉾(にわとりほこ)
 14番 伯牙山(はくがやま)
 15番 綾傘鉾(あやかさほこ)
 16番 霰天神山(あられてんじんやま)
 17番 菊水鉾(きくすいほこ)
 18番 木賊山(とくさやま)
 19番 郭巨山(かっきょやま)
 20番 油天神山(あぶらてんじんやま)
 21番 放下鉾(ほうかほこ)
 22番 岩戸山(いわとやま)
 23番 船鉾(ふなほこ)


2.暑さと人混みの宵山見物


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 宵山というからには、夕方からが本番だろうと思ったので、まだ日中の混み合わないうちに、各町内の鉾を見物に行こうとした。私は新幹線で、お昼に京都に到着した。京都に行くと必ず立ち寄ることにしている駅構内の八条口脇の「松葉」で、いつもの通りニシン蕎麦を注文し、それを食べ終わったのが、午後1時過ぎである。それから地下鉄で四条烏丸に行き、地上に出て、さあどこへ向かって歩こうかと見回した。その時、位置確認に使ったグーグルの地図に、鉾の位置がレイヤーとして重なってきた。これは便利だと思ったが、残念ながら、鉾の名前までは書いていない。しかし、自分の位置からどの方向へどれだけ歩けばよいかがわかる。

 そこでまず、烏丸通りの南から巡って行こうとした。そうして、巡って行った鉾を順に並べると、雛鉾 → 綾傘鉾 → 伯牙山 → (鉾ではないが、杉本家を見学) → 芦刈山 → 油天神山 → 太子山 → 木賊山 → 船鉾 → 白楽天山 → 保昌山 → (烏丸通りを渡って) → 四条傘鉾 → 蟷螂山 → 放下鉾 → 霰天神山 → 山伏山 → 占出山 → 菊水鉾 → 函谷鉾 → 月鉾 → 長刀鉾。これで全部だと思ったが、実は孟宗山を見落としていて、これは改めて夕方から見物することにした。合計で23基である。


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 その日の京都の気温は31度で、曇天だったが午後2時半過ぎると日が照ってきた。湿気も高く、とても暑い。汗が滝のように流れる。薬局で買った体液補給の水分を4本、つまり2リットルも飲んで熱中症予防にする。汗で下着まで濡れるのが気持ち悪くて、ホテルに着くまでに3回も着替えた。祇園祭りは暑さとの闘いだった。

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 宵山までにひと通り見終わって満足したので、午後4時半と、少し早いが京都大丸デパートの8階のレストランで、食事をすることにした。飲茶を食べていると、冷房が効いているはずなのに、まだ汗が出てきて止まらない。体温調節機能がおかしくなったのかと心配したほどだ。それでも、30分ほど経つと、やっと治まって、着替えることができた。

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 宵山直前までに見物した22基の山鉾の中で、最も記憶に残ったのは、先に述べた船鉾で、次に、長刀鉾、月鉾、放下鉾などの大型鉾である。今でこそ、大した高さではないが、昔は天を衝く高さだったのだろう。このほか、蟷螂山では、本当に蟷螂(カマキリ)の模型が乗っていたのには、驚いた。しかも、前述のようにそれが愛想よく動いたから、ますます驚いた。

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 暑さにやられた身体もレストランで冷えて十分に安まったので、それでは本当の宵山見物に行こうと建物を出た瞬間、とてつもない人混みに驚いた。この人出は、昼間には全くなかったものだ。それでも、長刀鉾 → 孟宗山 → 占出山 → 山伏山 → 霰天神山 → 放下鉾 → 郭巨山 → 四条傘鉾 → 油天神山 → 太子山ときたところで、あまりの人混みと、時間も午後8時45分と遅くなったので、これ以上、回るのを断念した。実はもう一度、宵山の提灯が点灯された「船鉾」を見たかったのだが、船鉾のごく近くまで行って目の前に見えたものの、一方通行の壁に阻まれて行けなかったのは、残念至極である。

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 なお、宵山では、厄除けの粽、御礼、お守りなどが授与される。このほか、太子山では子供たちが「どうですか、どうですか」と、蝋燭を売っていたが、その口上があまりに可愛いので、見物人が立ち止まって聴き惚れていた。太子山は、聖徳太子にちなんで作られただけあって、あたかも菅原道真のように、学問の神様のように祀られているようだ。


3.お祭り雑感

 かつて「そうだ、京都に行こう」というキャンペーンがあった。私は毎年、数回はそういう気分になって、京都に行っている。言ってみれば、里帰りみたいなものである。友達に会ったり、大学時代の同級生と同窓会を開いたり、寺社を訪ねたり、桜や紅葉を見に行ったりするのが常である。ところが、今年はまだ1回も行っていない。そろそろ行きたくなったと思った頃に、今年の祇園祭りは7月16日(土曜日)に先祭の宵山、17日(日曜日)に先祭の山鉾巡行が行われると聞いた。しかも18日は祝日だから、見物するには、もってこいの状況である。

 ただ、思い立ったのが遅かったので、山鉾巡行の観覧席は既に売り切れていた。ならば、3時間ほどの巡行に過ぎないから、沿道から見物すればよいと考えた。次に宿の確保については、京都市内のホテルはどこも満室だったので、大阪でホテルを手配した。ただ、京都の夏は暑い。暑すぎて、体と頭がどうにかなりそうなくらいだ。家内に一緒に来るかと聞いたが、それほど暑いのなら、遠慮するということで、単身で出掛けることになった。

 山鉾巡行の見物の場所であるが、朝8時、淀屋橋駅から京阪電車特急に乗って、京都に着いたのが9時少し前である。山鉾巡行中に直角に方向転換(辻まわし)が行われる四条河原町交差点に出ようとしたら、もう群衆でいっぱいで、入れなかった。そこで、辻まわしを見るのは諦め、河原町通りを裏の高瀬川の方からしばらく北上して、河原町通りに出たら、少しはゆっくりと見物できるスペースがあった。

 当日は曇天だったので、光の方向は写真にさほどの影響はなかったが、もし晴天だったら、午前中だからこのように東側から撮った方が良かったはずだ。ところが、どういうわけか山の人形は、全て道路の西側を向いていたから、これが撮れなかったのは、残念至極だった。後から祇園祭りのパンフレットを見ると、確かに左側から写真が撮られていて、人形が正面から写っていた。まあ、予め調べるにはどうしても限界があるので、仕方のないことだと諦めるほかない。









(平成28年7月17日著)
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