悠々人生・邯鄲の夢エッセイ



木曽御柱祭




 木曽御柱祭( 写 真 )は、こちらから。



 木曽御柱祭(おんばしらまつり)を見に行った。前日の夜、宿泊先の蓼科グランドホテル滝の湯のロビーで、地元のテレビが御柱祭を放映していた。それを1時間以上にわたって感心しながら見ていたので、このお祭りについて、少し事前に勉強をした。

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 御柱祭の正式名称は、「式年造営御柱大祭」といい、記録は、1,200年も遡るという。つまり、奈良時代からやっていたというわけだ。昔は、御柱(おんばしら)として、木曽らしく杉を使ったこともあったらしいが、今では樹齢200年にもなる樅(もみ)の木だという。大きいものは、長さ17m、重さ12〜13tにもなるというが、その巨木を森から切り出してくる。氏子の皆さんで諏訪神社まで曳いてきて、上社(本宮、前宮)、下社(春宮、秋宮)の計4つの神社の社殿の四隅に立てるという行事である。元々は伊勢神宮のように社殿そのものを定期的に建て替えていたらしいが、それでは負担が大きいので、この簡略化した形になったそうだ。7年ごとの寅と申の年に行われる(曳いた年を1年と数えるので、実質的には6年ごとに実施)。

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 切り出してきた御柱に曳き綱を付けて引っ張るという、見方によっては素朴な祭りだが、特に上社の場合には、御柱に「V」字形の「めんでこ」なるものを付け、沢山の若い衆がそれに鈴なりに乗って調子を付けるように叫び、箒のようなものを左右に振り回す。その中で、節回しの旋律の主導を果たすのは、木遣りで、これが朗々と歌い上げて、それからラッパ隊が突撃ラッパのようなものを吹き鳴らすので、誠に勇壮なお祭りである。

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 「V」字形の「めんでこ」は、3階以上の高さがあって、そこから落ちたり、ましてや御柱の下敷きになったりすると大怪我をしそうである。だから、これに乗るのには、かなり勇気が必要だ。でも、乗っている若者は、派手な祭衣装といい、垢抜けた身のこなしといい、なかなか格好が良い。女の子に大いにもてそうな感じがする。ただ、前回の御柱祭では、木落としの際に「めんでこ」が折れて、2人の死者が出たそうだ。だから、外見はともかく、ここに乗るのはまさに命懸けなのである。

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 上社では、この御柱を、4月2〜4日に「山出し」として綱置場から出発し、柳沢交差点、直角に曲がる難所の穴山の大曲を経て傾斜が30度近い「木落とし」を滑り、雪解け水で冷たい川を渡る「川越し」をして御柱屋敷に至る。次に5月3〜5日に「里曳き」として御柱屋敷から街中を引いて本宮に至る。

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 そして我々が見たのは、そのうち、山出しの木落としだ。その本宮ニの11時からの木落としを見物するため、観覧席に座った。いよいよ本番だ。木遣りの囃子を背景に、川向こうの小高い丘の上に、「めんでこ」が現れる。ラッパ隊が突撃ラッパを吹き鳴らす。それに応ずるかのように、「めんでこ」上の若者が箒みたいなものを左右に振る。二手に分かれた綱が、掛け声に合わせてぐいぐいと引かれる。祭りは最高調だ。だんだん「めんでこ」が丘の頂上からせり出してきた。

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 木遣り隊が「ここは木落とし、お願いだ。」と歌い、そのせり出し部分がだんだん突き出てきて3mほどになり、もうすく落ちると思うが、なかなか落ちない。はらはらする。しばらくやっているうちに、遂に「めんでこ」がグラリと前のめりになったと思うと、土煙りを上げて一気に落ちた。「めんでこ」が一時傾いたが、皆で支えて何とか倒れなかった。それから、何事もなかったように、掛け声に合わせてまた進んで行った。私は、かなり興奮して、しばらくその余韻が残った。なるほど、天下の奇祭の一つというのは、あながち誇張でも何でもない。見に来て良かったと思う。

 今回は、「木落とし」だけだったが、次回は、「穴山の大曲」と「川越し」、それに「里曳き」を見て、写真に撮ってみたいものだと思っている。その時のために、気が付いた点を幾つか書き残しておくと、(1) 食事するところがあまりない。「荻野屋」があって、私が昔、北陸方面に行く途中の信越本線でお弁当として買った釜飯を売っている。これはお弁当にしては美味しいが、容器の釜が重たいから、その辺に捨てる訳にはいかなくて難儀する。(2) 御柱祭が行われる諏訪地方はとても寒いと聞いて、コート、マフラー、手袋、ホカロンなどを買い集めた。ところが、いざ行ってみたら朝は寒かったものの、御柱祭の頃には気温が上がっていて、少しも寒くなかった。この他、雨天に備えて雨合羽や傘を用意していったが幸い使うことはなかった。


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 さて、その後、諏訪大社上社秋宮を訪れると、ちょうどそこで出陣を待つ氏子の人々が、神様に祭りの成功と安全祈願をしている場面に出会った。木遣りも入って、なかなか凛々しい出陣式の模様である。社殿の外の四隅には、前回の御柱が聳え立つように、しっかりと立てられていた。

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 最後に、諏訪大社上社春宮から歩いてほど近いところに、万治の石仏があった。川のほとりの大きな石仏様で、何とも言えない温かみとおかしみをたたえたお顔で、道行く人を見下ろしている。かの岡本太郎や新田次郎が絶賛したそうだ。




(平成28年4月3日著)
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