邯鄲の夢エッセイ



タムロンの万能レンズ





 最近、アウトドアの趣味といえば、カメラ片手に風景やお祭りや花々を撮りに行くことしかやっていない。その場合のポイントは、やはりカメラで、これが高性能なものでないと、せっかく撮りに行っても、ちゃんとした写真が撮れないので、意味がない。そういうことで、カメラをいくつも買い換えて、2年前に、やっと現在のキヤノンEOS70Dにたどり着いた。フルサイズではなくてAPS−Cだが、これ以上のカメラはもう私には必要ないと思う。

 ところで、EOS70Dを購入して以来、次の3本のレンズを使ってきた。

(1)Canon EF-S 18-135mm F3.5-5.6 IS STM
(2)Canon EF 70-300mm F4-5.6 IS USM
(3)Canon EF-S 10-18mm F4.5-5.6 IS STM

 簡単に言えば、(1)は標準望遠レンズ、(2)は超望遠レンズ、(3)は広角レンズというわけである。しかし、それぞれの使用割合をみると、(1)92%、(2)6%、(3)2%くらいで、ほとんど(1)標準望遠レンズで足りている。(2)超望遠レンズは、お祭りなど、離れた所でしか撮れないような時にしか使わないし、(3)広角レンズが必要なのは雄大な風景のときくらいで、それもレンズの入替えが面倒だから持って行ってもあまり使う気が起こらない。要するに、私のようなアマチュアで少し面倒臭がり屋の人間には、宝の持ち腐れなのである。

 それで、遠目で撮る風景にしても、近接して撮影をする花にしても、(1)標準望遠レンズでほとんどをまかなってきた。ただ、まだ持っていないマクロレンズが欲しいなぁという気がしていた。でも、これは良さそうだというマクロレンズには、10万円ほどする値段が付いている。別に買えない値段でもないが、買ってもまた広角レンズの二の舞いになるかもしれない。何しろ、レンズの付け替えが面倒なのである。だいたい、こんなに色々な種類のレンズを作り、しかもカメラ本体よりも値段が高いというのは、未だに納得がいかない。なぜ1本に出来ないんだという気がする。

 昔、オリンパスのミラーレス一眼カメラを持っていたときは、新しいカメラに標準望遠レンズを付け、その一代前のカメラに超望遠レンズを付けて両肩に下げ、二丁拳銃のように使っていたこともあった。これは便利この上なかったが、カメラの規格がマイクロフォーサーズで小さいからこそ出来たことだ。しかし、キヤノンのカメラは大きくて重たいので、そんなことは不可能だ。

 先日、海外旅行に行った際、外国の航空会社だったので、機内持込みの荷物のチェックが厳しくて、2kgオーバーだった。だから、その分、何かを取り出さないといけないというので、仕方なく、カメラと3つのレンズを取り出した。こんなことが続いてしまうのでは困るなぁと思っていたところだった。

 幸か不幸か、そういう状況のときに、ビッグカメラに行って、とあるレンズを見つけてしまった。それが「タムロン16-300mm F/3.5-6.3 Di II VC PZD MACRO」である。店の宣伝文句は、「この1本であらゆるシーンに対応できる高倍率ズームレンズだからレンズ交換不要。世界最大倍率18.8倍の16−300mm。APS−C専用。画角は、35mm判換算焦点距離で25.6ー480mm相当(キヤノンEOS70Dの場合)をカバー」とのこと。

 ネットで調べてみると、このタムロンのレンズ16−300mmは、マクロレンズにもなるというか、マクロレンズ代わりに使える。どの領域でも最短撮影距離が39cmらしい。しかもこれは、被写体と撮像素子との距離だから、その間にこのレンズが入ることを思うと、望遠側で筒が伸ばすようなときは、ごく近くなる。

 広角端、つまり16mmにすると、画角が35mm判換算焦点距離で25.6mmになるという。これまでの同種の高倍率ズームレンズは28mmだから、少し広くなる。望遠端、300mmにすると、画角が同じく480mmにもなるという。遠くのものが写るのは楽しいが、これで近くの被写体を撮ると、良質の「ボケ」を出せそうだ。480mmというこれだけの超望遠になると、手ブレがひどいだろうと思ったが、VC(Vibration Compensation)という補正機構が備わっていて、かなり良いようだ。


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 ということで、このタムロンのレンズ16−300mmを購入することにした。同じものなのに、家電量販店では、74,000円、アマゾンでは、66,000円、後で調べた価格ドットコムでは、59,000円という値段だった。いつも使っているし慣れているので、アマゾンに注文したが、それにしても値段にこれほどの差があるとは思わなかった。



1.新宿御苑

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 注文した翌日にレンズが届いたので、それを持って、新宿御苑に行って撮ってみた。すると、温室の池に咲いていた睡蓮の花は、55mmだと広がった葉と一緒に平板に写るが、280mmの超望遠だと、細部まで綺麗に写り、手ブレもない。なかなか良いではないか。

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 同じように撮ったホトトギスの花とツユクサの花も、望遠端で撮るとまるで本物のマクロレンズで撮ったかのようだ。しかも、VC補正機構のおかげか、手ブレがない。これは、十分使える。また、広角端で撮ると、公園の広大な雰囲気がよく出ている。しかも、ピントが素早く合い、音も静かでいい。とても、気に入った。まさに、万能レンズである。そろそろ秋になり季節が良くなるから、外出する機会も多いので、これを散歩のお伴にしようと決めた。

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 新宿御苑の秋( 写 真 )






2.向島百花園

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 タムロンのレンズ16−300mmを抱えての外出の第2回目は、向島百花園である。たまたまこの日は、萩のトンネルの最盛期らしい。その萩のトンネル越しの、はるか遠くに東京スカイツリーが見える。それを16mmの広角端で撮ると、マッチ棒のように写る。ところが同じ場所から、今度は300mmの望遠端で撮ると、これはすごい。画面いっぱいに、展望台が広がる。これこそ、18.8倍の威力である。池の中にトンボがとまっていた。こんな遠いものが撮れるかと思いつつ、望遠端でシャッターボタンを押したところ、ちゃんと羽まで写っていた。

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 さて、その萩のトンネルだが、なるほどピンク色で愛らしい小さな萩の花が美しい。これが垂れ下がるトンネルの入り口からトンネルの中を覗くと、ピントを手前の萩か、遠くの出口かのどちらに合わせるかで写真が全く異なるから、これまた面白い。

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 アザミの花がたくさん咲いていて蜜が豊富らしく、蝶が集まっていて、被写体には事欠かない。これも、高速撮影だが、結構ピントが合っている。タムロンのレンズは、VC補正機構のおかげか、手ブレもなく、なかなか優秀なレンズである。その蝶どうしが争っていて、肉眼では、何が何やらわからない。しかし、こうして高速撮影していると、2匹が渦を巻くように争ったあと、うち1匹が勝者らしくアザミに取り付いて吸い始める。それを負けた方がホバリングしてバックしながら近づき、嫌がらせをしているようだ。

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 園内には糸瓜があり、瓢箪が生っている。芭蕉ならぬ、バナナも植わっている。妙な公園である。ところどころに俳句がかかっている。うち、2つを紹介すると、

 七曜の めぐる早さや 秋の暮れ (土屋久佐)

 句読点 なき 母の文 吾亦紅  (中村袖木)


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 向島百花園の萩と蝶( 写 真 )






3.川越祭り

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 昨2014年に引き続き、今年もまた、川越祭りを見物してその写真を撮りに出かけた。昨年と同じで、やはりキヤノンEOS70Dのカメラを肩からぶら下げているのだけれど、今年はレンズを一本で済ませるために、タムロンのレンズ16−300mmを付けている。昨年は川越祭りについて色々と書いたので、今年はこのレンズの性能を確認することを主目的にしよう。

 さて、今日は日曜日だから山車揃いはなく、山車巡行の日だ。川越市役所前に行き、行き交う山車をこのレンズで撮ってみた。まあ、そのすごい性能には驚嘆する。たとえば、この山車は「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」(岸町2丁目)だけれど、37mmの広角で撮ると、3階建ての山車の全体像が写る。ところが同じ場所から、今度は300mmの望遠端で撮ると、姫のお顔が画面いっぱいに広がる。細かい髪飾りまで写っている。これほどの性能とは思わなかった。


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 最近は歳のせいか遠くがあまり見えなくなって来たから、これほど遠方がよく見えるというのは、本当に有り難い。次の山車は、「八幡太郎(はちまんたろう)」(野田五町)である。なかなか凛々しい姿形をしている。平安時代後期の武将で、源義家のことらしい。源頼朝の祖先で、白河法皇につかえていたようだ。関東各地では英雄である。このときの山車の演技者は、お猿さんだ。

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 それにしても、市役所前でずーっと演技している山車がある。直射日光が当たる中で、ご苦労様なことだと思ったら、それもそのはずで、川越市そのものの山車「猩猩(しょうじょう)」であった。赤い毛で顔も背中も覆われている。猩々というのは、確か猿のような想像上の動物だったはずだと思いながらインターネットで調べてみると、この姿は能の猩々という演目のシテだそうだ。その前を、「八幡太郎」が通り過ぎるとき、挨拶のために向かい会った。

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 時間的に前後するが、「太田道灌(おおたどうかん)」(連雀町)の山車が来た。太田道灌は江戸城を作ったので、関東では祖先の英雄のようなものだ。右手を額に持ってきて日の光を遮り、遠くを見ているような姿勢をしている。弓矢を持ち、スカートのように履いているのは、毛皮のようだ。よく見ると、市役所の脇にある太田道灌像と同じだ。

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 「家康」(脇田町)の山車が近づいてきた。徳川家康は、誠に立派な衣冠束帯の姿である。太田道灌の山車と向かい合って立つと、まるで歴史的偉人の会見のようで、面白い。

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 さて、市役所前を離れて、札の辻交差点から時の鐘方向へ、人出でごった返す蔵造りの街並みを歩く。「弁慶(べんけい)」(志多町)が真っ青な空を背景にやって来た。足元に幼子が二人配されている。それもあってか、山車を引く一行の前に、幼い子たちが目立っていた。とても、華やかである。この山車に乗って演技をしていたおかめさんは、とても上手に踊っていた。

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 埼玉りそな銀行前に、幸町(さいわいちょう)の会所があり、その山車「小狐丸(こぎつねまる)」があった。手に槌のようなものを持っているが、何だろうと興味が湧いた。ネットで調べてみると、これは、能の「小鍛冶」に出てくる話が元になっているらしい。帝の守り刀を打つべしという勅命を受けた三条小鍛冶宗近は、相方となって一緒に槌を振ってくれる者がいないので、一度は断ろうとした。ところが、家の向かいのお稲荷さんに祈願したところ、お稲荷さんの狐が化けた男が現れ、ともに槌を振るって立派な刀を仕上げることができた。だから、小狐丸とは、狐様の化身ということらしい。なるほど、槌を持っているのは、そういうことなのか。

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 この祭りの主役は、山車とともに、山車の前面の舞台で踊る、おかめ、ひょっとこ、猿、天狐、獅子などの踊り手とともに、囃子である。どれを見ても聞いても面白い。かなり遠くから、しかも踊りの動きは結構早いので、果たして上手く撮れるかどうか心配だったが、このタムロンのレンズは大丈夫だった。

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 さて、夕方になってきたので、夜の部に備えて食事をしておこう。川越名物は鰻だから、それを食べようと大きな通りのそれらしきところに入った。特上の鰻が3,000円という、東京ではあり得ない値段になっている。運ばれてきた鰻重に口を付けてみると、タレの塩味がやや強いが、とても美味しい。食が進むというものだ。

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 午後5時半が過ぎると、もう辺りは暗くなる。そこへ、電飾を付けた山車が、大勢の引き手にひかれて通りを練り歩く。暗い中、それらが近づき、目の前を通り過ぎると、提灯が揺れ、囃子の音が響き、踊り手はますます熱が入って、素晴らしい踊りを見せる。山車が各町内の会所前にさしかかる時や、あるいは通りで他の山車とすれ違う時には、山車の正面をそちらに向け、囃子の儀礼打ちと最高の踊りを見せる。それに、手に手に提灯を持ったたくさんの曳き手が「せーのぅ」という合図とともに「わっせ、わっせー」と飛び上がって声援を送る。いやもう、幻想的な夢幻の世界にいるようだ。これを曳っかわせという。川越祭りの一番の見せどころで、見物人まで興奮するクライマックスである。

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 中町の会所前に八幡太郎の山車がさしかかり、囃子の儀礼打ちとひょっとこの踊りが演じられる。ああ、あちらの方から、昼間に見られなかった山車の「三番叟(さんばそう)」(六軒町)がやって来た。直角の交わる形で山車の「猩猩」がやって来る。曳っかわせが始まると思った瞬間、タムロンのレンズに問題が発生した。自動のピントが合わないのである。撮ろうとしている特定の画面の一部にごく明るいところがあると、ピントが合わないからシャッターが切れないのである。最初はとまどったが、焦点距離を前後に動かしたり、ピントの範囲を調整したり、焦点位置を変えたりしたら、やっとピントが合って、撮ることができた。しかし、山車は動くから、あれこれとやっている内に行ってしまう。急いでいるときは、マニュアルにするしかない。キヤノンのレンズでは、あまりこういうことは起こらなかった。タムロンは、夜で、コントラストがきつい時に、こういう現象が起こるようだ。これから気を付けよう。

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 それでも、夜で、群衆にもみくちゃにされながら、三脚も使わずに手持ちで、よくこれだけ撮れたものだと感心する。カメラも良いけれど、タムロンのレンズもなかなかのものである。おお、蔵造りの通りを、「八幡太郎」と「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」の山車が行き交う。囃子と踊りと、光と山車とが絢爛たる夢幻の境地に誘い込む。これぞ江戸の世界か・・・素晴らしい。

 なお、地元の人と話していると、山車は全部で24台もあるらしい。そのうち、今年は13台だけ出ているそうな。今年の山車で、とうとう最後まで人形が見られなかったものの名を挙げると、竜神、住吉大明神、鏡獅子、徳川家光、松平信綱の5台である。





 昼の川越祭り( 写 真 )

 夜の川越祭り( 写 真 )




4.古河庭園の秋薔薇

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シャルル・ドゥ・ゴール


 もう10月下旬となり、秋薔薇の季節となった。西ヶ原の旧古河庭園では、恒例のバラ週間がもう明日で終わるという日に、タムロンのレンズ16−300mmを付けて撮りに行った。天気は快晴で、やや風が強い。その中での撮影である。撮った写真の不要なところをボケさせようと思って、わざわざ望遠側の焦点距離200〜300mm、f値5〜6.3、シャッター速度1/250〜400秒の範囲内で撮っていたのだけれど、どうも焦点が合わず、しかもシャープさに欠け、全体的にボケた画像となった。

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ローラ

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初 恋

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クリスチャン・ディオール


 もう少し、くっきりした画像を撮りたかったに、いささかがっかりした。撮り方が悪かったのか、風でバラの花が揺れていたためか、それともシャッターを押すときにブレたのか、おそらくそのすべてかもしれない。シャッターを押す際に、さすがのVC(Vibration Compensation)という補正機構も、うまく補正できなかったということか。三脚が使えないから仕方のないことではあるが、それにしても、少し残念である。

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ブルーライト

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丹 頂

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蝶を狙うカマキリ


 これなら、元のキヤノン EF−S 18〜135mmのレンズの方がよかった。やはり、二兎を追うものは・・・の類である。でも、このレンズの欠点はわかった。今度は腕の両脇を締め、焦点距離をあまり長くしないで、シャッター速度を少し上げて撮ってみよう。このほかの原因を考えてみると、焦点の測光範囲が中途半端だったのかもしれない。やや絞ったつもりだったが、むしろバラの中のどこか一点に合わせるべきだったかもしれない。こういう試行錯誤を繰り返さないと、レンズに習熟できないのだろうなと思う。

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リオ・サンバ

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バラのコンサート


 なお、今回、面白かったのは、バラの花の上にカマキリが乗っていたことである。見物人のご高齢のご婦人によれば、これはバラの花に来る蝶を狙っているのだという。美しい花にも、恐ろしい仕掛けがあるものだ。また、恒例のバラのコンサートが行われていた。バラの花を眺めながら。バッハや日本のメロディーを聞くのも、なかなか良いものだ。




 古河庭園の秋薔薇(写 真)





(平成27年10月1日著、18日および25日追記)
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