邯鄲の夢エッセイ



瀬戸大橋




 佐賀大分への旅( 写 真 )は、こちらから。


 2泊3日で佐賀と大分に行ってきた。例のとおり、日中は全く暇がなく、びっしりとスケジュールが入っていて、僅かに早朝と夜しか時間がない。そこで夜は休み、大分では早朝に起きだして別府の温泉地獄めぐりをしてまた引き返すということをした。全くもって、慌ただしいのにも程がある。

 それはともかく、今回は行きと帰りの機内から、よく外の世界が見えた。昨年9月から規制が緩和されて、iPhoneなら機内モードにしておけばいつでも写真が撮れるようになったことが大きい。最初は、ああ、あれが三浦半島だ、駿河湾だと思っているうち、眠たくなったのか、しばし目を閉じた。再び目を開けて、同行者に「あれ、これは伊勢湾かな」と言っているのをアテンダントさんに聞きつけられ、「いやいや、もう神戸ですよ」と言われたのには、参った。そういえば、あれは神戸のポートアイランドではないか・・・目をつぶっていたのはほんの一瞬のことのような気がしたのに、その間に飛行機は、静岡から神戸まで飛んでいたとは驚いた。まあ、人生とは、こんなものかもしれない。ああ、それではあれは、明石大橋だ。次に瀬戸大橋も見える。それではしまなみ海道も見えないかと思ったが、残念ながら雲に隠れてしまった。四国の佐田岬半島が眼下に見えた。この海を越えれば、いよいよ九州だ。


阿蘇山の活火山である中岳が噴煙を上げている


 緑の美しい平原が見える。これは阿蘇ではないか。阿蘇山の活火山である中岳が噴煙を上げている。結構、高くまで白い煙が上がっている。鹿児島の桜島といい、雲仙の普賢岳といい、九州での最近の火山活動はかなり活発である。やがて着陸というアナウンスがあり、機体は佐賀空港に向けて高度を下げていった。地上には碁盤の目のように綺麗に整備された田圃が並び、大きな川が流れている。九州新幹線のトンネルと線路が見える。そう思っていたところ、すぐに有明佐賀空港に着陸した。車で中心部に向かったが、その途中、道の周囲はまだ新しい干拓地らしく、住宅や店舗も古びたものはなくて、経済がうまく回っているように見える。30分ほどしてホテル・ニューオータニ佐賀に到着した。ここは外見はともかく、部屋もサービスも30年前のようなホテルだ。懐かしいといえば懐かしいが、その間、色々と世界のホテルを渡り歩いてきた身としては、実に物足りない。

佐賀県庁


 その代わり、佐賀城公園に面し、目の前は佐賀県庁であるから、眺望はよい。早朝、その周りを散歩してみた。この地のシンボルは楠(クスノキ)らしくて、お濠の周りに大きな木が多い。これが、佐賀の乱、西南戦争などを見てきたのかと思ったが、樹齢は意外ともっと若いのかもしれない。それにしても、あまり大きくもないお濠で区切られた区画の中に、高校やら中学やらがあるのはまだ良いとして、幼稚園やら、普通の住宅まで立ち並んでいるのには驚いた。なぜこのようなことになっているのか、時間があるなら地元の物知りとじっくり話をして聞きたいところだが、今回の要務からしてそうはいかないところが悩ましい。お濠にを巡っているときに、1羽の鷺らしき鳥がいた。それが抜き足差し足、そっと水面に近づき、そこで止まって動かない。私も決定的瞬間をとらえようと、その場でしばらくカメラを構える・・・しかし、何も起こらない。諦めて、もと来た道を戻ろうとして振り向いた瞬間、ばしゃばしゃっと音がして、その鳥はもう小魚を咥えていた。絶好のタイミングを逃がしてしまった。

お濠に1羽の鷺


 翌朝は、新幹線と在来特急を乗り継いで、大分に向かった。4月にできたばかりという真新しい大分駅頭に立つ。佐賀と比べるとこちらの方がはるかに都会だという印象を受ける。もちろん佐賀にも、高い建物がちらほらとあったが、そのほとんどが民間のマンションで、それ以外の大きい建物は、県庁と県警本部それに私の泊まったホテルくらいしか目につかなかった。ところが大分市には、マンションはもちろんたくさんあるが、それ以外の高い建物も、負けじとこれまた数多くある。しかも、かなり高い建物ばかりだ。私が泊まったのは、大分オアシスタワー・ホテルという地上21階の101メートルの建物で、出来たばかりの県立美術館と繋がっている。私は19階だったので、部屋からの眺めは非常に良かった。目の前にお猿さんで有名な高崎山があった。先月に、生まれたばかりの猿の赤ん坊にシャーロットと名付けて、英王室の赤ちゃんと同じ名前だと騒がれたので、最近は世界的に知られてしまうことになった。

大分オアシスタワー・ホテルからの眺め


 その日は、仕事のあとは早く寝て、翌朝は6時半に朝食をとり、すぐに別府に向かった。鉄輪(かんなめ)の「地獄めぐり」をしようというのである。いただいたパンフレットによると、「ここ鉄輪・亀川の地獄地帯は、千年以上も昔より噴気、熱泥、熱湯などが噴出していたことが『豊後風土記』に記され、近寄ることもできない、忌み嫌われた土地であったといわれています。そんなところから、人々より『地獄』と称せられるようになり、今も鉄輪では温泉噴出口を『地獄』とよんでおります」とのこと。これには地獄は8つあり、(1) 海地獄、(2) 鬼石坊主地獄、(3) 山地獄、(4) かまど地獄、(5) 鬼山地獄、(6) 白池地獄、(7) 血の池地獄、(8)龍巻地獄の4つだそうだ。しかし、時間が限られていることから、タクシーが回ってくれたのは、(1) 海地獄、(7) 血の池地獄、それにこれには挙げられていない天然記念物「坊主地獄」の3つのみで、間欠泉の(8)龍巻地獄は赤いランプがまだ点いていないから素通りした。そして、慌ただしく9時までには、大分駅前に帰り着くという強行軍だった。

海地獄



血の池地獄


 それはともかく、この地獄めぐりは、40年前と15年ほど前に来ていて、今回が3回目となる。今やどこの「地獄」も立派に整備されているので、往時と比べればそれだけでも感慨深いものがある。「海地獄」の青色は、熱帯の珊瑚礁を彷彿させるいわゆるマリン・ブルーで、とても美しい。この色は、昔と全く変わっていない。「血の池地獄」は、昔は赤い色がもっと強かったように思えて、おどろおどろしい気がしたものである。それに比べると今回は、大人しい赤色だった。最後の坊主地獄は、なるほど、温泉の泡が泥を持ち上げ、プクッ、プクッと出ている。その説明によると、「古くから名高い別府の三大地獄の中でも天然記念物 坊主地獄は伝説と景勝と共に随一の名勝と讃えられています。昔、鶴見の里と云われたこの地には延内寺という立派な寺があり、いで湯と霊泉の修養の聖地でした。ところが今から凡そ480年前の大地震の時、延内寺の床下から突然大爆発が起こり住職の円内坊は一瞬の間に噴き上げられ、地の底深く、姿を消していまいました。その後絶え間なく噴き上がる熱泥が坊主頭の様でしたので何時からともなく、坊主地獄と呼ばれるようになりました。当地獄は泥火山の特異な現象として高く評価され天然記念物に指定されています。」ということだった。なるほど、坊主頭か、さもありなん。それにしても、あり得る話だ。こちらが天然記念物だとすると、それではパンフレットにあった鬼石坊主地獄は、天然ではないということか?


天然記念物坊主地獄




 さて、慌ただしく大分駅に戻り、仕事と昼食を済ませて、国東半島にある大分空港に向かった。ところが、車で1時間もかかり、地方空港にしては珍しく遠い。いくつかお土産を見繕って、再び機内の人となった。今回は雲があり、とぎれとぎれにしか見えなかったので、どこを飛んでいるのかが、いまひとつ分からなかったのは残念である。








(平成27年5月29日著)
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