邯鄲の夢エッセイ



あわびの踊り焼き




 新潟の風景と佐渡の珍味の旅( 写 真 )は、こちらから。


 新潟と佐渡ヶ島に一泊二日の駆け足で行ってくることになったが、予定を見ると朝から晩までぎっしりと詰まっている。自由な時間は、文字通りの早朝と晩遅くしかない。「せっかく時間と旅費を使って行くのだから、仕事はしっかりやるのはいうまでもないことだけれど、それにしても、仕事以外でも何か印象に残るものがないものか」などと思ったが、こんな過密スケジュールでは何ともやりようがない。そう思って上越新幹線Maxときに乗った。新潟市には、かつて40数年前に来たことがある。そのときは佐渡ヶ島の友達を訪ねるのが主な目的だったので、市内には泊まらず、ただ通り過ぎたにすぎなかった。だから新潟市の印象はとても薄く、中心部の道路は広いが、古い地味な建物が多くてあまり特徴のない街だったという記憶しかない。

朱鷺メッセ


 ところが今回、20階建ての「新潟日報メディアシップ」の最上階にあがってみると、ゆったり流れる信濃川の風情は変わらず、その先の日本海に接するところに31階建ての「朱鷺メッセ」という優美な姿を見せるコンベンションセンターがあった。青い空とマリーン・ブルーの日本海の色が、建物のガラスに反射して溶け込んでいる。なるほど、これが新潟のランドマークかと納得する。当初、こちらのホテルに泊まるつもりだったが、医系の学会が開催されるのと重なってしまい、満室で予約できなかった。ということは、閑古鳥が鳴いているというわけではなくて一応、ちゃんと設備が稼働しているということか・・・結構なことだ。


 さて、夕刻のスケジュールが終わり、やっと自由な時間となる。とりあえず、どこか適当なレストランに寄って、地元の名物を食べて来ようと思った。ホテルの人に聞くと、新潟伊勢丹の7階に行くと、それなりのお店があるという。朝から車中と会議ばかりで運動不足だから歩く。バスターミナルの脇を過ぎて伊勢丹に着き、7階を巡っているうち、「越後長岡 小嶋屋」という蕎麦屋さんがあった。ああ、これだ、これだ。ここにしよう。当地に「へぎ蕎麦」というものがあったことを思い出した。北陸新幹線が出来る前は、東京から北陸方面に行くときには、越後湯沢駅でほくほく線に乗り換えたものだ。そのとき、乗換え時間の合間に改札口を出たら、駅構内に、へぎ蕎麦を出すお店があって、食べてみたところなかなか美味しかった。ちなみに東京でも、地下鉄千代田線の湯島駅の近くにこれを出すお蕎麦屋さんがある。

 ところで、「へぎ蕎麦」は海藻をつなぎに使ったものだという知識はあったが、それをこの「越後長岡 小嶋屋」さんのHPは、次のように伝えている。「へぎそばといえば近年では関東でも知られた名前になりましたが、ではこの『へぎ』とは一体なんでしょう?この『へぎ』、実は『剥ぐ=はぐ=へぐ』のなまりで、木を剥いだ板を折敷にしたもののことであり、ざるそばやせいろ同様、『へぎ』という器に盛られたそばのことを言います」とある。私はてっきり、蕎麦の名称と誤解していた。江戸時代には、「当時この地方では小麦の栽培は行われておらず、そばのつなぎにはもっぱら山ごぼうの葉や自然薯などを使っていました。ただ、この地方は織物の産地であり、織物の緯糸(よこいと)をピンと張るためにフノリ(=布海苔)という海藻を使っていましたので、このフノリは容易に入手できる環境だったのです。そこで[小嶋屋初代の]重太郎は『このフノリを使ってそばはできないだろうか』と研究を重ね、現在のフノリそばを完成させたのでした」とのこと。



 この伊勢丹の小嶋屋の支店で私は、天麩羅へぎ蕎麦を注文してみた。私はほとんど酒を飲まない性質なので、メニューの写真が酒を飲むことを前提に蕎麦の量が少な目になっているのが少し気になり、蕎麦の大盛を頼んだ。やがて持ってきた料理を一見すると、天麩羅は衣が厚すぎて、あまりヘルシーとは言い難い。ただ。味は良かった。まあ、カロリーが高い分、蕎麦で調整するようなものである。ところで肝心の「へぎ」に盛られた蕎麦は、なかなか美しく盛り付けられている。たれに付けて一口、食べると、ひんやりした滑らかな食感で、つるつるっと口に入っていく。出雲のわんこ蕎麦のように、これでは、いくらでも食べられそうだ。私は、織物工場に行って織布のときに使う「のり」を見たことがあるが、てっきりあれはお米から作っている糊だと思っていた。ところがそれがここでは「布海苔」だったとは知らなかったし、ましてやそれをこうやって蕎麦として食べるとは思いもしなかった。

メディアシップ


 さてその翌朝、午前7時に起きてホテルの朝食をとり、カメラを持ち、萬代橋を渡ってその「新潟日報メディアシップ」まで歩いて、ちょうど8時に着いた。そのときの展望フロアからの眺めは誠に良くて、眼下には水量豊かな信濃川が日本海に向けて流れている。通ってきた萬代橋は、重要文化財だそうだ。港の方には、地上143メートルの高層ビル「朱鷺メッセ」が非常に目立っている。反対側に目をやると、まだ雪をいただく山々が見えたので、それでやっと新潟に来た気がしたものである。

まだ雪をいただく山々


高速船ジェットフォィル


 午前9時に新潟港に向けて出発し、すぐに佐渡汽船の乗り場に着いた。佐渡ヶ島に向けては、従来通りのカーフェリーと高速船ジェットフォィルという2種類の船があり、前者は2時間半(料金は1等3,570円、2等2,510円)、後者は65分(同3,520円)である。ところが高速船は天候が荒れると運休になることもあるというので気になっていたが、幸いこの日は天候も穏やかで無事に出発することができた。ジェットフォィルというのは、船体の前後に水中翼があり、強力なポンプでくみ上げた海水を噴射させてその反動で進む船で、海面上1.5mを浮いて時速80km航行する。私は乗るのは初めてで、昔のコンコルドのようにエンジンの音がうるさいかもしれないと思って乗ったが、とても静かで、しかも海面上を浮いてそんな高速で走っているとは全く思えないほど滑らかな乗り心地だった。ただ、船室から外を見る窓が汚いので、せめてガラス掃除くらいすればよいのにと思った。



 そのジェットフォィルで佐渡ヶ島へと無事に渡り、仕事をすませてお昼になった。近くの料理屋「魚処 かすけ」で食事をすることになって、メニューを見たところ、普通の定食とは別に、「鮑の踊り焼き」というものがあった。いささか高いが、せっかく来たのだからと、同席の皆さんにも食べていただくことにし、注文してみた。すると、ご覧のように鮑を丸ごと1個、七輪の上にて焼くものだった。鮑が殻付きのまま火にかけられている。よく見ると鮑が身をよじるように動いている。あれあれ、要するに、生きているのだ。いささか残酷な感もするが、新鮮そのものである。数分経ったらひっくり返して裏面をまた火にあぶる。そうして食べてもよい頃となる。ナイフで身を切り分けると、肌色の身が出てくる。それをフォークで刺していただく。ほのかに磯の香りが鼻の中に広がったかと思うと、海産物の旨味が口の中いっぱいに満たされている。生の鮑の身は、コリコリしているが、こうやって火を通した鮑の肉は、弾力性はあるものの、柔らかい。また、肉以外の身は、さざえのように苦くもなくて、そのまま全部を美味しく食べられた。定価2,700円也。


 この鮑は、記憶に残る味となった。また、それとは別に「ふぐの子粕漬け」というものを注文した。これは佐渡ヶ島在住の友人が教えてくれたものである。佐渡沖で毎年6月から7月にかけて採れる「ごまふぐ」の卵巣を2年以上塩漬けして毒抜きし、更に酒粕で1年間漬けて熟成させたという料理だという。日本では佐渡特有のもので、永年の伝統と優れた技術がもたらす最高の珍味とのこと。眼の前に出されると、意外に大きいし、3年前のものにしては卵の原形を保っている。もしこれが採れたときに食べたなら、フグ中毒で確実に死んでしまったのかと思うと、神妙な気がする。一切れを口に入れた。たらこより粒がしっかりしている感触だ。すると、酒粕のために確かに日本酒のような味わいがする。しかし、とても塩っぱい。既に酔っ払っている酒飲みだと、わからないかもしれないが、これをたくさん食べるのは、素面の身にはなかなか辛いものがある。ということで、二切れをいただいて、後は同席の人に譲ることにした。しかし、考えてみると、これはすごい技術である。フグ毒のテトロドトキシンは青酸カリより強力だが、それを無害化するとは・・・乳酸菌が分解してくれるらしい。「永年の伝統と優れた技術」という売り文句のとおりである。定価594円也。なお、平成20年3月12日付けの朝日新聞に「名品の舞台裏にいがたの味」という題で、これを作っている「須田嘉助商店」の記事がある。



(平成27年5月22日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)





悠々人生・邯鄲の夢





邯鄲の夢エッセイ

(c) Yama san 2015, All rights reserved