久しぶりの休日、タイのバンコク市内の寺院巡りを楽しんだ。それにしても、この地は暑い。外に出ると強い日光がジリジリと照りつけるし、何よりもムーっとする熱気が身体にまとわりつくから肺の中にまで暑い空気が入ってくる。それに幹線道路沿いでは排気ガスがひどくて臭い。かつて、タイの隣国で3年間を過ごしたことがあるが、これほど暑くて臭いことはなかったと記憶している。暑さについては、地球温暖化のせいか、それともシャム湾の奥まったところにあるというバンコクの地形によるものか、よくわからない。ホテルで見かけた日本人らしき観光客が、ジャングル探検のようなダブダフの半パンをはいている理由がよくわかった。こういうところは、エアコン付きの車でサーっと回るのが一番だ。でないと、無駄に体力を消耗する。前日、ホテルのコンシェルジェに個人ツアーを頼んでおいたので、朝の9時にガイドさんと待ち合わせた。半日で2,100バーツ(7,566円)と、いささか高かったが、1人だからやむを得ない。ちなみに、あと1人増えるごとに500バーツ(1,800円)だから、人数が多いほど1人当たりの料金は安くなる仕組みである。
さて、そのガイドさん、通称サニーさんと、8人乗りくらいの、割ときれいな車に乗り込んだ。サニーさんは40歳くらいの女性で、典型的なシャム系の顔。短く刈ったモジャモジャした髪を金髪に染めているから意外な気がした。英語とドイツ語ができるという触れ込みだ。英語はかなり上手なのだが、語尾にやたらと「Baby」と付けるのが聞き辛い。いや、こそばゆくてかなわない。私は「Baby」どころか、「おじさん」、ひょっとして「おじいさん」なのだけどと思いつつ、何かのついでに理由を聞くと、やはりドイツ人のボーイフレンドがいたそうだ。さもありなん、お付き合いをする中、英語とドイツ語を実践で学んだものだろう。
まず最初は、ワット・トライミット(黄金仏寺院)を訪れた。中華街のヤワラートの門が、すぐ裏手にある。寺院の門をくぐると、白い建物だが、屋根からまるで天上の世界に繋がっているように金色に輝く装飾が、上の真っ青な空へと伸びている。これが独特の雰囲気を醸し出している。建物の正面には国王の肖像画が飾られ、とても知的なお顔をされている。王家への尊敬の念の篤さが見てとれる。建物の中に入るには、大理石の上で靴を脱ぐのだが、そこに日光が当たっていると、足の底が燃えるように熱い。私は靴下を履いていたから、さほどでもなかった。しかし、同じ参拝客の中には素足にサンダル履きの白人女性がいて、そういう人はとても熱そうで、爪先立ちであわてて中に走って入っていった。
その熱い大理石のゾーンを通り抜け、階段を上がって黄金仏の前に立つ。半跏、つまり片方の足を他方の大腿部の上に置いて座っておられるが、日本で見かけるような半跏思惟像ではない。両手はむしろ体の前に垂らしてある。右手は五本の指を揃えて膝に乗せ、それを自然に前に垂らす形をとっている。左手は掌を上に向けて膝の上に乗せている。金色にピカピカ光るお顔は、薄く開いた眼を下に向けて何か瞑想しておられるようだ。その前にオレンジ色の袈裟を着たお坊さんがいる。ひざまずく参拝客の右手に紐のようなものを繋げ、それを巻いてひと結びし、ハサミでパチンと切ってブレスレット様のものを作ってあげている。仏様との縁を繋げているとのこと。実は、ガイドの案内で私もやってもらったが、それを右手に付けてもらっただけならまだしも、水を含んだ短い竹の箒みたいなものでバシバシ頭を叩かれたのには参った。
もうひとつの建物で、やはり黄金仏を拝見したが、こちらは合掌されている。まだ近しい感じはするものの。日本の煤けたような年代物の仏様をたくさん見慣れた身には、どこか落ち着かない気がした。というのは、こちらの仏様は、確かに美しいけれども、これでもかとばかりにピカピカ光って辺りを睥睨するかのような感じがしたからである。表情もうかがえない。でも、これも慣れの問題かもしれない。ガイドに仏様の由来を聞こうとしたが、よく知らないようだった。ただ、日本の運慶、快慶のような個人の名前が残っているわけではなく、工芸作家のグループが作っているというようなことは言っていたが、本当かどうか。
その次のワット・スタットテープワララームは、ラーマ1世が建立したお寺が元になっている。ネットで調べてみたところでは、礼拝堂の本尊は、1808年にわざわざスコータイから運ばれてきた8mのシーサーカヤームーニー仏で、14世紀に鋳造されたものとのこと。やはり半跏像であり、右手を膝に乗せて下に垂らしているのは勝利宣言の印だそうだ。仏様の周囲に描かれた壁画も、なかなか趣があってよいが、それにしてもどこかで見かけたと思ったら、前日の夜にネクタイを買いに行ったジムトンプソンの包み紙とそっくりだった。なお、このお寺には、まるで日本の鳥居を髣髴させる赤い大きな枠組みがあった。ガイドによると、実はこれは「サオ・チン・チャー」とよばれる巨大なブランコで、昔は本当にお坊さんが乗って地面に水平になるまで漕いで天上世界に近づいたそうだ。しかし、落下事故が相次いで、1935年以降は使われなくなったという。まるで、漫画のような話だ。
ワット・ポー(ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム=ラーチャウォーラマハーウィハーン、涅槃寺)は、アユタヤ王朝末期のプラペートラチャ王時代(17〜18世紀初頭)に建立されたといわれるバンコク最古の寺院という。横になって寝そべっている全長46メートル、高さ15メートルの涅槃仏で有名なお寺である。私がついうっかり「Sleeping Buddha」と言ったら、ガイドに「No it's the Reclining Buddha」と直されてしまった。確かに、上を向いて寝ているわけではなく、横を向いて目を開けていらっしゃる。でも、「Reclining」だと、私は座椅子や電車のシートを思い出してしまうから、横になって寝そべる姿を表現するには、どうもしっくりこないのも事実である。
さてその涅槃仏は大きい。その前に柱がたくさんあるから正面の全身写真が撮れない。背後からなら撮れるから、何とかならないかという気もするが、これもタイ風の有り難みを醸し出す手段なのかもしれない。涅槃仏は、全身が金箔で覆われており、目もぱっちりして可愛さすら感じる。足の裏には指紋風の渦巻きがあり、また螺鈿で何かが描かれている。インドと中国とタイの混合したもので仏教に関することだそうだ。なお、この寺の敷地内には、マッサージ学校があり、医療とともに衆生の苦しみを和らげるものだという。同じお寺の境内に、仏様の高い立像があった。なかなか、すっきりとしたお姿で、光の当たり具合のせいか、お顔がよく見える。私の気に入った仏様のひとつである。
実は、これらのお寺にくわえて、ワット・プラケオ(エメラルド寺院)にもぜひ行きたかったのだが、あいにくこの時期は、御釈迦様の入滅の儀式の準備の関係で、一般の参拝はできなかった。また、次回に訪れるとしよう。
なお、バンコク旅行の注意点として、タクシー、あるいはそれに代わる手軽な乗り物であるトゥクトゥクの乗り方がある。問題は運転手にあり、あまり良い印象がない。どの運転手も英語がほとんど通じないか、あるいは通じないふりをしているのに加えて、実に不誠実である。例えば、空港でタクシーに乗ったのに、運転手は英語が話せない。ここまでは日本を訪れる外国人と同じかもしれない。そこで、ホテル名を英語で書いた紙を見せた。タイ語でないとわからないらしい。仕方がないので、グーグルマップを出してそれを拡大したら、かなり小さめの字であるがタイ語表記があったので助かった。次に、タクシーは一応メーター制なのだが、目指す場所に一直線に行くのではなくて、かなり遠回りをして料金を稼ごうとするので困る。大したお金でもないから好きなようにさせておくのも一案だが、そうすると他の観光客にも間接的に迷惑が及びかねない。だから、グーグルマップで現在地を確認して、道を外れるようだったら、運転手に注意するようにした。料金的には、グーグルマップを動かす通信料金の方がはるかに高いから、そんなことをするのは損なのだけれど、妙なところに連れて行かれても困るので、セキュリティ確保の一環でもある。
それにしても困ったのは、トゥクトゥクである。あるとき、ホテルからタクシーでわずか60バーツほどの料金の所に来て用事を済ませ、またタクシーで帰ろうとした。昼間のことである。ところが、近すぎたのか、3台もタクシーを止めたけれど、乗せてもらえない。仕方がないので、初めてトゥクトゥクに乗った。しばらく行って、運転手が2本の指を示すので、「20バーツか、そんなものかな」と思ったら、何と200バーツだという。大した額ではないが、外国人がこのように甘く見られても困る。そこで、「ここに来るときはタクシーで60バーツだった。それは高い。60以下にすべきだ」というと、「150でどうだ」、「ダメだ。だいたい、タクシーより高いトゥクトゥクはない」、「では、100にする」、「ダメだ。まだ高い」などとやって、そのうちホテルに着いたので、ドアマンの前で60バーツを支払って、ゆっくり降りた。今から思うと、乗る前に料金を交渉すべきであった。運転手にも生活がかかっているのだろうが、外国人観光客の一人として、不合理なことには相手の言いなりにならないことが大事だと思う。いずれにせよ、重要な公共交通機関がこの有り様では、安心して観光ができない。
(平成27年5月4日著)
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