また今年の東京にも、待ちに待った桜の季節がやって来た。寒い寒い冬が抜けてようやく暖かくなり、それを待っていたかのごとく順次、色々な桜が一斉に咲きほこる。一度、3年前に東京中の思い付く限りの桜の名所を、二日にわたり頑張って回ったので、さすがにもう良いという気になってしばらくは休んでいたが、また今年、ぽかぽか陽気に誘われて桜を見に行く気になった。今年は網羅的に回るのはやめ、桜の種類によって微妙に咲く時期が違うので、その「時差」を利用して、見ごたえのある東京の桜の名所を巡ることにした。まず手始めは、清澄庭園の寒緋桜である。濃いピンク色の花が下向きに咲く。あれっ、この花はいつ満開になるのだろうと思っているうちにそのまま落ちてしまう。つまり、下向きで開ききっていないのに、それで満開なのである。さらにその1週間後、いよいよ本格的に桜が咲き出す。さて、出発するとしよう。
(1)三宅坂の国立劇場の神代曙など
まずは、皇居南西角にある三宅坂の国立劇場の前庭の桜を見るべきだろう。こちらでは、神代曙など日本の桜の名木が集められているから、まあその見事なことといったらない。染井吉野より1週間ほど先に咲いて満開の時を迎えるから、早めに千鳥ヶ淵を訪れてまだ咲いていないとがっかりせずに、もう少しお堀に沿って国立劇場まで足を伸ばしてみると、これら桜の豪華絢爛たる姿を見ることができる。しかも国立劇場側が気を利かせて、3月末から4月初めにかけ「さくらまつり」なる催しをやっている。床几と野点傘で休みながらお茶をいただき、素晴らしい桜の観賞ができるという趣向である。
その国立劇場の前庭にある桜のうち、染井吉野に先駆けて咲くのは、次の種類である。
@ 神代曙(特に花びらの先の方が鮮やかな美しいピンク色で、まるで乙女の頬色のようである。神代植物園で多く栽培されているという。)
A 小松乙女(これも、神代曙に負けずに美しいピンク色をしている桜だが、染井吉野より、やや小ぶりである。)
B 駿河桜(染井吉野より少し大きめの白い桜の花で、咲いているうちに紅が差してくるし、香りも出てくるから面白い。)ちなみに、この桜の種から国立劇場が育てた新品種があり、駿河小町という名で苗木を売り出している。花数が多いし、白っぽい駿河桜と違ってピンク色が強い桜なので、私もマンション住まいでなかったら、買って植えたいくらいである。(苗木1本5,400円、送料3,240円)
C 八重紅枝垂(これらが咲き終わる頃、いよいよ本命の枝垂れ桜が咲く。これはたとえば平安神宮のように京都によく見られる見事な紅の枝垂れで、しかも花が八重となっているから絢爛豪華という表現がまさに当てはまる桜である。)
余談だが、この国立劇場の右隣にホテル・グランド・アークがあり、そのまた右隣りに「甘味 おかめ」というお店があって、この季節は大きな桜餅を売っている。これがまた、「凄い」の一言で、甘いもの好きには見逃せない逸品である(千代田区麹町1丁目7 フェルテ麹町1階)。国立劇場の桜を見に行くことが好きなのは、これを食べる楽しみもあるからかもしれない。文字通り、「花より団子」である。
(2)千鳥ヶ淵と牛ヶ淵の桜
前回は「桜の王者」と称した千鳥ヶ淵であるが、地下鉄東西線の九段下駅から歩いていくので、道順としては、牛ヶ淵を左手に見ながら武道館に向かう橋がある田安門に差し掛かりながらお濠と桜の写真を撮る。広い橋なのだけれど、その上を覆い尽くすように染井吉野の桜がこんもりと咲いている。今年は特に外国人観光客の姿が目立ち、皆にこにこしながら写真を取り合っている。それから元老の大山巌像の後ろを通ってお濠に沿いながらしばらく歩くと、千鳥ヶ淵の桜並木につながる左折の地点にたどり着く。
前にも書いたが、ここは、日本の桜の名所の中でもベストワンではないかと思う。というのは、まず、歩いているところが桜のトンネルのように、頭上とお濠寄り一面に広がる枝に、桜が鈴なりなのである。ここまでは、桜の普通の名所と変わりない。しかし、左手のお濠の方に目をやると、対岸に桜の木があり、しかもその岸全体を覆い尽くすように咲いている。その間の緑色のお濠の水面には、ボートがたくさん出ていてゆっくりと動いている。時々それが桜の花で隠れるが、その桜の木は手前の岸の下の方から出ている。だから、ボートが上も下も桜の花で囲まれているように見える。うわぁ、すごいと思わず声が出る。
引き続き歩いて行くと、やがてボート場とその上の展望台に着く。お濠に少し突き出しているような形なので、見晴しが良い。そこから今来た道の方を振り返ると、お濠の両側からこんもりした桜の花の山が水面に向かって垂れ下がり、その桜のピンク色が、グリーン色の水面と青色の空の色によく映えて、実に美しい。その間にゆっくりと動き回るボートがいかにも春らしい風情を添えている。いやいや、とても良かった。来年は、夜桜を撮りに来よう。特に日没後の暗くなる直前の15分間くらいは、写真には空が鮮やかな青色に映る瞬間があるので、それを写してみたい。
(3)六義園の名木の枝垂れ桜
前回、午前9時の開門前に10分間ほど早く入れてくれて、枝垂れ桜の前に人がいない状態で写真を撮らせてもらえることを紹介した。今年も、そのように配慮をしていただいて、枝垂れ桜を思う存分に撮ることができた。とりわけこの桜は、青空を背景に写すと、その補色効果でピンクの花がますます美しく映える。撮りながら、ああ、美しいなと思わず溜め息が出そうである。
さて、午前9時になって近くに行ってよいという時間になった。枝に近づくと、ピンク色の一重の可憐な花が連なって咲いていて、全体として見るとあれだけのボリューム感が出ているのがわかる。一つ一つの花びらが重なっている八重紅枝垂れ桜とはまた違う構造なのである。だから、これだけ大きくなるのだろう。ところで、この花の樹齢は、およそ70年とのことである。何だ、およそ私とそれほど変わらないではないか。そう思うと、ますます愛着がわいてきた。
(4)井の頭公園の染井吉野
こちらは、桜の季節に行くのは初めてのところである。池の水面に映る桜の木をイメージして行ったのだが、驚いた。何かというと、人の数とボートの数の多さである。もう何というか溢れんばかりで、とりわけ白鳥のボートの数は、これで池面が埋まってしまうのではないかと思えるほど多かった。だから、どちらを向いてもカメラのファインダーには白鳥ボートが入り込んでしまい、池面が映らないほどである。ただまあ、花見客はそれぞれにレジャーシートを敷いて、飲んだり食べたり喋ったりと、思い思いに楽しんでいた。
(5)播磨坂と小石川植物園
@ 播磨坂
こちらは、少し早目に行ったので、染井吉野がまだ1分から2分咲きくらいで、花見という意味ではまだまだ早かった。文京区の播磨坂では、さくら祭りというのをやっていて、高校生のバンド、子供が動物と触れ合う移動動物園など、色々な催し物があった。ちなみにこの通りは、広い道の真ん中の中央分離帯に相当するところに細長い島があって、流れる川と桜並木があるという珍しい構造になっている。これは、「環三通り」という名称で分かるように、本来は環七通りや環八通りのような都市計画道路を作るはずで、その一環として作られたのだが、その計画が頓挫して、この部分だけが残ったその名残りだというのである。
A 小石川植物園
その近くに東京大学の小石川植物園がある。東京大学の旧医学部の建物やニュートンの林檎の木や、精子を発見した銀杏の木があり、5年前には、開花した燭台大蒟蒻を見に行ったことがある。こちらにも枝垂れ桜があるのだけれど、その背景はあまり綺麗でない温室だし、青いビニールシートがあったりして、興ざめする。肝心の染井吉野の桜は非常に大きくて立派なのだが、残念ながらまだ早い。その代わり、辛夷(こぶし)の木が花盛りで、つくづくとその白い花を眺めてしまった。頭の中に、「辛夷咲く、あの丘、北国の、ああ北国の春」というメロディーが去来した。
辛夷の花と木
(6)多摩森林科学園
東京のJR高尾駅北口から山の方に向かって10分ほど歩くと、国立研究開発法人 森林総合研究所 多摩森林科学園というものがある。実は、ここは知る人ぞ知る隠れた「桜の名所」なのである。それも、定番の染井吉野だけではなく、全国各地の主な桜の栽培品種、名木、天然記念物などのクローンが300種類、系統にして600ライン、1300本も植えられている。
いただいたパンフレットによると「桜の栽培品種は江戸時代以前から多くの種類が育成されてきましたが、現代に引き継がれているのはその一部です。このような伝統的栽培品種を収集・保全し、正確な識別・保全や系統関係の研究を進めています。」、「桜シーズンには園内の桜の開花ホームページで発信しています。多くの桜が咲くのは3月後半から4月末までの期間です。染井吉野よりも遅く咲く八重桜の仲間も多いので、長い期間、桜の花を楽しむことができます。」という。
そのサクラ保存林は、山間の谷を見下ろすような形に配置され、その周りや谷底を回ってちょっとしたハイキングそりものである。その道などの名前も面白い。曰く「昭和林道」、「柳沢林道」、「彼岸通り」、「里桜園」、「遠見通り」、「遠見通り」、「夫婦坂」、「仲通り」、「釣舟草ベンチ」、「見返り通り」である。詩情があるかと問われれば、さほどないと言わざるを得ないが、いかにも実直な研究者が付けたという名前である。私の訪れたときは染井吉野はもう散っていて、次の桜の花が咲き誇っていた。
また、いただいた「京都ゆかりの桜」というパンフレットは、桜の花を鑑賞する文化は京都から始まったので、すべての桜は京都に関係するとして、特に京都由来の桜の紹介がされている。それによると、「サクラは日本全国の野山にもともと自生する樹木です。花見の対象として栽培されるようになったのは、平安時代からと考えられます。はじめは野生のヤマザクラやエドヒガンを栽培していたと思われますが、そうした中から枝垂桜のような変わった形のサクラの栽培化も始まりました。鎌倉時代になると伊豆からもたらされたオオシマザクラが京都でも栽培されるようになりました。オオシマザクラは花が大きく重弁化しやすい特徴を持っています。したがって、オオシマザクラを種子によって繰り返し増殖していく過程で、八重咲の栽培品種が生まれたと考えられます。このため、伝統的な八重咲の栽培品種の多くは、オオシマザクラが母体となっていますが、周囲にあったヤマザクラとも交雑しています。江戸時代になると、こうした変わったサクラが接ぎ木によって増殖され、各地に広まることで、現在に伝わる栽培品種が成立しました。」との由。
ということは、我々が現在の見ている桜はいまや染井吉野がほとんどであるから、平安時代に西行法師が見て「願わくは 桜の下にて春死なん その如月の望月の頃」と詠んだという桜とはもちろん違う。また、江戸時代に本居宣長が「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」と詠んだ山桜とも違うらしい。しかしこれらは、ほぼ染井吉野のイメージで、白色の一重の花をしていて、しかもぱっと咲いて数日の間ではかなく散ると思うからいずれの歌にも合っている気がする。ところがたとえばそれが、八重桜の関山や、枝垂れ桜の八重紅枝垂れのようにピンク色が強くて豪華な感じの桜だと、どうにも合わない気がするのである。
ところで、こうして多摩森林科学園を見ていくと、「佐野の貴船」、「佐野の御室有明」などと、「佐野」という名前がついている木が多い。これは何だろうと思っていたら、いただいたパンフレットにその由来が書いてあった。それによると「佐野藤右衛門。佐野家は京都の古い家で、当主は代々藤右衛門を名乗り江戸後期から京都の御室仁和寺に仕え、造園業を営んできました。14代藤右衛門(1874年〜1934年)からサクラを育成するようになり、京都の仁和寺や平野神社だけでなく東京大学や金沢の兼六園など日本全国から栽培品種や名木の収集保存を行うようになりました。戦時中の困難も乗り越えて15代(1900年〜1981年)・16代(1928年〜)も親子三代で継続して桜の保護育成を手掛けており、現代の桜守とも呼ばれています。京都円山公園の『祇園枝垂』、金沢兼六園の『兼六園菊桜』など佐野家によって増殖され、守られた桜の樹は数多くあります。また『琴平』や『市尾虎の尾』など佐野家によって見出され、世に広まった栽培品種も数多くあります。」とのこと。なるほど、いかにこういう森林科学園を急ごしらえで作っても、この佐野家のような何代にもわたるその道の先達がいなければ、十分な品種の数が集まらなかったに違いない。このような家系こそ、大切にすべきであろう。
(7)新宿御苑の八重桜
4月18日は、新宿御苑で恒例の「桜を見る会」が開催され、例年通り、私も参加させていただいた。最近、チュニジアなど世界各地でテロが相次いでいるせいか、会場入口でいつもにはない所持品検査を行っていた。新宿御苑は、会場が広いので、たとえ何万人が入っても問題ないというのは事実ではあるが、それにしても今回の入場者数は多かった。例年なら確か1万人が招待されて6千人が来るという年もあったと記憶しているが、後から新聞を見たら今年は1万5千人が来場したというから、道理で混雑していたわけである。この日は快晴だったし、気温もさほど低くなかったらだと思うが、それにしても多かった。例えば軽食を給するスタンドはどこも長蛇の列で、焼き鳥やご飯、蕎麦などは何十メートルも続き、空いているのはアイスクリームだけという有り様だった。しかし、その混雑の渦を少し外れると、折から満開の八重桜であるピンク色の濃い「関山」、真っ白の「一葉」などが真っ盛りで、なるほど、染井吉野が散ったこの季節にこの会が開かれる意味がよくわかる。
ところでこの日は、安倍晋三首相が恒例のスピーチを行ったが、実はあまりに大勢の人で、我々の位置は演台から相当離れていたことから、断片的にしか聞こえなかった。しかし、当日の夕刻の新聞にはどういうスピーチだったかが載っていて、それによると首相は良寛の「世の中は桜の花になりにけり」という句を引いて、「日本全体がそういう気分になるように、頑張っていきたい」、「景気回復の暖かい風を全国に届けることが私たちの使命だ」などと語った由。なお、当日は芸能人として、アイドルグループのももいろクローバーZや、お笑いコンビの8.6秒バズーカー、爆笑問題コンビなどが招かれていたそうだが、参加者はそのほとんどが高齢の方ばかりだったことから、最後のコンビを除いて「あれはだれ?」という状態だった。
肝心の桜であるが、さきほども述べたように、美しいピンク色が目立つ「関山(カンザン)」が園内のあちらこちらで咲き誇っていて、実に素晴らしい風景である。園内には日光を遮るものはなにもなく、自由に枝を伸ばして大木に育っている。できれば人間も、こうありたいものである。
次に目立つのは「一葉」(イチヨウ)、「普賢象」(フゲンゾウ)という白い八重桜で、これらも八重の桜で僅かにピンク色はついてはいるものの、どちらかといえば純白に近いから、実に清楚な印象を受ける。両者は花そのものを見ても見分けがつかないほどであるが、葉の色が前者は緑色なのに対し、後者は赤茶系であるからわかりやすい。このほか、「福禄寿」(フクロクジュ)という白とピンク色がちょうど良い加減の対比をなしている桜の木も、素晴らしかった。変わり種として、桜にしては珍しく花が緑色で中心部がややピンク色がかっている「御衣黄」という木も、なかなか印象深い。
イギリス風庭園は、広大な芝生が広がる気持ちの良い空間である。レジャーシートを敷いてあちこちにカップルや家族連れが休んでいる。その中で、お父さんとお母さんがシャボン玉をやりだした。細長い筒のようなものができて、それが大きなシャボン玉となって空中を漂う。それを2〜3歳の子供たちが追い掛けるという構図で、帰りがけに、これも毎年訪れている大温室に立ち寄ってみたが、赤い色の葉で、先端に黄色の雄しべ様のものが捻れて付いている見たことのない植物があった。また、入り口近くには、この季節に咲く「ハンカチの木」があり、これは一見の価値がある。
(平成27年3月27日〜4月12日著)
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